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小倉百人一首殺人事件  作者: iris Gabe
解決編
18/20

18.鳥の空音は、謀るとも

 壬生巡査部長を取り囲むように、七人の人物が丸く輪を構成している。如月警部に如月恭助、瑠璃垣青葉に古久根麻祐、大倉いずみ、それに、有馬風人と松山末広だ。

 まず発せられた第一声が、声高らかなる壬生巡査部長の開式宣言であった。

「皆さんにお集まりいただいたのは、これからここで起こった二つの残忍かつ不可解な殺人事件の真相究明を行うためです」

「はーい。これだけの人間をわざわざ集めたってことは、刑事さんには、すでに事件の全貌がおわかりである、ということでしょうかねえ?」

 訝しげな視線をした有馬風人が、挑発をするように若手刑事に詰め寄ると、

「まあ、そう思っていただいて結構ですよ。二、三の不明な点はまだ残されていますが、事件の解明に限りなく近づいた状況に我々が到達していることに、いささかの疑念の余地もありませんからね」

と、したり顔の壬生も負けずに、威風堂々と返答した。

「それでは、ここはひとつ、有能なる刑事さんのお手並み拝見、とでも行きましょうか?」

 松山末広も、大人しく流れに従って、壬生をうながした。恭助はといえば、この間じゅうずっと、部屋の隅っこで、つまらなそうに口を閉じているだけであった。

「皆さんには伏せておいた事実ですが、実は、今回の被害者の吉野小夜と三条美由紀の両名は、いずれもが、百人一首の札を手に握りしめる、という極めて特殊な状態で、殺されていたのです!」

 説明を聞いていた大倉いずみの細い肩がピクッと震えたが、話に夢中になっている壬生はそれには気づかぬ様子であった。

「そして、ここで問題となるのは、その札がなんであったかということです。皆さんも、さぞかし興味がおありでしょう。

 まず、吉野小夜が握っていた札ですが、


 君がため 惜しからざりし 命さへ

  長くもがなと 思ひけるかな、


 もちろん、ここにいらっしゃる皆さんに、今さら説明する必要のない、とても有名メジャーな歌ですよね。

 そして、三条美由紀が握っていた札が、


 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

  今ひとたびの みゆき待たなむ、


です。いずれも絵札ではなくて、文字札でした」

「なるほど、ダイイングメッセージというわけですか。――こいつは面白そうやな」

 不謹慎な台詞を関西弁でつぶやきながら、有馬が不敵な笑みを浮かべた。

「皆さんは専門家なので、百人一首の歌には長けて見えると思います。

 ところで、はじめの歌の作者は、平安時代の貴公子、藤原義孝ふじわらのよしたか――です。

 お気づきになられたでしょうか。しくも、選手としてこの大会に参加している藤原義孝君と、同姓同名なのであります!」

 途端に有馬の表情に緊張が走った。

「おいおい……。ってことは、まさか、義孝が今回の事件の犯人だとでもいいたいんか?」

「私もその点からまずは吟味してみました。ただ、後になってわかったことですが、吉野小夜の事件に関しては、最有力容疑者である藤原義孝君には、鉄壁のアリバイがあったのです。それは、ここにいる有馬君、松山君にも同様に当てはまりますが、藤原、淡路、有馬、松山の四名は、一昨日の夜、吉野小夜が殺された時刻に、そろって隣町のカラオケ店にいたという確固たる証拠が見つかったのです。

 そのカラオケ店は、ここから車で移動すると十五分くらいかかる場所にありますが、一昨日の晩、時刻は十時半から二時半頃まで、カラオケ店の防犯カメラには、夢中になって歌っている四人の姿がはっきりと映し出されていました」

 壬生の説明を聞いていた有馬と松山の口もとが、すっと緩んだ。しかし、その束の間の安堵に水を差すかのように、壬生は手ぐすねを引いて待っていた手裏剣を解き放ったのである。

