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太平洋の突風  作者: 鶴岡
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七式汎用艇・栄誉ある風

 1964年4月5日。

 あの第二次世界大戦の終戦から20年が経った。

 その間、世界は束の間の平和を保っていた。

 第二次世界大戦が第一次世界大戦から20年半と少しの平和を経て勃発した事を考えれば、あと少しばかりで記録更新である。


 さて、この20年の間に世界で最も活躍した軍用飛行機は何だろうか?


 答えは東京飛行機の七式汎用飛行艇である。


 七式汎用艇はPRTO加盟国の内、航空部隊を保有する全ての国に配備されるに始まり、PRTO域外ではインド、トルコ、イタリア、イギリス、スペイン、ブラジル、南アフリカにも輸出され、今日までの総生産機数は653機に至った。


 そして各国の七式汎用艇は数多くの任務をこなしている。


 一つは救急任務。

 1961年1月23日にハワイ沖で起きたアメリカ海軍のフォレスタル級航空母艦二番艦サラトガの機関室火災では、グラマン社で生産された艦載機型のHU-16Eが重症者の救急搬送に従事し、4名の海軍兵の命を救った。

 この他にも、数多くの海上での負傷者や遭難者の救助任務に各国の七式汎用艇が当たり、多くの命を救ってきている。


 一つは国境警備任務。

 戦前から問題となっていたアメリカ-メキシコ国境の麻薬密輸問題では、グラマン社で生産された機体が両国の国境警備隊に配備され、メキシコの麻薬カルテルらの麻薬輸送コンボイへのサーチ・アンド・デストロイ(索敵破壊)作戦に従事。この作戦では東京飛行機が発案した襲撃機案によって生産されたAU-16がそのM116 75mm榴弾砲を以て麻薬輸送コンボイのテクニカル(即席戦闘車両)との苛烈な戦いを見せている。

 また同じく麻薬関連で、タイ-ラオス-ビルマ国境に位置する世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯、所謂“黄金の三角地帯”での支那系ゲリラの掃討作戦にも、三ヶ国とこれを援助する近隣PRTO加盟国の空軍の七式汎用艇は従事し、襲撃機型の九四式山砲から放たれる九〇式榴霰弾がゲリラ狩りに、九〇式焼夷弾が麻薬畑焼きに重宝されている。


 一つは海賊対策任務。

 記録にあるだけでも14世紀から頻発していたマラッカ海峡の海賊問題では、PRTO各国による艦艇と航空機による商船護衛とパトロールが実施され、各国空軍の七式汎用艇やグラマン社生産のHU-16がその一助となっている。


 このように戦争の無い平和な20年間、七式汎用艇は世界中のありとあらゆる任務で、いかなる航空機よりも活躍してきたのだ。




 そして今日からの戦争でも―――


 東ヨーロッパでは雪解けの季節を迎え、春と共に戦争がやって来た。

 ソビエト連邦を中核とするワルシャワ機構軍がドイツとユーゴスラビア、そしてフィンランドに侵攻。僅か1週間でドイツとユーゴスラビアがそれぞれの首都であるベルリンとベオグラードを失い、フィンランドも首都ヘルシンキまで40kmまで迫られたのだ。


 だが、この攻勢の勢いは早くも停滞を余儀なくされた。


 ワルシャワ機構軍の前に立ち塞がったのは三ヶ国だけでは無い。フランスやイギリスなど西ヨーロッパ諸国による欧州諸共同体、ECによる連合軍がこの一週間で続々と戦線に到着し、持ち直していったのだ。


 そして、その中にも七式汎用艇の姿はあった。

 最初は4月14日の未明。ドイツ南東部の都市ミュンヘン奪還を目的としたネプチューン作戦の第一矢であるミュンヘン空挺降下、トンガ作戦である。

 イタリアのサヴォイア・マルケッティSM.95Eやフランスのノール2501、さらにはドイツのメッサーシュミットMe323などと翼を並べてミュンヘンに空挺降下を実施し、ミュンヘンに居るワルシャワ機構軍の第三ドイツ方面軍司令部を強襲して近辺の機構軍の連絡を絶つ事によって、夜明けと共に予定されている連合軍の反攻作戦、ネプチューン作戦を容易にするのが作戦目標であった。

 この空挺作戦において七式汎用艇は、その荒波にも耐える頑丈な艇体が対空砲弾の炸裂した破片をよく防ぎ、他の機体に脱落機が出る中にあって頑強さを示したのであった。


 また、トンガ作戦を終えた七式汎用艇にはM1937 75mm砲(ドイツからフランスへ戦後賠償で生産設備ごと移譲された75mmKwK37車載砲)と機関銃砲が東京飛行機が発案した襲撃機案に倣う形で搭載され、地上部隊への近接航空支援に活躍したのであった。


 だがしかし、この戦争が1972年10月2日の東経14度線に沿うプラハ・ラインでの停戦によって終結する最後まで、結局のところ水上戦闘機が戦場に現れる事は無かった。


 そしてこれ以後も、2015年の今日まで水上戦闘機が再び歴史の表舞台に現れる事は無かった。

 米本土攻撃を成し遂げた洋上補給による長距離渡洋攻撃も、空中給油技術や大陸間弾道ミサイルによって代替が可能なのだ。

 さらに言えば、そもそも水上機という形態が、多量のジェット燃料やミサイルを搭載することにより離陸重量が20t近くなる現代ジェット戦闘機に適合しなかったのだ。

 そのため、第二次大戦終戦から間もない頃にアメリカとイギリスが試作にまで漕ぎ付けた水上ジェット戦闘機は結局試作止まりに終わり、それ以降に新たな水上戦闘機が作られる事は二度と無かったのだ。


 第一次世界大戦では航空技術の未熟さ故に栄華を極め、第二次世界大戦ではその特性を以てアメリカという大国を打ち破った水上戦闘機も、更なる航空技術への追随は終ぞ叶わなかったのだ。


 だが、それでもかつての一式戦闘飛行艇から連なる血脈は姿形こそ変えたものの、七式汎用飛行艇として世界の空を飛んでいる。


 今日この日も、かつての栄誉をその翼に掲げて飛んでいるのだ。


―――太平洋の突風・完―――

 本作を読んで下さった読者の皆様ありがとうございました。

 『太平洋の突風』は本投稿で完結となります。


 最後の最後でソ連軍の欧州侵攻と、AC-130ばりの活躍をする七式汎用艇をスパッと終わらせる暴挙に出ましたが、題名の「太平洋」から離れすぎてるのでこういった終わらせ方としました。お許し下さい。

 別作で書くかもしれません。


 75mm短砲身榴弾砲を積むために胴体容積と機体強度マシマシにした結果、搭載量がたった2000kgになった七式汎用艇が、その胴体容積と機体強度をフルに発揮する話とか……。




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