第4章 — 明日、もしよければ
「丸2日間も待たされましたね。
本当は話したくないのかと思ったよ。
でも、今はうれしい。
こんにちは、新しい友だち。」
「……こ、こんにちは。」
何も出てこない。
視線をそらす。
「えっと…君、名前は?
私のは知ってると思うけど、書き方も言っておくね。
私は藤宮栞。
“藤宮”は藤と神社の“宮”。
“栞”は“しおり”——本の栞の字。」
「栞…本のしおり?」
「そう」笑う。「ママがね、“これならいつでも人生のどこからでも、また始められる”って。」
もう一度、少し小さく笑う。
「じゃあ——君は?」
「も、森谷。
森谷陸翔。」
「字は?」
「“森”に“谷”。
“陸翔”は“陸”に“翔ぶ”。」
「わあ、すてきな名前。」
「……あ、ありがとう。」
気まずさが降りてくる。咳払いをひとつ。
「ねえ、君は…いったい誰?って、聞いていい?」
「誰って?
さっき言ったじゃん。」
「そうじゃなくて…なんで、ここに?
ずっと僕を困らせてきた。
のぞいてたよね。見たでしょ…その…あいつらを。」
声が少し大きくなる。
止められない。
「友だちになりたいって言うくせに…
なのに、そんなふうにするなんて。
それに、どうして手紙は“手書きっぽいのに印刷”なの?」
静かになる。
次に話すとき、彼女は言葉を選んだ。
「…君の言うとおり。ごめん。
でも、君が話してくれなかったから。
私は友だちになりたい。だから全部、話すね。」
間。
窓ガラスを見つめる。
細い光の線だけが映っている。
「この町に来たのは、最近なんだ。
今、アレルギーの治療を受けてる。
病院に近い方が親も助かるから。
でも…外には出られない。
今のところは。」
もう一度、間。
「それで、お父さんがこれを作ってくれたの。
エンジニアで…何やってるのか詳しくはわからないけど、
ものを作るのが得意。
このドローンもそう。
これは…私の一部みたいなもの。
外の世界に出る、唯一の方法。」
声は震えない。けれど、ゆっくりになる。
「うまく説明できないんだ。
これを言うだけで、ばかみたいだなって思う時もある。」
「じゃあ、手紙は?
手書きなのに、どうして印刷みたいだったの?」
深く息を吸う音。
「タブレットで書いたの。
絵を描くのが好き。外の景色を思い出せるから。
でも、絵の具や粉やインクは体に合わない。
今は何でもタブレットでやってる。
日記も、デジタルで。」
「それも…アレルギー?」
すぐには答えない。
音を立てないように、静かに呼吸する。
泣きそうなのを隠す時の、母さんみたいな呼吸。
「話す時間は、これからいくらでもあるよ。
最初のごあいさつを、悲しい感じにはしたくない。
治すために頑張ってる。
ほんとだよ。」
追い詰めたい気持ちはある。けど、唇を噛んでやめる。
「じゃあ、君は? どうして外に出ないの?」
喉がつまる。
「ぼ、僕は…出てるよ。」
「へえ?
いつ?」
責める調子じゃない。
少し皮肉、でも優しい。
「じゃあ、のぞいてたのは君だよね?」と僕。
「ち、違う! っていうか…
わざとじゃない。
ただ…時々、君が見えるんだ。
いや、正確には——あいつらの方が。」
言葉を選んでいる。
「あの子たち。
君の家の前にたむろする連中。
叫んで、笑って。
君のことを…ああいうふうに呼んでた。」
うつむく。
空気が重くなる。
「むかついた。
すごく。
もし私がそこに“体で”いられたら、ぶん殴ってた。」
言いかけて、ふっとため息。
「…今の言い方、よくないね。」
俯いたまま。
笑う。けど、空っぽな笑い。
うまく塞がらない古い傷みたいだ。
「言うだけなら簡単。
でも目の前にいると…」
大きく息を吸う。
言葉が刺さる。
「耐えるしかない。」
拳を握る。
強く。
向こうは返事をしない。
それから——
「私としては、ちょっとお仕置きが必要だと思う。
なにか考えようよ。」
体が固まる。
声が思ったより強く出る。
「いらない。
君のすることじゃない。」
長い沈黙。
LEDは、同じリズムで点る。
次に来た声は、はっきりしていた。
「わかった。
じゃあ…もう充電は十分かな。そろそろ戻るね。」
また、少しの間。
何かを待っているみたい。
でも、僕はケーブルを見つめたまま、何も言わない。
「ケーブル、抜いていいよ。
じゃあ…
明日、また来てもいい?
もしよければ。」
うなずく。
ケーブルを抜く。
ドローンがそっと浮かぶ。
羽音が遠ざかる。
その場に座り込む。
彼女は帰った。
手紙を見る。
胸の中で、何かが——少しだけ——動いたままだ。




