十五試水戦・試験飛行
昭和16年(1941年)9月5日、夏真っ盛りの猛暑日に、東京市の荒川区と足立区の区境を流れる隅田川に一機の水上飛行機が浮かべられた。これが東京飛行機十五試水上戦闘機である。
アメリカのコンソリデーテッド社が開発したPBYカタリナ飛行艇と、イタリアのマッキ社が開発したM.33艇を合いの子にしたようなシルエットの機体だ。
カタリナ艇やM.33艇との相違点を挙げるとすれば、主翼はパラソル翼でも高翼でもなく強く上に持ち上がったガル翼であること、エンジンがずんぐりとした空冷星型ではなくスマートな水冷V型の倒立であること、そして搭乗員数が1名であること、他にも多々あるがシルエット的にはやはり小さくしたカタリナ艇、あるいは双発にしたM.33艇である。
まあ、ここでは十五試水戦とでも呼ぼう。
近隣住民や隅田川駅の駅員などの観衆の視線を一挙に集めるその機体の周りにはテストパイロットや東京飛行機と川崎航空機の技術者ら、海軍の技官や将校らが試験飛行前の打ち合わせをしている。……あ、今その打ち合わせが終わったようだ。
テストパイロットがコックピットに乗り込み、川崎航空機の技術者がエンジン始動に取り掛かり、すぐにバルンバルンと威勢の良いエンジン音が響き渡る。
そしてラダーと左右のエンジンを器用に操作させて川岸から離れ、下流へとゆるやかに加速しながら滑走して行く。
白鬚橋の下を潜った辺りでスロットルを上げたのか一段とエンジン音が大きくなり、言問橋の手前で離水、言問橋で待ち構えていた観衆に盛大に飛沫をぶつけての離水であった。
そして先ほどから空で待機していた九六式陸上攻撃機1機と九六式艦上戦闘機2機に追随して編隊飛行を始めた。時折、小刻みに旋回したり加減速をしている辺り、機体の性能を測っているのだろう。
それが終わったのか、九六式艦戦1機と十五試水戦が編隊からそれぞれ別方向に針路を変え、その数秒後に巴戦が始まった。が、九六式艦戦がヒラリと木の葉を返したように十五試水戦の後ろを取ってしまう。5回程仕切りなおしたようだが毎回同じだった。
だがその次は違った。また巴戦に入るのかと思ったら十五試水戦は機体を翻して急降下を始めた。九六式艦戦も追随しようと追い縋るが見る見るうちに引き離されてしまう。
十五試水戦に視線を戻すとちょうど機首を上げて上昇に転じる所だった。これにも九六式艦戦は追い付けない。そして十五試水戦が天高く舞い上がって小さな点となり、それが一瞬ギラリと輝いた。
多分、私だけでは無い。それが荒鷲に睨まれたように感じたのは。あの九六式艦戦ですらそのとき機体を震わせたのだ。そして再度急降下を始めた十五試水戦が、それになんとか追い縋ろうと上昇を続けていた九六式艦戦の真横を猛然と飛びぬけた。
その余波を受けてやっと九六式艦戦は十五試水戦を追うため急降下に転じる。だが既に十五試水戦は地表近くで上昇に転じた所だった。また両機がすれ違う。今回は九六式艦戦の射線をかわすようにだった。
そういった急降下と急上昇を繰り返す内に九六式艦戦の動きが確実に鈍くなっていき、ついには巴戦の最中に真っ直ぐの水平飛行の姿勢を取ってしまった。降参なんだろう。




