13.雲のいずくに、月宿るらむ
藤原義孝は長身で目鼻立ちが整った美青年であった。栗毛色に染めたミュージシャンのような長髪も、かえって違和感のない自然な印象を受ける。
「なにか事件があったようですね。これは取り調べですか?」
屈託のない様子で、藤原の方から切り出してきた。
「ご存知ですかね。昨晩、吉野小夜選手が彼女の部屋の中で遺体となって発見されました」
「ああ、陶磨から聞きましたよ。刑事さんがさっき尋問していたんでしょう?」
「それなら細かい説明はいりませんね。昨晩のあなたの行動を説明してください」
「アリバイ確認ね――。昨日は各務原のカラオケ屋に行っていました。三時に帰ってきたけど、これではアリバイになっていませんかねえ?」
「別にこれはアリバイの調査というわけではありません」
壬生はさらっと流した。
「ふーん」
藤原は品定めをするように壬生の顔を見つめた。
「吉野小夜さんとの面識は?」
「全然……。彼女、一年生なんだよね?
知っている理由がありませんね」
「でも、たしか、あなたは吉野さんと今大会で対戦されていましたね」
この壬生の一言に、藤原の表情がかすかに引きつった。
「ふっ、面白くないことを思い出させてくれるぜ。たしかに彼女とはベスト四を賭けて対戦して、めっちゃ大差で負けちまったよ。
ちぇっ、十四枚差だぜ。あり得ねーよ!」
藤原の言葉遣いは、徐々に子供っぽくなっていった。
「そうですか、あなたも相当の腕前であると伺っておりますが、それほどのあなたが、いったいなんで負けてしまったのでしょうね?」
それを聞いた途端、藤原は憎々しげに壬生をキッと睨み付けたが、すぐにまた、物柔らかな顔付きに戻った。
「あいつの腕はとにかく変な動きをするんだ。鞭のようにしなって、こっちが取ろうとした手の下に平気で潜り込んでくる。こっちがほぼ手中にしたと思った札を、一瞬で抜き去ってしまうんだ。あれは異常だったな」
「手の動きが優れていると……」
「あんまり頭に来たから、試合の終盤、無理やり巻き入れてきた指を押さえつけて、逆に捻ってやったよ。そしたらその後、少しは痛そうにしていたみたいだった。捻挫でもしたんじゃないかな。全くいい気味だったよ」
藤原は悪魔のような笑みを浮かべた。壬生は、それは反則行為ではないのですか、と問いただしたくなったが、そんなことを訊いたところで、どうせ煙に巻かれるだけであろうと判断して、やめておいた。
「そうですか。今大会に参加している他の女子選手たちとの面識は――。例えば、三条美由紀さん、大倉いずみさん、瑠璃垣青葉さん、古久根麻祐さんたちとの」
藤原義孝があくびをした。
「三条は、クイーンだし同級生でもあるから、ときどき話はしているよ。お互いによく知っている。でも、大倉って、三条にいつもくっついている暗い感じの子だよね。彼女は全く知らないなあ。
瑠璃垣とは、これまでに二回対戦しているから、言葉を交わすくらいのことはあった。でも、そんなに親しくはしていないよ。なにしろ、こっちが話しかけても、全然乗って来ないっていうか、お高く留まっていて、興味を示す仕草が見られないからね。
あとは誰だっけ?」
「古久根麻祐さんです」
「その古久根って子も、最近になって出てきた新人だから、どういう子かよくは知らないな。でも、いずみに勝ったくらいだから、まあ、実力もそこそこってことだよね?」
と、逆に藤原の方から、壬生に質問が返された。壬生は、挑発に乗らずに、話題を変えた。
「昨日はどうしてカラオケに行かれたのですか?」
「あれだけこてんぱんに負けてしまうと、憂さ晴らしに歌でも歌いたくなるものだよ。だから、陶磨と、奴の知り合いの、立命館の松山と有馬って後輩を連れて、最初は隣町の、かかみはら、とかいったっけ――、その町まで、電車で出向いてから、駅前の居酒屋に入って、まずそこで飲んでいたんだ。その後、ぶらぶら歩いていると、カラオケ屋がたまたま見つかったから、入っていったのさ。
