第29話 現れた『アイツ』
面接に行ってきた。
それから2週間くらい後、『採用』と書かれた紙が送られてきた。丁度春休みに入った次の日だった。マックの店長は学生の予定を見計らってんだろうか??
とにかく今、俺達はマックでバイトしてる。思ってたより大変……。「バイト」ってのを甘く見過ぎてた。彩も同意見らしい。ふざけ半分で「スマイル下さい!」って言ってくる子供にはニッコーーリとスマイル送らないといけないし、ポテト熱いし、ハンバーガーとかも熱いし、いい匂いだから食べたくなるけどその衝動を抑えなくちゃいけないし。
でも、一緒に働く人達との会話は本当に楽しい。バイトが終わってから時々おごってもらっちゃったりする。
最初は大変だ、とか、頑張れよ、とかって励ましてくれる24歳の男の先輩。富士野さん。通称「フジさん」。
最初に聞いた時、「富士山」と勘違いしてちょびっと怒られた。「富士山」とは呼ばれたくないらしい。だからカタカナにしてるんだってさ。口にしちゃえばどっちも同じだと思うけど……。
「どーだ晴! 慣れてきたか?」
「まぁ一応……」
フジさんは俺の事を「晴」と呼ぶ。彩の事は「彩ちゃん」。
晴、って呼ばれるとアイツの事を思い出してしまうから嫌だったんだけどなぁ……。
「いらっしゃいませー」
あ、お客さんだ。カップルかな? 背の高い男と、女は―――。
「チーズバーガーセット2つくださぁい」
――里砂……。
「……? ちょっと頼んでるん…」
目が合った。紛れも無く、里砂だった。
向こうも気が付いたみたいだった。
って事は、あの男は犬塚?
「…………晴……?」
「おい晴どうした」
後ろからフジさんが声を掛けてくるけど、体が動かない。
「……お前向こう行ってろ!」
フジさんに押し退けられて、俺は厨房の床に尻もちをついた。
里砂も相当驚いてる様子だ。フジさんが代わってくれてなかったら、俺どうなってたんだろ。また犬塚に掴み掛かってたのかな……。
とりあえず2人が席に向かって、フジさんは冷や汗を拭った。
「お前何やってんだ! バイトでも何でも就いたからにはちゃんとやれ!!」
「……すいません……あの…」
立とうとしても、足がすくんで震えて、立てなかった。
「…………もういい。お前少し頭冷やしてろ」
フジさんはいつも温厚だった。ちょっと冗談言ったり、ちょっとからかったりしても笑って許してくれる。
でも、今日、初めて怒られた。足の震えは里砂からのじゃなくて、フジさんの怒りからだったのかも知れない。
俺は更衣室に入って中の椅子に座った。狭くて暗い更衣室は寒さをいっそう引き立てる。
じきに体全体が震えてきた。
里砂も俺がここでバイトしてるなんて知らない様子だった。犬塚は俺に気付いてなかったみたいだけど、里砂が話してるかも……。
もう別れたんだから気にする事ないのに。
―――でも、なんか嫌だ。俺に嫌な思いさせといて、自分は犬塚と幸せそうに……。
30分くらい経った。
更衣室のドアが開いて、油の匂いと香ばしい匂いが混ざって入ってくる。彩かな、と思ったら、フジさんだった。
「……晴」
「…………フジさん、すいませんでした」
「知り合いみたいだな」
「へ?」
フジさんはゆっくりドアを閉めて更衣室の電気を付けた。
真ん中にしかない蛍光灯はピカピカ点滅し始めてて、付けても付けなくても同じような感じだった。逆に付けた方がうざったい。
「そろそろ替えないとな」
蛍光灯を見て、フジさんは眉をしかめる。睨み合いの結果、スイッチを切って、俺の隣に座った。
「あの客。知り合いっぽかったじゃねぇか」
「…………元カノなんです」
俺はフジさんに里砂の事を話した。同棲してた事、アイツが浮気した事、その他もろもろ。
フジさんは俺が話す間相槌うつだけで、静かに聞いてくれた。
「浮気、ねぇ……」
やっとフジさんが声を出す。まるでトンネルの中に居るみたいに響いた。
「でもそれは女が悪いんだからお前がビクビクする必要は無いんじゃないのか?」
「それは分かってるんですけど……」
「どうしても顔合わせると思い出しちまって……んー。 怖い、って感情なのかな」
「……そう。嫌じゃなくて怖いんです」
「なるほどな。……俺も分かるぞ、それは」
フジさんも浮気された経験があるらしい。それから2年くらいは告白されても付き合う事を拒否してたみたいだ。今も彼女は無し。でもそっちの方が気楽なんだとさ。
外も中もこんなにカッコイイフジさんに彼女が居ない、ってのは不思議に思ってたんだ。なんだ、これで合点がいった。
「だけどさ、里砂って人もここにお前が居るって知ったらもう来ないんじゃねぇかなぁ?」
と、フジさんは言った。
でも翌日、里砂は来た。
また犬塚が一緒だった。
「どぉも」
「……いらっしゃいませ」
もう今日は怯えたりしないぞ。
俺は無愛想に挨拶をした。里砂はまたチーズバーガーセット2つ。俺には「2つ」ってのがラブラブさを見せ付けてるようにしか思えなかった。
「ねぇ晴、あたしね、今彼と…」
「次のお客様どうぞ」
何が「彼」だ。こうなったら完全無視でいってやる。
里砂はブスッと膨れて、犬塚と席に座った。
全く、アイツは何しに来たんだ?
「晴樹くん」
休憩時間になって、彩が俺を呼んだ。
「ん?」
「さっきの人って…………」
「あぁ。……あれが里砂だよ」
「……あの人がそうなんだ……」
俺は席を見た。里砂と犬塚はまだ居る。食べ終わってから、くっちゃべってばっか。
アイツのああ言う行動が嫌だ。浮気されてから、嫌なところしか目に付かない。前はいいとこばっかだったのに。
時計の針が3と12から3と3になっても、2人は帰らなかった。
「晴、彩ちゃん。休憩時間終わりだぞ」
不意にフジさんが俺と彩の肩を叩いた。
「あ、はい」
なんだか今日は混み混みな気がする。あ、土曜だからか。
注文。レジ打ち。手渡し。あー忙しい。猫の手も借りたいってこんな時の事を言うんだろうか。
……里砂、また明日も来るのかな……。なんか、もう嫌だなぁ……。