第25話 泣いてしまった日。
俺が彩の家に行ってから2週間が経った。
そして今日は彩が家に来る日。俺は公園に入って、彩が来るのを待った。
5分後に、彩は来た。
「おはよ」
「おはよう! ……今日の服、変じゃないよね……?」
「大丈夫。変じゃないよ」
「お母さん、こう言う服嫌いじゃないよね?」
「大丈夫、大丈夫。服で好きか嫌いか決める人じゃないからさ」
彩がちょっと不安そうに頷いた。
2人で歩いて俺の家まで行った。
ドアを開ける。母さんがスリッパ用意して待ってた。
「母さん、この人が小田彩…」
「いらっしゃ〜い。晴樹の母です。いつもお世話になっております」
俺の言葉を遮って、母さんは深々と頭を下げた。何も入ってすぐに下げなくても……。それに俺の紹介遮らなくても……。
そしたら彩も頭を下げてた。俺ビックリした。
「こ、こちらこそ、晴樹くんにはお世話になってます」
とりあえず俺も頭下げといた。
なんで自分の親に頭下げないといけないんだろう? って思ったけど、とりあえず下げた。
「まぁまぁどうぞ上がってください」
「はい。……お邪魔します」
母さんはスリッパを1つしか用意していかなかった。きっと彩の事でいっぱいいっぱいで、俺の分は忘れてたんだ。酷いなぁ……。
「ごめんね、変な母親で」
コッソリ言った。でも彩は首を振って、
「ううん、変じゃないよ全然」
って言ってくれた。
そう言えば、彩は俺の家に入るのは初めてだったっけ。なんかこっちまで緊張してくるなぁ。
彩をリビングまで案内して、四角いテーブルに隣同士で座った。そこに母さんがお茶を持ってくる。
「はい、どうぞ」
「あ、はい! い、いただきます」
でも女の子でもやっぱ緊張するんだなぁ。
彩の家に行った時の俺もこう言う感じだったのかな。
「小田さん、って呼んでもいいかしら」
母さんが急に彩に訊ねた。
俺にはその理由が分かってた。母さんは『小田和正』も好きだからだ。
「あ、はい」
「ありがとう。私、小田和正さん好きなのよー」
うん、やっぱり!
「家の母も好きですよ、小田和正さん!」
へー。そうなんだ。彩のお母さんと俺の母さん、気が合いそうだな。
「あらそうなの? あ、私ね、言葉にできないが1番好きなのよー」
「家の母はさよならが好きみたいです」
あーらら。思いっきり気が合っちゃってるよ……。
まぁ彩が楽しそうだからいいけど。
「小田さんは……いつも何をしているの?」
「たまにお菓子を作ったりしてます」
「あら凄いわねぇ。何を作るの?」
「ケーキとかクッキーとか……あ、最近はマフィンを作りました」
「私もよく作るのよー、ケーキ」
「そうなんですか!? あ、じゃあまた色々教えてもらってもいいですか?」
「いいわよー。何でも教えてあげる! またいらっしゃい」
と、この後も2時間くらいは2人だけで盛り上がっちゃってた。
俺の入る隙、無し!!
