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小倉百人一首殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
7/20

7.玉の緒よ、絶えなば絶えね

「ええと、さっきまで挙げていたのは有名な歌だったかしら。

 じゃあ、いよいよ、百人一首の編纂者である藤原定家ふじわらのていかの歌を紹介しましょうね」

 青葉が再び百人一首の解説をはじめた。


 来ぬ人を まつほのうらの 夕なぎに

  くや藻塩もしおの 身もこがれつつ


   権中納言定家ごんちゅうなごんていか (第九十七番)

(松帆の浦の夕なぎの海辺で焼かれる藻塩草のように、いつまで待ってもやって来ないあなたのことを、私は身を焦がしてまでも、待ち続けているのです)


「艶やかで、技巧的にも奥深い歌ね。定家が自信作だと断言したのもうなずけるわ」

 それを聞いて、古久根が補足した。

「この歌は、『まつ』という言葉が、樹木の松と、人を待つの、両方の意味を持っています。はたまた、『こがれつつ』は、藻塩を焦がすと、思い焦がれるの、二つの意味を掛けています。

 さらには、『まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の』が、『焦がす』を導く序詞じょことばにもなっているのです」

「てことは、技巧が網羅しつくされた歌だと……?」

「完璧です!」

 恭助の問いかけに古久根が即答した。

「恋人を待っている、という意味なのかな?」

「それがもう少し深い意味があるらしいの……。

 定家がこの歌で詠んでいる、『来ぬ人』とは、果たして誰のことなのか? それは現代でもはっきりとは解明されていない歴史ミステリーなのよ」

と、青葉が返した。

「よくわからないなあ。俺にはこの歌は、恋焦がれた女性が詠んだように聞こえるけどね」

「それなら、定家が恋い慕っていたのではないか、といわれている式子内新王しきしないしんのうの歌から、まず聞いてみてね」


 たまよ 絶えなば絶えね ながらへば

  しのぶることの 弱りもぞする


   式子内親王しきしないしんのう (第八十九番)


 うつむき加減に和歌を聞いていた恭助が、青葉の声が途絶えると同時に、パッと顔を上げた。

「この歌は……、なんだろう――、背後にものすごい情念パトスがうずまいているような気がする。なんというか、上手くいえないけど、ぞくっとするんだ。こんな迫力、他の歌からはとうてい感じられないな。

 式子内親王は、この歌を詠むことで、いったいなにをうったえたかったのだろう?」

「それを知るためには、この歌が詠まれた背景、つまり、式子内親王の立場を理解しないといけないわね。

 後白河天皇の娘で、いわゆる皇女であった式子内親王は、定家の父である藤原俊成ふじわらのしゅんぜいを和歌の師匠として仰いでいた関係で、息子の定家とも面識があったらしいの。でも、彼女は定家よりも十歳以上も年上だったし、身分も全く違うことから、二人が恋に落ちるようなことは、決して許されないわけ。それこそ禁断の恋となってしまうわ」

「かつての業平さまと藤原高子ふじわらのたかいことの関係と、シチュエーションが全く同じですよねえ」

 古久根がしみじみと語った。

「それにね、式子内親王は斎宮さいぐうだったから、生身の男性との恋愛自体が、そもそも固く禁じられていたのよ」

 青葉がさらに補足した。

「斎宮――、なにそれ?」

「斎宮とは、天下泰平の祈願を掛けて、神に身を捧げるように宿命づけられた皇女のことよ。帝の代わりに伊勢神宮の天照大神あまてらすおおみかみに仕えるのが仕事なの。ああ、式子内親王が仕えていたのは、たしか京都の加茂かも神社だったから、彼女の場合は斎宮ではなくて斎院さいいんとなるわね」

