4.唐紅に、水くくるとは
瑠璃垣青葉は、トレードマークの赤縁眼鏡のフレームを指で擦りながら、ふっとため息を吐いた。
「恭ちゃんにしちゃ、いつになく神妙な面持ちじゃない。土下座までしちゃってね……。
いったい、どういった風の吹き回しなのかしら?」
「なんとでもいってくれ。とにかく、今の俺は、百人一首という生粋の日本人として避けては通れぬ珠玉の文化を極めんと欲す大望に、ようやく目覚めることができた、というだけなんだから」
「でも、百人一首を説明しろといわれてもねえ――。なにからすればいいのやら?」
そういって、青葉は口の前に人差し指を立てた。この仕草は彼女独特の癖である。
「例えばさ、青葉はどうせ百首の歌の意味を全部知っているんだろう?」
「ええ、まあ、そうね」
「それじゃあ、試してみるよ。この歌の意味は?」
そういって、恭助は机の上にある箱の中から絵札の束を取り出すと、適当に一枚引き出した。そこに書かれていたのはこの歌だった。
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
衣片敷き ひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣 (第九十一番)
「あら、なかなか渋い歌を引いたものね。ええと、この歌はね――、
こおろぎが鳴く、霜が降りるほどの寒い夜に、寝床のむしろに衣の片袖を敷いて、私は一人で寂しく寝ることになるのだろうね、
とでもいった意味かしら。
『さむしろ』という言葉が、『寒い』と、接頭語の『さ』に、『むしろ』、つまり寝床のむしろね、という二つの意味が掛けてあって、なかなか面白い歌なのよ」
「歌の中に出てくる言葉は『きりぎりす』なのに、訳の言葉は『こおろぎ』なんだね。それでいいのかい?」
納得がいかない顔つきの恭助に、青葉が優しく答えた。
「そうね。昔の言葉で使われている『こおろぎ』と『きりぎりす』は、現代のとは真逆の虫を指しているそうよ」
「つまり、昔は、こおろぎが緑色をしていて、きりぎりすが茶色だった、ってことか?」
「そういうことになるわね」
「へえ、なんか『納豆』と『豆腐』みたいだな」
「なにそれ?」
「えっ、青葉は疑問に思わないのかい?
現物を見ればさ、『納豆』って豆が腐ったものだし、『豆腐』は豆を箱状に固めて納めたものじゃないか。だから、名前が全く逆なんだよね」
「へえ。そういわれてみれば、そうね……。気が付かなかったな。恭ちゃん、すごいじゃないの」
「へへへ、そうだろう」
恭助が得意そうに鼻を指で擦った。
「それじゃあ、恭ちゃんでも知っていそうな有名な歌から説明をしましょうか」
「うんうん、なんでもいいから、どんどんやってくれ。時間がないんだから」
「あら、そこの心がけはちっとも変わってはいないのね。
じゃあ、まずは百人一首の中で最も人気があるこの歌からいくわよ」
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に
小野小町 (第九番)
「絶世の美女で六歌仙の一人でもあった小野小町が詠んだ歌で、
長雨が降り続けば、徐々に桜の花が色あせていくように、長い時を経て、私の容姿もむなしく衰えてしまったわ、
といった意味ね」
「こいつは知っているよ。絶世の美女だからこそ、詠むことができる歌だよね」
「この歌には、短い三十一文字の中に、巧妙に二つの意味が込められているのよ。
四句目の『ふる』は、雨が『降る』と、時間が『経る』の二つの意味を兼ねていて、五句目の『ながめ』がそれに応じて、『春の長雨』と、『小町の容姿の眺め』の二つの意味に読み取れるわ。
そして、三句目の『いたづらに』も、これは、空しく移りゆくこと、という意味を表す修飾語だけれど、上の句に掛かれば、『花の色がいつの間にか変わってしまった』という意味になり、下の句に掛かれば、『物思いに耽るわが身が空しく衰えてしまった』という意味にもなるわね」
「すげーじゃん! 短い言葉の中に二重の内容を込めた名歌なんだ」
恭助が感心していると、その様子に気を良くした青葉がさらに説明を続けた。
「小町の歌と双璧をなすくらいの人気が高い歌が、この歌よ」
ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川
からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣 (第十七番)
「業平も六歌仙の一人で、また、伊勢物語の主人公でもあるの」
「『昔、男ありけり』ってやつだね」
「そうそう。その『昔男』が業平である、といわれているわ。
美男子だったらしくて、源氏物語の主人公である光源氏も、業平がモデルになっていたそうよ」
「稀代のプレイボーイってとこか。それで歌の意味は?」
「
太古の神々の時代でさえも、これほど美しい光景は、聞いたことがない。龍田川に紅葉が浮いて、まるで韓紅の染物のように、水が真っ赤にくくり染めにされるなんて、
といった感じかしら」
真っ赤にくくり染めにされる、の言葉を聞いた恭助の脳裏には、吉野小夜の部屋の畳に飛び散ったおびただしい血が浮かんだ。もちろん、このことは青葉には内緒にしておかなければならない。
「定家は、『水くくる』の言葉を『水潜る』と読んで、美しい紅葉の木々の間を水が潜って流れていくという幻想的な風景を思い浮かべていたらしいわね。
それに、『ちはやぶる』という言葉も、とても斬新だし……」
「そうだね。すごいインパクトだ!」
と、恭助も絶賛した。
「この歌は、かつての業平の愛人であったと噂されている、二条の后と呼ばれた藤原高子が、東宮の御所で歌会を開いた時に、そこに招かれた業平が、そこに飾ってあった紅葉の描かれた屏風絵を見て、詠んだ歌なのよ」
「かつての愛人?」
「そう。いっしょに駆け落ちまでしたけど、結局は、追っ手に高子を連れ戻されてしまって、その後、高子はまだ幼い清和天皇の后にさせられてしまい、業平と高子は身分が違う人となってしまったの」
「かつての恋人が、餓鬼の后にされて、手が届かない存在になったのか。まさに波乱万丈な人生における禁断の恋だね」
恭助の予想外の素直な応答に、青葉は増々気を良くしたようだ。
「じゃあ、次に行くわよ。持統天皇のこの歌も、たくさんの人から親しまれているわよね」
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
持統天皇 (第二番)
(いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏に真っ白な衣を干して乾かす風習があった、あの天の香具山に)
「たしかに、これもとても有名だね。俺でも知っているくらいだからな」
「でもね、本当はこの歌は、
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の
衣乾したり 天の香具山
というのが、万葉集で詠まれた本来の歌なのよ」
「どう違うのさ?」
「万葉集の元歌では、『衣乾したり』、つまり、『衣が乾かしてある』といっているから、実際に目の当たりにした光景の中で衣がほされていた、という意味だけど、百人一首の編纂の時代、いいかえると、藤原定家が生きていた時代まで来ると、その風習がなくなってしまっていたらしいの。
そこで定家は、『衣ほすてふ』、つまり、『衣をほしていたという』と伝聞の形にして、昔の風習を思い起こしながら初夏の季節を味わう歌へと、すり変えたのよ」
「平安時代にも過去の遺物ってあったんだね」
「あんまり変ないい方しないでちょうだい。
ところで、恭ちゃんは百人一首の歌をどれくらい知っているのかしら?」
「ほとんど知らないといったほうがいいかもしれないな。中三の時に最初から順番に二十首までを丸暗記して来い、ってテストがあったじゃん。俺、覚える気がさらさらなかったから、テストの結果は全然ダメだったんだよね」
「そうなの。そんなのがあったわねえ。でも、百人一首の歌を番号順に覚えていくのは、あまりお勧めじゃないわね。
百人一首は、だいたいだけど、詠まれた時代の古い順に並べられているの。だから、番号が一桁の歌は、平安時代から見ても、遥か昔に詠まれた歌ということになってしまうのよね。本当に面白いのは、番号が五十番から七十番くらいまでの歌だから、そこから覚えた方が、よっぽどすぐに覚わると思うけど……」
