恋人は砂の中で鳴り響く
お読み頂き有難う御座います。
夏のホラーに間に合いましたかしら……。いつもの風味ですね。
其処は、王都の中でも中央から少し離れた商業特区、と呼ばれる場所だった。
昔は賑わっていたらしく、有名店が軒を連ね、夜も昼も明かりが常に灯っていた。王都随一の観光地として貴賤問わず老若男女が常に行き交っていた。
だが、今は建物の大半は壊れ、道に雑草が生い茂り、骨組みだけになった看板や落ちた屋根瓦が空き地に積み重なる。当時の盛況ぶりは見る影もない。
ある日。その商業特区で、奇妙な事件が起こった。
表通りに面した何故か雑草が生えない一角。砂が敷き詰められた奇妙な土地。
其処に2日ほど前から、一心不乱に手で空き地の砂を掘っているというのだ。
怯えた数少ない住人からの通報を受け、やってきた警備隊に尋問を受け、男は答える。
その男は三十代そこそこといった見た目で、古びてはいないが古めかしい立派な服を着ていた。
若者の警備隊員には分からなかったが、五十代の警備隊員ハンは、自分が若い頃に流行ったものだな、とチラリと呟く。
古臭い意匠が好きなのだろうか? はたまた親の服を譲り受けたのだろうか? しかし、服は仕立てたばかりのように艶と張りが有った。
「お待ちください。確かに私は私有地に立ち入る罪を犯しました。ですが、はっきりと聞こえたのです」
弁明する男の話は、支離滅裂だった。不審者慣れしている警備隊員達は、何処の異常者なのか? と内心苦虫を噛み潰す。
「お待ちください。確かに今は聞こえませんが、先程迄間違いなく響いていたのです」
そんな警備隊員達を宥めるその声は、芝居を生業としているかのように聞き取りやすかった。
こんな枯れた土地にはそぐわない声は、割れた石畳に朗々と響く。
「真っ赤な西日のもと輝く黒髪、シミ一つ無い白い額、薔薇色の頬、瑞々しい瞳。
私に向けられる煌めく視線は甘く、透き通る声は愛に満ちて、あの時のまま、時を止めた美しい姿で……。
彼女は手回しオルガンを弾いていたのです」
奇妙なことを朗読のように話す男につられ、警備隊は辺りを見回した。
確かに、此処には数少ないながらも住人はいる。
だが、『若い娘』が呑気に音楽を弾いて暮らすような場所ではない。行き場のない土地の権利者が、仕方なく住んでいるだけにすぎない。
此処は、川の氾濫で壊滅した『棄てられた商業特区』なのだ。
「私に聞かせてくれた『恋は砂のように満ちる』を弾いていたのです。
分かっています。
彼女はもう居りません。
現実に打ちひしがれた哀れな自分の前に現れたらと、夢を見てしまったのです」
そう言い終わると、男は急に哀れな程草臥れてしまった。
しかし、砂を掘る手は止めない。サクサク、ザクザク、ザクザクザクザク……。
言葉遣いも丁寧だが、話すことは尽く意味不明。
心を病んでしまった男だろうか。綺麗な服を着ているから、家族に大事にされているのだろう。
行方不明届が出ているかもしれない。
男を警備隊の詰所へ連行しよう、と警備隊が目配せし合う、ほんの一瞬の間。
「……おい」
「え……さっきまで、居たよな?」
5人もの警備隊員が少しだけ目を離した隙に、男は消えてしまった。まるで、其処に何もなかったかのように。掻き出していた砂さえ、何の跡もなく。
しかし、次の日また通報が入る。
商業特区で見知らぬ男が砂を掘っていて、気味が悪い、と。
警備隊員ハンは、もうひとり若者の警備隊員を伴い再び現場へ向かうことになる。
「またアンタか。昨日は何処へ」
「今日は」
男は快活に返事をした。だが、砂を掘る手は止まらない。
まだ来て間もないのか、砂は平らなままだった。
「今から遡って……先の王妃殿下が身罷られた年の冬、二十年程前でしょうか。
この商業特区に、他国から引っ越してきた商人の家族が居たのです。
そうです。今は……少し荒れた屋敷です。大窓からオルガンが見えます、あの屋敷です」
「そうか」
ハンは男の示す方を眺めるも、其処には何もない。
若者の警備隊員は、無駄話に付き合わずさっさと連れていきましょうよ、と顔を顰めている。
だが、何故かハンは彼の話を遮る気になれなかった。
「私もその頃は年若く……粋がった若者でした。
近くにさも用事が有るかのように振る舞い、引っ越しを野次馬しに行ったのです。
ええ、今でも商業特区へ他国から越してくる者は珍しい。
私のような暇に飽かせた野次馬は、多かったと思いますよ」
