第5話 犬の名前
「クボ、犬いらない?」
次の日、俺は学校でクボに聞いてみた。
「犬? なんでまた」
「や、昨日さ、俺の家の生垣んトコに居たんだ。子犬なんだけど」
「榎本ん家で飼えばいいじゃん?」
「ダメなんだよ。姉貴も母さんも動物アレルギーなんだ」
そう言うと、クボは自分の顔の前で手を横に振った。
「俺もダメなの。小さい頃に犬に噛まれた経験があってそれ以来ずっとダメ。小さくても大きくても」
あぁ。そいえばそんなような事前に言ってた気がする。どうしようかな。クボの他に誰か……。杉浦とかどうだろ?
あ、でもアイツも犬ダメだって言ってたなぁ。確かハスキーに伸し掛かられたんだっけ。噛まれてもそうだけど、それも結構ショックが大きいな。うーん……。どうしよう……。
「あっ奈美ちゃぁぁん」
考えてると、クボが急に大声を出した。窓の外に奈美さんが見えた。やっぱり小田さんも一緒だ。
―――そうだ! 奈美さん犬飼ってくれないかな。前に話した時に言ってたよな、犬好きな方だって。
「奈美さん」
俺はクボより先に奈美さんに近づいてった。
多分後ろではクボがしゃがみ込んでなんとも言えないオーラを放出してるだろうな。焼きもちで。ホントに奈美さんラブな奴だから。でも奈美さんはクボを気にしてない。もう慣れっ子になったみたいだ。
「なに? どしたの?」
「犬いらない?」
「犬?」
俺は奈美さんに昨日の出来事を話した。
「子犬かぁ。うん、確かに好きなんだけど、家マンションだからさぁ……」
あ、そっか。問題はそこなんだ。奈美さんもダメとなると……元居た場所に戻すしかないかなぁ……。もっと早く現れてれば里砂に…………って何考えてるんだ俺!
「そいえば彩乃、犬飼いたいって言ってなかったっけ?」
「え、そうなの!?」
「あ……うん。でも…聞いてみないと分からないし……」
「そっか。じゃあまた飼えるんだったら言って」
「うん」
やった! 飼い主候補第1号! これであの子犬も幸せになれるかな。
でもまぁ、まだ決まったわけじゃないけど。
次の日、俺と小田さんはまた下駄箱で会った。
「おはよ!」
「おはよう! ……あのね、聞いてみたの」
「あ、犬?」
「うん、そう」
2人で歩きながら話した。小田さんが家族に聞いてみてくれた結果、飼ってもいいとの事だったらしい。
「マジで!? やった!」
「犬の種類はなんだった?」
「……あー…俺ね、犬ってよく分かんないんだ」
「そうなんだ」
「多分……雑種、かな? 血統書付きじゃなくて大丈夫?」
『血統書』と言う言葉に、自分で言っておきながら少し不安になった。だってあの子犬、もしかしたらその理由で捨てられたりしたのかも……。
「大丈夫だよ」
小田さんから帰ってきたのは俺が心配してたのと逆の答えだった。
「あのね、血統書付きよりも雑種の方が体強いんだよ。色んな犬が混ざり合ってるから」
「え、そうなんだ!?」
「うん」
「犬、詳しいの?」
俺がそう聞くと、小田さんは少し照れながら「詳しいって程でもないけど……」と言った。こんな人に飼ってもらえれば、あの子犬も幸せだよな、きっと。
あ、もう俺のクラスだ。
「じゃあ、どうしようか。犬」
「どうしようか、って……?」
「学校に連れてくるワケにはいかないじゃん」
「あ、そっか」
結局、小田さんの家の位置を聞いて、犬を渡す場所は、俺の家と小田さんの家の丁度中間辺りにある公園に決めた。
飼い主が決まって俺のテンションは最高潮になった。
「榎本ぉぉぉ!! 俺より先に奈美に近づくってどーゆー事だよぉぉ」
「あ、ゴメンなクボ!」
「俺イジケてんのになんでそんな笑顔なんだよぅ」
「なんでもねぇよー」
「なんでもないって顔してない……」
授業中もずっと笑顔だったみたいで、何度か先生に注意された。でも口角を下げようとしてもまた上がっちゃうみたいで、クラスメイトに笑われた。
それでもいいや。笑われようが注意されようが、口角が上がるのは仕方ない。上がらせとこう。
この頃は休憩してたクボとの「じゃあな」。今日、久しぶりに校門の前で言った。
「じゃーな」
「おう、じゃあな」
なんか凄く久しぶりな気がした。実際は3日間くらいやってなかっただけなのに。
さて。早いとこ家に帰って着替えて公園へ!