「楽しかったー!」
俺と彩は家を出た。彩は大喜びで、また家に来るらしい。お菓子の作り方を教わりに。
そして今は昼ご飯がまだだから、2人で食べに行く途中。彩が美味しそうなパン屋を発見したらしいから、そこへ行って買って、川原かどっかに行って食べるんだ。
「晴樹くんのお母さん、いい人だね!」
「そう、かな。ただのうるさい人だけど」
「自分のお母さんだからじゃない?」
「んー……そうかもね!」
パン屋に着いた。中に入ると、美味しそうな匂いが漂ってきた。
作ってるところがガラス張りになってるから様子が見える。それを見て楽しんだ。
それから、パンを見て回って、結局同じサンドイッチを買って店を出た。出たら川原にレッツゴー。
「ここでゆんと遊んだね」
「うん。あのボール投げたら凄い勢いで追っかけてったやつね」
思い出話で笑った。
話と言うより、ゆんの顔を思い出すだけで顔が綻んだ。
思い出話。
俺と里砂の事も、もう思い出なんだ。
「彩、俺さ」
彩はサンドイッチを口の中でモグモグしながら俺を見た。
「俺、さ。彩と付き合う前、1人の女と付き合ってたんだ。4つ年上だったんだけど」
少し戸惑いながらも、彩は頷いた。
これを彩に話した方がいいのかどうかは分からない。
だけど、何故か話さずにはいられなかった。
「結構付き合ってた。俺が高1の時に始めたバイトの先輩で、里砂って言うんだ。あ、もうそこのバイトはやめたんだけど……俺はさ、ホントにその人の事が好きだった。同棲してて、俺にはこの人以外居ないんだって思ったくらいだった。でも、ある日、その人は浮気した。俺が学校行ってる間に他の男と会ってたんだ。昔付き合ってた男らしい。その男と……寝てさ。それでも平気な顔で俺と一緒に過ごしてた。だから、それを知った時マジで怒れた。男も里砂も許せないと思った。俺は男の居場所を聞いて、殴り込みに行ったんだ」
彩は心底驚いた顔をした。俺が人を殴るなんて思ってなかったんだろう。俺だってそんな事になるとは思ってなかった。
ずっと里砂と幸せに過ごせると思ってた。
「そこにさ、里砂が来て……なんて言ったと思う?」
「…………?」
「やめて、って。死んじゃうからやめて、って……彼氏の俺より元彼のアイツを取ったんだ。ハンカチで丁寧に拭いてさ……。勿論俺、里砂と住んでたトコ出てったよ……。だけど俺が飛び出しても、アイツは追ってこなかったんだ。結局、俺とはただのお遊びで、本命は元彼だったんだ。俺なんてただの暇つぶしの相手だったんだよ…………」
これを彩に話してどうなるか、なんて分からない。彩が嫌な思いしてしまうかも知れない。
でも、彼女には俺の事知っておいてほしかった。この昔話は愚痴でもなんでも無く、れっきとした俺の「過去」なんだ。
「…………そう、なんだ……」
彩は今も尚驚いてるようだった。
そんな彩の手を、俺は上から自分の手で覆いかぶせるようにして握った。
「でもさ、こんな言い方なんだけど、里砂がソイツと一緒になってくれたから、俺は彩と付き合う事が出来たんだよね……。や、別れるなら別れるで、もっとマトモな別れ方したかったけど……」
「うん」
彩は頷いた。かぶさってる俺の手を握って、コクンと頷いた。
「ごめん。……こんな話したって楽しくもなんとも無いってのは分かってる。でも…………でも俺…」
「うん、分かってるよ」
俺の言葉を遮って、彩は言った。大きな目を少し潤ませながら、俺を見ていた。
それを見て、また泣きそうになった。この間から涙腺緩みまくりだ、チクショウ!
「大丈夫だよ。私、なんでも聞くから。私には聞く事しか出来ないけど、でもそれでも、少しでも役に立てるんなら、話してくれて……いいよ?」
「彩……」
ごめん、彩。俺は話しながら凄く切なくなってたんだ。何だかんだ言って、やっぱり俺はまだ里砂の影を追ってるのかも知れない。
自分から離れていったアイツを―――まだ好きなのかも知れない。
嫌いになったはずなのに。憎んだはずなのに。
今俺が付き合ってるのは里砂じゃなく、彩なのに。彩だけ想ってればいいのに。
浮気された奴を想い出すなんて……。
なんでも聞く、と言ってくれた彩の優しさと、嬉しさと、切なさと、悲しさと申し訳なさが……色んな感情が絡み合ってる。
苦しい。
目の前で涙を堪えてる彩を見るのが苦しい。里砂を想い出せてしまうのも苦しい。
その潤んだ目をしてる彩がぼやけたから、俺はとっさに横を向いた。全てがぼやけて見える。
歯を食い縛った。更にぼやけた。
鼻の骨の辺りがツーンとした。涙を見られないように、俺は川原の坂を走って下りた。彩の声を背中で聞きながら、俺は思い切り走った。
死にそうなくらいに胸が苦しかった。
川の前まで来て、座り込んだ。草に頭を付けた。草も土も、俺の嗚咽を吸い込んでくれる。
彩も走ってきてた事に気付いたけど、もう止められなかった。
止めようとすればするほど声は漏れる。涙は溢れる。
情けないとか恥ずかしいとか、そんな感情はもうどうでもよくなって、俺はずっと、顔を伏せながら川のせせらぎを聞いてた。