「その職業って、希望してなるのかい?」

「いいえ。有無をいわさず、占いで選ばれてしまうわ」

「だとすると、悲劇が生まれるかもしれないな。なにしろ、仕事のために恋愛を禁じられるのだからなあ。どこぞのアイドルグループでもあるまいし……」

「アイドルなら、グループを卒業しちゃえば恋愛は解禁になりますけど、斎宮は一生もんですからねえ」

と、恭助と古久根が、二人並んで、腕組みをしながら真剣に考え込んでいた。

 青葉がこくりと頷いて、説明を続けた。

「そうよね、――」


 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

  忍ぶることの 弱りもぞする


 我が命よ、絶えるなら絶えてしまえ。どうせこのまま生き永らえたところで、耐え忍ぶ心は徐々に弱っていき、やがてあなたへの恋心も抑えきれなくなってしまうのだろうから。


「斎院である内親王の運命を、恨み嘆きつつ詠まれた、とても悲しい歌よね」

 そういってから、青葉は恭助の顔をちらっと見つめたけれど、恭助は全く気づかなかった。

「定家が歌った『来ぬ人』とは、手が届かない存在である愛しい式子内親王のことを歌っている可能性があるってわけか。でもさ、ちょっと都合よく話ができ過ぎのきらいがあるなあ」

「さて、真相はいかに?」

 そういって、青葉は微笑んだ。


「しかしさあ、有名というなら、なんといっても、俺でも知っている、この歌じゃないの?」

と、恭助が一首を朗読した。


 秋の田の かりほのいほの とまをあらみ

  わが衣手ころもでは 露にぬれつつ


   天智てんじ天皇 (第一番)

(秋の田のほとりに立てられたこの仮小屋は、屋根のとまの目が粗いから、私の袖はもう雨露で濡れてしまっているよ)


「そうよね。なんといっても、百人一首の筆頭を飾る、第一番の歌ですものね。

 ただ、この歌は、残念ながら天智天皇が詠んだ歌ではない、といわれているのよ」

「なんだって? そんな馬鹿なことあるかよ?」

 青葉の発言に、恭助が食って掛かった

「だって、高貴な天皇が、雨がしたたり落ちてくる家の中で、なんでびしょ濡れになっていなければならないのよ? あり得ないわ」

 青葉がさらりといい切った。

「なるほど。そういわれてみれば、そうだね。

 高貴な人が雨漏りするほったて小屋に住んでいるなんて、それ自体がナンセンスだね」

 恭助もあっさりと引き下がった。

「きっとこの歌はびとらずの歌だったのよ。つまり、作者不詳ということ。でも、歌自体は印象的でいい歌だから、天智天皇が詠んだことにされたのではないかしら?

 そういえば、百人一首には他にも、よく考えてみると、おかしな矛盾点が含まれている歌が、意外とたくさんあるわね。

 ちょうどいいわ。これからそんな歌を挙げていきましょう」

「矛盾を含んだ歌か……。なんだか、面白そうだな」


 瑠璃垣青葉が、百人一首に収められた有名な一首を朗読した。


 田子たごの浦に うちでて見れば 白妙しろたへ

  富士の高嶺たかねに 雪は降りつつ


   山辺赤人やまべのあかひと (第四番)

(田子の浦に出て眺めてみると、富士山の真っ白な山頂では、今まさに雪がしんしんと降っているところだよ) 


「本来の歌は、『降りつつ』ではなくて、『降りける』だったのよ。でも、『降りつつ』の方が響きがいいし、その上、緊迫感も感じられるから、後世になって修正されたの」

「なるほど。たしかに、『降りつつ』の方が、感じいいよね」

「ただ、その修正がちょっとした論点を引き起こしてしまったのよ。

 当初の『降りける』なら、降っていた、という過去形の意味だけど、『降りつつ』にすると、降っている、という現在進行形の意味になるのよね。

 田子の浦にいる人が富士山の高嶺を眺めても、距離が遠過ぎて、そこに降っている雪を見ることなどできるはずないの。だから、この歌は修正によって矛盾した歌と化してしまったのよ」

「あはは。作者としては、いらんことするなよって、きっと草葉の陰で怒っていることだろうね」

 青葉がさらに続けた。

「次の歌も賛否両論で評価が二つに分かれる歌ね」


 かささぎの 渡せる橋に 置く霜の

  白きを見れば けにける


   中納言家持ちゅうなごんやかもち (第六番)

(かささぎが翼を並べて架けたといわれる七夕の天の川の橋。それにたとえられる宮中の殿舎の階段に、今、真っ白な霜が降りている。その白の深さを見るにつけても、夜もいっそう更けてきたことを感じずにはいられない)