二時間でやめるつもりだったけど、結構盛り上がってね。四時間も歌って、気が付いたら、時刻は二時を過ぎていたんだ。最終電車なんかとっくになくなっていて、仕方がないから、タクシーを呼んで帰ってきたんだよ」
「『有明の月を 待ち出でつるかな』、とでもいったところでしたかね」
「へえ、刑事さん、意外だな。よく知っているじゃん?」
壬生がさりげなく発した和歌の下の句に、藤原は感心していた。
藤原義孝が部屋を去ると、恭助がぼやいた。
「適当な奴だな。全ての言動が行き当たりばったりだ」
「そうですね。外見の好感度が高い青年だから、女の子たちからはモテそうですけどね。
ただ、しゃべらせると、他人に対する気遣いがいいかげんで、軽薄なプレイボーイという印象も受けます。まあ、あくまでも私個人の主観ですけどね」
と、壬生も恭助に同意した。
すると、一人の巡査が慌てた様子で部屋に入ってきて、壬生に一礼をすると、したためていた封書を手渡した。
「ああ、今、鑑識の結果が来ましたよ」
と、壬生が警部と恭助にいった。
「吉野小夜の死因は鋭利な刃物による左胸部損傷のための出血性ショック死。凶器と見られる小型のペティナイフは、遺体に突き刺さったままで発見された。凶器からは、吉野小夜本人の指紋だけが検出された。死亡推定時刻は、昨夜十一時半から零時半までの一時間であると断定できる。
遺体の右手にはかるたの字札が握られていたが、カードの表面が毛羽立っているために、指紋は鮮明なものが検出できず。その他の場所からも、本人以外で最近付着したと思われる指紋は検出されていない。
カードが本人の意思で握られたものであるかどうかについては、必ずしも断定することはできない。なぜなら、指先の死後硬直が始まるのが、一般に死後十時間を経過しないと起こらないため、死亡推定時刻の零時前後から午前九時に発見されるまでの間ならいつでも、第三者が遺体に札を握らせることが十分に可能であるからだ、とあります」
「なるほどね……」
と、恭助が頷いた。
「その凶器の果物ナイフは吉野小夜の所持品で間違いないのだな」
「はい、それは確認してあります」
「しかし、なんでまたこんな物騒な刃物を、ここに持ち込んだんだろうね? この子は……」
警部が吉野を憐れむようにつぶやいた。
「それなら説明ができますよ――」
と、壬生が切り出した。
「吉野小夜の部屋のくずかごから、丸められた包装紙とレシートが見つかりました。彼女はこのナイフを、今回の旅行中に購入したのです。ほら、このすぐ近くには、刃物産業の町として世界的にも有名な関市があるでしょう。吉野はそこに立ち寄って買い物をしてきたらしいのです」
「知ってるよ。関市は、世界三大刃物工業都市の一つだよね? あとの二つは、ドイツのゾーリンゲンとイギリスのシェフィールドだったかな?」
と、恭助が嬉しそうにうんちくを披露した。
「それにしてもなあ。女の子なんだから、服とかアクセサリーとかを買うならまだしも、ナイフなんか買ってもしょうがないだろう?」
「お父さん、わかっていないなあ。物にこだわると究極の品物が欲しくなるものさ。大会会場が関市の近くとくれば、マニアにとっては、いてもたってもいられなくなるものだよ」
「吉野小夜は実際に果物が好きだったようで、冷蔵庫には桃が冷やしてありましたよ。大会の期間中に食べるつもりでいたのでしょう」
「しかし、そのナイフで命を落としてしまった。可哀そうに……」
警部は自分の身内であるかのように、吉野小夜を憐れんだ。
「それでは、今大会で勝ち残っている三人の娘さんたちの尋問も、始めますか」
なに気ない口調で、壬生巡査部長がつぶやいた。
「おお、そうだな。順番に呼んできてくれ」
と、警部も追随した。
「ええっ? 容疑者は藤原義孝だけじゃないの?」
と、それを聞いた恭助の顔が、一変して蒼ざめた。
「別に疑っているわけではありませんが、大会の優勝を目指している選手には、有力なライバルを亡きものとしたい動機が生じる可能性もありますしね」
壬生がさりげなく答えた。
「まさか、ばかばかしい。たかがかるたじゃないか?」