「しかし、四人のうちの一人、藤原義孝だけは、途中で三十分ほど部屋から抜け出していたことも、合わせて判明しております!」

「やだなあ、刑事さん。あれは腹を壊して、トイレにいっていただけですよ。

 たしかに、かなり長かったけどな……」

と、慌てふためく松山が、とっさに仲間をかばう弁明をした。それを聞いた巡査部長の目がきらりと光った。

「あなたたちの証言を素直に総合すれば、そうなるみたいですね。でも、仮にその証言が虚偽であり、藤原は実際にはトイレに行っていなかったと仮定すると――、さあ、どうでしょう。他にどんな行動を彼が取っていた可能性が考えられますかねえ?」

「ユースホステルに帰って、吉野さんを殺してから、また戻ってきたと、まさか、刑事さんは、そうおっしゃりたいのですか?」

 松山が苦しげな顔付きで問いかけた。

「我々はあらゆることを突き詰めて考えるのが商売です。もちろんその可能性も、私の頭脳の中においてすでに検討済みであることはいうまでもありません。

 鑑識の結果、被害者吉野小夜さんの死亡推定時刻は、十一時半から零時半までの一時間だと断定されています。そして、驚くべきことに、藤原義孝がトイレに行っていたのが、十一時五一分から零時二十八分のあいだでした。時刻は、カラオケ店の防犯カメラの映像にしっかりと記録されていた数値であり、それらの正確性は完璧に信頼できるものであります。

 ただ、ここで若干の疑問が生じます。というのも、藤原がカラオケ店の映像から消えていた時間は、正確に三十七分間でしたが、この時間では、カラオケ店からユースホステルを往復して、さらに殺人を犯す時間にしては、ちょいと短すぎるのです。

 せめてあと十分でも長ければ、まだしも……、まあ、それでも厳しいことには変わりありませんがね」

 壬生の口調も、徐々に弁解がましくなっていった。

「なんや……。てことは、義孝にもアリバイが成立ってことやんか?」

 有馬がほっとため息を吐いた。しかし、それを見つめる壬生の表情には、すでに薄ら笑みが浮かんでいた。

「そのように私たちも、当初は解釈をいたしておりました。でも、その後、さらに新たなる事実が判明しましてねえ……。

 それは――、午後三時頃に四人はカラオケ店を発って、タクシーでここまで戻って来た、と口をそろえて証言をしていますが、実は、途中で淡路と藤原の両名がタクシーから下車をした、というのが真相らしいのです」

「それは……、陶磨が車酔いで吐きそうな顔だったから、大丈夫か、と声を掛けたら、歩いて帰ると突然いいだして、まだ途中なのに車から降りようとしたんで、心配した義孝が、いっしょについてやった、というだけですよ。

 そうだよ! ただ、そんだけんのことやろう?」

と、有馬が、やや興奮気味に、壬生に食ってかかってきた。

「そして、君たち二人はユースホステルに三時過ぎに戻ってきて、さらに、その二十分後に、藤原と淡路の二人もここに到着している……」

 壬生が意地悪な視線を有馬に送った。

「だったら、なにも矛盾ないやんか?」

 凄みを利かせた有馬の反論にも、壬生は一向にたじろがなかった。

「さあね。そうでしょうか? 私は声を大にして問いたい。この事実こそ、藤原の鉄壁のアリバイを根底からくつがえす重要な事実であることを――」

「まさか刑事さんは、タクシーから下車した義孝が、意識が朦朧としている陶磨に気づかないよう注意を払い、何らかの手段でユースホステルから巧妙に呼び出した吉野さんを、その場にて惨殺をした、とでも主張されたいのですかね。でも、その推理にはちょいと無理がありますよ。

 たしか、吉野さんの死亡推定時刻は十一時半から零時半の間だって、刑事さんが自らさっきおっしゃいましたよね?」

 松山が冷静を装って逆に問い返してきたが、壬生も自信に満ちた表情でそれに応じた。

「ご安心ください。私もそこまで焼きは回っていませんから。吉野さんの死亡時刻は、ずばり零時十分の前後たった五分のあいだです。藤原義孝が、カラオケ店の防犯カメラの映像から消えていた三十七分間の、ほぼ真ん中に当たる時刻ですよ!