「矛盾した歌というよりは、ロマンチックで情感あふれた歌、と捉えた方がいいと私は思うけど、七夕の天の川の季節と、霜の季節は、全く一致していないから、ちょっと違和感があるのよね。この歌は……」

「きっと、天の川と霜の両方の美を歌に込めてみたかったんだろう。単なるよくばりってことか?」

 恭助の解釈に、古久根麻祐が大真面目な顔をして、

「きっと家持はこの歌を南半球で詠んだのですよ」

と、反論したので、

「はははっ、そりゃいいや。でもさ、七夕の織姫星って琴座のヴェガだよね。ヴェガは、北の方にある一等星だから、おそらく、南半球からは見ることができないだろうな。

 それに、そもそも南半球に行っても、夏の夜空に見える星座は夏のままだと思うし……」

と、恭助がなだめるように説き伏せた。

 青葉が気をつかって、古久根にやさしく声を掛けた。

「だから、この歌の訳はふたつあって、夏に詠まれたのならば、


 織姫と牽牛を逢わせるために、かささぎが翼を並べて架けたといわれる天の川の中に散らばる、霜のように真っ白な美しい星々の群落を見ていると、つい、夜が更けてきたと感じてしまうなあ、


となるし、もし冬に詠まれたのならば、


 織姫と牽牛を逢わせるために、かささぎが翼を並べて架けたといわれる天の川にたとえられる、宮中の階段に降りた霜の白さを見ていると、つい、夜が更けてきたと感じてしまうなあ、


ということになるわね」


 『かささぎの――』の歌の説明を聞いていた古久根麻祐が、急に思い出したように、青葉に声を掛けた。

「青葉先輩――。

 安部あべちゃんの歌も、矛盾しているとよく取り上げられませんかねえ?」


 あまの原 ふりさけ見れば 春日かすがなる

  三笠みかさの山に でし月かも


   安倍仲麿あべのなかまろ (第七番)

(雄大な天空を眺めると、美しい月が昇っている。あの月は、遠い昔、遣唐使に出かける時に、故郷である春日の三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ)


「この歌は、なにが矛盾しているのさ?」

 恭助が怪訝そうに訊ねた。

「この歌を読んだ安部ちゃんこと、安部仲麿は、そのたぐいまれなる学才を買われて、遣唐使けんとうしに同行して、十代の若さでとうの国に留学をしました。

 そして、この歌は、唐にいる時に日本のことを思って詠まれた、望郷の歌なのです」

「わからないなあ。別におかしくもなんでもないじゃん?」

「ところが、さにあらずなんです。

 実は、安倍ちゃんは死ぬまで日本に一度も帰って来なかったのです。だから、唐で安倍仲麿が詠んだ歌が、どうして日本に残されているのか、未だ謎となってしまっているのです」

「なるほどね。まあ、矛盾しているといえば、その通りだ」

 古久根の意見に、恭助が同意した。

「それなら、次はこの歌ね……」

と、青葉も負けていなかった。


 これやこの 行くも帰るも 別れては

  知るも知らぬも 逢坂あふさかせき


   蝉丸せみまる (第十番)

(これがかの有名な、東国に行く人と都に帰る人も、知り合い同士もそうでない人も、皆が行き交う、逢坂おうさかの関なのだ)


「出たー。坊主めくりの貧乏神、蝉丸大僧正さまだ。

 でも、なにが矛盾しているのさ?」

「この歌を読んでみると、道に行き交う人々の姿を見て、驚いた顔をしている蝉丸の姿が浮かぶけど、蝉丸は琵琶法師だったから、眼が見えなかったはずよ。この歌が詠めるのはおかしいわ。

 そもそも蝉丸は、実在した人物かどうかもはっきりしてはいないのよ」

「なるほどね。視覚障害者が、人々が行き交う様子を眺めているのは、たしかにおかしいね」

 青葉がさらに続けた。

「この歌もね、現実を歌った歌ではないとされているわ」


 心あてに らばやらむ 初霜の

  きまどはせる 白菊しらぎくの花


   凡河内躬恒おおしこうちのみつね (第二十九番)

