影の色
影の色は、幸せの残響だった。
いつの頃からか、人の影に色が見えるようになった。おそらく生まれたときから、そうだったのだろう。
小学校の図工の時間、クラスメイトの影を描いたとき、僕の絵には黒い影などなかった。
桃色や水色、淡い緑や薄い黄色――色とりどりの影が、白い紙の上で静かに揺れていた。
級友たちは笑った。「影は黒いだろ」と。先生は「個性」とだけ言った。
その言葉が、僕の中で静かに沈殿した。影は本来、黒いものなのだと――
子供の頃、街はまだ明るかった。人々の影は水彩のように澄んでいて、春風に乗って揺れていた。
特に好きだったのは、同級生の春花ちゃんの桃色の影だ。彼女の影に足を踏み入れると、胸の奥で桜の花びらが舞い、甘い香りが広がった。
けれど、時が経つにつれ、その桃色は徐々に濁り、彼女の両親が離婚して彼女が町を去る頃には、ほとんど真っ黒に染まっていた。
そのとき、僕は理解した。影の色とは、幸せの色なのだと。大人になった今、街を見渡しても、あの頃のような影を纏う人間はもういない。
子供ですら、うっすらと灰色を帯びた影を引きずっている。時代のせいなのだろう。誰もが、少しずつ黒いものを抱えながら生きている。
そんなある日、信号の傍で、とりわけ黒い影を見つけた。三十代くらいの男が、立ち尽くしている。その影は、ただの黒ではなかった。
闇そのものを濃縮したような、すべてを飲み込む深淵のような黒。見ているだけで、視界の端が歪む。
僕は、理由もなくその影に身を重ねた。途端に、黒いものが流れ込んできた。つらい。苦しい。悲しい。死んでしまいたい――
その衝動が、絶え間なく僕の心に注がれてくる。胸が締めつけられ、息ができない。視界が暗くなり、耳鳴りがする。
そうだ――この男は、先日ここで事故に遭った母親と子供の、父親だった。信号機の下には、色あせた花束がいくつも供えられている。
僕の心に、バターナイフで黒い闇が、丁寧に、執拗に塗り込められていく。きっと、この男は死ぬつもりだ。僕は必死に、その男の肩に手を置いた。
男は驚いたようにこちらを向いた。
「…大丈夫ですか?」
彼がそう尋ねたとき、気づけば僕の両目から、涙があふれていた。男はとっさに、僕を気遣うように身を寄せた。
その瞬間、世界が、愛と、思いやりでできているように思えた。
「ええ、大丈夫です」と、僕は答えた。
「あなたは、大丈夫ですか?」
男は一呼吸置き、小さく微笑んで「大丈夫です」と返し、「ありがとう」とだけ言って、青信号を渡っていった。
その瞬間だった。僕の足元に、これまでなかった影が、ゆっくりと伸びた。
色はない。
ただの、深い、深い黒。男の影は、少しだけ薄くなっていた。
そして僕の影は、街灯の下で、静かに、すべてを飲み込むように、濃くなっていく。
夜が、まだ始まったばかりだった。
読んで頂き有り難う御座います。