 たしかに、カラオケ店からユースホステルまでを往復して殺人を実行するのは、三十七分間ではとても無理でしょう。しかし、三時前に藤原と淡路の両氏がタクシーから降りた地点ポイント、すなわち、モンキーパークの小道までであれば、カラオケ店から往復して、さらにそこで殺人を犯すことだって、三十七分間の時間でも十分に可能なのではないでしょうか?」

 壬生の驚愕の主張に対して、松山がどもりながら答えた。

「つ、つまり、カラオケ店を抜け出した義孝が、モンキーパークの小道で吉野さんを殺しておいて、一旦はカラオケ店に戻り、帰りがけにタクシーから降りて、陶磨を介抱すると口実をもうけながら、そこに残して置いた吉野さんの遺体を、ユースホステルまで運び込んだ――、と刑事さんはおっしゃりたいのですか?」

「無理、無理! 陶磨がもし車を降りるといわんかったら、計画そのものが破たんするやんか?」

 有馬があっさりと否定した。

「だから、淡路陶磨も、共犯ということです!」

「かっ、仮にですよ、それが本当だとして、遺体を吉野さんの部屋に入れた後、どうやって部屋に鍵を掛けたのですか? 聞くところによると、吉野さんの部屋は、中から鍵が掛けられていたんじゃないですか?」

 今度は松山が壬生につっかかった。

「この建物の各部屋は、凧糸が一本あれば、自由に鍵を掛けることができるそうですよ。詳しくはそこでじっと大人しくしてみえる素人探偵の恭助さんに聞いてみてください」

 そういって、壬生はちらりと恭助に目を配った。

「動機は? 義孝はなんで吉野さんを殺したんですか?」

「おそらく、準々決勝で敗れた腹いせでしょう。実際に彼は、相当悔しがってはいませんでしたかねえ?」

「たしかに、あの晩、義孝はかなりいきり立ってはいたけど、まさか、殺人まで犯すなんて……」

 松山が呆然としていた。

 誰もが、にわかには信じられないといった感じで、じっと考え込んでいた。しかし、その静寂も、長くは続かず、背後からとどろく不敵にして甲高い声によって破られてしまう。

「あのねえ、本気でいっているのかい? 藤原が犯人だなんてさ――」

 これまでずっと黙り通してきた如月恭助が、いよいよ議論に割り込んできたのだ。驚き払った一同は、一斉に振り返って、この小柄な青年に視線を向けた。


「ほう。さては、恭助さんには、なにかご意見でもおありなんですかね?」

 壬生が挑発的に恭助を睨み返した。

「仮に藤原が犯人だったとしてさ――、なんで吉野小夜は、藤原義孝の名前を示す札を握りしめていたのかな?」

「なにをおっしゃりたいのか理解に苦しみますねえ。自分を殺そうとした憎き犯人の名前を世間に示さんとすることが、そんなに不思議なことですか?」

「だってさ、その仮説が正しいとすれば、吉野小夜は百人一首の札が置いてない場所、モンキーパーク手前の路地で殺されていることになるんだぜ。

 どうして自室にあった札を、彼女はそこまで持ち出していたのさ?」

「それは、あらかじめ藤原義孝の札を手にして、外出をしたからでは……」

「わざわざ殺されることを予測してかい? だったら、あいまいに犯人の名前を暗示する百人一首の札なんかよりも、もっと明快なメモでも準備しておけば、そっちの方がずっと確実に目的を成就できるんじゃないか? 私をこれから殺そうとしている人物の名前は、藤原義孝なんです、ってさ――」

「そういうことにも、まあ、なりますね……」

 壬生は、恭助の反論にいい返すことができなかった。

「とどのつまりさ……、藤原が犯人で、吉野小夜をユースホステルの外部に呼び出して殺したというのなら、必然的に、吉野小夜の部屋で、彼女の遺体にダイイングメッセージを匂わせる百人一首の札を握らせたのも、犯人である藤原自身だ、という結論に達してしまう。そう考えなければ筋が通らないからだ。

