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太平洋の突風  作者: 鶴岡
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P-47・ジャガーノート

 1942年12月9日、そろそろ日付が変わって10日になるかという時刻のことだ。

 サンフランシスコの米陸軍航空基地では夜を徹しての整備作業が続けられていた。

 なぜかといえば基地の能力を超えての作戦行動をとっていたからだ。


 昨日のサンディエゴ空襲以後、日本軍の最短帰投ルートであるサンフランシスコ沖を徹底的に哨戒するために今日の日没まで基地が保有する全航空戦力を出撃させていたのだ。

 サンフランシスコに続いてサンディエゴまでやられたのだ。なんとしてもこの雪辱を果たさなければならなかった。


 だが日本軍は姿を現さなかった。


 何の成果もなく2日間も全力出撃を続けた結果、アメリカ御自慢の物量が味方に牙を向けていた。

 なにしろ6月のサンフランシスコ空襲まで60機程度しか配備されていなかった航空基地に、防空戦力拡充のためにと戦闘機だけで130機も補充されたのだ。

 それに対して、基地の整備能力が圧倒的に不足していた。空襲で格納庫や整備施設も破壊され、その復旧さえ完全でないのにこの規模の航空部隊の活動を維持するのは限界に近かった。


 ここにれに追い討ちを掛けたのが新型戦闘機のリパブリックP-47サンダーボルトである。

 零戦や一式戦艇、さらにはドイツのBf109にも勝る最強の新型戦闘機として配備されたこの機体を、空襲で痛手を負ったこの基地で運用するのは酷だった。

 何しろ空虚重量だけでそれまで主力だったP-40の満載重量と同等であり、整備員に多大な負担を強いた。

 そしてP-47の内訳のほとんどはC-1型であったが、それに混じって送られたC型やB型はトラブルを頻発させ、また整備性も悪かった。


 パイロットらも慣れない機体であったため離着陸時に大直径のプロペラを地面に叩きつける事故をよく起こしたが、それはまだ可愛い方だった。

 これに飛行時間の少ない新米パイロットと組み合わさって、慌てて機首を上げてしまった結果失速して墜落なんて有様がこの2日間の間に3回も起きたのだ。


 そういったことを愚痴りながら、誘導路にまで溢れかえった大量の航空機の整備を続けていた整備員の耳に空からエンジン音が聞こえてきた。

 双発機のエンジン音だなと空を見上げると、翼端灯の赤と緑が対をなす灯りが列を成しているのが見えた。夜間哨戒に出ていたA-28だろうと作業に戻ろうとした彼らはふと思った。


「はて、夜間哨戒に出て行ったA-28は何機だったか?……確か16機だったはず」


 もう一度空を見上げてみる。翼端灯の赤と緑の対は幾つだと。


 どうやったらたった16機で、水平線まで続く灯りの列が出来るというのだろうか?

 いったい何十機、何百機が列を成しているのだ?


 ウゥゥゥゥゥゥゥ!


 やっと、今になって警報のサイレンが鳴り響く。


 整備員らがハッとなり、慌てて整備用に点けていた照明を消しに掛かる。

 だがその照明の半分は即席の、ドラム缶にガソリンと砂を入れて火を点けた灯りである。すぐに消えるようなものではない。


 もう、全てが間に合わない。


 最後の頼みは滑走路に待機させておいた戦闘機、だがそれも旧式のP-40が36機だけ。

 プロペラのぶつけやすいP-47で夜間飛行がやりたいなどという物好きなパイロットはいなかったのである。

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