第15話 嘲笑うゆん
部活も終わり、授業も終わり、また部活も終わり、やっと帰れる。
フッと横を見たらクボが奈美さんに怒られてた。
また何かやらかしたんだな、クボの奴。
「榎本くん、帰ろ」
後ろから小田さんが声を掛けてきた。そう、今日俺は小田さんとあの公園まで一緒に帰るんだ!
「うん」
荷物を背負って下駄箱へ。
奈美さんはまだ怒ってる。クボはまだ謝ってる。
ま、喧嘩するほど仲が良いって事だな!
学校からあの公園までは5分くらいしかない。それでも俺は、小田さんと一緒に居られる事が何より嬉しかったんだ。
わざと歩調を緩めて歩いた。だってそうでもしないとすぐに着いてしまう。
「また今度…………」
歩いてると、小田さんが徐に口を開いた。
「出掛ける約束、したでしょ…………?」
約束。……あぁ、今日の部活の時のね。日曜の。
「したね」
「あれね、ゆんも……連れてっていい………………?」
「え、なんで?」
なんでも、後から思い出したらしいんだけど、日曜日は家族で出掛ける予定だったらしい。
だけど嬉しい事に、小田さんは家族で出掛けるよりも俺と一緒に居たいと思ってくれたらしく、結局お母さんとお父さんと弟さんで行く事になったみたいだ。
そしてウッキウッキワックワック約束をしに来てくれて、OK。
でも授業中にゆんの事を思い出して、あーりゃりゃこりゃりゃって事で今に至る。
「そっかぁ……そゆ事ね」
「だ、ダメだったらゆんに留守番しといてもらえばいい話なんだけど…………」
「いいよ。ゆんも連れといでよ」
「ほんとっ!?」
「うん。ゆんと遊ぶの楽しいしさ」
「ありがとう!!」
と、言う事で、日曜日。俺と小田さんとゆんは、今山の中に居た。
いつもより少し遠出。だけど冬に来るにはちと寒すぎた。
隣には綺麗な水が岩の間をチョロチョロ流れてて、上を見上げると緑のシート。その間から太陽の光が差し込んでる場所もある。
そして光を時々遮るのは、小さな鳥達。緑のシートの更に上から、鳥のさえずりが少し聞こえる。
そんな中を、ゆんは嬉しそうにドタドタ走り回ってる。
って言っても遠くに行く心配は無い。小田さんが手に持ってるのは、伸びるリードだから。俺もそんなのがあるってついさっき知ったんだけど。今までゆんのリードは普通のだったし。
ゆんの、黒い薄っぺらい耳は相変わらずピロピロ揺れてて、クルンと巻かれた尻尾はアンテナみたいに左右に揺れてる。
うん、ゆんが喜んでくれて嬉しいよ、嬉しいんだけども…………昼ご飯どーーーすんだよ、これ。
今何時だろう?
「ね、時間分かる?」
「あ、うん。腕時計……」
腕時計かー。あんまする気が起きないんだよなぁ……。付けるの面倒くさいし。
こんな時、携帯があったら便利なんだろうな、って思う。
「今は……10時半!」
「うわ……。早いね」
「出るのが早かったからね」
一体俺は何時に家を出たんだ。寝ぼけて出たのかもしれない。家からあの公園まで行って小田さんと一緒にこっちに歩いてきたんだから、それだけでも結構な時間を費やす。
それをやっても尚、10時半って事は、俺は家を最低でも9時には出たって訳だ。
休みの日にもそんな時間に起きるなんて…………俺って凄いかも。
「ゆんっ!?」
小田さんの声が、静かな山に響く。ハッとして見るとゆんのリードが木に巻かれて、丁度首が締まってる。
真正面から見たとすると……木を間に挟んで小田さんが右、ゆんが左。んでリードは木を一周しちゃってるから、ゆんの単純な頭では自分が一周して外そうなんて事は考えられないみたい。いくら小田さんが「こっちおいで」って言っても、ひたすら踏ん張るから更に首が締まる。ゆんにも一応オスとしてのプライドがあるみたいだ。
でもさぁ、なんか凄い顔になってくぞー……? おデコにシワが寄りっぱなしで。
俺は小田さんに、「小田さんが向こうに行くってのは出来ないの?」って聞いた。そしたら「私が負ける事になっちゃうから……」って言った。
小田さん曰く、オモチャで遊ぶのでも、人間から放すのはタブーらしい。
そうすると犬の方が「オレのが上だー」っておバカな勘違いをするから、そこからドンドンやりたい放題犬に繋がってってしまうみたいだ。
だからこの場合も同じ。ゆんが自らこっちに来るか、強制的に来させない限りはこの図が延々と続く。どっちも負けようとしないから、まるで綱引き状態。
でもゆん、大分力があるみたいだ。なんかリードがプッチンって切れないかハラハラドキドキする。
さすがにずっとこの図が続くのはゆんも可哀相なので、俺も呼ぶのを手伝った。
2人で犬の名前を連呼する。傍から見たら変な図なんだろうな……。
こんな時は山で良かったって思う。
しばらく呼び続けた。「ゆん!」とか「ゆんこっちおいで!」とか。
しかし一向に来ない。なんか自分で首締めてるって言っても過言じゃないのに、ゆんはさっきからゲホゲホ言ってる。
「もうこの場合しょうがないんじゃない……?」
「うん……」
そう言ったから、小田さんは自分からゆんの方に行く。……と思った。
思ってたんだけど、急にリードの紐自体を引っ掴んで引っ張り出した。
……そっち!? そっちですか!? 強制的ですかっ!!?