昔の話だ。
男の話は、ハンが未だ10代の若者だった時の話だ。この年齢の男が懐かしむような話では、決してない。
だが、まるで見てきたかのように男の話は淀みも綻びもない。
何故なら、ハンも商人の引っ越しの噂を聞きつけ、商業特区へ野次馬へ出掛けていたからだ。
「若者達は、商人の自慢の娘の姿を目にしたかったのです。
どんな猛者も、美男も虜にする美姫だ、と評判でしたからね」
その言葉で、不自然にハンの心臓が大きな音を立てた。
若い頃のハンが住まいから離れた商業特区へ野次馬に来たのも、美しい娘が居ると聞いたからだ。
「あの時、本当に見物して良かったと思いましたよ。
前の広い道が狭く見える程、荷馬車が何台も連なって、野次馬が遠巻きにいましてね。おかしくも壮観でした」
使用人の異国風のお仕着せすらも見たことない鮮やかな色彩で、何十枚もの複雑な模様の絨毯に、沢山の天鵞絨の絹の天幕、見たこともない草で編まれた家具……。見たこともないものばかりだった。
そう男が語る。
嘗て若いハンが見ていた、30年近く前の話を懐かしそうな声で語っていた。
「親に叱咤されつつも学んでいた商人の端くれとして、異国の品物に少しばかり精通していた私も、その多さに、珍しさに、呆気に取られましたよ。
でっぷりとした腹の商人が、家具の位置はどうの、食料はどうのと指示を出していましたね。時折交じる異国の言葉に、知らない香料の香り……何から何まで異国風でした」
時折同い年の仲間達で話題になった、あの豪華な引っ越し。
そうだった。あの時ハンを含む街中の若者が、同じ光景を見て、聞き、嗅いでいた。
「しかし、そんな驚きもつかの間。
使用人が行き交う隙間から、空に放たれた矢のように瑞々しい乙女が飛び出した光景を、二度と忘れはしません」
ハンの呼吸が一瞬止まる。
炭よりも濃く美しく跳ねる黒髪も構わず、踊るような足取り。
顔を隠す真っ赤なヴェールから透ける輪郭は、彫像のように整っており。
ヴェールと揃いの、赤刺繍をびっしり刺して拵えた見事な衣装が乱れるのも構わず、乙女は風のように屋敷へ消えていった。
その姿が、30年も前の光景が一瞬で蘇った。
「それから、私の心はかの乙女に奪われたままでした。
励んでいた仕事も熱中していた戯れも、何をしても手につかない程に、囚われてしまったのです。
顔も知らない、たった一度だけ垣間見た乙女にです」
「絶対おかしなヤツだよ……。
……先輩、コイツ……。もう、連れて行きましょうよ」
ベラベラ喋る男と押し黙るハンを不審に思ったのか、若者の警備隊員はイライラと指示を仰いだ。
だが、ハンの口は凍り付いたように開かない。
「おかしなことですか? この胸を焦がす想いが?
きっと本物の真の恋を知らない方なのですね」
「……」
この30年でハンは妻を娶った、子を成した。
でも、焼け付くような恋は、感情は妻へ感じたことはない。
「いや何なんだ、先輩! コイツ変です。どうしたんですかハン先輩!」
「その後は毎日、彼女の心を射止めようと手を尽くしました。
かの屋敷に何通も何通も書きました。
染まった手を痛める程に手紙を認めました。婚約の打診も隙間なく送りました」
そうだ。
ハンも手紙を書いた。
今まで、幼年学校ですら碌に書き取りの宿題もしなかったのに。
ひと目見ただけの、赤い服の女に手紙を取り憑かれたかのように書いていた。
汗を滴らせるハンの傍で、若者の警備隊員が彼の異変に気付き、呼びかけるもハンは微動だにしない。
「おい、もうやめろ」
「しかし、かの屋敷からは慇懃な断りしか戻ってきません。
私の他にも苦心した若者達が沢山居りましたよね。
ですが、商人の掌中の珠たる乙女は、噂さえ聞こえてきませんでした。
気配も、名前すらも外へ零れ落ちなかった。
あの日迄は」
あれだけ男は手を動かしているのに、砂は動いていない。
ザクザク、サクサク……。砂を搔く音だけは明朗に聞こえるのに。
「態々異国から惚れ込んで迎えた王妃殿下が、王子殿下をお産みになられた夜。
あの日は、町中が狂乱と言っていい程の騒ぎでした。
平民街にも貴族街にも分け隔てなく祝いの花が降り、振る舞い酒のせいで方々に酔っ払いが座り込み、異国から伝わった空で弾ける火花が見事でしたね」
知っている。ハンも振る舞い酒を散々飲みいい気分になっていた。
そして、友人と騒ぎ合い……何時の間にかはぐれて。
それから……。
