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小倉百人一首殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
16/20

16.峰のもみじ葉、心あらば

 再び、会議。

 先陣を切って、壬生巡査部長が発言した。

「三条美由紀が死ぬ瀬戸際で手にした札は、百人一首に収められている二十六番目の歌で、貞信公、すなわち藤原忠平ふじわらのただひらが詠んだ歌です」

 そういって壬生は、『いまひとたひの みゆきまたなむ』と書かれた文字札をポケットから取り出して、聴衆によく見えるようにかざした。

「これは下の句でして、全体の和歌は


 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

  今ひとたびの みゆき待たなむ


というものです。

 当時の上皇、これは引退した天皇を指しますが、宇多うだ上皇が大井川沿いの小倉山に紅葉狩りに出かけた際、木々の紅葉があまりにも素晴らしかったため、上皇は息子である醍醐だいご天皇にも、この美しい景色を見せてやりたいと思い、その旨を天皇に奏上するよう忠平に命じました。それを受けた忠平がとっさに詠んだのが、この歌です。

 意味は、小倉山の峰の紅葉に向かって、お前に人の心を理解する力があるのならば、この後で行われる醍醐天皇の行幸みゆき、つまり、天皇の観光旅行のための行列のことですね、が済むまでは、散らずにこのままでいておくれ、と呼びかけている歌だそうです」

「その意味が、事件となにか関係あるのかね?」

「さあ……。残念ながら、この三条が残したダイイングメッセージから、まだこの私にも、はっきりとした手掛かりが浮かんではおりません。ただ、思うに、ひょっとしたらですが、この歌の中にある『みゆき』という言葉が、三条美由紀を指していることばかりが、取り沙汰ざたされますが、考えようによっては、別の人物がほのめかされている可能性があります。

 たとえば、『小倉山』という言葉は大倉いずみを指しているかもしれません。小の反対語は大ですからね。あるいは、『もみぢ葉』という言葉では、赤の反対の色は青ですから、瑠璃垣青葉さんを指している可能性もあります」

 なんで、三条や大倉のことは呼び捨てておいて、青葉だけは『さん』付けなんだよ、と恭助は思ったが、口には出すのは控えた。

「つまり君は、犯人であることを示していると主張するのかね。その大倉いずみと瑠璃垣青葉のどちらかが」

「そうですね。しかし、私の個人的な意見としましては、現時点でもっとも怪しい容疑者は、大倉いずみですね。理由は、三条美由紀にとって一番身近な人物が大倉ですから、ひょっとすると我々の知らないなんらかの怨恨があった可能性は、否定できませんからね」

 壬生が冷静な口調で、補足した。それを聞いた恭助が、即座に反論した。

「うーん、大倉いずみを示したかったら、


 みかの原 わきて流るる いづみ川

  いつ見きとてか 恋しかるらむ


という、絶好の歌があるし、『もみぢ葉』という言葉が入った歌なら、


 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は

  龍田の川の 錦なりけり


という歌もあるじゃない?」

「恭助。お前百人一首を知っているのか?」

「ううん。今、猛勉強中さ。とにかく、今回の事件を解決するためには、それしかないからね」

 恭助は手にしている百人一首入門の本を父親に提示した。

「別に、百人一首の歌を全部勉強しなくても、被害者二人が握りしめていた歌をしっかり調べることこそが、肝心なのではないでしょうかね?」

 壬生が若干の嫌味を込めたコメントでくぎを刺した。

「そうかもしれないね……」

 恭助は上の空のような言葉を返した。

「しかし、私が思うに――」

 如月警部が急に思い立ったように語りはじめた。

「犯人は、なんで二回も札を見過ごしてしまったのだろうな?」

「札を……?」

 ポカンと口を開けながら、恭助が訊ねた。

「そうだよ。現場をわざわざ密室にして立ち去った用意周到な犯人が、もしも被害者が自分をほのめかす札を握りしめようとするのを見つけたならば、すぐにそいつを取り上げて処分してしまうはずだろう? でも、そうはしなかった」