「でも、恭助。選手はみんな真剣だから、ひょっとしたら、ということもあるぞ。まあ、今のうちに話を聞いておくのは悪くもなかろう」
警部の言葉を確認して、壬生が部屋の外にいる部下に命じた。
「それでは、三条美由紀からここに呼んできてくれ」
三条美由紀は目の吊り上ったプライドが高そうなお嬢さまだった。美人といっても差し支えない容姿を持ってはいるが、上から目線のような威圧感も同時にかもし出していて、少なくとも可愛らしいという形容詞は、彼女にはしっくりと当てはまらなかった。
「三条美由紀さんですね。どうぞこちらに」
三条美由紀は黙って部屋に入ってきて、指示をされないうちから、椅子にドカッと腰を下ろした。
「京都大学の学生さんですね」
壬生は、作り笑いをしながら、話しかけた。
「四年生よ。これって尋問かしら? 瑠璃垣さんの対戦相手が死んじゃったらしいじゃないの? でも、やったのは私じゃなくてよ」
「まあまあ、まだなにも説明してはおりません。いったいどこでそのような噂を聞いてきたのですか?」
「ふん。そこらじゅうで流れているわ。おかげで大会が中断されちゃって、私たちはいつまでここで拘束されし続けなければならないのかしらね」
「ええと、吉野小夜さんが亡くなった原因は、他殺かどうかの断定すら必ずしもできかねない状況なのです。とにかく我々としてはあらゆる可能性を想定いたしまして、ここにみえる関係者全員から、昨日の行動を形式的に確認させてもらっていると、こういうわけなんです」
「つまりのところは、アリバイ調査というわけよね」
「いや、そのようなつもりではないのですが……」
壬生が素っ気なく返答した。
「いいわよ。昨晩の私はね、アリバイなんて、はっきりいうと、ないわ。
だいたい、こんな時って、ある方が逆に不自然よね」
すました様子で、三条は髪を撫でた。
「昨日は食事を済ませてから、今日の試合のために、早々に部屋に引き籠もったのよ。時間は八時くらいだったかしら。あとは、部屋の中にいて、誰とも会っていないわ。
今朝は七時に起きて、シャワーを浴びてから食堂に行って少し食べたけど、その後は部屋に戻って、試合開始の十五分前になってから会場に出向いたわ」
「そうですか。あの、亡くなった吉野小夜さんとの面識は?」
「なんにも……。だって無名の子でしょ? 今大会で初めて競技に参加したんじゃないかしら?
向こうが私のことを知っていたとしも、私があの子を知っているはずはないでしょう?」
「なるほど。それでは、他の選手との面識はいかがですか? 例えば、吉野小夜さんと準決勝で対戦するはずだった瑠璃垣青葉さんなんかは?」
「瑠璃垣さんを知らないわけないじゃない。氷のように無表情で、この上なく目障りな女よね」
三条の言葉を黙って聞いていた恭助が、思わず吹きだした。
「氷のような女か……。さもありなん。ああ、なんでもないよ。続けてくれ」
「それでは、あなたの準決勝戦での対戦相手となった古久根さんについてはいかがですか?」
壬生巡査部長が、三条に質問を続けた。
「さあ……。こぐねまい、とかいったっけ? いずみに勝ったくらいだから、そこそこの実力はありそうね。
一応、どんな選手なのかを、いずみから訊いておいたけど、たぶん私の敵という存在までには達しないわ」
「いずみ、とは、大倉いずみさんのことですね」
「そうよ。彼女はサークルの後輩なの。今大会もいっしょにエントリーしているわ。
でも、まさか昨日で負けてしまうなんて……。結局、あの子もまだまだってことよね」
小馬鹿にした含み笑いを、三条は口もとに浮かべた。
「そうなると、三条美由紀さんのライバルって、いったい誰なんでしょうねえ?」
「あえて挙げろといわれれば、瑠璃垣さんと藤原君くらいかしら」
「吉野小夜さんはライバルではないのですか?」
「別に……。だって、全く知らない子なのよ!」
三条がいらだつ表情をした。
「でも、今あなたが挙げられたライバルの片割れである藤原義孝君は、昨日の準々決勝で吉野小夜さんに圧倒的な差で敗れてしまったそうですよ」