「そのお祭り騒ぎの喧騒の中、偶然です。いや、足が向いたのは否定しません。
かの屋敷に目をやると、二階の窓辺に座り楽器を奏でる乙女が居たのです」
あの時ハンは気がついたら、異国の家具に囲まれていた。何処かにぶつけたのか、水路に落ちたのか。頭と肩がずぶ濡れだったのを覚えている。
「見たこともない異国の楽器で、手回しのオルガンのようなものだと言っていましたね。
まるで風を音楽にしたような、心地よい音でした。
幸福なことに、見張りが居なかったのです」
喧騒が遠くで、静かだった。
「私は悪いと思いながらも、彼女の元へ近付こうと高く枝を伸ばす木に手を掛けました。
ですが、私に気付いた乙女はしなやかな手で、私の止めたのです」
「あがってきては、ダメ」
酒に酔った頭を更に溶かすように甘く、可憐な声だった。
あの時の衝撃を思い出すと、男の声が肯定する。
まるで、ハンの心を読んだかのように。
「言葉は拙いながらも、天で紡がれる音色のように美しい声でした。未だ此方の言葉が流暢でなかったのでしょうが、心を掻き乱されるものでしたね」
ハンの体は動かない。
記憶が、何も思い出すなと軋んでいる。耳元で叫ぶ後輩の若者の言葉すら不明瞭だった。
「心優しい彼女は、私のぎこちない木登りを心配したのでしょう。夜空の火花に照らされたその瞳は、美しく潤んでいましたから。
そして、恥ずかしかったのでしょう。直ぐに部屋の中へ入ってしまいました。実に奥ゆかしい可憐な乙女です。
その日の逢瀬は、火花のように儚くそれきり終わりました」
違う。
あの乙女がこの男を受け入れた筈がない。
それは、ハンに向けられた言葉で、待遇だった。
「それからというものの。
屋敷の警備は元の通りに……いえ、もっと厳しい警備態勢となりました。
何でも乙女に無理に迫る不届き者が現れたとか。
厳しい護衛が、隙間なくお屋敷を取り囲むのです」
あんなに乙女と見つめ合ったのに。ハンの心は通じた筈だったのに、かの門は二度と開かなかった。
「私なら、きっと守ってみせるのに。
若造でしたが、彼女への想いは誰にも負けませんでした。
手紙を工夫したり、我が商会の珍しい果物を同封したり……。
ですが全て、空振りに終わったのです」
当然だ。乙女はハンと心を通わせたのだ。
この男に心を移す訳がない。ハンは高揚した気分で、男を睨みつけた。
サクサク、サク……サク。男の声と砂を搔く音が酷く響く。
「どうにかして、かの屋敷の誰かと知己になれないかと、考えました。
商人自身でも、使用人でもいい。
縁を手繰り寄せ、乙女へもう一度相見えたかったのです」
ハンこそが乙女へ会いたかった。
この、商人の邪魔な男ではなく。だから……邪魔な奴は地道に潰していった。
ハンの家は、五代前から警備隊員だ。其処らの余所者商人程度とは、信用からして違う。
嘗て取った、忘れ去っていた手段が思い出された。
手が些細な処理で砂に塗れていたことも。
「ヴェールを外し、私のみに向けられた微笑みは、どんなに美しいのでしょうか。
あのしなやかな体は、恥じらいながらも淑やかに大胆に身を任せるのでしょう」
こんな汚らわしい男など、追い払って当然だった。
「しかし、隣国との緊張が続いた残酷な時節。行商に出された私は拐われ人質に取られたのです。
まるで、誰かに密告されたかのように」
がり、がが……。男の砂を搔く音が変わった。
「砂の迫る町に囚われていましたよ。何もかも乾いた土地です。幸い、身代金目当てに殺されはしませんでした。
異国で苦役に就き長く苦しい日々でしたが、時折音楽が聞こえるのです。
あの時の乙女が弾いていた曲が酒場から漏れ聞こえていたようでした。
そう、『恋は砂のように満ちる』です」
乙女は自分以外となんて会えない。会わせない。
乙女は、見つめ合ったときからハンのものだ。手違いで妻を娶ってしまったが、乙女の為なら棄てるのは当たり前だった。
「乙女に会いたかった。
乙女に会いたかっただけなのです。
逢わせてください。
鳴っているんです。屋敷の中から、私を待つ曲が。
乙女の奏でる手回しオルガンが聞こえるのです」
掻いても掻いても動かなかった砂の中から、べと、ズルリ……。
若者の悲鳴が、人の少ない商業特区へ響き渡った。
まあ、陛下。御機嫌よう。此方へのお渡りはお久しぶりですわね。
ええ、この楽器ですか? この取っ手を回して奏でる楽器ですわ。
何処かで見たことが? まあどちらで?
