8.焼くや藻塩の、身も焦がれつつ
歌織物という言葉を聞いた途端、古久根麻祐の目がパッと輝いた。
「そうですね。じゃあ、今から並べてみましょうか」
「へえ、並べられるの? 麻祐ちゃん、すごいじゃない?」
青葉が驚いた表情を顔に出した。
「えへへ、私ってなにかとこだわる性格なんですよ」
そういって、古久根は百枚ある絵札を縦横に十枚ずつ、トランプの七並べのように並べ始めた。彼女が並べる札の順番は、歌番号とは全く異なっていて、一見なんの法則もなさそうに見える。
ここで、熱心な読者のために、古久根麻祐が並べた『歌織物』の百枚の絵札の並び方を記載しておくことにしよう。表記された数字は、各札の歌番号を示している。
100、33、 9、35、66、61、73、34、16、97
22、96、15、 2、25、47、28、51、75、42
69、17、24、55、62、78、18、49、87、92
94、14、74、13、 4、70、 8、19、71、72
32、 5、29、26、10、98、27、88、 1、90
12、60、 6、83、77、64、76、11、46、93
79、 7、59、81、57、31、36、21、68、23
58、39、 3、91、44、52、30、67、56、45
37、48、84、53、20、65、95、82、54、38
89、63、80、85、43、40、41、86、50、99
参考までに、四隅にある札の作者を再確認しておくと、右上が第百番の順徳院、右下が第九十七番の藤原定家、左上が第八十九番の式子内親王、そして、左下が第九十九番の後鳥羽院となっている。(なお、上下方向は、縦書き表示に合わせてある)
「この並べ方になにか意味があるのかい?」
たまらず恭助が問いかけるが、
「さあ、どうでしょうかねえ」
と、楽しげな顔をしながら、古久根がはぐらかした。
「すごいわねえ。まるでジグソーパズルのようだわ」
青葉が横で感心していた。
「はい、並べ終えましたよ」
古久根が示したのは、百人一首の百枚の絵札を縦横十枚ずつに並べたものであった。
「順番がわからないなあ。坊さんや姫が偏っているわけでもないし」
「ふふふ、恭助さん。じゃあ、例えばここを見てください」
と、古久根が、百枚の一番右下の端に置かれている絵札を指差した。そこには、
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
と書かれていた。
「定家の歌だね……」
と、札を確認した恭助がいった。
「そして、そのすぐ左隣りにあるのが、次の歌ですね」
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは
清原元輔 (第四十二番)
(あの末の松山を、波が決して超えることがないのと同じように、二人の愛も決して変わることはないと、互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、たしかお約束をしましたよね)
「ところで、恭助さん。その二枚の札の、なにか共通点に気付きませんか?」
「ええと、なんかあるの? どちらも海に関係しているとか?」
「そうですね。それから、『松』という言葉が、かぶっています」
「なるほどね。だから?」
「では、そのまた左隣りの歌を見てください」と、最下段にある十枚の中の右から三番目の札、つまり定家の札からは二つ左にある札を、指差した。
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね 乾く間もなし
二条院讃岐 (第九十二番)
(あなたはきっと知らないでしょうね。私の袖が、引き潮の時でも海中に沈んでいる沖の石のように、恋の涙で乾く間もないことを)
ですよね。じゃあ、さっきの『末の松山』の歌となにか共通する言葉が見つかりませんか」
「うん――。あっ、『袖』だ!」
「その通りです。では、そこから今度は一つ上に移動しますよ。そこにある歌は、
村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮
寂蓮法師 (第八十七番)
(ひとしきり降った村雨のために、まだ露も乾く間もない槇の葉に、霧が立ち上っている幻想的な秋の夕暮れよ)
ですけど、さあ、今度はどうですか?」
「わかったよ。『干』という漢字がかぶっている」
「正解です。
他にも、たしかこの辺りに……、ああっ、ありました。ほら見てください」
と、古久根が中央部やや下の二枚を指差した。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣舟
参議篁 (第十一番)
(大海原に散らばる島々を縫って、私は船を漕ぎ出していきましたと、都の愛しい人に伝えてください。海人の釣舟よ)
わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの
雲居にまがふ 沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣 (第七十六番)
(大海原に船で漕ぎ出して見渡してみると、遥か彼方の雲と見間違えるばかりに、沖の白波が立っていた)
「この二枚も、『わたの原』と『漕ぎ出る』という二語を共通語として、くっついていますよね」
すると、黙っていた青葉も口を開いた。
「たしか、清少納言と源兼昌の歌が似ていないかなあ? ああ、ほら、やっぱり。上下に並んでいるわ!」
古久根が、青葉が指差した二枚の札に目を向けて、答えた。
「なるほど――。
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