「ああ、そうみたいね。でも、それだけで評価はできないわ。まぐれってこともあるし。
勝負なんて、ひとたび流れができてしまえば、思わぬ差が付いてしまうことも往々にしてあるわ。
次の瑠璃垣さんに勝つようなことがあれば、その時は一目置いてあげてもいいけど、たぶんそこまではいかないでしょうね。
――ああ、死んじゃったんだから、それも無理よね」
三条美由紀は、呆れたという仕草で、両手を天井に向けて広げながら、首を傾げた。
「ということは、あなたはこの大会で優勝するつもりでいるけれども、吉野小夜さんや古久根麻祐さんは、眼中になかったということですね」
「そう取ってもらってかまわないわよ」
「わかりました。ご協力ありがとうございました」
「どういたしまして……」
そういうと、三条美由紀は髪を一撫でして立ち上がると、さっさと部屋から出ていった。
「まさに女王様だね」
三条が扉を閉めた後、恭助がペロッと舌を出した。
次に入ってきたのは瑠璃垣青葉だった。彼女は、部屋の中に如月親子がいるのを確認すると、一瞬、眉が吊り上ったが、さすがに顔色にまでは出さなかった。
「瑠璃垣青葉さん、名古屋大学の三年生の学生さんですね」
「はい」
透き通るような美しい声で、青葉が返事をした。背が高めのほっそりした女性で、長い後ろ髪を一つに束ねて留めている。背筋が自然に真っ直ぐ伸びていて、ジャージ姿ながらも上品な印象を受ける。赤い眼鏡の下にある目鼻立ちは、きりっと整っていて、いかにも美人といった面もちだ、いや、この子は紛れもなく稀にしかお目にかかれない絶品の美少女だ、と壬生は瑠璃垣青葉に対する第一印象を抱いた。
「さっそくですが、昨晩の行動を伺いたいのですが」
いくぶん緊張気味な声音で、壬生巡査部長が切り出した。
「なぜ、私に……?」
と、青葉が返すと、壬生は急に顔を赤くして、しどろもどろになってしまった。
「ええと、どうしてかと申しますと……。その、ですね……」
「青葉ちゃん、実は、女の子が一人昨晩に亡くなっていてね、そのために宿泊客に形式上の質問をしているんだよ」
如月警部がやさしくなだめた。
「知っています。準決勝戦で私の対戦相手となる吉野さんですよね。なんでも百人一首の札を一枚握りしめていたとか……。さっき、恭ちゃんから聞きましたから」
青葉がさらっと流した言葉に、如月警部と壬生巡査部長が驚いて、いっせいに恭助を睨み付けた。それに気付いた恭助は、ばつが悪くなって顔を伏せた。
「瑠璃垣さんと、警部や恭助君は、そのお――、お知り合いなのですか?」
壬生が明らかに動揺しているのが、その表情からもはっきりと見てとれた。
「つまりは、そういうこと――、なんだ。ははは……」
恭助が表情を少しだけ緩めた。
「じゃあ、青葉ちゃん、昨日の夜にどうしていたのか、話してくれないかなあ」
と、如月警部が青葉に優しい口調で訊ねた。
「はい、わかりました。
昨日は七時過ぎに食事をいただいて、しばらくそこでうつらうつらしていました。昨日の試合は六時半まで掛かってしまったから、私、少し疲れていたのかもしれません」
「昨日の試合結果は私も確認させていただきましたけど、数字を見る限りでは、瑠璃垣さんは比較的楽に勝ち続けられたように思いましたけどね」
と、壬生が口を挟んだ。
「私、体力面に自信がないから、連戦になるといつも終盤で息切れしてしまうのです」
「そうですか。ところで、食事はこの館の食堂でお取りになりましたよね」
「はい」
「その時に、三条美由紀さんや他の選手は姿を現しましたか?」
「ああ、そうですね。三条さんと大倉さんがいっしょにいたし、古久根麻祐ちゃんも食事に来ましたよ。それから、三条さんと準々決勝で戦った淡路君と、私と戦った有馬君も、二人ともいたような気がする……」
「青葉さんはお一人でしたか?」
「そうですね。三条さんと大倉さんを除けば、ほとんどの人は一人で食べていました。もう準々決勝でしたから、敗退した選手はたいてい帰ってしまうし、一日中競技をしていて、みんな疲れ切っていますからね」
「その場に、藤原義孝君はいませんでしたか?」
