第三章 港としての本
島の図書室は小さいが、窓が大きい。雪巴は「工房案内」「見習いの心得」「首都ルクスナ」を抱えて席に着いた。背の高い女性がそっと白い布と細い針を置く。「それは時の布、こっちは〈刻針〉。布の糸に“秒”を縫い込む道具さ。三分結びを覚えなさい。結んで、三分待って、ほどく。気持ちが戻る」
雪巴は言われた通りに布を細く結び、砂時計を返す。ほどくと、指にほの白い輪が残った。輪は、戻ってから進む合図になる。泣く日も黙る日も、三分なら越えられる。ノートに一行。「仕事を面白くする=戻ってから進む」。
女性は仕立屋だった。布を指で弾きながら言う。「戻りの速度は人それぞれ。あなたの三分を探しなさい。早すぎると息が荒れるし、遅すぎると眠くなる。合う速度は、音が揃う」
「音?」
「作業場の唸り。帯みたいに続く音だよ。乱れると仕事がもつれる。聴き分けられるなら、あなたはいい職人になる」
棚の地図で首都の工房を調べる。夏の説明会はこれで三度目だ。島から通い続け、笑われ、門前で断られ、それでも行く。「仕事は遊びじゃない」と言う人たちの前で、わたしは言葉を探す。遊びは軽さではない。集中を長持ちさせる“遊び方”が、仕事を支えるのだと。
帰りに切符売り場で時刻表を写し、宿の相場を計算する。島の手紙屋で工房宛に短い手紙を書く。「三分だけ静かに座って、見えたものを一行で共有する“三分会議”を提案したい。中断の山、再作業の比率、提出前の相談回数を簡単に記録できます」。冗談みたいに小さな工夫が、大人の現場を助けるかもしれない。
鞄に入れるものを決める。ノート、時の布、刻針、簡単な履歴書。わたしは勉強の抜けを抱えている。それでも、観察して仮説を立て、手で確かめ、数字で示すことならできる。三分を味方にして。窓の外で霧白が薄れ、月白が屋根に降り始める。次の船、次の工房、次の三分。準備は、静かな港のように胸の底へ溜まっていった。