 そして、わざわざ苦労をして握らせた偽の手掛かりは、なんと、当の奴さん自身が犯人であると明示するものとなっている。

 さてさて、この愚かなるプレイボーイ君が取った奇妙な行動の理由を、きちんと説明できる人は、誰かここにいるかい?」

「それは……、自分の鉄壁のアリバイに自信があったからこそ、あえて警察に挑戦してみたくなるという子供じみた異常心理が作用した結果だったのかもしれませんね?」

 さすがの壬生も、しゃべるトーンはかなり低下していた。

「それにさ、もしも俺が藤原だったら、わざわざ淡路に協力を頼むなんてしないな。そもそも、淡路が帰りのタクシーで下車しなくたって、藤原としてはなにも困りはしなかったはずだぜ。

 だってさ――、一旦ユースホステルに四人で戻ってから、仲間と別れた後で、自室に戻る振りをしつつ、そのままこっそりとユースホステルを抜け出して、モンキーパークの小道まで引き返し、そこに放置した吉野小夜の遺体をユースホステルに運び込むことだって、朝までならたっぷり時間もあったんだしね」

「し、しかしですね。そうだとしても、藤原の犯行を否定する説明にはなっていませんよ」

と、壬生が苦し紛れに恭助に詰め寄った。

「でもさ、じゃあどうして、吉野小夜は、深夜の真夜中に、わざわざ殺されるためにユースホステルを抜け出して、モンキーパークの小道までのこのこやって来たのさ?」

「それは、藤原義孝から巧みに呼び出されたのでしょう? なんらかの理由を付けて」

「その際に、藤原に殺されるために、買ったばかりの大切なお宝包丁もいっしょにご持参してかい?」

 この恭助の問いかけに、壬生はなにも返すことができなかった。

「それにさ、現場を思い出してくれよ。おびただしい血が畳に流れた跡があった。あれだけ現場に血が流れていたのに、もしも遺体が運ばれていたのだとしたら、どこか途中に血痕がいくらかしたたり落ちていても不思議じゃないけどね」

「まあまあ、恭助、ちょっと控えていなさい!

 壬生君は可能性をひとつひとつ除去しているに過ぎない。おそらくは、吉野小夜の事件が藤原義孝の犯行であったという仮説に少々無理がある、ということを単に説明したかっただけなのだろう……」

と、如月警部が割り込んで来て、壬生をいたわる発言をした。それを受けた壬生は、水を得た魚のように、また生き生きとしゃべり始めた。

「警部のおっしゃるとおり、私も別に藤原義明が本当に犯人だなんて、これっぽっちも信じているわけではありません。

 それでは、いよいよ本題に入りましょう――」

 父親にたしなめられた恭助は、またもや、すねるようにして、すごすごと後ろに引き下がった。


「それでは事件の鍵を握る重大な手掛かりのもう一つである、三条美由紀が握っていた札にも目を向けてみましょうか」

 壬生巡査部長が、再度、議論の主導権を手にしていた。

 おぐらやま

 みねのもみぢば

 こころあらば

 いまひとたびの

 みゆきまたなむ


 いかがです、なにかお気づきになりませんか?」

「いや、全く……」

 真っ先にあくびをしたのは有馬だった。

「そうですよね。とてもじゃありませんが、すぐに気づけるような単純な暗号ではないですからね。なにせ、この私でさえも、解読するのに二日を要しましたからねえ。素人さんが見落としてしまうのも致し方ないことです。

 では、五、七、五、七、七、の各行の二文字目に注目してみてください。

 まず最初の行の句は、おぐらやま、ですから、二番目の文字は、『ぐ』ですよね。そして、次の句は、みねのもみぢば、ですから、二番目の文字が、『ね』ということになります」

