推しの王子と恋をするはずだった
「下級寮にも馬車が出るなんて親切ね」
入学式の日は早く訪れた。
学生なんて久しぶりだからか、緊張してしまう。
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入学が決まってからは、家に案内人が来てどんどんと手続きが進んでしまった。
お母さんは戸惑っていたけれど、最終的にはがんばってと見送ってくれた。
積もる思いはそれほどないはずなのに、母の優しさに不覚にも泣いてしまった。
ゲームのカモミラと同じく、私は下級寮に入った。
平民から入学した者は特待生扱いとなる。「才能を認められての入学」と言えば聞こえはいいが、
もともとは貴族のための学院であるここでは、家柄では入学できなかった下位の人間ということだ。
とはいえ、寮から学院まで馬車を出してくれたり、一部の資金を支援してくれたりと、
平民にとっては至れり尽くせりというわけだ。
そんなことを考えていると、学院に到着してしまった。
馬車の扉が開いた瞬間、カモミラは胸を張って学院の門を見上げた。
石造りの高い塔、金の装飾がきらめく紋章付きのゲート。
そのすべてが「乙女ゲームの舞台」そのものだ。
カモミラ――いや、前世ではブラック企業に勤める社畜OLだった自分が、死後なぜかこの乙女ゲームの世界に転生した。
ヒロインの名前は「カモミラ」。田舎出身の平民に近い身分ながら、魔術の素質を見込まれて王立学院に招かれた――という、ちょっとした努力型ヒロイン設定。
だがそんな背景はどうでもいい。
この世界には、わたしの推しがいるのだ。
その名も、第一王子であるジグルド=ヴェルトライン。通称【俺様王子】。
金髪に碧眼、完璧な容姿に強大な魔力と剣術の才を併せ持ち、何よりヒロインを一途に愛し抜くという「最強の愛されルート」の持ち主。
――――よし、絶対にこのルートで愛されて、王妃エンドを迎えてやる!
意気込みとともに、門をくぐる。
入学式後の講堂。広い伽藍に、伝統を語り始めそうな装飾たち――
非常にわくわくしながらも、前世と変わらず眠気を誘う式典だった。
生徒たちはこのあとに控える晩餐会のほうが本命のようだった。
貴族たちは晩餐会で飾りつけ交流を計るのだ。
ただ、カモミラは平民――そんな会に参加できる服も縁もなかった。
平民出身で才能だけで入った特待生は、雑務や奉仕活動が義務づけられているということで、
式典の後片付けも「礼儀」のうちだという。
礼儀に従い、入学式の片付けを手伝うことにした。
生徒がぞろぞろと退室する中、見学用の魔道具を片付けていたカモミラの視界がふいに影に覆われた。
「……貴様、誰の許可でそれに触っている?」
振り向くと、いた。まさにビジュアル通りの王子――ジグルド様。
けれど――――なぜここで?
ゲームのジグルドは、もう少し後で出会うはずだし、それに、
「もう少し好意的」だったと思う。
だが目の前の彼は眉をひそめ、まるで不審者を見るようにカモミラを見下ろしていた。
「平民か?いや…推薦か。
田舎出とは聞いていたが、まさか礼儀も知らぬとは思わなかった」
「え、あ、あの、私は先生に講堂の片付けを――」
「言い訳はいい。今後、俺の目に触れるところに出しゃばるな。
誰の客人かも分からんような女が、王族の前で気安く動くな」
顔が良い。とはいえ、流石に笑顔がひきつる。
――――あれ? こんな、だったっけ?
想像していた“王子との運命的な出会い”は、甘くとろけるようなスチルだったはずなのに。
目の前にいるのは、理不尽で、上から目線で、そして「自分にひれ伏して当然」と言わんばかりの態度を取る王子だった。
最初に違和感が芽生えた瞬間だった。
まだ、この世界の攻略に、拳が必要になるとは夢にも思っていなかった――。