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太平洋の突風  作者: 鶴岡
6/24

一式戦艇・サンフランシスコ

 1942年5月。

 太平洋での戦局はやや日本有利という所で停滞していたが、英米を講和に持ち込むには決定打に欠けていた。

 そんな中、ニューギニア戦線でエンジントラブルで海上に着水していた一式戦艇に偶然通りがかった二式大艇が隣に着水、海上でエンジンの修理と二式大艇から一式戦艇への燃料補給をして共に所属基地まで無事帰還したという事案の報告が上がった。


 よくよく考えて見れば水上機への燃料補給は大抵岸に寄せた機体にする訳であるから、洋上で水上機同士の燃料補給も可能ではあろうとの事だったが、今の今まで実例も無く実験もしていなかった。

 だが洋上給油が出来るのであれば、二式大艇や潜水艦を洋上燃料補給拠点として利用しての長距離侵攻が可能ではないか?

 現にK作戦では潜水艦を洋上燃料補給拠点として、二式飛行艇でハワイを空爆したではないか。


 そう言った意見が多く上がり、試しに実験部隊を立ち上げて青森~シンガポール間6000kmを一式戦艇8機編隊で洋上給油しながらの往復飛行実験を行ってみた所、なんと出来てしまった。しかも脱落機ゼロ、搭乗員については2名が連続飛行による負荷で不調を訴えて交代したものの見事にやり遂げてしまった。

 そして青森~シンガポール間6000kmという数字だが、実はアッツ島~サンフランシスコ間が5200km程であるために設定されていた。


 つまり、


「サンフランシスコ空襲、可能では?」

「ドーリットル空襲の仕返しやろうぜ!」


 こうして決まったサンフランシスコ空襲作戦は、二式大艇や潜水艦による洋上給油拠点を飛び石に見立て「飛び石作戦」と命名された。

 このことにより、それまで決定打として有力候補であったミッドウェー攻略作戦は飛び石作戦の隠蔽のためのダミー作戦となり、飛び石という符号は表向きミッドウェー作戦で使う新型爆弾である反跳爆弾のこととされた。


 6月2日に作戦は決行され、長距離攻撃用に7.7mm機銃2門を降ろした一式戦艇二一型乙78機、油槽機に改造された二式大艇18機、先導機として零式水偵13機、合わせて109機に及ぶ大水上機部隊がアッツ島を飛び立ち、一路サンフランシスコに向けて東進を開始した。

 またこれに先立ち、水上機母艦に改造された潜水艦や偽装商船26隻が進撃路途上の補給地点に設定されたコディアック島とグレアム島、そしてサンフランシスコ沖で待機するために出撃していた。


 そして遠路遥々6月4日、サンフランシスコ沖100kmまで到達出来た一式戦艇74機は改造潜水艦から燃料補給を終え、日の出と共に離水し大挙としてサンフランシスコに襲い掛かった。

 これにはサンフランシスコの防衛を担っていた米軍も慌てただろう。なにしろ迎撃に上がってきたのはP-40が30機程のみであり、一式戦艇部隊と比べて機体性能も、機数も、またパイロットの質においても劣っていた。


 程なくしてP-40が30機による迎撃戦闘機隊は駆逐され、サンフランシスコの上空は一式戦艇によって完全に制圧された。

 そして残りの機銃弾を対空砲陣地や軍施設、港湾施設や造船ドックにばら撒いていって、やっと一式戦艇は西へと飛び去った。


 だが1時間後、沖合いの改造潜水艦での補給を済ませた一式戦艇が再び舞い戻ってきた。第二波攻撃である。

 今度は各機が30kg爆弾を4発吊り下げての、第一波で機銃掃射のみで僅かな損害しか与えられなかった目標への爆撃である。

 既にそれを阻止すべき米戦闘機は居らず、我が物顔で悠々と精密爆撃をしていく。


 さらにこれが終わるとまた改造潜水艦から補給を受け、補給が済んだ順に列を成して再々度サンフランシスコに殺到し、投弾と機銃掃射を終えるとまたしても列を成して改造潜水艦へと補給に戻るのであった。

 これが改造潜水艦に積み込まれた爆弾と燃料の有る限り徹底的に、延々と続いた。

 何しろ米軍主力は遥か彼方のミッドウェーである。今の内に米本土を徹底的に攻撃せずに何をするのだ。


 だがまあ、最後には攻撃目標を見つけることも難しくなり、遂には撤退する日没まで残存機63機による大編隊曲芸飛行を繰り返し、とある果敢な搭乗員数名に至ってはハンターズ・ポイント海軍造船所の脇に着水、修理中の駆逐艦の艦橋に据え付けられていた双眼鏡全てを盗んだ果てに、マストには帝国海軍の軍艦旗である旭日旗を掲揚して記念撮影をし、さらには造船所の正面ゲートには日章旗を掲揚してまたも記念撮影をする始末であった。


 こうして飛び石作戦、サンフランシスコ空襲は成功裏に終わった。その損害と戦果は以下の通りである。

○損害

・一式戦艇二一型乙23機全喪失(以下内訳)

-往復路途上での喪失9機

-被撃墜3機

-大破6機(全機を着水後に水没処分)

-小破4機(サンフランシスコ空襲後、帰還前に水没処分)

・零式水偵1機喪失(大破のため着水後に水没処分)

・偽装商船1隻被雷(不発弾)


○戦果

・P-40、34機撃墜

・A-28、4機地上撃破

・T-6、2機地上撃破

・C-47、3機地上撃破

・輸送船、29隻撃沈

・ゴールデンゲートブリッジ、桁の8割以上が崩落

・対空砲陣地、多数

・軍関連施設、多数

・港湾施設、多数

・記念写真、多数


 これら大戦果は国内外へ大々的に報じられ、また作戦参加機数については戦力欺瞞と海上補給での反復攻撃であることを偽装するため一式戦艇500機と大幅に嵩増しされた。


 また、ハンターズ・ポイント海軍造船所の正面ゲートで掲揚された日章旗と共に撮影された記念写真は各国新聞の一面を大きく飾り、いかにも「日本軍がサンフランシスコを占領した」という誤ったイメージを国内外に強く刻み付けた。


 これにより4月のドゥーリットル空襲以後、パッとしない戦況が続いていた情勢は一挙に変わっていくのであった。


 また、サンフランシスコの惨状を聞いたルーズベルト米第32代大統領は、以下のようなコメントを残したと言われている。


「バカじゃねぇの《You are nuts》!(防げなかった米軍に対して)

 バカじゃねぇの《Are you nuts》?(発案した日本軍上層部に対して)

 バカじゃねぇの《Are you nuts》!?(成し遂げた日本軍パイロットに対して)」


 後に彼が脳卒中で無くなった主因はこのサンフランシスコ空襲であるとも伝えられている。

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― 新着の感想 ―
三連捨て台詞、リズミカルで好き。 なんか思い出したように読み返したくなる
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