第48話、優しい嘘と賑やかな嵐
「いっでぇぇぇ! ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「待ちません。いいから大人しく腕を出しなさい、ソル!」
アイゼンガルド領内、騎士団詰所。
未曾有のスタンピート(魔物暴走)から二週間が経ち、ようやく戦後処理や復興に向けた動きも一段落した頃のこと。
活気を取り戻した詰所のすぐ隣――臨時の救護所からは、情けない男の絶叫が響き渡っていた。
「いくらなんでも、これはやりすぎだって! 別に大したケガじゃないんだから!」
「はいはい、わかりました。……じゃあ、これで仕上げね」
ルナリエは言うが早いか、ソルの痛む背中を容赦なくパチンと叩いた。
「ぶっっ、いっだぁぁぁ!?」
ソルが再び涙目で悶絶する。
治療を担当しているルナリエは、呆れ顔でため息をつきながらも、手際よくソルの体に薬布を張っていく。
その手つきは少し手荒ではあるものの、彼の傷を深く気遣う優しさに溢れていた。
そんな二人のやり取りを、近くのベッドで休んでいた先輩騎士たちがニヤニヤとおちょくり始める。
「おいおい、スタンピートで大活躍した『若き英雄様』が形無しだな?」
「聞いたか? こいつ、あの乱戦の中で単身魔物の群れに突っ込んで、指揮個体を一撃で仕留めたらしいぜ」
「全くだ。あの上位魔物を一刀両断した手柄がなきゃ、今頃お前はここに生きてねえよ。アイゼンガルドを救った大金星だな!」
「や、やめてくださいよ先輩方! あれは本当に、たまたま運が良かっただけですから……!」
ソルは顔を真っ赤にして慌てて首を振る。
そして、からかってきた先輩たちの中に、あの日背中を預けた一人の姿を見つけてハッとした。
「それに、あの時は絶好のタイミングで、先輩が俺の剣に聖水をかけて属性付与してくれたおかげです。
あの一撃が決まったのは、先輩のサポートがあったからですよ。──本当にありがとうございました!」
ソルが真剣な顔で頭を下げると、お礼を言われた先輩騎士は一瞬きょとんとした後、照れくさそうに頭を掻いた。
「へっ、お前なぁ……そういうところだぞ。素直に自分の手柄にしときゃいいもんだが」
「本当だよ。あの時はみんな必死だったんだ、お前の実力だよ」
先輩たちが感心したように笑う中、ソルは「いえ、本当に余裕がなかったんです」とまだ縮こまっている。
そんな様子を見ていたルナリエは、最後の薬布をペタッと貼り終えると、ふっと表情を和らげてソルの顔を見つめた。
「ふふ、でも本当にその通りだよ。みんなソルの頑張りのおかげで助かったんですから。
……ありがとね、ソル」
まっすぐな瞳で褒め称えられ、ソルは完全に言葉を詰まらせてしまう。
気恥ずかしさを誤魔化すように頭を掻きながら、彼はルナリエの顔を覗き込んだ。
「お,俺は別に……。それよりルナリエこそ、あのあとずっと不眠不休で治療に当たってただろ? そっちの方が無茶しすぎだ。ちゃんと休んでくれよ?」
心から自分を心配してくれるソルの言葉に、ルナリエは一瞬だけ驚いたように目を見張る。そして、どこか切なげな苦笑いを浮かべて首を振った。
「私は大丈夫よ。これくらい、なんてことないわ」
ルナリエはそう言いながら、無意識に胸元へ手をやった。服の襟元をきゅっと合わせ、ソルの視線から何かを遮るような――ほんのわずかな、しかし明確な違和感。
だが、生真面目なソルは「それならいいけど」と素直に安堵するだけで、彼女のその不自然な仕草の理由に気づくことはなかった。
そんな、二人だけの甘酸っぱくも妙な空気の流れる治療所。
そこへ、パタ、と入り口の天幕を持ち上げる音が響いた。
「あの……」
姿を現したのは一人の少女だった。
燃えるような朱色の髪に、大きな瞳。
