第27話、蒼銀のバカンス ―課金執事と日傘の令嬢―
「青い海! 白い砂浜! まさにここはリゾートに最適な場所だわ!」
燦々と降り注ぐ太陽の下、リーンは大きなパラソルを掲げて快哉を叫んでいた。
その傍らには、常夏専用の執事服(特別冷却仕様・課金アイテム)を完璧に着こなしたライナスが控えている。
「お嬢様、日焼け止め魔法の更新時間です。それにしても、この服は魔導冷却効率が素晴らしい。アルベルト様の『予算』も、たまには役に立ちますね」
━━現在、一行がいるのはベルベット侯爵家が治める広大な領地の一角、【蒼銀の海岸】。
古くから軍事的な要衝であり、海岸線にはかつての防衛拠点だった歴史的な石造りの砦が点在しているが、現在は王国屈指の貴族向け避暑地としても知られている。
「不穏な招待状」を受け取ったはずの場所に、なぜか水着持参で現れた親友の姿に、同行したシャルは完全に困惑していた。
「あ、あの、リーン様? 父からの手紙には『査定するから直ちに出頭せよ』と、恐ろしいことが書いてあったはずなのですが……」
「いいのよ、シャル。向こうが『軍隊』で来るなら、こっちは『バカンス』で返す。これぞ、不協和音を中和する最強の編曲術よ!」
リーンは得意げに語り出す。
それは、リーンがバカンスへの期待に胸を膨らませ、軽やかな足取りで屋敷の玄関ホールに降り立った時のことだった。
開け放たれた扉の向こう、馬車のロータリーに鎮座していたのは貴族の令嬢が旅に用いるような優雅な代物ではなかった。
「ねえ、ライナス。私の視覚回路、バグってないかしら?」
「いいえ、お嬢様。極めて正常に、『戦車』を捉えておりますよ」
そこに鎮座していたのは、最新鋭の魔導装甲を幾重にも重ね、車輪の代わりに無限軌道を装備した、文字通りの軍用重装馬車だった。
しかも、あろうことか車体全体が目がチカチカするような鮮やかなショッキング・ピンクに塗装され、側面には「愛娘号」と金文字でデカデカと刻印されている。
「お父様ぁぁぁ!! 説明しなさい、今すぐにぃぃ!」
リーンの絶叫に反応したのか柱の影で作業をしていたアルベルト公爵がひょっこりと姿を現した。その瞳は、最先端の魔導兵器を語るエンジニアのような熱を帯びている。
「おお、リーン! 今回の遠征のために、特別に作らせた『戦車』だ!気に入ったか? ベルベット領は軍閥の地。何が起きるか分からんからな。
これは対地雷仕様の底板を装備し、さらに正面には『不敬な輩』を自動でなぎ倒す魔導バリケード展開機能を搭載しておいた。このピンクは、荒野でもすぐに見つけ出せる救難色だ!」
「バカンスに行くのよ!? 宣戦布告しに行くんじゃないの! こんな物騒なもの、ベルベット家の門前に乗り付けたら、その瞬間に戦争が始まるわよ!」
「安心しろ、主砲は外してある。代わりに最新の魔導冷房を……」
「そういう問題じゃないわよ!!」
たじたじになるアルベルト。だが、彼は諦めない。
「しかし、ベルベット家のアイアンと言えば話が通じぬ男で有名なのだ!あいつに有効な手立てとして、まずは物理的な防御力がなくては……」と、なおも熱弁を振るおうとした、その時。
アルベルトの背後に、音もなく巨大な「黒い影」が立ち上がった。
「――アルベルト様。少々、教育に悪うございますよ?」
怒気を孕んだ静かな声。公爵家の使用人を束ねる男、総執事長である。
彼は白手袋をはめた手で、アルベルトの肩をガシリと掴んだ。その指先からは、有無を言わせぬ圧力がメシメシと鳴っている。
ガシッッ!!
