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小倉百人一首殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
14/20

14.今一度の、行幸待たなむ

 翌朝、如月親子はかるたの試合が行われる大広間のすぐ外のホールにいた。

「捜査の進展もないまま、これ以上選手たちを拘束するわけにもいくまい。吉野小夜の死は自殺ということで、大会は続行。主催者も今日じゅうに残り試合を行うことで、話もまとまったらしい」

 警部が息子に説明した。

「吉野小夜がいないのはどうするの?」

「青葉ちゃんは、相手不在の不戦勝ということで、決勝に進出。決勝戦の残りの一枠を賭けて、三条さんと古久根さんの間で、準決勝戦が行われるそうだ」

「なるほど。結局、青葉に取ってはラッキーに作用したのか……」

「もうすぐ九時か。準決勝が始まるな」

 警部が腕時計に目をやった。恭助がふすまを開けて、ちらっと中をのぞき込むと、会場の観戦者の中に、すでに決勝進出が確定した瑠璃垣青葉の姿と、大倉いずみ、有馬風人、松山末広らの、準々決勝までに敗退した面々の姿が見えた。スーツ姿の壬生巡査部長も、腕組みをしながら、聴衆の後ろに立って、静かに状況を見守っていた。

「三条美由紀がいないみたいだね。まさか……」

 恭助が心配そうにつぶやいた。

「ははは――、縁起でもない」

 ところが、試合開始時刻になっても、一向に、三条美由紀が姿を現す気配はなかった。関係者がそわそわしながら、

「どなたか。三条クイーンを呼んできてくれませんか」

と声を上げると、誰とはいわないが、大倉いずみに多くの視線が集中した。同じ大学の選手なのだから、呼びに行って来いよという、なに気ない視線であった。

 大倉いずみはビクっと肩を震わせた。昨日の吉野小夜を呼びに行った時の嫌な記憶が、思い起こされたのかもしれない。

「私が行きましょうか?」

といったのは、対戦相手の古久根麻祐だったが、

「古久根さんはここにいてください。それでは僕が行ってきましょう」

 そういって立ち上がったのが、有馬風人だった。彼は仲間の松山に声を掛けると、二人で小走りに二階にある三条美由紀の部屋へと向かっていった。

 しばらくすると、有馬がうつろな表情で如月警部の前までやってきた。

「警部さん。三条さんの部屋にいって外から呼んでみたのですが、中から鍵が掛かっていて、反応が全くありません。どうしましょうか?」

 如月警部は、会場いる壬生巡査部長を呼び出して、恭助と三人で三条の部屋に向かった。そこでは松山が戸口にたたずんでいて、警部たちを見つけると目で挨拶をした。警部が礼をいって、松山を引き下がらせた。

 ドアに鍵が掛かっていることを確認すると、警部はフロントから従業員を呼び出して、合鍵で部屋を開けさせた。中に踏み込んだ三人が目にしたものは、部屋の中央でうつぶせに倒れている三条美由紀の姿であった。背中に大きなナイフのようなものを突き立てられて、血が垂れていた。すでに事切れているのは明白であった。


「鑑識だ! 鑑識を呼んできてくれ。それから、競技会場にいる全員を、しばらく部屋から外に出さないように、監視させておいてくれ」

 壬生巡査部長が外にとび出して、巡査に指示を出した。

 恭助は窓を確認したが、やはり、三日月クレセント錠はしっかりと降ろされていた。この部屋も完全な密室であった――。

「吉野の現場は一階だったから、窓から逃げることもできなくはないけど、ここは二階だからなあ……」

 そうつぶやくと、恭助は、一応確認のために、窓を閉じたまま外をのぞいてみた。三条の部屋の窓の外は、ベランダもなく、足場はなにもなかった。

「なんてことだ! ここは吉野小夜の部屋のちょうど真上に当たる場所じゃないか? 単なる偶然かな……」

 思わぬ発見に、恭助は声を張り上げた。

「今度はさすがに自殺ではあり得ないな。明らかに他殺だ!」

と、遺体の背中に刺さったナイフをじっと見つめながら、警部が悔しそうにつぶやいた。

 部屋は和室になっていて、奇妙なことに、畳の上には、吉野小夜の部屋と同じように、百人一首の字札がくしゃくしゃに散乱していた。

 部屋の奥に布団とテーブルがよけてあって、そのテーブルの上にある箱には、絵札がきちんと収められている。手前の畳の上に散らばっている字札は、窓側に向けて陣形が張られていた。陣形は片方だけしかなく、その枚数を数えてみると、全部で十五枚が並べられていた。陣形の右側には、上段から下段に順番に、二枚、三枚、三枚の札が置かれ、左側には一枚、二枚、四枚と置かれていた。残りの字札は、すべて表向きにされたまま、三つの山に分かれて陣形の傍に置いてあるのだが、そのうちの二つが崩された状態になっていた。明らかに、三条が山札の中からなにかの札を探していた様子がうかがえる。

