第四章 断絶の儀
群島役所の石段は濡れて滑りやすい。受付で紙束を受け取り、雪巴は一枚ずつ書いた。名の書き換え、戸籍の分離、保護の申請。ペン先が震えないのが不思議だった。これが終われば、わたしはもう、あの家に時間を払わない。親族の家を転々とし、見つけた部屋は狭いが静かだ。狭さは、三分の呼吸で広がる。
小部屋の机には灰砂の砂時計が置かれている。匂いのない砂は規格品で、時間庁の検印がある。職員が条文を読み上げるあいだ、雪巴は〈時の布〉の端を指の腹で押した。押して戻る。その間に、涙も遅れてほどける。境界線を自分で引くというのは、こういう感触だと思った。
最後の紙に新しい名が印字された。「これで、あなたの時間はあなたの管理下です」。短い言葉に、長い夜が少し解けた。印を押す音が、どこかで鐘みたいに響く。廊下の端で三分、目を閉じて呼吸する。扉を抜けると、港から潮の匂いが強く上がってきた。
新しい部屋の初めての夜、床に小さな円を描いた。三分間だけ、音を数える練習をする。冷蔵庫の低い唸り、窓の桟を抜ける風、隣室の時計。終わったら一行だけ書く——観察→仮説→次の一手。失敗したらどう戻るかも一行で決める。これを〈一手戻し〉と名づけた。戻れる道を最初に用意すれば、挑戦はこわくない。
机の隅に携帯の端末を伏せる。毒のような着信は来ない。音の少ない夜は、耳が自分へ戻ってくる夜だ。薄い布を指で弾き、戻る速度を確かめる。わたしは練習でできている。三分で、誰にも奪われない歩幅を作っていく。