「いませんでした。藤原先輩と、吉野さんの姿はありませんでした」
「瑠璃垣さんが食堂を出られたのはいつでした」
「八時半頃です」
「その時、食堂に残っていた人は?」
「私だけです。他には誰もいませんでした。私、テーブルにうつ伏せて眠り込んじゃったみたいで、食堂の従業員の方々も気をつかって起こさないでいてくれたようです。本当にご迷惑を掛けてしまいましたわ」
「そして、その後はどうなされましたか?」
「はい。急いで大浴場に行って、それから部屋に戻りました。戻った時間は、十時少し前だったような気がします」
ということはかれこれ一時間以上も風呂にいたことになる。かるた取りではあんなに素早い動きができても、所詮は、のんびり青葉、だな、と口には出さずに心の中で、恭助はつぶやいた。
「そのままぐっすり寝込んでしまって、朝、目を覚ましたのが八時二十分だったから大慌てで仕度を済ませて、大広間に行きました。着いたのは試合開始の十分前でしたから、本当に危なかったですね」
「ははは、青葉ちゃんでも慌てることがあるんだね」
と如月警部が笑い出した。
「もちろん、そんなこと茶飯事ですよ」
と、青葉が軽く弁解した。
「事情はわかりました。それでは、瑠璃垣さんがライバル選手をどう思われているのかも、ついでにお伺いしたいのですが。まずは、三条美由紀さんの印象はいかがですか」
「とても強い人です。かるたも強いけど、人間もしっかりしている先輩ですね。見習いたいところが沢山ある人です」
「そうですか。では、大倉いずみさんについてはいかがですか?」
「大倉さんは同級生のライバルです。お互いにあまりしゃべらない方だから、会話したことがないのですけど、きっと素直でいい人だと思いますわ」
「古久根麻祐さんについては?」
「麻祐ちゃんはお友達ですよ。というか、実はお友達になったばかりなんです。
大会が中断されて、控室が同じだったから、少しおしゃべりをしたけど、明るくて面白い子だから、すぐに仲良くなりました。その後で、恭ちゃんが顔を出したのよね、私たちの控室に……」
この一言に、またも警部と巡査部長の冷ややかな視線が、恭助にずぶずぶと突き刺さった。
「そうですか。では、亡くなった吉野小夜さんの印象はいかがですか?」
「吉野さんはこの大会からエントリーした選手で、実力は全く未知の選手でした。でも、昨日の最終戦で、藤原先輩に大差で勝ったみたいで、私の印象は天才少女ってイメージがあります」
「もし、今朝予定通りに準決勝が行われていたら、あなたと対戦することになっていましたけど、勝算はありましたかね」
壬生が意地悪な質問をさり気なく出した。
「さあ、やってみなければ全然わかりませんわ。でも、私は勝負を楽しみにしていましたけどね」
「楽しみにしていた?」
「はい。だって、強い人と対戦できるなんて、楽しみじゃないですか?」
青葉がにっこりと微笑んだ。
「そうですか……」
返事をした壬生は、恥ずかしそうに下をうつむいてしまった。それを見た恭助が、あーあ、壬生ちゃん、また、あの笑顔にやられちまったな、と心の中でつぶやいた。
「それでは、藤原義孝君については、どのような印象を持たれていますか」
「とても強い選手ですね」
「それだけですか? その、男性としてかっこいい人だとか……」
「ええと、あまりそういう印象は、私は感じていないのですけど」
すまし顔の青葉に、後ろに控えていた恭助が不意打ちを仕掛けた。
「どうして藤原義孝のことになると、そんなにそっけないんだい。なんか毛嫌いしているみたいだよ」
恭助の嫌味に、青葉はキッとなった。
「そうね、そうかもしれない。藤原先輩って、その、女の子に対して軽率といったらいいのかな、そんな感じがするから」
「なんで?」
「いろんな子からそんな話を聞いているわ。実際に私だって……」
「なにかあったのか?」
「たいしたことじゃないけど。ちょっとお話しただけなのに、どんどん馴れ馴れしくなってきて、しまいには肩を抱き寄せられちゃったし……。初対面なのによ!