「それは、犯人がたまたま被害者の行動に気付かなかっただけではないでしょうか?」

 壬生が逆に警部に問いただした。

「しかし、犯人は密室を構成するために、実際にはそれなりの時間を現場で要しているはずだ。だから、その間に被害者が動くようなことがあれば、すぐに気が付くと思うのだがねえ」

と、警部もすぐには折れなかった。

「なるほど。いわれてみれば、たしかに絶妙なタイミングだ。虫の息たる被害者が事切れるまでのわずかな時間には、おそらく犯人は現場の密室を作る作業に取り掛かっていたわけだ。そんな中、被害者が自分を示そうと残した極めて危険なダイイングメッセージを、二度に渡って犯人は見逃してしまっている」

 ぼんやりとしたまま自らに語りかけるように、恭助はつぶやいた。

「しかし、密室を作ろうとすれば、仕事に没頭するでしょうから、二度くらい見逃してしまう可能性も、十分に考えられませんか。

 いえ、別に私は、警部の意見に賛成していないというのではありませんよ。ただ、犯人が被害者の発するメッセージに気付かなかったことが、今回の事件の解決にそれほど重要な意味を持つのかについては、はなはだ疑問だと感じております」

 壬生が、警部に気を遣いながらも、自己の主張を貫いた。


 会議を終えて、恭助はひとり空き部屋を陣取って、仰向けに寝転んで、天井を眺めていた。

「とにかく、考えるんだ。


 君がため 惜しからざりし 命さへ

  長くもがなと 思ひけるかな


と、


 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

  今ひとたびの みゆき待たなむ


の二首に込められたメッセージの意味を……」

 恭助は目を閉じた。でも、いくら考えても気の利いた推理は一向に浮かんでは来ない。とにかく、絶対的に手掛かりが不足しているように思えた。そもそも二つの事件はつながっているのだろうか?

 一見、二つの事件には著しい共通点が見られる。被害者がともに百人一首の文字札を握っていたことだ。そして、二人とも鋭利な刃物を胸に突き立てられている。一人は前方から、もう一人は背後から。また、現場はいずれも部屋の中から鍵が掛けられていて、密室となっている。ともに、百人一首の札が畳の上に並べられている。

 二つの現場は、階こそ違うが、ともに東廊下の突き当りから一つ手前にある南向きの同じ間取りの部屋であった。つまり、吉野が殺された部屋の真上に、三条が殺された部屋があるのだ。

 当然、同一犯の犯行と第一感では考えたくなる。しかし、果たして、ことはそんなに単純だろうか?

 まず、第一の事件現場の状況はおおやけには発表されていない。詳しく知っている者がいるとすれば、遺体を発見した大倉いずみと従業員の小野孝史くらいなものだ。いや……、青葉と古久根に、被害者の吉野小夜が札を握りしめていたことを、俺はうっかり漏らしてしまった。親父からはお目玉くらったけど、今考えるとたしかに軽率な発言だったな。

 ということで、吉野が殺された現場の光景を警察関係者以外で詳しく知っていた人物は、今の四人しかいない。すると、犯人と今挙げた四人を除いた人物には、第二の犯行の事件現場を第一事件現場と同じように再構成しようと試みること自体があり得ない、ということになる。それに、再構成するといったって、密室だったら犯人の意図で自由に作ることができるけど、ダイイングメッセージとなると、被害者の意思がなければできないものなのだ。

 密室だって、吉野の部屋は一階だから、凧糸トリックなどを用いれば、どうとでもなるが、三条の部屋となると二階だ。合鍵はしっかり管理されていて、従業員以外の人物が利用できるはずもないから、こと三条の殺人に関しては、密室を作ることから、説明が付かない。

 そして、二つの犯行が同一人物によるものだとすると、なぜ二人の被害者が握っていた札が一致しないのか? もっとも、二人の被害者が同じ人物を示したくても、和歌は百枚もあるのだから、別な歌を選ぶことがあるかもしれない。しかし、二つの歌から同一人物の名前は一向に浮かび上がらない、今のところ……。