青葉にしてはめずらしく、愚痴っぽい口調になっていた。
「まあ、気を取り直して――、次はこの二人の歌を紹介するわね」
久方の 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
紀友則 (第三十三番)
(こんなに日の光がのどかな春の日なのに、どうして桜の花は、あわただしく散ってしまうのだろうか)
人はいさ 心も知らず 古里は
花ぞ昔の 香に匂ひける
紀貫之 (第三十五番)
(あなたの気持ちを測り知ることなどできませんが、この懐かしい里の梅の花だけは昔のまんまで、とてもいい香りを解き放っておりますね)
「国語の教科書にも載っている歌だね。どっちも聞いたことがあるよ」
「貫之は、言葉の使い方が巧みで、知的で格調高い歌をたくさん残しているわ。それに、『土佐日記』の作者としても有名よね」
「ああ、ネカマブログの創始者ってことだね」
「なるほどね。そういう言い方もできるのかしら。
友則と貫之はいとこ同士で、あと壬生忠岑を加えた三人で、最初の勅撰和歌集(天皇や上皇の命により編集された歌集のこと)にあたる『古今和歌集』を編纂したのよ」
「その、もう一人の壬生忠岑の歌は百人一首に収められてないの?」
「あるわよ。ええと……」
有明の つれなく見えし 別れより
暁ばかり 憂きものはなし
壬生忠岑 (第三十番)
(あなたが会ってくれなかったあの夜の帰り道に、冷ややかな有明の月を見てしまってからは、私にとって、夜明け前の暁ほどつらくて悲しいものはないのですよ)
「こいつは複雑な意味がありそうだね」
「そうね。つれなく見えたのが、『月』なのか『あなた』なのかをはっきりさせていないのよね。この歌は『逢わずして帰る恋』の歌に分類されているわ」
「逢わずして帰る恋――?」
「そう。男性が、好きな女性に会いたくて、夜に女性のもとを訪れたけど、会ってもらえずに、帰る際に詠んだ歌ということね」
「中年男のしょぼくれた哀愁が漂っているなあ。単純に、好きだ、愛してる、なんて詠んでいる軽い歌よりもずっと風情があるよ」
「風情があるといえば、こんな歌もあるわ。枕草子の作者で有名な清少納言が詠んだ歌だけど、ふたひねりくらいしてあるわね……」
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
清少納言 (第六十二番)
「なになに? 夜に鳥が鳴いて、逢坂の関所が許してくれない? 全く意味不明だな……」
恭助が腕組みをして考え込んだ。
「まず、この歌が詠まれた背景から説明しなきゃね。
清少納言が、親しい友人の藤原行成と話し込むうちに、夜が更けてしまい、行成がいいわけをして帰ってしまったことから、事件は始まったのよ。
翌日になって、行成は、『昨日は鶏の声にせかされてしまって、不本意ながらも帰ってしまいました。ごめんなさい』、といった手紙を送ってきたの。
そしたら、清少納言は、
『そんなのどうせあなたの作り話でしょ。くだらないいいわけなんか聞きたくありません。あなたが昨日せかされたのは、きっと函谷関の鳥だったのでしょうね。まだ夜明けにはほど遠かったのに、あなたが自作自演で、鶏の鳴き声をまねて叫んだだけなんじゃないかしら?』
と、ビシッと切って返したのよね」
「函谷関って?」
「中国の史記に記された古事で、斉の王、孟嘗君が敵国の秦に捕えられていたところを、隙をついて逃げ出して、ようやく国境の函谷関までやってきたの。孟嘗君は、追っ手がやってくるまでにこの関を越えたいと考えたけど、門は固く閉ざされたまま。
この関は、朝の一番鶏が鳴くまで絶対に門を開けないの。
でも、孟嘗君の部下に鶏の鳴きまねのうまい者がいたから、彼に鶏の鳴きまねをさせて、門番をだまし、孟嘗君はまんまと函谷関の門を開けさせた、という逸話があるのよ。
漢詩の知識に優れた清少納言ならではのやり取りね」
「ふーん、清少納言って漢詩にも詳しかったんだ」
「そうみたいね。とにかく男の人には負けたくなかったみたいね。
すると、それに対して行成がさらに返事を返したの。
『関は関でも、私が超えたかったのは、函谷関なんかじゃなくて、あなたと逢うための逢坂の関だったのですよ』、
と――。
