9.人も愛し、人も恨めし
「それではいよいよです。恭助さん、四隅に置かれた四枚の札を見てください」
十かける十枚に並べられた巨大な絵札の固まりの四つの隅、すなわち、右上、右下、左上、左下の四枚の札を、恭助はいわれるがままに順番に確認していった。
「右下がご本人の藤原定家だね。それから、対角となる左上にあるのが式子内親王、定家が恋をしていた人だ。あとの人は、右上が順徳院で、左下が後鳥羽院か……」
「定家を除くと、みんな天皇家の人たちね。いわゆる『台付き様』」
と、青葉が補足した。
「親王とか院とか、よくわからないんだけど……」
恭助が目を向けると、
「親王は天皇の子供で、皇子や皇女のことですね。男性は親王、女性は内親王、と呼ばれているみたいです。それから、院は譲位つまり天皇の位を後継者に譲った、上皇を意味します」
と、古久根が答えた。
「天皇が会社の社長なら、上皇は会長ってとこだな。いずれも最高に高貴な人たちなんだ。そこに定家を含めて四人か。
でも、定家って少々ずうずうしくないかい? 天皇家と自分を同格に並べているんだからさ」
「そうですね。でも、この歌織物の謎が解かれなければ、定家が仕込んだ行為は誰も気づきませんからねえ」
「謎を解かれない自信があったからこそ、ずうずうしく自分を天皇家とを同格に並べた。たったそれだけの悪戯のために、定家は百首の歌を選定したのかい?」
「四隅の天皇家の方々だけど、いずれも定家と同年代の人たちね」
青葉がさりげなく含みを持たせた。
「なるほど――。定家はこの三人となんらかの付き合いがあった、ってことか……」
「そうですね。式子内親王は定家と禁断の恋愛関係にあったお相手なのかもしれませんし、後鳥羽院は定家の主君であり、定家のことをかわいがってくれた恩人でもあるわけですが、実はこの天皇家の三人は、みな不遇な運命をたどられているんです」
「不遇な運命?」
「はい。まず式子内親王ですが、百人一首が完成した時にはすでに故人となっていて、定家にとっては思い出の人になっていました。
後鳥羽院と順徳院は、承久の乱の首謀者として隠岐の島と佐渡島に島流しの刑にされていて、都から追放された人であったわけです」
「承久の乱って?」
「後鳥羽院が、時の執権政治を行う北条義時の鎌倉幕府に対して、討幕の兵を挙げた兵乱のことだけど、結果的には後鳥羽院は負けてしまうの。
だから承久の乱は、朝廷が幕府に敗れた、さらには、公家政権が武家政権に敗れ去った、前代未聞の下剋上事件なのよ」
と、青葉が代弁した。
「それまでの平家や源氏の武家政権は、朝廷と手を取って天皇を補佐しながら政治を行う摂関政治みたいなものでしたが、承久の乱の後では、鎌倉幕府は朝廷を押さえ込んで全国を支配する独裁政権となっていったのです。
だから、それとともに平安貴族文化も崩壊して、和歌も詠まれなくなってしまいました。定家は、ある意味、和歌の最後の時代を見届けた代表的な歌人ともいえるでしょうね」
と、古久根が要点をまとめた。
「その定家がよりすぐって選んだ百首。その中でも、四隅に配置された人物は特別に重要な三人、ということになるわね――」
青葉が口を挟むと、古久根がそれに呼応した。
「では、その四隅の歌をもう一度確認してみましょう」
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
権中納言定家 (第九十七番)
人も愛し 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は
後鳥羽院 (第九十九番)
(ときに人を愛しく思い、ときに恨めしくも思う。味気ない世の中だと思うからこそ、あれこれと思い悩んでいる私がいるのだ)
百敷や 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
順徳院 (第百番)
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
式子内親王 (第八十九番)
「後鳥羽院の歌ってさ、なんか、デカルトみたいだね。『我思う、故に我有り』って感じでさ……」
「恭助さん、大事な説明の最中に揚げ足を取るような発言は控えてください」
古久根がピシリと恭助を非難した。
「えっ、ごめん、ごめん。別にさ、揚げ足を取っているわけじゃ……」
恭助がしどろもどろになっているのを無視して、古久根の説明は継続された。
「お気づきでしょうか? 定家の歌は『来ぬ人』を待ち焦がれる歌です――。
