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作者: 利月

 あのとき、たぶん君は。

 泣いていた。



 世界が終わればいいと思ったのはいつだったろう。

 こんな世界なんてさっさと滅んでしまえばいいのにと願ったのは、この世界が自分のためにあるのではないと知ったからだった。

 べつに誰が増えても減ってもこの世界は頑丈な檻だから大したことなくてむしろ、そんな瑣末なことには気づいてもらえないのだと知った、いつかの瞬間。

 何してるんだろう、と思った。

 なんでこんなことになったんだろう、と。

 失敗したのかな、と思った。

 でもそもそも失敗って何かな、と思った。

「間違っちゃった」自分は、どこへゆけば「間違ってなかった」ことになるのかな、と。


 夏の夜空。

 ぬるい風の中で、星がまたたく。

 どこかへ、信号を。

 チカチカと。


 絵を描くのは嫌いじゃなかった。

 でもあれはきっと、「絵」ではなかった。

 みえた、ものを、そのままに。

 絵の具を、絞り落とすことが。

 筆先を、ぐりぐりと押しつけることが。

 絵を描くことだとは、思っていなかった。

 なのに。


 不意に、足音が聞こえた。

 振り返れば、悠々とした足取りで近づく一人の少女の影。

 君は。

 きっとどこにいてもそうだったように。

 笑っていた。


「こんなことのためにあなたを生んだわけじゃない」

 君がなぞるように言う。透明な声は夜風をはらんで涼やかに響いた。

「分かるわぁ、そのセリフ。穀潰しの金食い虫を生んだつもりは、きっとお母様にはなかったでしょうからね」

 そう言って、隣に座る。

「だったら言えばよかったのよ。『描くためだけの生き物を、生めばよかったんだよ』って」

 ……ふてくされてるだろう。

 言ってやりたかったけど、君の声が笑っているくせに皮肉が弾丸のように込められていたから、あちこち痛くてかえって笑った。

「自分が自分を信じないのは結構なことよ。根拠もなく信じるほうが危ないから。――でもね」

 スン、と鼻水をすする音が聞こえて、君を見た。

「だからって、私まで信じないでいること、ないんじゃない?」

 もはや推量形なんて使うまい、ふてくされている。

 君が。

 怒る必要が、どこにある。

 悲しむ必要が、どこに。

「楽しみにしてたのに」

 君の声は震えて、それでもしっかりとした口調で言うものだから、思わず「違うでしょ」と言ってしまった。

「覗き見して、楽しみにしたのは、君の、勝手」

 うっかり見られて、完成を待っていると告げられた、あの物体と。

 向き合い続けてきたのは、いつしか君だけのためだったとは、言えなかった。

「嬉しかったくせに」

 痛いところを突く。あまりに正確な痛点攻撃に、またしても笑ってしまった。

「私は待ってたのに。――生まれて、くるのを」

「そっか」

「なのに破くなんて」

「だってそのとおりだったから」

 チカチカ。

 受け取り損ねた信号は、どこへ。

「こんなことのために、生まれてきたかったわけじゃ、ないよ」

 世界はふくらむ。

 目的があってもなくても見つけてしまっても。

 それが、分不相応だと知った人間がいても。

 ふくらんで、チカチカ、信号を抱き続ける。

 闇(くら)い檻の中。

 たすけを呼ぶ声を、送り続ける。

「でも私は待ってたわ」

 まなじりに手をやって、君ははっきりと言う。

 チカチカ。

 届いて、いたのに。

 知らんぷりした、薄情者はだぁれ?

「そっか」

「そっかじゃないわよこのバカ!」

 叫ぶように言われたけれど、不思議とそれは、うるさくなかった。代わりに衝撃的な色が見えて、そういえば音にも色があったんだっけと思った。

「描くために、生まれてきた、ぐらい、言ってよ!」

「根拠もなく信じるほうが危ないんでしょ」

 揚げ足を取れば、顔も見たくないというように背を向けられた。

「楽しみにしてたのに」

 子供のように、君は同じ言葉を繰り返す。

「少しは後悔してよ」

「うん」

「私がいたのよ」

「うん」

「うんて言うくらいならなんでよバカ!」

 やっぱり怒られた。

 仕方がないから、立ち上がって、人差し指をさす。

 うつぶせで沈んでいたら、絶対に見ない、その場所を。

「いつか」

 それは遠いかもしれない。

「君に」

 何億光年。

「約束させて」

 その距離を、歩いて歩いて歩き続けて。

「お詫び」

 信号が、届いたと伝えるための信号を。

「あげるよ」

 白、赤、青、黄、ひろがる、色を。

「この星空を」

 あのとき、たぶん君は。

 泣いていたから。

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