「ゆんー…………おいでっ……!」
ぐいぐい引っ張ってると、じきにゆんの下にあった葉っぱがズリズリ移動し始めた。勿論ゆんも。
「お……もうすぐ! もうすぐ!!」
ゆんが命懸けの綱引きに挑戦してる横で、俺はゆんのケツを扇いだ。少しでも早く向こうに行けるように。そんな事したって意味無いのは分かってるけど。
そして数秒後、葉っぱが1枚、宙を舞った。ゆんの足も少し地面から離れた。やっと小田さんの方に行けて、ドラマとかで見る限りでは飛びつくのかなーと思いきや、何事も無かったかのように地面に鼻をくっ付け始めた。
「…………ゆん、なんともないの……?」
「多分大丈夫……」
そう言う小田さんの手は真っ赤だった。まるで紅葉のような色の手を、俺はじっと見つめた。
俺に対しては優しい小田さんは、犬に対して厳しかった。
まぁただ単に厳しいだけってワケじゃないんだけどね。愛のムチってヤツ? 飴とムチってヤツ??
俺がそんな事考えてるとも知らず、ゆんは相変わらず元気に走り回る。さっきまでの「ゲホゲホ」の声が嘘みたいだった。
頭上からは鳥のさえずりが聞こえて、時々優しく風が吹き、それに応えるように葉っぱ達も揺れてザワザワと音を出す。あぁ、自然界っていいなぁ……。
もしもこの自然の中に俺達だけしか居ないのなら…………どれだけ幸せなんだろう。
他の誰かが俺達の空間を荒らす事も無く、邪魔する事も無く。
永遠に、この景色を見ていられる。
風に吹かれて宙を泳ぐ葉っぱを追いかけるゆん。
そんな無邪気なゆんを見つめる小田さん。
その後姿を見つめる―――俺。
この関係を保ちたい。この関係を壊したくない。小田さんと、ずっと一緒に居たい……。
そう思えば思うほど、里砂の二の舞にしないように、と急いてしまう。
他の男に取られないように、と焦ってしまう。
「あ、もみじ!」
ボーッとしていると、小田さんが声をあげた。彼女が手に取ったのは、小さい真っ赤な紅葉。小さいけれど、一生懸命真っ赤な色を保ってる健気な紅葉。
「……ホントだ。まだ残ってたんだね」
他の仲間達が枯れて土に還っていく中、この紅葉は小さいながらもまだ此処に残っていた。まだこの場所に居た。たった1枚だけになっても。
やっぱ……自然って凄い。
「これ持って帰って飾っておこうかな」
「でも萎れない?」
「大丈夫! ラミネーターを使うから」
「ラミネーター? 何それ、ターミネーターの一種?」
俺がそう聞くと、小田さんは笑いながら「違うよぉ」と言って、説明してくれた。
なんか透明なファイルみたいなのに挟んでそのラミネーターってのに差し込むんだ。上から差して下から出てくる。ちなみに独特の匂いがするらしい。
そうすると、手作り下敷きみたいなのに出来て、それなら萎れる心配も折れ曲がる心配もないらしい。
頭いいんだなぁ、それ作った人。
ついでにお金持ちなんだなぁ、小田さん家。
俺なんかラミネーターの「ラ」の字すら聞いたこと無い。勿論見た事も無い。
小田さんはこの紅葉を本の栞に使う予定みたいだ。
「それにしても綺麗な朱だね」
「ね! 秋に山来なかった事に後悔しちゃうね」
「確かに……。こんな近くにあるのに毎年遠くから見るだけで終わってたからなぁ」
そうだ。来年は小田さんと一緒に来よう。そして一緒に紅葉の下でお弁当を食べよう。ゆんも連れて。
きっと楽しいだろうな。
「じゃあ…………あの、来年……一緒に、来よう?」
「え…………うん!!」
ビックリした。考えてた事分かったのかと思って。同じ事考えてたんだろうか。
なんだかちょっと…………嬉しいじゃないか!