「ぬ、ぬおっ!? セバス、離せ! 私はリーンの身の安全をだな……」
「閣下。お嬢様は『バカンス』に行かれるのです。装甲車で砂浜を蹂躙しに行くわけではございません。……皆様、この『ピンクの鉄屑』は今すぐ熔解炉へ。お嬢様には、私が手配した『至極まとも』な最高級馬車をご用意しておりますので」
セバスは完璧な笑顔を浮かべたまま、抵抗する主人の首根っこをひょいと掴み、まるで手荷物のように引きずり始めた。
「ま、待て! せめて予備の魔導シールド発生装置だけでも……リーン! リーン……っ!」
「アルベルト様、お静かに。さあ地下の停車場へ戻りましょうね……」
廊下の角に消えていく、パパの悲痛な叫び。
リーンはその光景を遠い目で見送りながら、深く溜息をついた。
「……ねえライナス。うちのパパ、一度本気で『調律』した方がいいと思うの」
「左様でございますね。ですが、セバス様に任せておけば、目的地に着く頃には大人しくなっているでしょう」
こうして、ピンクの重戦車は幻となり、リーンたちは無事に「まともな馬車」で避暑地へと出発することができたのである。
合掌。
――ちなみに、セバスに連行されたアルベルト公爵は、そのまま領地の緊急案件の処理に追われ、今回のバカンスには結局同行できなかった。
そんな出発前のドタバタ劇を思い返しながら、リーンは手元にある果実水をあおる。
数日間の快適な馬車旅を経て、このプライベートビーチに到着した直後のことだ。
驚いたことに、先に降りていたライナスの背後――その影から、すっと漆黒の頭巾を被った人物が現れた。公爵家が誇る「密偵」だ。
「ライナス様。現地サンプルの調査が完了いたしました。まずはこの資料を――」
「ええ、ご苦労さまです」
前世のゲーム設定資料集でしか見たことのなかった『公爵家の影』。
その実物を、リーンは初めて目の当たりにしていた。
手短に安全報告を終えた密偵は、残像だけを残して音もなく風のように掻き消える。
(本当に影に溶けていくみたいに消えるのね。衣服が擦れる音も呼吸の音すら一切しないなんて、どんな訓練をしたらあんな風になれるのかしら……)
リーンが内心で大興奮しながら密偵の消えた空間を見つめていると、その熱い視線に気づいたらしいライナスが振り返った。
彼はすっと綺麗な人差し指を自身の唇に当て、悪戯っぽく微笑んでみせる。
「――お嬢様。他言無用ですよ?」
「っ……!?」
いつも以上に決まった仕草と、至近距離で向けられた艶やかな微笑み。不意に浴びせられた大人の色気というやつにあてられてしまったのは、リーンにとって完全に想定外の出来事だった。
高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように、慌ててパラソルの中へと駆け込む。 用意されたビーチチェアに腰掛け、手近にあった果実水を一気に喉へと流し込んだ。冷たい刺激で、なんとか落ち着きを取り戻そうとする。
それが正しきバカンスの過ごし方かどうかは、さておき――。
「だ、大丈夫ですか? リーン様」
「ええ、ありがとう、シャル」
すぐ横で、シャルロッテが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
視線を上げると、ライナスは何事もなかったかのように、完璧な執事の顔で佇んでいる。その涼しげな横顔が、かえってリーンの対抗心に火をつけた。
(くっ、なぜかいい感じに一本取られた気がして悔しいんだけどぉ! 完璧執事にこれ以上マウントをとられてたまるもんですか……!)
内心で激しく地団駄を踏みながらも、これ以上シャルに心配を隠し通すのは無理だと判断し、リーンは誤魔化すように、隣の少女へバッと勢いよく向き直った。
「さあ、そんなわけでシャル! 怖いお父様に会う前に、まずはこの『波の音』で心をリラックスさせましょうね!」
「う、うぇぇ〜……は、はいぃ……」
完全に気圧されているシャルの背後には、見渡す限りの白い砂浜と、どこまでも青い水平線が広がっている。
今、私たちが陣取っているのは、日差しを遮る大きなパラソルが並ぶ、南向きの開けた特等席だ。
しかし、その陽気な南国リゾートの光景からぐるりと真後ろへ視線を転じると、そこには荒々しく切り立った灰色の岩場が、まるで外界を拒むようにそびえ立っていた。
その時、岩場の影から明るい声と共に、一人の人影が飛び出してくる。
「リ〜ン様〜! シャル様〜! 見てください、これっ!」
潮風に乗った声と共に駆けてきたのは、スラムで講義をしていたルナリエだった。 彼女もまた「バカンス」という響きに、千切れんばかりに尻尾を振って賛成し、この遠征に同行してきた一人だ。
そんな彼女が現在、身に纏っているのは――。
(ふむ! いいわね。最高に似合ってるわよルナリエ!)
リーンの脳内では、ミニサイズのリーンたちが盛大な拍手喝采を送っていた。
ルナリエが着ているのは、上下の分かれた大胆なビキニタイプ。亜人である彼女のために、尻尾が出せるよう改造された特注品である。
(さすがの私でも着るのを躊躇してタンスの肥やしにしてたけど、やっぱりいいわね……。素晴らしい目の保養よ!)