 得意げに満面の笑みを浮かべながら、壬生はそれぞれの句の二番目の文字を、ゆっくりと指差していった。

「『ぐ』、『ね』、『こ』、『ま』、『ゆ』……」

 有馬が順に文字を読み上げていった。

「なにか気づきませんか?」

「はっ! こぐねまゆ……、古久根麻祐だ!」

 先陣を切って叫んだのは、如月惣次郎警部であった。すると同時に、古久根麻祐の顔から血の気がすっと引いていった。


 この瞬間、満を持していた壬生巡査部長が高らかに勝利宣言を行う。

「皆さん、今こそ私の最終的な結論を申し上げましょう。

 今回の事件の真犯人は、古久根麻祐――。

 理由は、被害者の三条美由紀が握っていた札が示す唯一の人物こそ、彼女本人であるからであります!」

「そんなあ――、私じゃありませんよお」

 名指しされた古久根麻祐が大声で泣き始めた。一同の視線が古久根に集中する。その横で、壬生はさぞかしご満悦な顔ですましている。

 皆が壬生の意見に異議を唱えられないでいた。そんな中、ただ一人、恭助がゆっくりと立ち上がった。彼はそのままずうずうしく壬生のすぐ横までやってきて、肩の凝りをほぐすように、首を二、三回左右に傾げた。

「『小倉山』の歌の中に古久根さんの名前が隠れていることには、俺も気付いていた。

 でもさ、よく見つけたね。ちょっぴり驚いたよ……。

 たださ、一つ思うんだけど――、死ぬ瀬戸際にいる人間が、とっさにこんなに複雑なメッセージを残せるのかなあ?」

 自信たっぷりに述べた推理をあっさりとけなされた壬生は、顔を高揚させながら反論を唱えた。

「とっさに思い付いたのではなかったのかもしれませんよ。かるたクイーンである三条美由紀は、おそらく、四六時中百人一首について考えていたことでしょう。ある日突然、『小倉山』の歌の中に古久根麻祐という五文字を発見していたという可能性は、否定できませんね」

「だとしてもさ、警察の中に壬生巡査部長のような鋭い名探偵がいて、『小倉山』の歌に隠された古久根麻祐という名前を見つけ出してくれれば、それでめでたしなんだけど、そんな保証はとてもじゃないけど期待はできないよね。

 だから、俺だったら、まゆゆを示すダイイングメッセージのために、貞信公の歌はさすがに使わないな。

 それにさ、そもそも三条美由紀は、尋問された時に、まゆゆの名前を間違えて覚えていたじゃないか?」

「それは、わざと古久根さんの名前を知らなかった振りをしていただけかもしれませんね。

 いずれにしても、これ以外に三条が握っていた札の合理的な解釈なんてありはしませんよ!」

 壬生が逆に開き直るようにいい放った。今回は壬生も相当に自信があるようで、簡単には引き下がらない。

「そうだね。『小倉山』の歌の中に、まゆゆと三条美由紀の二人以外の意味が秘められているというのなら、俺も教えてもらいたいな」

と、恭助もあっさりと壬生に同意する。

「ひえーん、絶対に、私はしてませんよお」

 古久根の泣き声はどんどんエスカレートしていき、やがては部屋の中での議論が困難になるほどまでになっていた。さすがの恭助も慌てて、

「あのさ、まゆゆ。今から俺が、まゆゆは犯人じゃないって証明してやるから、ちょっとだけ泣くのはやめてくれ!」

と説得すると、古久根はピタリと泣くのをやめた。

「そうですか? じゃあ、恭助さん。早く私の無実を証明してください」

 それを見て、恭助も苦笑いをした。

「じゃあ、そろそろ、壬生巡査部長からバトンタッチしてもらっていいかな。俺の考えをこれからみんなに披露させてもらうよ」

「壬生君。いいかね?」

 如月警部が壬生に横目で確認を求めた。

「それは……、もちろん、ちっともかまいませんよ」

と、眉をひそめた壬生は、素直に応じたものの、冷静さを無理やりに取り繕っている表情であった。


 恭助がゆっくりと舞台の真ん中に出てきた。この背の低い青年は、プレゼンテーションには相当長けているらしく、手振り素振りをまじえて、ひとりひとりに語りかけるように説明をし始めた。