「三条美由紀は翌日の競技の準備をしていた。この陣形は素振り練習のために並べられたのだろう。残りの札は山にしてまとめておいただけか……。

 はっ、お父さん!」

「なんだ、恭助?」

「三条美由紀が、右手にかるたの札を握りしめているよ!」


「恭助、今は触ってはいかん。鑑識が来るまでしばらく放置しておけ!」

 三条が握っている札を取ろうとした恭助を、警部がたしなめた。

 やがて、壬生巡査部長がたくさんの人を引き連れてきた。現場は、写真を写す者と指紋を採取する者などで、ごった返している。

 いよいよ、三条が握っている札の確認作業となった。札はしっかりと握りしめられていて、簡単には取り出せなかった。

「死後硬直が始まっていますね。このかるたは、少なくとも被害者本人が握りしめてから十時間以上は経過しています。もう少し調べてみなければはっきりわかりませんが、おそらく、死亡時刻は十二時間から十三時間前ですね」

 鑑識官が如月警部に説明した。

「ということは、昨晩の九時前後に殺されたということか? そして、札を握りしめたのもその時だと……」

「そうですね。指先の死後硬直は、通常は死後十時間を経過すると現れます。吉野小夜の場合は、死亡推定時刻が零時でしたから、翌朝九時の発見時には、明確な死後硬直が見られませんでしたが、今回の三条美由紀の場合は、死亡推定時刻が九時前後ということで、十分に時間が経過しているため、死後硬直が指先にもはっきり表れています」

「よくわかったから、とにかくその札を取り出してみてくれ」

と、警部が促した。

「指紋はやはり期待できないでしょうね」

 そういいながら、鑑識官は注意深く三条の手から札を取り出した。

 壬生と如月親子の三人が、一斉にのぞき込んだその札には、

 『いまひとたひの みゆきまたなむ』、

という十四文字の平仮名が書かれていた。


貞信公ていしんこうが詠んだ歌だ!」

 札をのぞき込んだ恭助が絶叫した。


 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば

  今ひとたびの みゆき待たなむ


「即死か?」

 警部が確認を促した。

「いえ、おそらく刺されてから少しの時間があったと思われます。瀕死の状態で、山にされた文字札の中から、ようやく犯人を示すこの札を選び出したところで、事切れたのでしょうね」

「だとすると、これもダイイングメッセージということか? この札に犯人の名前を示す手掛かりが……」

 警部が顔をのり出した。

「しかし、この中に書かれている名前といえば……、その……。

みゆき――ですか?」

 壬生が首を傾げた。

「それでは、犯人が本人ということに、つまりは、自殺になってしまうな」

 警部が発したその一言に反応して、恭助が皮肉を籠めていった。

「自らの背中にこのナイフを突き刺すトリックがあったら、ぜひ教えてもらいたいものだね」

 恭助は、三条美由紀が握りしめていた字札を手に取って、凝視した。その字札には、平仮名が、三列に分けられて、次のように書かれていた。


 いまひとた

 ひのみゆき

 またなむ


「この札の謎は、俺が必ず解いてやる……」

 そういって、恭助は右の拳をぐっと握りしめた。


 如月警部と壬生巡査部長との話し合いで、容疑者とならざるを得ない大倉いずみ、瑠璃垣青葉、古久根麻祐、有馬風人、松山末広の五人については、直ちに昨夜のアリバイを確認するための取り調べを行う手配がなされた。さらに、すでに帰宅している藤原義孝と淡路陶磨についても、帰宅先で事情を確認するように地元警察への依頼が発信された。

 大倉いずみと有馬風人、松山末広の三人の取り調べは、如月警部が行い、恭助も同行した。瑠璃垣青葉と古久根麻祐の取り調べは、壬生巡査部長が行った。それぞれの取り調べでは、三条美由紀が死んでいる事実はあからさまにせず、ただ昨夜の九時におのおのがなにをしていたのかと、さらに、二、三の質問を訊ねるくらいで、簡潔に済まされた。