その後も、メールがしつこくて」
「アドレスを教えちゃったのか?」
「仕方がないじゃない。その時は、なりゆきで……」
「でも、初対面だろう?」
「まあ、そういうことね。とにかく口説き上手って感じがした」
「なるほどね。手あたり次第ってとこか……」
と、恭助は収穫に満足して引き下がった。
「でもそれ以上のことはなにもないわよ。私、そういう人は苦手だから」
まだ、青葉は弁解をしていた。それをなだめるように壬生が声を掛けた。
「そうですか。よくわかりましたよ」
どことなく安堵している様子の壬生巡査部長のつぶやき声を聞いて、恭助がほくそ笑んだ。どうやら壬生ちゃんも、いよいよ青葉の蜘蛛の糸に引っかかっちまったかな……。
「以上です。ご協力ありがとうございました」
壬生があいさつをすると、青葉はしとやかに一礼をした。長い黒髪が前に垂れ下がって細い胸元を覆い隠した。
取り調べ部屋を出て、廊下を歩いている青葉の背後から、如月警部にしては珍しい怒鳴り声が飛び込んできた。こんなに距離が離れているのに聞こえてしまうほどの大声だったので、青葉はびっくりして後ろを振り返った。意味こそよくは聞き取れなかったけれど、恭助が叱られていることだけは、なんとなく伝わってきた。
「恭助! お前、自分の立場がわかっているのか? 捜査上の秘密事項を一般市民にべらべらとしゃべりまくるなんて――」
「はい、本当に軽率でした。反省しております。取り返しのつかないことをしてしまいました。まことに申し訳ございませんでしたー」
と、恭助が床に土下座しながら平に謝っていた。いつものひょうひょうとした恭助らしさは、全く失せていた。壬生巡査部長自身もいいたいことはたくさんあったのだが、警部のあまりの剣幕に、まあこれで勘弁してやるかと、思わず納得してしまった。
「それでは、次は古久根麻祐を呼びますね」
巡査部長が、助け船を出すつもりで、警部に声を掛けた。
古久根麻祐は、ややふっくらした感じの、ショートヘアが似合う笑顔の愛らしい女の子であった。あまりおどおどした様子も見せず、奥に控えている恭助の姿を見つけると嬉しそうに会釈をした。
「古久根麻祐さんですね。北海道大学の学生で、現在は二年生ですか」
「はい、そうです」
古久根麻祐を見た男性の大抵は、まず胸元に目が向くであろう。小柄な身体でありながら、圧倒的なボリュームを誇る丸い膨らみが、ジャージを着ている上からもはっきりと判別できた。
「実は、選手の吉野小夜さんが、昨晩、お亡くなりになりました」
「はい、そちらに見える恭助さんから伺いました」
古久根の返事を聞いて、恭助は極まりが悪そうに顔を伏せた。
「でも、どうしてお亡くなりになったのですか?」
と、古久根は続けざまに質問してきた。
「状況からは、自殺と他殺の両方の可能性がありましてね。そこで、あくまでも形式上の質問に過ぎませんが、古久根さんの昨晩の行動をお聞かせいただきたいのです」
「昨日はお部屋の中でテレビを見ながら、ボーっとしてました」
「何時ごろのことですか?」
「はい。ええと、食事してお風呂にいったのが八時過ぎだったから、九時前にはとっくに部屋に戻っていたと思いますけど」
「部屋ではずっとお一人で?」
「はい」
「どなたかとお話とか、いっしょにいたりはしていませんか?」
「はい。誰とも話はしていません」
「食堂や風呂場で誰かを見かけませんでしたか」
「そうですねえ。食堂には、青葉先輩に、三条クイーンと大倉先輩がいましたね。他にもポツポツいたような気がしますけど、私の知らない人たちでした」
「吉野小夜さんはいませんでしたか?」
「吉野さんはいなかったと思います」
「そこでなにか気づかれたことはありませんでしたか?」