(真っ白な初霜の中に隠れてしまって見分けがつかない白菊の美しい花の茎を、当てずっぽうで、折ってみようかな)


 真面目に考えてしまうと、霜の中の菊の花が見間違われるはずがない、と非難されて終わってしまうけど、最初から虚構の歌として楽しむつもりなら、機知にとんでいて味わい深い歌なのよ」

「賛否両論ありそうな歌だね」

 古久根が恭助の肩をポンポンと叩いた。

「それじゃあ、恭助さん。次の歌の矛盾がどこにあるかわかりますか?」


 名にしはば 逢坂山あふさかやまの さねかづら

  人に知られで 来るよしもがな


   三条右大臣さんじょううだいじん (第二十五番)

(名にし負う『逢坂山の美男蔓さねかずら』のように、あなたと逢っていっしょに寝られるものならば、その想いを遂げてみたい。さて、どうすれば人に知られずに、あなたを訪ねることができるのだろうか)


「全然わからないよ。降参だ」

 そういって、恭助は観念して両手をあげた。それを見て、古久根麻祐が得意げに説明をはじめた。

「この歌の詠み手の三条右大臣は男性なので、相手のもとへ通うということは、『行く』が正しいはずです。でも、なぜか、『来る』と読まれてしまっているから、ちょっと変な歌なんです」

「なにか深い意味があるのかなあ?」

「少なくとも、私にはわかりませんねえ」

 そういって、古久根がにっこり笑った。


「矛盾を含んだ歌の以外にも、なんでこの歌が選ばれたのかしらと首を傾げてしまうような歌も、百人一首には含まれているわよね」

 青葉が、お得意の、人差し指を口の前で立てるポーズを取った。

「へえ。矛盾の歌の次は、駄作の歌か。面白そうだな。どんな歌だい?」

「駄作といわれると、いい難くなってしまうけど、評価が低い歌といった方がいいかしら」

 青葉が小声でいいわけしたが、

「うん、どのみち同じことじゃん」

と、恭助にあっさり否定されてしまった。

 青葉が落ち着いた声で一首を朗読した。


 吹くからに 秋の草木くさきの しをるれば

  むべ山風やまかぜを あらしといふらむ


   文屋康秀ふんやのやすひで (第二十二番)


「この手の議論となると、まっ先に引き合いに出されてしまうのが、この歌ね。


 激しい風が吹いて、草木がしおれている。なるほど、だから山から吹く風をあらしというのだな、


といった意味かしら」

「単なる駄洒落だじゃれですよね」

と、古久根が容赦なく切り捨てた。

「たしか、文屋康秀は六歌仙の一人じゃなかったっけ? そんな歌の名人だったら、なにか暗に秘めた深い意味が込められているんじゃないのか?」

「そうよね、ありそうな気もするんだけれど、じゃあ、どこにあるの?」

 青葉の問いかけに、一瞬思案してから、恭助が答えた。

「そうだなあ。『むべ』って言葉の響きがいいな」

「恭助さんって、響きにこだわるんですね」

 古久根が笑っていた。

「そうだよ、俺は感性が鋭い人間だからね。他に駄作はないの?」

「あんまり駄作っていわないでちょうだい。

 それから、道真みちざね公の歌にも、私は少し不満があるのよ。


 このたびは ぬさも取りあへず 手向山たむけやま

  紅葉もみじにしき 神のまにまに


   菅家かんけ (第二十四番)


 別に、この歌が悪いということではないけど、道真公といえば、


 東風こち吹かば 匂ひおこせよ 梅の花

  あるじなしとて 春を忘るな


 東風が吹いたら、梅の花よ、お前の香りを風に乗せて、太宰府まで送り届けておくれ。たとえ主人がいなかろうと、決して春の訪れを忘れることはないように、


という名歌があるじゃない。どうして定家はこの歌を選ばなかったのかしら」

 考え込む青葉に続いて、古久根も負けずに自論の展開をはじめた。

「私もしゃべっていいですか。あまり深い意味が込められていなさそうな歌ということで、個人的にいくつか挙げさせてもらうと、


 あしびきの 山鳥やまどりの しだり

  ながながしを ひとりかも


   柿本人麻呂かきのもとのひとまろ (第三番) 