おそるおそると天幕の隙間から中の様子をうかがいながら、静かに足を踏み入れてくる。
その容姿が目に入った瞬間、ベッドで寛いでいた騎士の一人が息を呑んだ。
直後、救護所内の空気が一変する。張り詰めたような、凍りつくような圧倒的な静寂が辺りを支配した。
「――っ!?」
さっきまでソルをおちょくっていた先輩騎士たちが、弾かれたようにベッドから飛び起きる。
ソルもまた、持ち前の戦闘本能が告げる『決して不敬を働いてはならない相手だ』という強烈な警告に従い、即座にその場に膝をつく。
頭を垂れ、拳を胸に当てる――騎士としての最敬礼の構えだ。
「リ、リーン様……っ! このようなむさ苦しい場所に、一体なぜ……!」
騎士たちが一斉に緊張に身を震わせる。
それもそのはず。
リーン・フォン・ブッシュバルド公爵家令嬢。
彼女はこのアイゼンガルド領、ひいてはこの王国において、一般の騎士が直接お目にかかることすら滅多に叶わない、至高の存在なのだから。
厳かに呼び止められた当のリーンは、そんな慣れない形式的な礼法に、少しだけ困ったように眉をひそめた。
「そ、その、堅苦しい挨拶は結構です。今は戦時でもありませんし、怪我人なのですから頭を上げてください」
冷徹とも取れるほどの美貌に、どこか居心地悪そうな色を滲ませて言葉を諌める。そしてリーンは、跪くソルたちの横をすり抜け、まっすぐにルナリエの前へと歩み寄った。
「リーン様、どうしてこちらに――」
ルナリエが驚き、何かを言いかけようとした、その時だった。
「ルナリエ……っ!!」
「えっ、ちょ、リーン様!?!? く、苦しい、息が――っ!」
「ルナリエ、ルナリエ……!」
驚愕するルナリエを抱きしめたまま、リーンは真剣そのものの表情で、その全身をジロジロと見回し始めた。
顔に傷はないか、腕に痣はないか、体調は悪くないか。あちこちをペタペタと触りながら、まるで至高の宝物の傷を検分するかのように必死に確認していく。
「本当に怪我はない? どこか痛むところは? 悪い病気に罹ったりしていない!? 無茶をしていないと今すぐこの場で私に誓える!?」
「だ、大丈夫です! 元気ですから! ちょっと、みんな見てますから離れてくださいお嬢様ーっ!」
さっきまでの威厳に満ちたオーラはどこへやら。
普段の冷静な姿からは想像もつかない『重度のルナリエ依存症』を発揮するリーンの姿に、ソルや先輩騎士たちは、ただただ呆気に取られたまま、温かい苦笑いを浮かべるしかなかった。
あの戦いから二週間が経っているというのに、心配性のリーンは未だに過剰なまでの過保護っぷりなのだ。
(『ちょっと先輩、マジで過保護が過ぎて引くんだけど。
私が『聖女』の力で常に監視してるし、彼女の生体記録は100%正常。太鼓判押してあげるから、いい加減離れなよー』)
(「もうっ、わかってるわよ!」)
リーンの脳内に直接、あのちょっと生意気な後輩(ギャル風)の声が響き渡った。
声の主は、リーンの腰のベルトに、まるで可愛いチャームのようにぶら下がっている小さな『りんね人形』だ。他者には一切聞こえない、リーンと一対一の【念話】の回線が強制開通されていた。
心の中でその人形に言い返しつつ、リーンはルナリエに優しく促されて、ハッと我に返った。
「そうだったわ……ルナリエ、ソル。今日は貴女たちに『大事な報告』があって、その途中でここに寄り道したの。」
リーンは真剣な眼差しを二人に向け、言葉を紡いだ。
「――今回のスタンピードにおける二人の功績が、正式に本国に認められました。近いうち、王都より叙勲の使者が届きます。心の準備をしておきなさいね」
そう言い残し少しだけ名残惜しそうにルナリエの手を離すと、リーンは身の回りを整え、嵐のように救護所を後にした。