 じゃあ、二つの事件は別々の犯人によって行われたのか? それも十分に考えられることだが、そうなると、だんだん訳がわからなくなる。

 『なかくもかなと おもひけるかな』の札から思いつく最も怪しい人物である藤原義孝には鉄壁のアリバイが存在するし、『いまひとたびの みゆきまたなむ』の札にいたっては、目ぼしい犯人らしき人物の名前すら浮かんで来ない。全くのお手上げだ……。


 相変わらず、恭助は天井を見つめながらじっと考え込んでいた。手掛かりの和歌、『小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ』を――。

 すると、一人の人物の名前がふっと脳裏に浮かんで来た。余りの突然のことで、これにはさすがに恭助も面食らった。しかし、その人物の名前は……。そして、そこから導かれる結論は……。依然として、なんら自体は大きく進展はしていないように思われる。

 とにかく手掛かりが少なすぎる? いや、そうだろうか。そうだ。まだ、手掛かりはあるぞ!


 恭助は吉野小夜の現場の部屋に足を運んだ。戸口の前には昨日と同じ巡査が待機していた。本当にご苦労なことである。

「お勤め、ご苦労様です」

 太った巡査が恭助を見つけて、敬礼をした。

「もう一回、中を見てもいいかな」

「どうぞ、ではお入りください」

 中に入ると、恭助は場に並べられている字札を凝視した。巡査は恭助が場を乱すことがないか、心配そうに、絶えず後ろから確認していた。それにかまわずに、恭助は字札を一枚ずつ、置いてある場所とその下の句をメモしていった。

 恭助のメモに残された、五十枚の字札の配置は以下の通りであった。

 まず、吉野小夜の遺体があった場所の近くから、手前の列には左右の五枚ずつに分かれて札が並び、二番目の列には同じく左右に四枚ずつの札が分かれている。三番目の列には、左側に四枚、右側に三枚が並んでいて、合わせて二十五枚の札で自陣を構成していた。その先の四番目から六番目の列には、上下反対に、やはり左右に分けられて、二十五枚の札が並んで、敵陣ができている。

 ここで読者には、吉野小夜の自陣に相当する位置に置かれていた札だけを、詳細に提示してみることにしよう(簡略化のために、百人一首の歌番号だけを表記する)。

 まず、自陣の第一列目。これは自陣下段と呼ばれ、吉野小夜本人に最も近い列ということになる。その第一列目は、左から順番に、

  96、11、58、31、57、

の番号の歌の下の句の字札が並び、数枚分の間が空いていて、さらに、

  18、66、87、22、23、

の札が並び、以上の十枚で列の右端まで至っている。特徴的なこととしては、11番と31番の歌は六字決まりの大山札で、競技の時には勝負の鍵を握る重要な札である。また、57番、18番、87番、22番の歌は、『むすめふさほせ』で始まる七枚の札に属す、いわゆる一字決まりの札で、やはり勝負の鍵を握る札となる。競技者としては、囲い手が必要な大山札や、素早い取り合いとなる一字決まりの札は、少しでも自分の近くに並べておきたいものなのだ。

 続いて、第二列目、自陣の中段には、やはり左から、

  85、39、35、40、

と来て、中央の間が空き、

  72、43、46、91、

となっていた。第三列目、自陣の上段には、左から、

  8、9、99、86、

が来てから、間を置いて、

  60、42、3、

と並んでいた。

 ここでも恭助は、ある不自然さ、違和感に気付いた。

 まさか、もしかすると……。そうか、ようやく手掛かりの破片が見つかったような気がする! でも、これを元に、なにか新しい結論が導かれるのだろうか?

 なるほど、そういうことか……。だとすれば、最後に、こいつの説明が付かなければならないな……。


「如月恭助さまですか?」

 がっしりとした体格の日焼けで真っ黒な若手巡査が、廊下を考え込んで歩いている恭助を呼びとめた。

「壬生巡査部長がお探しですよ。なにか新しい発見があったそうです」

 そういって、巡査は恭助を壬生のいる部屋まで案内した。

「ああ、恭助さん。ようやく見つかりましたか」

 壬生が部屋に入ってきた恭助に声を掛けた。壬生のそばには如月警部もいっしょだった。

「なんかあったんだって?」

「その通りです。もしかしたら、事件の核心をついた事実なのかもしれませんよ」

 壬生巡査部長の口ぶりからは、かなり興奮気味であることが感じ取れた。

「なんなの?」

「実は、吉野小夜が殺された昨晩に、カラオケに外出していた四人組ですが、彼らの証言によれば、いっしょにユースホステルに戻ったといっていましたよね。けれど、実際には、そうでなかったんです!」