「吉野小夜の遺体があった畳の上には、字札が並べられていたんだ。試合の練習のためにだね。今からそれを再現してみよう」

 そういって、恭助は箱から字札を取り出して、メモを見ながら順に並べていった。

「ここにいるみんなは競技者ぞろいだから感じ取れるだろう。どうだい、この陣形の並び方になにか違和感を覚えないかな?」

 札を並べ終えた恭助が、一同をぐるっと見回した。

 読者にも、もう一度その陣形を確認してもらうことにしよう。恭助が並べた、吉野小夜の遺体の前に構成されていた字札の陣形は、左上段から右下段に向かう順に、次のようになっていた。


(上段左から)

 8、9、99、86、中空き、60、42、3、

(中段左から)

 85、39、35、40、中空き、72、43、46、91、

(下段左から)

 96、11、58、31、57、中空き、18、66、87、22、23


「陣形の並べ方なんて競技者によって様々だから、違和感なんて浮かびようがないですよ?」

と、最初に愚痴をこぼしたのは、松山末広だった。

「でも、私なら五十八番の『有馬山――』の札はここには置かないわ。だって、吉野さんって左利きでしょ? だから、左手前にはもっと重要な札を置きたくないかしら?」

 青葉がポツリとつぶやいた。

「そうですねえ。『あ』で始まる歌はたくさんあって、誰もが困る一番紛れの多い札ですからね。そんな厄介者を手前に置くくらいなら、私なら中段にある『うつしもゆ』の、『忍ぶれど――』か『由良の門を――』を、代わりに持ってきたいですねえ」

と、すかさず古久根麻祐も同意した。そのやり取りを見て、恭助が微笑んだ。

「俺もそこに違和感を持った! 

 普通の感覚ならば、誰もが取りやすそうな札は自分の近くに、紛れが多いややこしい札は陣の各場所に散らばらせて、試合を有利に運ぶように気を配るものだ。その視点で見た時に、吉野小夜のこの陣形には、下段の左端にある第九十八番の『花さそふ――』の札と、下段左から三番目に置かれた『有馬山――』の札が、どうにも気になる。

 『花さそふ――』の札は、上段に置かれた『花の色は――』の札と、わざと配置を別々に分けたと解釈することができるけれど、『有馬山――』の札は、敢えて自分の近くに置いておきたい札だとは、とうてい思われない」