これは、清少納言の返事に込められた中国の故事を踏まえながらも、さらに恋人としてあなたを慕っておりますよ、とも取れる、意味ありげな返事になっているわ」
「行成さんも必死の抵抗を試みているんだね。大好きな人を怒らせてしまったから」
「でも清少納言は行成のこの返事を見て、さらに気を悪くしてしまったみたいなの。そこで返された返事がこの和歌――。
彼女は父親の清原元輔が歌の名手であったが故に、和歌に対してはコンプレックスをかなり抱いていたらしいけど、ここではそんなことはかまわずにピシャリと来たわね」
「それで、その返歌はどんな意味なの?」
「
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
明け方にはほど遠い真夜中なのに、私のもとを去ってしまったあなた。鶏の鳴き声をまねて、その口実を取り繕っても、函谷関のいいかげんな番人なら騙されるかもしれませんが、私との逢坂の関を管理する番人は、決してあなたの通行を許すことはないでしょう、
という意味ね」
「つまり、もう二度と逢いませんよ、という絶交宣言なんだね」
「さあ、どうかしら? 取りようによってはもっと皮肉な意味が込められているみたいよ。
あなたは昨晩私のもとへやってきてお帰りあそばしたけれど、その時に逢坂の関はなかった――、つまり、あなたと私は逢うことはなかったわよね、と主張しているらしいの……」
「だって、ふたりは実際に会っていたんじゃないか?」
「そのお……、この時代の『逢う』というのは、男女の交わり、という意味も含まれているのよね」
青葉が恥ずかしそうに、少しうつむき加減に答えた。
「おおっ! そういうことか。
昨晩は会話を交わしただけで、あんたとは逢坂の関を越えてはいないわ――、つまり、あなたとはやっていないわよね、ともいっているんだ。
こいつはすごいや。うーん、清少納言に惚れちまったー」
恭助が歓喜の声をあげた。
「これにはさすがの行成もたじたじになったことでしょうね。清少納言の聡明さに……」
「清少納言とくればさ、たしかライバルに紫式部がいたよね。彼女の歌も百人一首に収められているのかな?」
「あるわよ。そして、この紫式部の歌も、一筋縄ではいかなさそうな、とても意味ありげな歌よ……」
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かな
紫式部 (第五十七番)
「最後の句はもともとは『夜半の月影』と詠まれていたそうね。これも定家によって『夜半の月かな』と修正されたみたい」
「これも男女のいざこざが込められていそうな響きがあるなあ」
「ええ。ところが、この『めぐり逢ひて』のお相手は、恋人ではなくて、彼女の古いお友達だったそうよ。それも女の子のね。
和歌には、詞書という説明書きが個々に添えられているの、その歌を作った日時や場所や背景などを記録した前書きのことなんだけど。
そして、この歌の詞書には、『幼馴染の友達に当てて詠んだ歌である』、と記されていたの」
「幼友達に向けて詠んだ歌だって? それじゃあ、ちっとも面白くないじゃんか」
「そうよね。私は、やっぱり、この歌は恋人に当てて詠まれた歌だったのではないか、と推測したくなるわ。でも紫式部って、とても恥ずかしがり屋さんだったみたいだから、詞書にこんな説明をあえて添えたのかもしれない、って考えちゃうわね」
「それで、この歌の意味は?」
「和歌には、縁語といって、意味が近い言葉を並べて歌の調子を整えるテクニックがあるの。『めぐり逢ひて』と『雲隠れ』は、ともに『月』の縁語よ。
せっかく久しぶりに会えたのに、それがあなただともわからぬうちから、まるで雲隠れをする月であるかのように、あなたはさっさと帰られてしまいました、
という意味ね」
「うーん。たしかに意味深だな。幼友達が相手だったとすると、あんまりしっくり来ない設定だよね」
「そうね。真相はどうだったんでしょうね」
「紫式部と清少納言ってさ、たしか、仲が悪くなかったっけ?」
「さあ、どうかしら。でも、紫式部は『紫式部日記』の中で清少納言のことを強く非難しているわね。
清少納言は、得意顔で偉そうに漢詩の知識をひけらかしているけれど、よく見れば勉強不足な点がまだまだたくさんあるのよね、