(あの山鳥の尾のように長い秋の夜を、私は独りで寝て過ごすことになりそうだ)



 山川やまがわに 風のかけたる しがらみは

  流れもあへぬ 紅葉もみじなりけり


   春道列樹はるみちのつらき (第三十二番)

(山の中の小川に、風がかけたしがらみは、流れ切れずに溜まった紅葉であった)



 滝のおとは 絶えて久しく なりぬれど

  名こそ流れて なほ聞こえけれ 


   大納言公任だいなごんきんとう (第五十五番)

(滝の音が途絶えてだいぶ時が経ってしまったけれど、あの滝の評判はちゃんと世間に流れていて、今でも時々耳にするほどだよ)



 ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて

  あはれ今年の 秋もいぬめり


   藤原基俊ふじわらのもととし (第七十五番)

(まかせておけ、といわれたあなたのあの時のお約束を頼りに、わたくしはこれまで生きてまいりましたが、どうやら今年の秋も、虚しく過ぎ去ってしまうようですね)



 おほけなく き世のたみに おほふかな

  わが立つそまに 墨染くろぞめそで


   前大僧正慈円さきのだいそうじょうじえん (第九十五番)

(身分不相応ながら、このつらい世を生きている民たちを包み込んでさしあげましょう。この私の黒染めの袖で)


などがありますね」

「ははは、ずいぶんばっさりと並べてくれたものだね。いったい、これらのどこが駄作なんだい?」

 古久根は、えへんとばかりに、得意げに咳払いを一つ入れた。

「最初の柿本人麻呂ですが、六歌仙に選ばれたほどの名人ですから、たくさんのいい歌を詠んでいます。なのに、百人一首で選ばれている歌に限っていわせてもらうと、中身が薄くパッとしない歌のように思えるんですよねえ。

 同じように、大納言公任は、『三舟さんしゅうの才』と呼ばれるほど、漢詩と和歌と管弦に通じた才能豊かな人物だったのに、ここに収められた歌は、いまいち平凡で趣きに乏しい感じがします。

 定家は百首の編纂時に、巨匠である公任の歌をまさか外すわけにはいかず、渋々選出したともいわれています。本当かどうかは定かではないですけどね」

「つまり、もっと他にいい歌をいっぱい詠んでいるのに、なんでこの作者からこの歌が選ばれたのか……、そこが理解不能である、ということだね」

 古久根がこくりと頷いた。

「春道列樹は、それまで全く無名だった人物で、もし定家が百人一首に彼の歌を選ばなかったら、間違いなく歴史上に顔を出さなかった人物ですね」

「ということは、選ばれてよかったってこと?」

「よかったどころか、ラッキー、ラッキー、超ラッキーですよ!

たった一発の歌で後世に名を残す。これほどのサクセスストーリーが他にあるでしょうか?」

「でもさ、いい歌なら、それでいいじゃんか?」

「じゃあ、恭助さんは、『山川に――』の歌がそんなにいい歌だと思いますか?」

 古久根が、恭助の顔を覗き込むようにして、訊ねた。

「うーん、まあ、なんだな。当たり前というか……」

「だから不思議なんですよ。定家はなぜ百首の中に無名の作家の詠んだ超平凡な歌を選んだのか?」

 古久根は腕組みをして首を傾げた。

「なるほどねえ。それじゃあ、『――いぬめり』って歌は、どうなんだい? 俺的には、『いぬめり』って響きは、結構いいと思うけどね」

「相変わらず恭助さんは感性派ですね。でも、基俊もいい歌をいくらか読んでいる人なので、よりによってこの歌を――、って感じは、やはり否めません」

「そうよね。藤原基俊は、定家のお父さんの俊成しゅんぜいの歌の師匠でもある偉い方なのに、なぜ約束を反故ほごにされた怨み節で詠んだ歌を定家が選んだのか、不思議だわ」

「そういえば、青葉先輩――。お父さんの藤原俊成の歌も、たしかしょぼい歌が選ばれていませんでしたっけ?