「取ったところで、別に相手にダメージを与える札ではないですからねえ。それより『由良の門を――』の札を取られる方が、私なら超痛いですね」

と、古久根が補足した。

「では、なぜ吉野小夜は陣形をこのような配置にしたのだろうか?」

「たかが練習やろう? 適当に並べただけやないんか?」

 有馬風人が軽くいなすような発言をした。すると、古久根が横からすっと有馬風人の顔をのぞき込んだ。

「あっ、もしかしたら、有馬先輩にとって、『有馬山――』の札って絶対に取られたくない札なんですよね?」

「けっ、そこに来るんかい? たしかに、俺にとって、大弐三位の歌は誰にも渡したくない特別な札やけど、他のやつらにとっては、さほど重要な歌でもないしなあ」

「そうですよねえ。自分の名前にかかわる札って、なにより絶対に取っておきたいのが心情です。

 だから、私、今度から貞心公の札は誰にも渡しません。今まで気付かなかったけど、私の名前がばっちり入った名歌だったんですねえ」

と、古久根はすでに自己の世界に陶酔していた。まだ容疑者の最有力候補である立場なのに、よくそんなことで騒いでいられるなと、有馬は内心呆れかえっていた。

「吉野さんにとって、大弐三位の『有馬山――』の歌がなにか特別な意味を持っていたとでも、恭ちゃんはいいたいの?」

 今度は、青葉が恭助の顔をうかがった。

「いいや、その逆さ。

 壬生ちゃんは覚えているかな。吉野小夜の遺体の前に並んでいた陣形の五十枚の札のすぐ傍には、それに使われなかった残りの五十枚が、三つの山に分かれて置いてあったのを」

 壬生ちゃんと呼ばれて、一瞬とまどった巡査部長だったが、すぐに返答をした。

「はい。覚えていますよ」

「でもさ、そのうちの一つの山が崩れていたよね?」

「たしかに……」

「なぜだかわかるかい?」

「いいえ、ちっとも……」

「その真相は、こうなんだ。

 吉野小夜にとって、大弐三位の札は、特に下段に置いておきたくなるほどの札ではなかった。そして、大弐三位の札があった下段のその場所には、実は別の、彼女にとってもっと重要な意味を持つ札が置かれていたんだ!」

「ほう、それはどんな札ですか?」

 壬生がつっかかってきた。恭助は、遠くに視線を投げかけると、静かに答えた。

「それはね……、遺体となった彼女が、それでも大切に握りしめていた字札――『なかくもかなと おもひけるかな』だよ……」


 さらに、恭助は論理を展開し続けた。

「藤原義孝が詠んだ、


 君がため 惜しかりざりし 命さへ

  長くもがなと 思ひけるかな


の歌は、かるたでは六字決まりの札だ。

 いわずと知れた大山札――。吉野小夜にとっては、利き手である左手前に置いて、囲い手で防御する必要が生じるとても重要な札なんだ。だから、その札は、もともとは下段の左から三番目という、彼女にとって極めて大事な場所に配置されていた。しかし、吉野小夜の遺体が発見された時点では、なぜか、その札は彼女の手の中に握りしめられていた。それが意味するのはいったいなにか?

 そして、もう一つ。未使用の五十枚の札を分けた三つの山のうち、一つの山が崩れていた。

 そう。ここから導き出される必然的な結論は、吉野小夜が握っていたダイイングメッセージと思われた藤原義孝の札は、本当は、彼女の意思で握られたものではなかった、ということだ!

 吉野小夜の死後、現場にいた何者かの手によって、遺体の手の中に、陣形から拾われた『君がため 惜しかりざりし――』の札が握らされた。さらに、それによって生じた陣形の開きスペースを埋め合わせるために、たまたま山の中から抜き取った『有馬山――』の札が、そこに置かれたんだ。そして、その犯行を行った人物はひどく慌てていて、札を抜いた時に崩れてしまった山を元に復元する余裕がなかったんじゃないか、と俺は推測している」

「なぜ、その犯人は藤原義孝の札を吉野小夜の遺体に握らせたのですか?」

と、苦しそうに壬生が訊ねた。

「それは、リアルの藤原義孝を吉野小夜殺しの犯人に見立てて欲しかったからさ」

「つまり……、この札は、吉野小夜のダイイングメッセージではなくて、犯人が意図的に仕組んだ、偽の手掛かりであったと……?」

「そういうこと」

 すると、続けて有馬風人が詰め寄った。

「しかし、それなら、その犯人はどうやって部屋を抜け出したんや? 部屋は中から鍵が掛けられとったんやろう?」

「まあまあ、焦らない、焦らない……。そいつについては、もう少し後で説明するよ。なにしろ、それこそが、この事件の核心となるのだからね」

 恭助の横にいる壬生が、こほんと咳払いを一つ入れて、発言をした。

「いずれにしても、犯人は藤原義孝をおとしめようとしたわけですね。しかし、そうなると、今度こそ真犯人を示す手掛かりは、三条美由紀が握っていた『小倉山――』の札ということになりますが?」

 それを聞いた一同の視線は、一斉に古久根麻祐の方へ集中した。

「わっ、私じゃないですよ!」

と、古久根麻祐は両手をかざして必死に訴えた。

「さっきもいった通り、『小倉山――』の歌で古久根麻祐の名前が示されているというのは、俺には納得できない。そもそも、三条の証言からは、彼女はまゆゆの、いや古久根さんの名前を正確に把握していたのかどうかも怪しいし……」