って、かなり手厳しいものよ。
それに、この二人は、中宮彰子と中宮定子にそれぞれ仕えていたから、政治的にも文学的にも本当にライバルだったはずよね」
「『清少納言こそしたり顔にいみじうはべりける人』とかのことだよね。古文の授業で習った記憶があるよ。俺的には、そこまでいうか、って感じだったな」
「清少納言が仕えた中宮定子が才色兼備で華やかな女性であったのに対して、紫式部が仕えた中宮彰子はまだ幼くて、まだこれからって存在だったの。天皇に二人の中宮が並立したなんて前代未聞の異例な出来事で、背後にいる彰子の父親である藤原道長の権力に対する飽くなき執念が感じ取れるけど、そんな中、彰子を擁護する立場であった紫式部も、責任感にさいなまれて、きっと必死だったのよ」
「私が清少納言に負けるようなことあらば、彰子様のお立場がなくなる、とでもいうことかな?」
「まあ、そんなところでしょうね」
「ところでさ、青葉が好きな歌はないの?」
「もちろんあるわよ。私が一番好きな歌はねえ、
大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立
小式部内侍 (第六十番)
よ」
「ふーん、なにがそんなにいいのさ?」
「小式部内侍のお母さんは、恋多き女性で有名な、和歌の達人でもある才女、和泉式部だったの。そしてお母さんは丹後の国に住んでいて、この歌に出てくる『大江山』、『生野』、『天の橋立』は都から丹後へ向かう途中の地名になっているわ」
「すると、母親を慕って詠んだ歌ってこと?」
「ところが、さにあらず。
まず、この歌のエピソードには男性が一人登場します。藤原定頼――、父親の藤原公任とともに和歌に秀でた人物で、
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼 (第六十四番)
(明け方に宇治川の川岸を歩いていると、川面にかかる朝霧が徐々に薄らいできた。やがて、霧が途切れたところから姿を現したのが、瀬に打ち込まれた網代木であった)
という歌が、百人一首に収められているわ」
「さてさて、犯罪の陰に男あり、といったところかな。その男と小式部内侍との間に、いったいなにがあったんだい?」
「小式部内侍自身も小さい頃から歌才があって、いい歌を数多く残しているけど、周りからは、その美貌と才能を妬まれて、彼女の歌はひょっとするとお母さんの和泉式部が作ったものではないか、などとあらぬ噂まで立てられていたの。
そんな中、小式部内侍はある歌合(和歌を詠み合って優劣を競い合う会)に招かれたのだけど、その時に、同じく招かれた定頼からひと言こういわれたのよ。
『丹後に見える母上(和泉式部)に、今日の歌合のために、ちゃんと和歌の代作は頼んでおいてありますか。そして、その返事は無事に返って来ましたか?』、って――」
「うわー、すごい皮肉だね。まるで、小さな子供が、好きな女の子に嫌がらせをしているみたいだ」
「そこで、とっさに定頼に返したのがこの歌よ。
大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立
大江山から生野への道はとても遠いから、私はその先にある天の橋立なんて行ったことすらありません。だから、母からの手紙だって見られるはずがないでしょう、
とばっさり切り返したのね。
技巧的にもこの歌は優れていて、『いく野』という言葉には、地名の『生野』と、『行く』とが掛けられていて、しかも『行く』は『橋』と縁語の関係になっていて、『ふみ』は、『踏む』と『手紙の文』とを掛けてあるの」
「縦横にまたがる技巧が施されているわけだ。かっこいいな!」
「それに対して、定頼はこれに対する返歌すら詠めずに、すごすごと立ち去った、といわれているわ」
「痛快極まりないとは、まさにこのことだね。
『大江山』という言葉で始まって『天の橋立』で締めくくっているのも、なかなか余韻があるし……」
「そうでしょ。私もそこがいいと思っているのよ」
「小式部内侍のお母さんの和泉式部の歌は、百人一首には入っていないの?」
「もちろん、ないわけがないじゃない。和泉式部の歌だってとても人気があるんだから」