そして、その『来ぬ人』というのが、この三人だとすれば、百人一首はこの三人に対する定家の特別な思いが秘められた歌集である、ということになるのです」
「でもさ、四隅にいるからって、その人たちにメッセージを込めているっていうのは、やや早計過ぎる結論じゃないかな?」
「では、恭助さん。この並べられた百枚の札をもう一度見てください」
「まだなにかあるの?」
「左から四列目に縦横に『月』の文字が入った歌が並んでいます。その十枚の『月』の縦列によって、百枚の札が、左の三十枚と右の六十枚との固まりに分かれますが、右の六十枚に注目してください。
まず、下段には『海』関係の言葉を含んだ歌が並んでいますね」
「うんと、『渚』、『あま』、『浜』、『沖』、『波』に『藻塩』ね。たしかにそうだね」
恭助は、下段に並ぶ九十三番、九十番、七十二番、九十二番、四十二番、九十七番の六首の札を、順に確認した。
「それから、次に、左側に川が流れています」
「ええと、『いづみ川』、『小川』、『川霧』、『滝川』の四枚だね。一番上に瀬の早い滝川があるところが、なんだか上流を意味している感じがする」
そういいながら恭助が指差したのは、二十七番、九十八番、六十四番、七十七番の四首であった。
「その上には、『鹿』が鳴いて、『紅葉』が広がっているんですよ」
「あっ、本当だ。古久根さんごり押しの在原業平の歌も上にあるね。上には『風』が吹いて、紅葉の山が広がっているんだ」
唐突に、古久根麻祐がコホンと咳払いをした。
「恭助さん、『古久根さん』って苗字で呼ぶのは止めてください。なんだかよそよそしいです!」
「そうかな? じゃあ、どう呼べばいいの? そうだ、『まゆゆ』、にしておこうか」
「まゆゆ、ですか? いいですねえ」
古久根は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、俺のことも、『恭ちゃん』でいいから」
恭助もにこにこ顔でこれに答えると、古久根がさっと両手を振った。
「やですねえ。恭助さんは、『恭助さん』ですよ」
「ははは。ところで、紅葉の山が広がっていて、それからどうなるのかな?」
ばつが悪そうに、恭助は頭を掻いていた。
「はい。では、中央のここを見てください。ここに『滝』があります」
「『滝の音は 絶えて久しく なりぬれど ……』の歌の札か。なんだか、地図になっている感じがするな」
恭助は、大納言公任が詠った五十五番の札をじっと見つめた。
「さすがは、恭助さん。おっしゃる通りで、この六十枚の札が一枚の地図を構成しているのです!」
「ええっ、まさか! だとすれば、すごい暗号じゃん?」
恭助の身体がぐっとのり出した。
「実は、この地図こそが、後鳥羽上皇の別荘水無瀬離宮があった水無瀬の里とそっくりなんです」
「やはり最後は後鳥羽院か……。なるほど、だんだん説得力が出て来たぞ」
「恭助さんもそう思いますか? 私も初めて知った時は衝撃でした」
「百人一首には、壮大な隠れメッセージが込められていたのか。こいつはすごいや」
すると、盛り上がっている二人の水を差すように、青葉が口を挟んだ。
「でも、左側の三十枚には地図は浮かんでは来ないのよね。歌織物説を打ち出した林先生は、百人一首で『月』を含まない歌が、『風景』六十首と『情念』三十首とに分けられるとしていて、その『情念』の三十首が左側に並んでいるのよね」
「その中に、後鳥羽院と式子内親王の歌が収められているわけだ」
恭助が相槌を打った。
「きっと、月の向こうの世界は、人間の手の届かない世界なんですよ。この世の世界とあの世の世界とを、月が繋いでいるんだわ!」
古久根がうっとりしながらつぶやいた。
「百人一首ができた頃は、まだ後鳥羽上皇は生きていたかもしれないけどね……」
と、青葉が苦笑した。
「まあ、そうはいっても後鳥羽上皇がいるのは隠岐の島だよね。遠すぎて、あの世とそう変わらないよ」
恭助が、古久根をかばった。
「それをいったら、こちら側の世界である佐渡島にいる順徳院の説明がつかないわ」
と、孤軍奮闘の青葉が反論した。
「だから、きっと後鳥羽院が死んで、順徳院がまだ生きている時に、百人一首はできたんだって。それしか、説明のしようがないじゃんか」
と、恭助がいいくるめるように、青葉をなだめた。
「そういわれてしまうと、いい返せないけど……」
大人しく引き下がった青葉を見て、さらに恭助は続けた。
「青葉は、この壮大な謎解きに感動しないのかい?」
「とても、すごい偉業だと思うわ。もし、本当ならね」
「本当じゃないとでも?」
「ううん、本当だと思いたいけど、少し気になることがあるのよね」
青葉の右手の人差し指が、無意識に口の前で立てられていた。