「青葉先輩に話しかけようかなと思ったんですけど、その時はかなり疲れているみたいだったから、声を掛けるのはやめておきました。まだ大会中ですしね。三条クイーンと大倉先輩の話し声は、席も割と近くだったので聞こえてきました。大倉先輩の声は小さいので途切れ途切れにしかわかりませんでしたが、三条クイーンの声は大きくて通る声なのではっきりと聞こえました。どうやら、私のことを噂していたみたいでした」
「具体的にどんな話でしたか」
「次の対戦相手である私のことを、クイーンが大倉先輩に確認しているようでした。私は昨日の最終戦で大倉先輩と戦ったので、その試合の内容をクイーンが掘り返しながら質問しているみたいでした。
でも、クイーンの口ぶりから察するに、クイーンは私のことを全然知らなかったみたいですね。それはちょっとショックでした」
「クイーンの口ぶり?」
後ろで大人しくしていた恭助がつぶやいた。
「クイーンは大倉先輩に向かって、『あなたを破った、ふるひさね、なんとかって子、どんな感じだった?』って訊ねていました。
あはは……。まあ、無理もないですけどね」
古久根麻祐は間が悪そうに視線を伏せた、
「やがて、大倉先輩が、私が近くで食事していることに気付いたから、少し気まずそうでしたけど、三条クイーンはそんな大倉先輩の様子にも無頓着で、私の弱点とかあったら、なんでもいいからいいなさい、とかべらべらとしゃべっていました」
「そうですか。風呂場では誰かいませんでしたか?」
と、壬生巡査部長が促した。
「はい。でも私が出る時に、青葉先輩が脱衣場にちょうど入ってきたから、声を掛けてみたら、食堂で寝込んじゃっていたみたい、なんていいながら先輩は笑っていました」
「その時になにか気づかれたことはありませんか?」
「そうですねえ。ええと、そうだ。青葉先輩の裸ってモデルのように細くて、白くて、きれいなんですよ。私、感心しちゃいました」
ここでそんなことをいうか、と古久根の返答に顔を赤くする壬生巡査部長を眺めて、恭助は笑いを堪えていた。
「亡くなった吉野小夜さんについて、なにか知っていることはないかな?」
と、今度は警部が訊ねた。
「昨日の第二試合の結果報告の時に、吉野さんはたまたま私の前にいたんです。その時、ちらっと見えたスコアがとても圧倒的な差だったので、すごいですね、と思わず声を掛けちゃたんですが、そしたら嬉しそうにその試合の内容をしゃべってくれました。私が口を挟む間もないくらい、堰を切ったようなすごい話しぶりでしたね」
「かるたの腕前の方は?」
「天才ってイメージがありますね。左利きの選手だから対戦相手がやりにくいのもありますけれど、それ以上に耳がいいのか、とにかく出だしの反応が普通の人よりずっと早いんです」
「三条さんや、瑠璃垣さん、藤原君もお強いそうですけど、彼らとは強さが違うのですか?」
「三条クイーンの強さはトータルで隙がないことと、ここ一番の集中力の高さですね。特に、相手の陣地にある相手の得意札を狙って取りにくるという、とても強気の攻撃型プレーヤーです。
青葉先輩の武器は、圧倒的な記憶力です。自陣も敵陣も全部の札の場所を頭に入れているだけではなく、読まれた札もすべて記憶していて、残り札の『決まり字』も全部正確に対処するから、すご過ぎます。絶対に間違わないんですよ。でも、体力面では少し課題があって、そこが唯一の付け入る隙である感じがします。
逆に、藤原先輩は男性ですから、とにかくパワーが違います。列に並んでいる札を一度に全部はじき飛ばすことができますからね。ただ、総合力となると、クイーンや青葉先輩にはちょっと及びませんね」
「あなたの強さはなんでしょうね?」
「私ですか――? そうですねえ。『た』と『な』で始まる札が得意ですよ。あっ、これは企業秘密なので、他の人には絶対にいわないでくださいね」
そういって、彼女は口元に人差し指を立てた。
「ありがとうございます。大変参考になりましたよ」
壬生がそういうと、古久根麻祐はにっこりと微笑んで、部屋から出ていった。