 ええと……」


 世の中よ 道こそなけれ 思ひ

  山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる


   皇太后宮大夫俊成こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい (第八十三番)

(世の中というものは、得てしてままならぬもの。思い詰めた末にやって来たこの山奥に、鹿が悲しげに鳴いていた)


「こうなると、師弟関係と親子関係が同時に反故にされちゃいそうな、きわどい選定ですよねえ」

 古久根がバッサリ断定した。

「たしかに、麻祐ちゃんが今挙げた歌って、どれも内容的に物足りないわよねえ」

と、青葉も古久根に同意した。

「やっぱり青葉先輩もそう思いますか。

 慈円だって私家集まで出している偉人なのに、なんでこの歌を定家が選んだのか、まさにアンビリーバブル、古代歴史ミステリーですよね」

「よくわかんないなあ。その坊さんの歌は、なにが面白くないんだい?」

「この歌は、


 畏れ多きことながら人を導く者として、比叡ひえい山に住んでいる私の墨染めの袖を、憂き世の民に覆いかけてさしあげましょう、


という意味です。

 慈円が仏に仕えて民を救わんと決意した時に詠んだ歌だそうですよ」

「たしかに、だからなんなんだ、って歌だね」

「ある意味、異彩を放っている歌ともいえるわ」

 青葉が意見を述べると、古久根麻祐が透き通った声で、さらに一首を読みあげた。


 風そよぐ ならの小川をがわの 夕暮ゆふぐれ

  みそぎぞ夏の しるしなりける


   従二位家隆じゅにいいえたか (第九十八番)

(風がならの葉にそよいでいる、ならの小川(京都市賀茂川神社を流れる御手洗みたらい川のこと)の夕暮れに、もはや秋の訪れを感じずにはいられない。こうなってしまうと、六月祓みなづきばらえのみそぎだけが、夏であることを示す証となってしまうよね)


「この歌も、わざわざ定家の歌のうしろの第九十八番目に持ってきたのに、景色を淡々と詠んでいるだけですよね。藤原家隆ふじわらのいえたかといえば、いわずと知れた定家のライバルですから、他にたくさんのいい歌を残していそうなんですけどねえ」

と、古久根は付け足した。

「本当に、百人一首には、いろんな歌があるんだねえ。感心しちゃうよ」

 恭助が称賛した。

「大切なことは、百人一首には一見重要度が低いと思われる歌が何首か含まれているという事実よ」

 青葉が少し語気を強めた。

「たしかに、その事実はあちらこちらの書物で指摘されていますよね」

「まさか、定家が意図的に数首の駄作を選んだ、とでもいいたいのかい?」

 恭助が目を丸くすると、

「変だとは思うのだけど、そうとしか解釈ができないのよね」

と、青葉がつぶやいた。

「だとすると、なんで定家はそんな駄作をあえて選んだんだろう?」

 悩ましげに首を傾げながら、恭助は窓の外に視線を移した。


「逆にさ、百人一首に入っていてもおかしくないくらい素晴らしい出来栄えなのに、選ばれなかった歌なんてあるの?」

 恭助の新たなる問いかけに、青葉がすぐに反応した。

「真っ先に思い浮かぶのが、中宮定子ちゅうぐうていしかな?」

「なるほど、定子さまの歌ですか。たしかに入っていないのが不思議ですよね」

「中宮定子?」

「ええ。藤原定子ふじわらのていし。一条天皇の后で、清少納言が仕えた女性よ。たくさんの和歌も残しているわ」

「ふーん、清少納言が仕えた皇后か。それで、どんな歌があるの?」

「ええとね、たくさんあるけど、中でも


 夜もすがら 契りしことを 忘れずは

  ひむ涙の 色ぞゆかしき


という辞世の句が一番有名ね」

「意味は?」

 もしもあなたがあの一夜に交わした私との契りを覚えてくれているのなら、きっと私の事を恋しいと思っていただけるのでしょうね。私は間もなく死んでしまいますが、その時にあなたが流す涙の色は何色なのでしょうか?