清少納言 (第六十二番)
と
淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に
幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
源兼昌 (第七十八番)
(淡路島から渡ってやってきた千鳥の鳴き声に思わずはっと目を覚ます体験を、流刑地である須磨の関所を守る番人は、これまでにいくど重ねてきたことであろうか)
ですか。青葉先輩、さすがです。
指摘されてみると、この二つは、そっくりな歌なんですねえ」
「そうかなあ。単語こそいくらか対応はしているけれど、意味や内容の奥深さとなると、天と地ほどの差があるよ。清少納言の方が格段に素晴らしいと、俺は思うよ」
と、恭助が少し不満そうに口を尖らせた。
「そうですよねえ。清少納言の歌って、たしか、藤原行成をこてんぱんにやり込めちゃった歌でしたよねえ」
古久根が即座に恭助に同調した。
「とにかく、ここに並べた百枚は、縦と横で関連する共通な言葉がある札を隣同士にくっつけて、並べられているのです!」
と、古久根は結論付けた。
「ふむふむ。百人一首には似た言葉が多く含まれているから、そんなことも可能になるのか」
恭助は腕組みをしながら頷いていたが、突然、思いついたように、大きな声を張り上げた。
「まさか、定家が百人一首の中にパッとしない歌を何首か組み入れたのは、この歌織物を完成させるための、にかわ剤として使うためだった、とでもいうのかい?」
「案外、そうかもしれないですね」
古久根麻祐がにっこりと頷いた。
「じゃあ、まずは一番上の段を見てください。両端の二首を除くと、途中の八枚の歌の中には、かならず『風』にちなんだ言葉が入っていますよね」
古久根麻祐が歌織物の配置の説明をはじめた
恭助は、古久根麻祐が並べた縦横十枚ずつの百枚の絵札が織り成す巨大な長方形の中の、最上段に並んだ十枚を、左から順番に確認していった。
「確かに両端の二枚にはないけど、あとの八枚には『風』だとか『嵐』だとかの文字が含まれているね」
「もしも、この百枚で作られた長方形が地図だったとすれば、上段が北に相当しますから、この『風』という文字は北風を意味するのでしょうね」
「えっ、これが地図になっているとでもいうの?」
思わず、恭助が声を張りあげると、
「さあ、どうでしょう?」
と、古久根はあっさりとはぐらかした。
「じゃあ、恭助さん、お次は左から四列目、いいいかえると西から四つ目に相当する縦一列に注目してください。
縦に並んでいるこの十枚の歌について、なにかお気づきになりませんか?」
恭助は、西から四列目に並ぶ十枚を、上から順番に確認していった。
「ええと、一番上の歌が、
秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれ出づる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔 (第七十九番)
(秋風に吹かれてたなびく雲の切れ間から、もれ出る月の光が、なんと美しいことだろう)
か……。それから次は、
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
安倍仲麿 (第七番)
こいつは、さっき出てきた安倍仲麿の歌だね。それから、
やすらはで 寝なましものを 小夜更けて
かたぶくまでの 月を見しかな
赤染衛門 (第五十九番)
(来ないとわかっていればためらわずに寝てしまったことでしょうに。あなたを待ち続けているうちに、とうとう夜が明けてしまい、月はもう西に傾いておりました)
と……。なるほどね。
この縦の列に並んだ札には、全部『月』という言葉が隠されているんだ!」
恭助が調べると、たしかに左から四列目に縦に並ぶ、第七十九番から第二十三番までの十枚の札には、いずれも『月』という言葉が含まれている。
「その通りです。では、今度は一番西の列に着目してください。一番上の式子内親王の歌を除いて、二段目の札からずっと下まで、やはり共通する言葉がありますよ」
恭助は一番左に並ぶ十枚の札を舐めるように見ていった。
「『思う』だ――。式子内親王の歌を除けば、残りの全部の歌に『思う』という言葉が含まれている!」
左列の上から二枚目の左京大夫道雅(第六十三番)から一番下の後鳥羽院(第九十九番)までの歌には、たしかにすべてに『思ふ』という言葉が含まれていた。
「でもちょっと待ってよ。『思う』を含んだ札なら、他にもいくつかあるよね。例えば、ここ」
そういって恭助が指さしたのは、左下付近にある、第三十八番、四十五番、五十六番の三枚の札であった。
「たしか、百首の中に『思ふ』という言葉が含まれている歌は、全部で二十一首あるって聞いたことがあります」
と、古久根が答えた。
「でもさ、左端に『思う』が並んでいるけれど、肝心の一番上の歌には『思う』が含まれていないんだね。なんか中途半端な感じがするよ」
「そうなんです……」
古久根が考え込むように下をうつむいた。
「でも恭助さん、式子内親王の札の斜め下にある札を見てください」
いわれるがままに、恭助は上から二段目、左から二列目となる札に目をやった。すると、
風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ
くだけて物を 思ふころかな
源重之 (第四十八番)
(激しい風で岩を打つ波が砕け散るように、私だけが心を乱しながら物思いにふけているこの頃だよ)
という札がそこに置かれていた。
「あっ、この歌には『風』も『思う』も含まれている。
ということは……、この歌を左上端に持って行けば、縦横の言葉合わせがすっきりするじゃないか!
