12.君がため、惜しかりざりし、命さえ
「それってダイイングメッセージってことですか?」
もともと丸い目をさらにまん丸くさせて、古久根が恭助ににじり寄った。
「その可能性があるってことだね」
「もしその札にダイイングメッセージとしての意味があるとすれば、そこに犯人が明示されているということ?」
赤縁眼鏡の下から覗き込むように、青葉も恭助を詰問した。
「だからさ、吉野小夜が他殺なのかどうかも、まだ決まってはいないんだってば!」
「きっとそうですよ。その札が犯人の名前を物語っているんですよ。間違いありません。なんだか、わくわくしてきました。
でもそうだとすると、犯人が義孝先輩になってしまいますよねえ。どうして義孝先輩が犯人なんですか?」
「そんなの、俺が聞きたいよ……」
「恭ちゃん、握っていたのは絵札なの、字札なの?」
「字札だ。
『なかくもかなとおもひけるかな』――と書いてあった」
「なるほどね。でも、ひょっとしたら、他に解釈があるかもしれないわよ。
きみがため
をしかりざりし
いのちさへ
ながくもかなと
おもひけるかな
という三十一文字の中に秘められた、別の人物の名前が……」
青葉がピンと人差し指を立てた。
「ダイイングメッセージってものは、得てして、暗号の謎解きみたいにはややこしくはならないんだ。虫の息である被害者が、とっさの状況下で、明確に犯人を示したいという意思を持って発する手掛かりなのだから、単純明快でなければおかしいのさ」
と、恭助が一般論を説いた。
「やっぱり他の人の名前なんて、なかなか浮かんでは来ないわねえ」
そういうと、青葉は再び塞ぎ込んだ。少しの間、誰もしゃべろうとはしなかったが、やがて、古久根が口を開いた。
「もしも吉野小夜さんが、被害者ではなくて犯人であったなら、
み吉野の 山の秋風 小夜更けて
ふるさと寒く 衣打つなり
参議雅経 (第九十四番)
(古の都である吉野の里は、山からの秋風が吹き下ろしながら寒々と夜が更けていく。そして、どこからか衣を打つ砧の音が聞こえてくるよ)
の絵札を被害者が握っているのが、まさに打ってつけですよねえ。
それから、もしも三条美由紀クイーンが犯人だったら、
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
貞信公 (第二十六番)
の字札がぴったりです」
「麻祐ちゃん。それはちょっと不謹慎よ!」
と、青葉が古久根を咎めた。
「ですから逆に見れば、三条クイーンは犯人ではない、という結論になっちゃいますかね」
古久根がペロッと舌を出した。すると、ずっと天井を見つめて口をつぐんでいた恭助が、思い立ったように、ガバッと立ち上がった。
「とにかく、こうしちゃいられない。百人一首講座もここまでだ。俺は、これからちょっとした用事を済ませてくるから、失敬するよ。
それから二人とも、しばらくの間、この部屋から絶対に出るんじゃないぞ!」
そういって、恭助は疾風のごとく部屋から駆け出して行った。それを見た青葉と古久根の二人は、ただ茫然とするしかなかった。
「恭助さん、血相変えちゃって、いったいどうしたんですかねえ」
「きっと取り調べに行くつもりよ。義孝先輩の――」
恭助が、捜査本部が置かれている113号室に駆け込んでくると、そこでは如月惣次郎警部と壬生忠泰巡査部長がなにやら密談をしていた。
「お父さん。このかるた大会には藤原義孝という名前の選手が参加しているんだ。これからそいつを取り調べよう」
恭助が肩でぜいぜい息を切らしながら訴えると、壬生が得意げにすくっと立ち上がった。
「なんだ、今頃気付かれたのですか。名探偵も今回はまだエンジンのかかりが遅いようですね。かれこれ一時間も前に、私はこの歌の詠み手が藤原義孝であることに気付き、関係者名簿の中からそれと同姓同名の選手を一人発見いたしましたよ」
必死な形相の恭助は、挑発的な壬生の発言には全く無頓着であった。
「それで、そいつの取り調べは……、もう終わっちゃったの?」
「運が良かったですね。ちょうどこれから行うところです」
壬生巡査部長はやれやれという表情で、両方の手の平を天に向けた。
「ただ、その友人仲間である有馬風人、淡路陶磨、松山末広の三人に関する取り調べは、たった今、終えてしまいましたがね」
「どこに行ってたんだ? お前も同席したいだろうと思ったから、しばらく探したんだぞ」
と、如月警部自身は、どちらかというと、恭助が戻って来たのをこころよく思っている様子であった。
「そうか、青葉のところに俺は二時間近くいたってことか……。まあ、そんなことはどうでもいいや。それで、友人とやらの供述で、なにかわかったの?」
恭助の質問に、警部が応じた。
「それが、藤原義孝をはじめとするその四人には、確固たるアリバイがあるんだ。
有馬、淡路、松山の三人の証言によれば、彼らは昨晩、隣町の各務原市にあるカラオケ店に行って、そこでずっと歌っていたそうだ。タクシーで帰ってきたのが、真夜中の三時を過ぎていたと、口裏を合わせたように三人が三人とも同じ供述をした。さらに、ロビー受け付けの深夜担当者も、たしかに三時過ぎになってから四人の学生が帰って来たと、はっきり証言をした。
カラオケ屋には今問い合わせているところだが、おそらく防犯カメラに、彼らが歌っている姿が残されていることだろう」
「吉野小夜の死亡推定時刻って、たしか零時前後だったよね」
「はい、ただ今鑑識が調べていますが、ほぼ間違いないでしょうね」
壬生が即答した。
「このユースホステルからその各務原のカラオケ店までは、どのくらいかかるのかな?」
「そうですね。そんなに遠くはないから、車で片道十五分程度といったところですかね。真夜中だと交通量も多くはないでしょうしね」
「往復で三十分か……。
藤原義孝とその三人との関係は?」
「藤原義孝と淡路陶磨の二人は東京大学の同じ競技かるたのサークルで、有馬風人と松山末広が立命館大学のかるたサークルに所属していますが、今大会は準々決勝までに全員が敗退してしまい、その共通点で意気投合して、憂さ晴らしに外に出かけよう、ということになったらしいのです。まあ、かるた仲間ということで、以前から面識はあったそうですがね。
四人ともかるたの実力はなかなかのもので、中でも藤原義孝は、昨年、準決勝まで勝ち上がり、優勝した三条美由紀に敗れたそうです。今年も優勝候補の一角でもありました。
ああ、どうやらやって来たみたいですね……」
壬生巡査部長の声が途切れた途端、ドアがさっと開かれて、一人の青年が入ってきた。