「どういうこと?」

「ここのロビーで夜間の受付をしていた従業員が再度申し出てくれて、一昨晩、たしかに四人は三時過ぎに帰ってきたけど、二人ずつに分かれて戻って来たというのです」

「二人ずつ?」

「はい。最初に戻ってきたのが有馬と松山の立命館コンビの二人で、時刻は三時ちょっと過ぎ。そして、それから二十分くらいの時間差をおいた三時半頃になって、藤原と淡路の東大組が帰ってきたそうです」

「ふーん。でも藤原はたしか、四人はタクシーでいっしょに戻った、と証言したじゃないか?」

 ずっと黙っていた警部も会話に加わった。

「そうですね。だから、なにか怪しいのですよ」

「そのことについて、有馬や松山に聞いてみたらどうだろう? 彼らは今ここにいるのだし」

「はい。すでにそれは確認してあります。有馬も松山も同じ証言で、帰りのタクシーは、途中まで四人で乗ってきたのだが、淡路が、酒か車か原因ははっきりしませんが、気分が悪いといい出したので、モンキーパークの敷地に入った辺りで下車したらしいのです。その時に、藤原も、心配だから自分もいっしょに降りていく、といって、降りたそうです。二人が降りたのは、歩けば十分程度でユースホステルにたどり着くくらいの場所でした」

「別に不自然な行動というわけでもないよな……」

 恭助が考え込んだ。

「それでさ、ロビーの従業員は他になにか気付いていなかったかなあ?」

「特には。ええと、藤原と淡路が到着した時には、淡路は意識が朦朧としている状態で、入口のところでしゃがみ込んでしまい、藤原がロビーまでやってきて、藤原と淡路のルームキーを受け取ったそうです」

「従業員は、淡路の顔を確認したのかなあ?」

「さあ、どうでしょう。まあ、同行している藤原はしっかりしていたそうなので、安心して二人の鍵を手渡したのだと思いますけど……」

 その時、部屋の外から一人の巡査が入ってきて、壬生に耳打ちした。

「そうか!」

 壬生が発した大声が、狭い部屋の中の空気を貫いた。 

「警部――。一昨晩に四人を乗せたタクシーの運転手を見つけて、今ここに連れて来たそうです」

「ちょうどよかった。さっそく話を聞いてみよう」

 如月警部も目を輝かせた。


 連れてこられた運転手は白髪で真っ白な頭をした小男だった。

「時刻は午前三時近くになっていたと思います。フレンズというカラオケ店の前で四人組の若者を乗せて、そのままここに連れてきましたよ。ただ、途中で、後部座席に座っていた三人の真ん中にいた一人が、突然気分が悪いといい出しましてな。車内で吐かれちゃたまらんと思っておったのですが、そしたら、あげくの果てには、途中で降ろしてくれといい出し始めまして、モンキーパークの敷地の道路で、車を停車させました。すると、前座席に乗っていたリーダー格の青年が、自分もいっしょに降りてユースホステルまで歩いて連れて行く、といって、お金を後部座席にいる二人に手渡して、降りていきました。あとは、残った二人をユースホステルの入り口前まで乗せていき、そこで降ろしました。二人はきちんと料金を払ってくれましたよ」

「その帰り道で、降ろした二人とすれ違わなかったかい?」

 恭助が運転手に訊ねると、運転手が

「いいえ。月が雲に隠れていて暗い晩だったから、気が付きませんでしたけど、当然すれ違っていたはずですよね」

と、あいまいな返事をした。

「他になにか気づかれた点はありませんかね?」

「いえ、特に……」

「そうですか、どうもありがとうございます」

 壬生巡査長が運転手に丁重に会釈した。

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