家に帰ると、庭から子犬の声が聞こえた。家の中に入れると怒られるからとりあえずは母さん達に言い訳して一時的に庭で飼ってたんだ。でも今日からは堂々と暮らせるぞー。
良かったなぁ、犬! 小田さんなら大事にしてくれるだろうから。
俺はちょっと子犬の頭を撫でて、家に入った。すぐに着替えて犬を抱き上げて、公園に向かう。俺と小田さんの家は結構近くにあるみたいだ。俺の家が3時の方向だとすると、小田さんの家は12時の方向。
……そこまで近くないかな。
でもクボの家と俺の家を比べたら近い方だ。だってアイツとは本っ当にに真逆だから。
犬を撫でながら歩いてると、子供が何人か寄ってきた。
「犬だ犬だー! これおにいちゃんの犬ー?」
えーっと、なんて答えればいいんだろう。これからは違うくなるんだ、なんて言ったらなんか捨てるんだと勘違いされそうだし。一応、なんて言ったら子供は何でも知りたがるから詳細を聞いてくるだろうし。
「友達の犬だよ」
そう答えておいた。そしたら何も聞かれなかった。「へぇー」って言われたくらいだ。
ちょっとだけホッ。でもその反面ちょっとだけ寂し。
でもそんな事に気付くはずも無く、子供たちは犬を撫でまくりながら「可愛い!」と連発していた。
世界には色んな人間が居るんだなぁ。
俺は改めてそう考えた。だって日本の中の、しかも俺の住んでる町の中にだってこんなに違う人間達が居る。犬が嫌いだったり大好きだったり、犬に詳しかったり詳しくなかったり。
本当に十人十色なんだ。
「みんな犬好きなんだね」
「うん、大好き!」
「おれも!」
「よっちゃんも大好きだよ!」
よっちゃんとは君の名前かな? お兄さんに言われても分からないけど……とりあえず「そうなんだー。よっちゃんも大好きなんだねー?」って言っておこう。
そして子供の中を抜けて公園へ。
まだ小田さんは来てないみたいだ。
「もうすぐ新ご主人に会えるからなー」
俺は子犬の頭を撫でながらそう言った。半分垂れ下がった耳は風が吹くたびピロピロ揺れる。大きくなってもこのままなのかな、それとも耳立つのかな。
ブランコに座って撫でてると、走る足音が聞こえてきた。足音の方を見ると―――小田さんだ。
「お待たせ……」
ハーハー息を切らしながらそう言った。俺はブランコから立ち上がると、「コイツだよ」と言って小田さんの前に犬を出した。
小田さんは犬を見ると、疲れなんか吹っ飛んで笑顔になった。
犬も小田さんを見て、短くて細い尻尾をしきりに振ってる。なんかいいコンビだ。
「名前決めたら教えてね」
「もう決まったよ」
「え、早いね。何にしたの?」
「……ゆん」
「ゆん」? それとも聞き間違えて「ゆう」?
「…………もっかい言って?」
「ゆ、ん」
小田さんはゆっくり言った。やっぱり聞き間違いでもなんでもなくて「ゆん」だった。
「ゆん?」
「ゆん」
なんか珍しい名前だけど、いいかも。韓国っぽい。
「いいね!」
「…そう?」
「うん、いいよ!」
小田さんは静かに微笑むと、「ちょっと心配だったんだ」と言った。
「心配?」
「変な名前じゃないか、って……。却下されちゃったらどうしよう、って……」
「却下なんてしないよ。飼い主は小田さんなんだから。小田さんが決めた名前ならなんでも喜ぶって! なぁゆん?」
上手い具合に吠えたりはしなかったけど、さっきよりも尻尾をブンブン振ってるように見えた。気のせいかもしれないけど、喜んだって事にしておこう。
だってその方が小田さんも犬も幸せだし。……勿論俺もね。
話に出てきた子犬、ウチの犬がモデルになってます。そして実は名前まで一緒だったり・・・(笑