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部 (第五十六番)
「出だしの『あらざらむ』という言葉がポイントね。
『ある』には、そこにいる、とか、生活する、とか、生存する、といった色々な意味があるけど、ここでの意味は、『生存する』なのよ。つまり、『あらざらむ』は、(自分は)生きていない、という意味になるわ」
「それって、死んでいる、ってことじゃないか。おかしいよね。だって、和泉式部はちゃんと生きていて、歌を詠んでいるじゃない?」
「そうよね。だから、ここの解釈は、私はもう生きていないのと同じよね、ということになるわね」
「ふむふむ。だから、全体の意味は?」
「
病床の私は、まもなく死んでしまうでしょうけれど、あの世へ持っていく思い出として、せめてもう一度だけでいいから、あなたとお会いしたく願っております、
という歌よ」
「死んでしまう、を『あらざらむ』と表して、あの世、を『この世のほか』と表したのか。他の人には絶対にまねできない表現だね。なるほど、こいつもすごいや!」
「そうね。この歌は、『恋多き女性』である彼女の中では、まだ穏便な歌なのよ。和泉式部の恋の歌って、情熱的で鬼気迫るものが多いの。でも、娘の小式部内侍が詠んだ『大江山』の歌のような技巧的な言葉は余り用いずに、和泉式部の歌は、ストレートな表現が多いわね。
なきながす 涙に堪へで 絶えぬれば
縹の帯の 心地こそすれ
(泣いては流す涙に堪えきれず、ぼろぼろになった生地が擦り切れるように、自分がはかない縹色の帯のようになった心地がします)
今宵さへ あらばかくこそ 思ほえめ
今日暮れぬまの 命ともがな
(今夜、もし生きていられたなら、またこんな辛い思いをすることでしょうね。ならば、いっそ今日の日が暮れないうちに、死んでしまいたいものです)
黒髪の みだれもしらず うちふせば
まづかきやりし 人ぞ恋しき
(思い乱れ、髪を乱したままで、床にうち伏す。そんな時、まっ先に恋しく思い浮ぶのは、(昨夜この床で)わが黒髪をかきやったあの人のことなのです)
なんて歌が、たくさんあるのよ」
「和泉式部もすごいけど、そいつがすらすらと出てくる青葉に感心しちゃうよ」
「あら、恭ちゃんに褒められるなんて光栄だわね」
「おいおい、光栄だわね――、の『ね』に棘があるぜ。光栄だわ、っていえば素直なんだけどな」
「ふふふ、恭ちゃんもだんだん一字の重みがわかってきたようね」
「そうだな。たしかに、十七字の俳句より、三十一字の和歌の方が自由度が高くて簡単だと思っていたけど、文字が少しだけ多く使える分、要求されている程度も高くなっているから、奥が深いんだね」
「ええと、人気の高い歌だったわね。この歌も多くの人から愛されているみたいよ」
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
崇徳院 (第七十七番)
「
流れが速くて岩にせき止められた滝のような激流が、たとえ二つに分かれようとも、最後には一つに戻るように、あなたと別れてもいつか再会することができるであろう、と私は思っていますよ、
という意味ね。
『われても』が、『水の流れが二つに分かれる』、と、『あなたと別れる』、の両方の意味に掛けてあるのよ」
「最後の『逢はむとぞ思ふ』を読むまでは、単なる川の流れの描写で終わってしまうのを、この言葉で一気に意味が広がる構成になっているのか――。
なかなか巧みだね。こんな歌を送られるとほろっと来ちゃうかもなあ」
「崇徳院の歌と比較したくなる歌が、時代こそ違うけど、陽成院が詠んだこの歌ね」
筑波嶺の 峰より落つる みなの川
恋ぞつもりて 淵となりぬる
陽成院 (第十三番)
(最初はかすかであったあなたへの想いは、まるで筑波山のいただきから流れ落ちる男女川が太い流れとなって、麓で深い淵となるように、いつの間にかこんなにも大きくなっていましたよ)
「陽成院は精神の病気を患っていたらしく、しばしば粗暴な行動がみられた、と文献には記されているけど、この歌はとてもやさしくて繊細な恋文になっているわ。
さて、どちらが本当の彼の姿なのかしらね?」
そういって、自慢の長い黒髪を、青葉は何気なく右手で掻き上げた。