 その後、如月親子と壬生巡査部長は、再び顔をそろえて事態を話し合った。

「三条美由紀殺害の凶器となった大きなナイフですが、この館内に飾られている模造刀レプリカであることがわかりました。ガーランド・バイヨネットという西洋の銃剣です。最近はひそかな歴史ブームだそうで、さらに、この近くに刃物産業で有名な関市があることもあって、館内にはその種の展示物が数点飾られているそうです。たいていは、長刀であって、刃面が安全面を考慮して丸められてあるので、殺傷能力はないといわれていますけど、三条美由紀が刺された模造刀レプリカは短刀でありまして、刃面自体は丸められてあるのですが、刃の先端が尖っており、突かれて使用されると十分に武器となってしまいます」

 壬生が状況を報告した。

「はっ、危険な凶器が、廊下のそこらじゅうにごろごろ放置されているわけだ。野蛮だな……」

と、恭助がぼやいた。

「それで、その短刀が置いてあった場所は?」

 警部が訊ねた。

「それが、三条美由紀の部屋のすぐ近くの廊下の壁だったそうです。子供でも手が届く高さに、ケースに入れられることもなく、普通に展示されていたみたいですね」

「その場にいる者なら、誰でも簡単に手にすることができるというわけだ。それで、指紋は?」

「はい、それが、その短刀の握りには細かな凹凸が施されていて、ここでもはっきりとした指紋は検出されませんでした」

 拳を握りしめた壬生が、悔しそうな表情で答えた。

「事件のあった頃、この部屋の近くにいた者は?」

「それがですね。昨日の大会の順延に加えて、警察の関与ということもありまして、ホテル側が予約客をいくらか断ったらしく、ちょうど三条美由紀の部屋がある二階の一番奥の区画が、宿泊客が昨日に限って奇跡的にいなくなっていたらしいのです。他の選手たちが宿泊する部屋の周りは、外部客も多少はいたみたいですがね」

「三条美由紀を殺したいと思っている人物にとっては、まさに絶好の機会だったわけだ」

「昨日の各人のアリバイを確認しておきましょう」

と、壬生巡査部長が提案すると、如月警部が口を切った。

「まず大倉いずみだが、昨日は食事の後は部屋に引き籠もっていたらしく、アリバイはない。それから、有馬風人、松山末広の二人も、昨夜は大人しく自分たちの部屋にそれぞれいたそうだ」

 続いて、壬生が報告をした。

「古久根麻祐と瑠璃垣青葉ですが、二人でいっしょにロビー付近で駄話に更けていたと、それぞれが別々に証言しています。時刻は、食後から十時頃までといっていますから、これが本当なら、アリバイが成立ということになります」

「それ以外の人間で、二人を目撃した者は?」

 警部が確認を入れた。

「はい、ロビーの従業員が、たしかにふたりがずっとしゃべっているのを見たと証言しています」

「でも、ずっと見ていたわけじゃないだろう?」

「まあ、そうですね」

「二人はそろって、ずっと四六時中いっしょにいたと証言しているのかい?」

「いえ、たまに片方がジュースを買いに行ったり、トイレに行ったり、物を取りに部屋に戻ったり、といったことがあったそうです」

「だったら、全然アリバイになってはいないよ。部屋に物を取りに行ったついでに、三条美由紀を殺すことができるのだから」

「まあ、そういうことになりますね」

 壬生は警部の主張を認めた。

「藤原義孝は?」

「地元の警察の話によると、彼は昨日の夕刻に東京のアパートに帰宅したそうです」

「どうして帰宅したのさ? 昨日だって決勝を見るためにここに留まっていたんだろう」

と、恭助が口を尖らせた。

「はい。ただ、今日になって用事がある、ということらしいのです。詳細はわかりません」

「一応、アリバイは成立ということ?」

 恭助が訊ねると、

「いいや、昨日の夕刻の時点でここを発ったというのは、あくまでも本人の主張に過ぎないし、実際に昨日の九時に彼が東京にいたのを目撃したという証言はないんだろう? ここで三条美由紀を殺してから電車で帰っても、その日のうちに東京に帰ることは十分に可能だぞ」