「さっきも申しましたが、我々の前では、わざと演技を振る舞っていたのかもしれませんよ」

「かもしれない……。

 けど、仮にそうだとしても、死にかけている時に、とっさに『小倉山――』の札を取り出すかな? あまりに複雑な暗号なんかじゃ、発見者が気づいてくれないしね。

 それに俺なら、そのメッセージを送るなら、字札じゃなくて、間違いなく絵札を握るよ。だってさ、字札に書かれた十四文字では、まゆゆのフルネームの五文字が全部は現れていないんだぜ?」

「絵札は箱の中だから、探し出す余裕がなかったからじゃないですか? 字札だからこそ、練習に並べた陣形の中にあり、すぐに見つけ出すことができた」

「そうだね。その可能性は否定できないな。

 でも、事はもっと単純なのさ。かるたクイーンの三条美由紀は、『小倉山――』の札を握ることで、ある人物の名前をはっきりと示そうと試みたんだ――。

 でも、それは古久根麻祐ではなくて、別な人だったんだよ!」

 恭助がそういい終わると、聞いていた全員が、稲妻に打たれたかのように、異様に静まり返った。

「誰ですか――、その人物は?」

 自らの焦りを隠すように、壬生が訊ねた。

「『小倉山――』の歌の中に、別な人物の名前が刻まれている?」

 如月警部も腕を組みながら考え込んでいる。

「そう。各句の二文字目を取り出して並べ替えるアナグラムなんかよりも、ずっと単純で明快なメッセージだ」

 恭助が断言した。

「ちっともわかりませんよー。完全にお手上げです。

 恭助さん、いったいどんなメッセージが込められているというのですか?」

 真っ先に音を上げたのは古久根だった。

「えっ、『お手上げ』か! それ、惜しいなあ。まゆゆ。もう少しで正解だよ」

といって、恭助はにやにやしている。

「えー、全然わかりませんよー。お手上げが惜しいんですか? ちんぷんかんぷんです」

「二人で漫才やっていないで、恭ちゃん、いいかげんに真相を語ってよ!」

 ふてくされるように、青葉が恭助に要求した。自分が真相を掴み切れていないのに、恭助に先を越されていることが、よほど悔しいみたいだ。


 すると、聴衆の中の一人が、突如、席から立ちあがると、戸口にいた壬生巡査部長を体当たりで押しのけて、部屋から外へ一目散に飛び出していった。あまりのとっさの出来事に、その場にいた全員が瞬時に凍りついた。

「あっ、壬生ちゃん。彼女を誰かに追いかけさせて!」

と、とっさに恭助の叫び声が轟く。

「はい――」

 一言残して、壬生は外で待機している巡査に指示を出した。巡査たちの慌てふためく足音が、部屋の中まで聞こえてきた。

「多分、取り逃がすことはないでしょう。でも、どういうことでしょうか? 彼女が一連の事件の犯人であると……?」

 壬生巡査部長は、冷静に振る舞ってはいるが、完全に混乱をきたしている様子だ。

「まあね。今回の事件は決定的な証拠がないだけに、ちょっと彼女を心理的に追い込む必要があったんだ。窮鼠猫を噛む的な行動を取るようにね。まんまと引っ掛かってくれたよ。

 これも、壬生ちゃん――、いや……、壬生巡査部長がしゃべってくれた前座の珍推理のおかげさ……」

と、恭助は満足げに口もとをゆるませた。

 子供のように得意げにふんぞり返る恭助の横顔を見ながら、わざわざ壬生の気持ちを逆撫でする余計なことまでいわなくてもいいのに……と、青葉は申し訳なさそうに巡査部長へ目を向けた。

「ええっ? 大倉いずみ先輩が、今回の事件の真犯人だったんですかー」

 広いユースホステルの館内の隅々にまでとどろき渡る大きな声で、古久根麻祐が絶叫をした。

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