それから俺と小田さんは、リードを引っ張りまくるゆんを連れて山の中を散策して、昼ご飯を食べる為に町に戻った。
「犬も入れる飯屋ってこの辺あったっけ?」
「あんまり聞かないよね」
「まぁいざとなったらコンビニかどっかで買って食べれば……」
「うん、そうだね!」
いくら町を歩いても、犬OKの店なんて無かった。
いざとなったから俺らはコンビニで買って川原に行った。
ゆんには小さなビスケットを買った。
「ゆん、ビスケットだよ」
「あ、すげー。はははっ! 喜んでる」
「榎本くんあげてみる?」
「え、いいの? よっしゃー」
俺は小田さんからビスケットを受け取り、ゆんにあげた。だけど犬にあげた事なんて無かったから、少しビクビクしながら。掌に生暖かい舌が当たってくすぐったい。
1個あげ終わると、ゆんは「もっと、もっと」とでも言うような顔で見てきた。
「もう無いぞ」
そう言ったけどゆんは納得しないみたいだ。手をひたすら舐めてる。
「無いって! くすぐったいよゆん!」
「手を広げると諦めるよ」
「手?」
「うん、こうやって」
小田さんは両手をパーにして広げた。なるほど。
俺も真似してやってみると、嘘みたいに簡単に諦めた。
「へぇー!! こんなんで諦めるんだ!? おもしれー!」
ホントに面白い……!!
横では小田さんも笑ってる。なんて幸せな時間……。
―――そんな中、俺は考えた。クボが言ってたように、名前で呼んだ方がいいんだろうか? 俺らは俺らの呼び方で、なんて言ったけど、恋人同士なら名前で呼び合った方がいいんだろうか…………?
小田さんはどうなんだろう? ずっとこのまま「榎本くん」でいいのかな。
俺にも、名前で呼んでみたいって言う気持ちはある。だけど………………。
俺ら、まだキスもしてないんだよ!!!
そんな段階から「彩乃」と「晴樹」なんて、なんか、なんだか、不自然じゃないか!?
なんかさ、無理して恋人恋人させてるぜ! みたいになったりしないか!!?
「おっ…………おおお小田さん!!!」
ヤバイ! 口が震えた!! 声が震えた!!! 言葉がドモった!!!!
「……? どうしたの……?」
「や……いや、あ、の……あっ…………あははっ! あ、あのさ…………」
うーー。なかなか言葉が出てこない!! 小田さんは頭の上に「?」マークを並べて俺を見るばかり!! どうしたらいいんだ……誰か助けてくれ!!!
「あっ! ゆんー!!」
…………モジモジしてる間に小田さんはゆんに連れていかれた。
くそっ! ゆんのが1枚うわてだったか!! 強引なヤツめ。
「……ん?」
さっきまで小田さんが居た所に、赤いボールが1個落ちてた。ゆんのかな?
「小田さーん!」
立ち上がって大声で呼ぶと、小田さんは川原の川の近くで「なにー?」とちょっと控えめな、でもいつもよりは大きな声で返事をした。
俺はその小田さんに見えるよう、赤いボールを頭の上で振って、「これゆんのー!?」と聞いた。まぁ聞かなくても分かるけどさ。だってゆんのグッズは全て『赤』だから。
小田さんの返事を聞く前に、俺は1人と1匹の許へと走った。走ってくる俺を見て、ゆんは興奮したみたいだ。ピョンピョン飛び跳ねてる。
「これ、ゆんのだよね?」
「……あ、ホントだ! うん!」
「投げていい? ゆん取ってくる?」
「えへへ……。1回投げてみて?」
「…………?」
小田さんの言葉と笑いの意味も分からぬまま、俺はボールを投げた。同時に小田さんも手に持ってたリードを放す。ゆんはそのままタッタカタッタカ走ってった。
「! ちょっ……ゆん!? いいの? 行っちゃうけど…………」
「いいの、いいの。帰ってくるから」
いいのか……? ゆん、ホントにちゃんと帰ってくるのか……?
ゆんはだだっ広い川原を存分に駆け回り、赤いボールと戯れてる。向こうの方で部分的に白い尻尾がブルンブルン揺れてる。緑色の草の中に茶色と白の尻尾。今は尻尾しか見えない。それがまた可愛く思える。
しばらくするとヒュッと黒い顔が現れて、口に赤いボールを銜えてる。
その黒い顔との距離がドンドンドンドン縮まってって…………すぐそこまで来た。
「すげー! ちゃんと来た!! …………あれ?」
んで目の前に来る、と思ったらその場所にボールを吐き捨てて、俺を素通りしてった。
「…………」
「これが無ければ凄いよね!」
小田さんが笑いながら言った。笑い事……なのかな……? まぁいっか。笑えるなら…………。
でもなんか今俺、人間の男としてのプライドをズタズタに引き裂かれた気分なんだけど……これは何故??
そして背後に居るゆんの、嘲笑う顔しか想像できないのは…………何故??