平凡娘と犬耳オッサン
連載が詰まったので息抜きに書きました。
ミラ・プーレは走っていた。
「よりによってなんで私なのよ!」
女性はおしとやかにしなさいという母の教えを破ってまで走らなくてはならないことがあった。
鮮やかなドレス、その両端をたくしあげ、邪魔にならないようにと脹ら脛を全開にして彼女は走っていた。
正確には逃げている。
「ミラちゃーん待ってくれー」
王宮騎士、ジェントから。
「いやー!あんたなんかと結婚出来ないって何度も言ってるでしょ」
ぺっぺっと唾を吐く振りをしてジェントから逃げる。
とにかく足を動かして、風のように駆け抜ける。
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なぜ彼女は騎士に追いかけられているのか、事の発端はジェントが結婚する意思が全くなく、跡継ぎが欲しいと願った両親がが勝手に見合いパーティーを開催したことから始まった。
「お前ももう結婚適齢期をとうに過ぎ、普通ならば子供に対し騎士訓練を受けさせているような年齢のはずだ。なのに女の臭いが鼻につくから嫌だ嫌だと我が儘ばかり、父さんと母さんは悲しい。とっても悲しいぞ。だから見合いパーティーを開くことにした。お前目当てのお嬢さんがたが選り取りみどり!さあ、行けジェント!」
ばっと開かれた扉、神々しく輝く広間の中を見て思わず目を背けた。
何が悲しくてこんな強制的な結婚を迫られなくてはならないのか。
ここは腹を括るしかないとジェントは諦めた。
背筋を正して中へと入ると、着飾った多くの女性たちがジェントへ一斉に視線を向ける。
「あの方がジェント様」
「凛々しいお耳ですわ」
「鼻もよいとか」
「誰が選ばれるのかしら」
彼女たちはそれぞれ自由に自身を飾っていた。長い髪を巻き、目に痛い色のドレスを着て、首もとには豪華な宝飾がされているアクセサリーを身に付けている。
ジェントを見るやいなや、まるで品定めでもするかのように彼の容姿をじっくりと見つめ、口々に評価をしていた。
女性たちの甲高い声を聞きながら、ぴくりと尖った耳を動かしてジェントはすんすんと辺りの臭いを嗅いだ。
「やはり臭い」
香水のキツい香りは獣人(耳だけ)のジェントにとって、至極臭くて鼻を刺すような臭いでしかない。
鼻に皺を寄せ、逃げるようにして近くのテーブルに置いてあったグラスを取った。
自らのために用意された見合いパーティーをどうすれば台無しに出来るだろうか、そんなことを考えながら、彼は持っていたグラスの酒を思い切り煽った。
「まあ、良い飲みっぷりですわ」
そんなジェントの背後へ一人の女性がやって来た。
「貴女も私の見合い相手ですか?」
「いえいえ、私はもうとっくに結婚しておりますの。今日は娘をジェント様に紹介したいと思いまして」
「そうでしたか失礼しました。それで、その娘さんはどちらに?」
婦人である女性の隣を見ても後ろを見ても誰も娘らしき人はいない。
「あの子ったら逃げたわね」
「逃げた?」
おほほほと上品に笑い、きょろきょろと辺りを見回して何かを見つけた瞬間婦人はどたどたと向かって行く。
それを呆然と見送ったままジェントは次に話かけてきた女性と言葉を交わし始めようとしていた。
「ちょっとミラ、あんたね何を皿いっぱいに料理なんか盛ってるのよ!口の周りもべたべたにして、帰ったら美味しいご飯をいくらでも作ってあげるのに何もこんな時に食べなくたっていいじゃない」
「らっへ、おひあひなんてほーひなひんだふぉん」
「だって、お見合いなんて興味ないんだもん?」
「ほーほー」
「馬鹿!あんたここまで来て食べて帰るだけなんて、母さん許さないわよ」
遠くで言い合いが聞こえる。
ジェントの耳はしっかりと先程の婦人の声と、その娘であろう女性の声を捉えていた。
「失礼、あちらで揉めているので少し様子を見に行ってきます」
話そうとしていた女性に笑顔と断りを入れて、ジェントは言い合う二人の元へ向かう。
「ミラ、あんたいつになったら結婚するのよ」
「ほのふひー!」
「そのうちって、いつよ」
ふんっと鼻息荒く怒る婦人と皿を離す気配のない娘は睨みあったまま固まっていた。
「何か揉め事ですか?」
二人の間へジェントは穏便に済ませなくてはと思いながら、割って入るようにゆっくりと声をかける。
「ジェント様」
「こちらが先程言ってらした娘さんですね。大変可愛らしい方だ」
「まあ、ジェント様にこんな平凡で何も取り柄のない娘を誉めていただいて光栄ですわ」
婦人はジェントへ微笑むと娘の背をばしりと叩いた。
「いったいなー、お母さん」
「ジェント様に挨拶しなさい」
「ミラ・プーレです」
皿を置くこともなく少し腰を落とした娘はミラ・プーレという名前らしい。
ジェントも礼儀だからと頭を下げ、ミラの手を掴み甲へ唇を落とした。
どうせこの娘の香りも香水たっぷりで、己の鼻を刺すような臭い香りなのだろう。
そう思いつつ確認のため、母と娘にバレないようにすんと息を吸い込んだ。
「くっ」
臭く、ない。
「ジェント様?」
「ほら、お母さんが無理矢理に私みたいな平凡娘をこんな高貴な方に合わせるから混乱してらっしゃるじゃん」
「そんなことないわよ」
臭くない。
むしろ甘い香りが鼻いっぱいに広がって心地よい。いつまでも嗅いでいたいような花のような香りにくらくらとしてしまう。
「じゃんくさまー?」
「馬鹿、ジェント様よ」
「ジェント様?」
呼び掛けに応えたいが強すぎる甘い香りにどうしても言葉を紡げない。
「大丈夫ですか、ジェント様」
顔を覗く娘。
まじまじと見つめると婦人同様に目鼻立ちがしっかりとしており、輪郭が丸く柔らかな印象を受ける。
はっきりと言って可愛い。
「決めましたよ。ミラ・プーレ、ミラちゃん!」
「ちゃんー?」
「私と結婚してください。いや、必ずやしてもらう」
この唐突な思いつきにミラからどんな反応が返ってくるだろうか。
素直に頬を染めて受け入れる彼女の顔が見え、ない。
「初対面の人間に対して何言ってんだオッサン」
けっ、と言葉を吐いて歪んだ表情を見せるミラは隣にいた母を引きずって帰るために、ジェントが入ってきた扉とは反対の出口となる扉から出ていこうとする。
「待ってくれ、ミラちゃん!」
「気安くミラちゃんて言わないでください」
止まろうとしないミラの言葉を聞いて、ジェントの耳が感情を表すように垂れていく。
「諦めんっ、絶対に諦めない!」
急いで逃げるミラ。
それを追いかけようと走り出したジェント。
「来ないでー!」
「ミラちゃーん!」
平凡な娘と犬耳つきなオッサンの追いかけっこはここからはじまったのである。
おしまい