そうすれば、一番上の段に『風』が並び、左端の列には『思う』が並ぶ――」
「そうですね。そして、右上端に目を向けると、百人一首で百番目の最後をかざる順徳院の歌がありますが、同じように、斜め下に当たる右から二列目の上から二段目にある札が、
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣 (第九十六番)
(春の嵐に吹き散らされて庭に降りゆくものは花吹雪と思いきや、降りゆくものは古びれていくわが身であったよ)
ですね」
「そうか! この歌には『嵐』――、つまり風にちなんだ言葉が含まれている。だから、この歌を右上端に置けば、最上段の十枚を、全部『風』の歌にすることができるんだ。
だったら、式子内親王と順徳院の二枚は、それぞれ斜め下に配置すればいいじゃんか?」
恭助がポンと手を叩いた。
「ところが、そこで問題があるのです。式子内親王の歌を斜め下に持ってくると、さらにその右横と下の場所にある二枚の札の歌、
浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
参議等 (第三十九番)
(浅茅生の小野の篠原という言葉の中にある『しの』の通りに、人に隠れて耐え忍んできたけれど、どうしてこんなにもあなたのことが恋しいのであろう)
長らへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
藤原清輔朝臣 (第八十四番)
(これから生きながらえた時に、今のつらさを懐かしく思い返すことになるのであろうか。昔つらかったあの頃を、今は恋しく思い返しているのだから)
ですが、式子内親王の歌、
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
とは、『しのぶ』という言葉でつながります。だから、式子内親王の歌を左下に下ろすことは問題ありません。
けれど、同じように順徳院の歌を右下に下ろしてしまうと、少し困ることが出てくるんです」
「へえ、なにそれは?」
「順徳院の歌、
百敷や 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
順徳院 (第百番)
(宮廷の古びた軒端に生えている忍ぶ草を見ていると、いくら忍んでも忍びきれない昔の栄華を思い出さずにはいられない)
ですけど、この歌を右から二列目の上から二段目に置いてしまうと、そのすぐ下に来る光孝天皇の、
君がため 春の野に出でて 若菜つむ
わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇 (第十五番)
の歌とは、『古』と『降り』とで、苦しいながらもかろうじて関連していると主張はできますが、左隣りに来る業平さまの名歌、
ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川
からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣 (第十七番)
とは、一言もかぶる言葉が見つからないんです!」
「ええと、つまり、順徳院の歌と在原業平の歌との間には共通語がないってことだね。だから、順徳院の歌を二段目に下ろしてしまうと、左隣りに来る業平の歌との整合性に矛盾してしまう……」
「そうです。だから、順徳院の歌はどうしても右上端に配置せざるを得なくなって、そうなると、式子内親王の歌も左上端に置きたくなってくるわけです」
「たとえ、北の『風』と西の『思う』が完全に並んでいるのを壊してでも、二人の歌を端に置いた方が自然になるってことか。
でもさ、順徳院は右上に置かなければ仕方がないとして、式子内親王の歌はむしろ俺的には二段目の場所に置いてある方が、しっくりするけどね。
『しのぶ』という言葉で、右と下の札にはちゃんと繋がるんだから、あえて、端っこに持ってくる理由がわからないなあ」
「ふふふっ、それについてはもう少し後で説明しますね」
古久根がくすくす笑った。
「なんだよ。思わせぶりだな」
「はい、でもその前に、もうひとつ鍵になる言葉を確認しましょう。それは、上から五段目の札です」
今度は、古久根が五段目に並ぶ十枚の札を、左から右へと指差した。
「なるほど、共通語がはっきりしているね。
『逢う』だ!
ああ、でも二枚だけは『逢う』が含まれていないや。五段目に並ぶ十枚のうち、八枚には『逢う』という言葉が含まれているんだね」
恭助が確認をすると、五段目を横に並ぶ十枚のほとんどには、『逢ふ』という言葉が含まれていた。ただ、右端の大僧正行尊(第六十六番)と右から四番目の山部赤人(第四番)の二首だけは、その言葉がなぜか含まれていなかった。