 という意味よ」

「ふーん。とても心に残る歌だね。

 定家もケチだな。どうでもいい歌の一つでも削って、この名歌を入れておけばよかったのに……」

「ですよねえ。どの歌とはいいませんけど、取り換えちゃっていいと思います。

 なんで、定子さまの歌を選ばなかったんですかねえ」

「政治的に問題があったのかな? ほら、さっき話していた、定子のライバルがいたんだよね。紫式部が仕えていた」

中宮彰子ちゅうぐうしょうしさまですね。一条いちじょう天皇のもう一人のお后です。

 でも定家は、清少納言と紫式部の歌はちゃっかり選んでいますけどねえ」

 考え込む古久根を横目に、青葉がいった。

杉田すぎたけい先生が著書である『うた恋い』という漫画の中で、この件に関してとても興味深い推論をしているのよ。

 清少納言は、著書の枕草子の中で、中宮定子との華やかで楽しい生活は書き残したけど、没落していく晩年の悲しい記述は意図的にしなかったらしいわ。だから、枕草子を読んだ人なら誰もが、定子のことを明るくて聡明な人柄の美しい女性であったと感じるでしょうね。

 実は、現存する枕草子の写本は、全部藤原定家が書き写したものらしいの。当然ながら、枕草子の愛読者であった定家なら、清少納言が枕草子の中に込めた定子に対する深い愛情も読み取っていたはずよね。

 この『夜もすがら』は、定子が後年の運命を嘆いて自己の弱みを曝け出した切ない歌だけど、定家はあえてそれを百人一首から外した。なぜなら、後世の人々が中宮定子のことを思い出す時に、まず真っ先に、枕草紙の中で描かれている生き生きとした明るい女性像を思い浮かべることができるよう配慮したから、という説よ」

「へー、面白いね。そうであるといいな」

「なんかほろりと来ちゃいますねえ」


「百人一首って同じ言葉がやたらと多く登場するのも特徴ね」

 青葉が新たなる論点を提示した。

「だからかるたにするといいんです。まるで、後世でかるたにしてくれ、といわんばかりの異様な多さですよね」

「へえ、例えばどんな言葉があるの?」

 恭助が訊ねると、古久根が少し考え込んだ。

「そうですね。例えば、『有明の月』という言葉を含む歌って、いくつありましたっけ?

 ええと……」


 今来むと いひしばかりに 長月の

  有明の月を 待ち出でつるかな


   素性法師そせいほうし (第二十一番)

(すぐに行きます、といったあなたを信じて待っておりましたが、あなたはちっとも来てくれませんでしたね。そして、私はとうとう明け方の月を待つことになってしまいました)



 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに

  吉野の里に 降れる白雪


   坂上是則さかのうえのこれのり (第三十一番)

(夜がほのぼのと明ける頃、有明の月の光と見間違えるほどに、真っ白な雪が吉野の里に降り積もっていた)


「これもそうじゃないかしらね」

と、青葉が付け加えた。


 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば

  ただ有明の 月ぞ残れる


   後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん (第八十一番)

(ほととぎすが鳴いたので、その声の方を眺めてみたけど、ただ有明の月が夜空に残っているだけだった)


「へえ、三つもあるんだね。『有明の月』を含む歌が」

 恭助が感心していた。それを見て、青葉が微笑んだ。

「『夜半の月』も二つあるわよ」


 めぐりひて 見しやそれとも わかぬ

  くもがくれにし 夜半よはの月かな


   紫式部 (第五十七番)



 心にもあらで うき世に長らへば

  恋しかるべき 夜半よはの月かな


   三条院さんじょういん (第六十八番)

(本意ではないが、もしもこのつらい世の中を生きながらえることができたなら、きっと今夜の美しい月を恋しく思い起こすことだろう)


「この二つは、『夜半の月かな』まで五句目の七文字が全部いっしょなんだね」

「歴代の研究家たちも、百人一首に、あまりいい歌とはいえない歌がところどころに含まれていたり、同じ言葉が異常に多いことについては、意見が一致しているそうよ」

「理由があるのかい?」

 恭助の問いかけに、青葉が含みを込めるように答えた。

「いろいろと諸説議論されているみたいだけど、その中で、一番ミステリアスで面白いアイディアが、経済学博士である林直道はやしなおみち先生が提唱した『歌織物説うたおりものせつ』という解釈ね」

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