「ふふっ、とっても可愛いわよ!」
「えへへ、動きやすくて最高です! シャル様も、そんなモジモジしてないで着替えちゃいましょうよっ」
ルナリエは、侯爵令嬢であるシャルに一応の敬語を使いつつもぐいぐいと距離を詰めていく。
「えっ、あ、あの……わ、私にはそんな破廉恥な……っ」
「大丈夫ですって! ほら、あの子……エルフィーネ様も、もう着替えてますから!」
「ええっ!?」
そんなわけで、半ば強制的に着替え場所へと拉致されていくシャル。
ちなみに、リーンは既に準備万端だ。燃えるような赤髪に映える、淡いクリーム色のパレオ水着。清楚でありながら、公爵令嬢としての品格を感じさせる絶妙なチョイスである。
(……ライナスにも水着を勧めたんだけどねぇ。頑なに拒否されちゃったわ。まあ、不機嫌になられても困るし、諦めたけど……シュン)
暫しの間――。
砂浜に刺さったパラソルの下、リーンは一人思考の渦に沈んでいた。
(改めて思うけど……本当に、あの処刑フラグを折っちゃったのね)
寄せては返す波の音を聞きながらリーンは小さく息を吐き出す。
前世の知識を頼りに動き回った結果、当初の予定からは少しズレてしまったけれど、大まかな目的だった『公爵による処刑ルート』は無事に回避できた。
その実感が、改めてじわじわと湧いてくる。まずは一安心、と言いたいところだけれど。
(ううん、ここで油断したらおしまいよ。シナリオが変わった以上、何が起こるか分からないんだから。
まずは、不安がるよりも目の前の問題を一つずつ片付けていかなくちゃね)
この『蒼銀の海岸』という場所は、本来ならもっと先のイベントで「シャルの誘拐事件」が起きる不穏なステージのはずだった。
(イベントのタイムスケジュールが大幅に前倒しされている? パパの処刑フラグを折った影響かしら? それとも、まだ私が知らない『初見のイベント』が始まろうとしてるの?)
袋小路に陥りそうになったリーンの思考を切り裂いたのは、不意に落ちた「影」だった。
「お嬢様。あまり難しいお顔をされていると、せっかくの美しい肌に皺が寄りますよ」
いつの間にかライナスが日傘を差して寄り添っていた。
ふと顔を上げるとそこには穏やかな瞳を湛え、余裕たっぷりに微笑む執事の姿がある。
以前の彼ならいつ殺されるかと怯えていたはずだ。けれど今はその隣にいることが何よりも安心できる。
――処刑を回避するという目的とはまた別の、名前も知らない感情が胸の奥で熱く去来する。転生して初めて抱く、甘い不協和音。
「そ、そんなことないわよ。ちょっと、これからの『編曲』を考えていただけだわ」
「左様でございますか。ならば、その指揮棒を振るう腕に、私が最高の日除けを捧げましょう」
そんな他愛もないやり取りを交わしていると、ようやく着替えを終えたシャルが帰ってきた。
いつもの三つ編みを解き、爽やかなポニーテールに髪をまとめている。
「あの……リーン様。……どう、でしょうか?」
本人は「スタイルが良くないから」と頑なに主張して譲らなかったため、リーンが選んだのはフリル付きの清楚なワンピースタイプの水着だ。
(全然そんなことないのに……。控えめに言って最高じゃない!)
「シャル、とっても素敵よ! 普段のキリッとした雰囲気とのギャップが素晴らしいわ!」
リーンの絶賛にシャルが顔を赤らめていると、背後からクスクスと揶揄する声が響いた。
「あら。着替える前は、緊張で小刻みに震えていたくせにね」
現れたのはエルフィーネだ。彼女はモノキニタイプの、少し扇情的ながらも抜群の上品さで着こなす水着を纏っていた。引き締まった美しいラインが、嫌みなく砂浜に映えている。
「え、エルフィーネ様っ! それは言わない約束です……っ!」
からかわれたシャルがムッとして、エルフィーネの腕をポカポカと叩き始める。
「あら、ごめんなさい」と微笑ましい光景を見せながらも、エルフィーネは悪びれずにリーンへと向き直った。
「それで、リーン。これからの予定は?」
リーンは地平線の向こうを見つめ、不敵に、そして意気揚々と笑った。
「考えることは山ほどあるけど……まずは今日と明日! このバカンスを、全力で楽しみましょうか!」




