第34話 嘘な噂が好きな奴
2日後、風邪は治った。あの日以来彩は来ない。まぁ当然っちゃあ当然だろう。ただ単に寂しいだけで、さ。
学校に行くと、クラスの男子、「黒田」が近付いてきた。
「お前どうしたんだよ、風邪だって?」
「うん。でももう治ったから」
「それから浮気だって?」
「うん。でももう…………」
待て。なんでお前がそんな事知ってんだ? 彩が言ったのか? いや、彩は絶対にそんな事はしない。
じゃあ一体誰が――?
「榎本晴樹は浮気したんだぜー!」
廊下で中村一寿が騒いでる。
コイツか……。
「お、噂をすれば! 榎本晴樹くんじゃあないか〜!」
「お前何してんだ」
「事実をみんなに教えてあげてるだけだよ? ……キミは最低な男だ、って事をさぁ」
教室の中では、俺の事だけではとどまらず彩の事も噂になっていた。「榎本晴樹と付き合ってる」って事で。浮気されちゃって可哀想、いつまでも付き合ってる事ない、って。
「ホラホラ、キミのせいで小田彩乃まで噂になってるよ」
「なんて喚き散らしたんだ」
俺が言っても、中村一寿はニヤリと笑っただけで答えなかった。
仕方ないからクラスの連中に聞いてみる。
「中村一寿の話? 「榎本晴樹は強引に元カノの唇を奪って、小田彩乃の前でこれ見よがしに何度も何度もキスをした」って」
……なんて事だ。俺は強引に奪ったんじゃない。奪われたんだ。中村一寿め。同級生、いや、全学年の生徒を使って俺達を仲違いさせようってのか?
や、元々今は仲良くないけど。
「なんだ、嘘なのか?」
クラスの1人が聞いてきた。
「当たり前だろ! 何言ってんだ!」
「そ、そんなに怒鳴んなよ……」
「あんなの嘘八百もいいとこだ!! 俺は……」
危ない。全てここで言っちゃうところだった。これは彩だけに話すって決めてる。他の奴等も居るところで堂々と言う事じゃない。
これ以上この噂が広まるのを阻止しなくては! 中村一寿をこらしめるのはその後。もっとずっと後。
俺は教室を飛び出して、全クラス回った。「今流れてる噂は全部嘘です! マジで嘘です!」って叫びながら走った。でもその後ろから中村一寿が言葉を被せるから、俺の声は意味が無い。
それでも叫びを続ける。
2年の教室まで行った時、無駄に喉を嗄らさなくていい方法があるって事に気が付いたから、俺は急いで教室に戻った。
「榎本晴樹は――んごっ」
中村一寿を捕まえてトイレに駆け込む。あとは中で待機しててもらったクラスの男子達に任せて、俺はみんなの誤解を解かなくちゃ。
今度はそこまで声を張り上げる必要は無かった。
全クラス回ったところで、俺は自分のクラスに戻った。
「彩!」
名前を呼ぶと、彩は一瞬俺を見て目をそらした。だけどもういい加減話さないと。ずっとこのままは嫌だ。
「彩、話聞いてほしいんだ」
彩は黙ったままだった。でも俺は彩の腕を掴んで、倉庫の前に連れてきた。ここなら人気が無いから、誰かに見られるって事は無い。
「この間の事なんだけど……」
俺が言っても、彩は下を向いて口を閉じたままだ。
「話す。全部話す。言い訳がましくなるかもしんないけど、聞いてほしい」
それを言うと、少し頷いた気がした。頷いてくれたって信じて、俺はこの間、里砂との間にあった事を全部話した。凄い衝撃的だったから今でも鮮明に蘇る。
いやらしい口調、男を虜にしててもおかしくないような色っぽい目、軟らかい唇…………。
……こんな事しか思い出せない自分が憎い。この手で絞め殺してやりたいくらいだ。
全て話し終わった。彩はまだボーッと下を見てるだけだ。動きもしなけりゃ喋りもしない。
「……話したくらいで簡単に許してもらえるとは思ってない。でも本当の事を知っておいてほしかったんだ。…………彩、ごめんな」
しばらくの間、物凄く息苦しい、今にも逃げ出したくなる沈黙が続いたけど、ふいに彩は口を開いた。
「……話してくれてありがと……」
弱々しい、ヒョロヒョロした声だったけど、凄いぎこちない言い方だったけど、とにかく彩はそう言った。
「私が勝手に勘違いして怒ってただけだったのかなぁって思ってたけど……でもやっぱりそうだったんだ……」
「……ごめん……」
「…………もう、里砂さんとは……会わないでね……?」
彩は心配そう言った。
勿論! 会わないさ。だけど里砂はまた来るだろうな。
いや、大丈夫。来たらキチンと追い返すから。
俺が頷いて、彩も頷く。
……よっしゃあ! 仲直りだぜ! 一件落着だぜ! 俺と彩は喧嘩したってすぐに仲直り出来ちゃうんだぜ! これは「すぐに」とは言わないのかも知れないけど、でもやっぱり仲直り出来ちゃうんだぜ!
奈美さんありがとう! 彩も許してくれてありがとう! クボはなんにもしてないけど、とりあえずありがとう!
今の俺なら里砂でも犬塚でも追い払えちまうぜ! 来るなら来いってんだ!
そしたら、来た。
来るなら来いってんだ! と言ったすぐその日に、やっぱり里砂は校門前で待ち伏せしてた。だけど追い払えるさ!
って思ったけど、俺は考えた。どうやって追い払うんだ??
無視したって冷たい言葉使ったって懲りずに来るんだ。里砂には何を言ったって無意味な気がするけど……。
「はーるっ!」
俺と彩が校門から出ると、里砂は真っ先に飛びついてきた。まるで主人の帰りを待ちわびてた犬みたいだ。
「来るなって言ったろ」
「晴が付き合ってくれるまで何度でも来ちゃうもぉ〜ん」
「だから付き合う気は無いって言ってるだろ。いい加減にしろ」
「やだ! ね、康ちゃんとはキッパリ別れ…」
里砂のすぐ後ろの木を殴った。案の定ビックリしてる。……俺も手の痛さにビックリしてる。それを顔に出さないように我慢する。
今、俺は初めて犬塚に同情するよ。アイツだって本気で里砂を好きかもしれないのに。だって本気で好きでもなかったらいつも一緒に居ないだろ。
それなのに知らない所で他の男に会われてる。
どれだけ悲しいか、どれだけ腹立たしいか、どれだけ情けないか……。以前の自分と重ね合わす事で、その気持ちは痛いほどよく分かる。
「二度と来るな」
里砂は驚きの顔から泣き顔に変わった。好きだった女が泣くのは嫌だけど、でも今俺が大切にすべきなのは彩1人だけなんだ。
後から手を見てみると、どんだけ強く殴ったんだってくらい青くなってた。あぁ……意識し始めたら急に痛みが増してきたぞ。ジンジンしてきたぞ。
「……大丈夫?」
彩が心配そうに俺を見てる。
「あぁ! 全然! 全っ然平気!!」
どうにかしたいよ、この強がりを。もっと普通に「痛い」って言えればいいのに。毎回口から出てくるのは真逆の言葉。
まぁ、いっか。彩ニッコリ笑ってるし。痛い、なんて言って心配させることないんだ。
「もう絶ッッ対、他の人とキスなんてしないから」
「うん」
言ってから「当たり前だろ」って思ったけど、彩はシッカリ頷いてくれた。これでまた前の俺達に戻ったってわけだ。
あ、中村一寿は……もうさすがに解放されてるか。