と、如月警部が反論した。

「そういってしまえば、それまでですね」

 壬生が口元をゆるませた。

「さらに、淡路陶磨ですが、彼ははなから準決勝以降を観戦する気はなかったらしく、昨日の朝から早々に、東京に帰宅しています。そして昨日の昼過ぎには、バイト先に顔を出しています。そして、五時に仕事を切り上げて家に帰ったそうです。その後の行動については、供述もあいまいで、はっきりしていません。でも、現時点で東京にいることは、確認が取れています」

「たとえ五時に東京にいたとしても、九時にここにやってくることは可能だ。淡路陶磨の昨日のアリバイも、成立はしていないな」

と、恭助がいった。

「ということは、昨日の三条美由紀が殺された時、容疑者全員に確固たるアリバイはないということか……。吉野小夜が死んだ時には、藤原義孝たちのカラオケ四人組にアリバイがあったわけだが」

 警部が独り言をつぶやいた。

「その藤原義孝のアリバイの件なのですが……」

 壬生がなにやら意味ありげに切り出した。

「どうした?」

「はい、各務原市のカラオケ店で四人が歌っていたということでしたが、店内の防犯カメラに映った個室の映像を確認したところ、そこにいたのは、確かに彼らの証言通り、藤原義孝に有馬風人、淡路陶磨、松山末広の四人でした」

「つまり、吉野小夜の事件に関して、四人には完璧なアリバイがある、ということだったな」

「ところがですね、防犯カメラの映像をさらに詳しく調べると、一つ奇妙な点がありまして……」

「なんだ、それは?」

「藤原義孝が、途中で長時間、部屋を抜け出しているのです。それも、吉野小夜の死亡推定時刻とぴったり一致する、十一時五十一分から零時二十八分までの三十七分間だったんですよ」

「ずいぶん正確に時刻がわかるんだね」

 警部が驚いた仕草を見せた。

「はい。映像には時刻まで正確に記録されていますから」

「なんで、部屋を抜け出したのかな」

 恭助が腕組みをしながら訊ねた。

「仲間の話では、腹の調子が良くなかったからトイレに入ったが、しばらく籠っていたら治った、と藤原がいったそうです」

「ここからそのカラオケ店までの距離は?」

 警部が確認を促した。

「四キロ弱ですね」

「三十七分間で往復して、吉野小夜を殺すことは可能か?」

「徒歩や自転車ではまず無理でしょう。車を使っても……、そうですねえ。なんともいえませんね」

「単純に往復するだけならぎり可能だけど、殺人を犯して、なおかつ密室を構成してから戻るとなると、まあ厳しいよね。仮に、こっちにやって来られたとしても、獲物の吉野小夜がどこにいるかを探している間に、せいぜいタイムアップだな」

 恭助が、現状の手掛かりから導かれる推論を要約した。

「ということは、依然として、吉野事件の藤原義孝のアリバイは成立ということでよろしいですかね」

 渋々ながらも、壬生が結論づけた。

「まあ、そうだな」

と、警部も同意した。

「――それ以外の三人は、途中でカラオケ部屋から抜け出してはいないのか?」

「時おり抜けてもトイレの程度で、いずれも五分とかかってはいません。長いのは藤原義孝の三十七分間だけですね」

「藤原義孝たちの吉野事件でのアリバイが成立するとなると、残る容疑者は、大倉いずみ、瑠璃垣青葉、古久根麻祐の三人に絞られる。

そして、この三人にはともに決定的な動機の持ち主がいないから、最終的には、二つのダイイングメッセージを、それぞれ解き明かさなければ真相はわからない、ということになるな。

 とどのつまりは、二枚の百人一首の札が、真相解明の鍵を握っている、ということか……」

 警部が自らにいい聞かせるようにつぶやいた。

「吉野小夜が握っていた字札が、

 『なかくもかなと おもひけるかな』

で、三条美由紀が握っていた字札が、

 『いまひとたひの みゆきまたなむ』

ですか――」

 壬生が二枚の札に書かれた和歌を復唱した。

「その二枚から、本当に犯人の姿が浮かび上がるのだろうか?」

「どう考えても、吉野小夜の札は藤原義孝を指し、三条美由紀の札は美由紀自身を指しているようにしか、思えませんよねえ」

 警部と壬生のやり取りを耳にしながら、恭助は部屋の隅っこで頭を抱え込んだ。

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