そうなんですか。この細工はふたつとない珍しいものですのに。
報告は聞きました。
砂地から、骸が出たお話。
犯人が捕まって何よりです。本当に良かった。
でも、不思議ですねえ。骸を見つけた警備隊員も失踪したのでしょう?
不審者も風のように消えてしまったとか。
あの屋敷に居た従姉のファーネドーラには引っ越し当初から『悪質な付き纏い』が多かったと聞きます。
彼女の弟……。わたくしにとっては従弟の商人。
あの頃は未だ十代の若者だったのですよ。
若輩だと舐められるから、と髭を濃く蓄えて、恰幅がよく見せようと腹帯を沢山巻いてましたわ。
顔を見ればすぐに分かったでしょうに、よく騙されてくれたと笑っておりました。
此処の商人は、昔も今も碌に顔なんて見ていないのですね。顔馴染みにすらなれない筈です。
哀れなファーネドーラのお話?
ええ、覚えております。
あの商業特区では、越してきた商人の娘だと勘違いをされて、噂になって困ったと。
……彼女、当時はふたりも子を抱えていたのに、歳若い無垢な乙女だと勘違いが酷かったそうですね。
美しいと思わせるような雰囲気はありましたから。
ですが、もう次の嫁ぎ先が決まっていましたからね。
当時はご時世もありまして、内輪のことを態々言い振らす謂れは有りませんでした。
ファーネドーラは嫁ぐまで些細な自由を満喫したいと、弟の所に身を寄せていただけに過ぎません。
ふふ。誰が言いふらすか分からない秘密は、最初から忘れる位で丁度いいかもしれませんね。
ですがあまりに野蛮な者達が多いので、外に出る気も無かったそうです。
治安が悪く碌な気晴らしも出来ないと言っておりましたが、ちゃんと気晴らししていたようですしね。
あのお祭りの夜。
つい少しばかり窓を開けてしまったばかりに。
木登りをして侵入した『暴漢』に襲われて、命を散らす悲劇が起こってしまった。
そうですよ?
わたくしから生まれてもいない男児をわたくしの子供と偽り、国中が祝ったあの狂乱の日。あの屈辱、忘れもしませんわ。
あの日はよいご機嫌でしたね。楽しかったですか?
町も大変でしたわね。酒精に頭を煮やした男達に襲われて、若い娘が幾人も行方不明になったではないですか。
下手人が王の子飼いの騎士や警備隊員だったばかりに、揉み消しましたね。
王家は財政難。それを覚えていますか。
それなのに、高価な花火を上げ、どんちゃん騒ぎの宴を開き、挙句無制限の振る舞い酒だなんて、誰が用意出来るのですか? 金子が何処から出ていたか、何も考えませんでしたが?
何事もなく過ごしているから、わたくしの家が何とかすると思ったのですか?
踏み倒されると分かっている取り引きに、マトモに応じる商人がおりますか。
取れるところから取らないと。
葡萄酒に毒を入れたか、ですか?
いえいえ。
あなたが好んで飲んでいる、葡萄色の酒は鮮やかで甘く美しかったでしょう?
脳を蕩けさせ、目を焼く美しさだった筈です。男の前で舞うしか能のないファーネドーラのような葡萄酒です。
毒と認められていない、自然に潜み体を蝕むもの。それだけです。法で定めていない、即ち毒ではありません。
異国の商人の娘だから誤魔化せると侮っていました? 地味で無知なわたくしを欺いて騙しきれると思っていました?
わたくしはあなたが蔑んでいた商人の娘。代金はちゃんと引き上げますよ。
中でも、水門の鍵は役に立ちましたわ。あの川は平時は美しいのに、少しのお願いで、わたくしの嫌いなものを綺麗にお掃除してくれましたわね。
ねえ、陛下。
あなたの子飼いもあなたも、もう直ぐ全て綺麗な名も無き骸になりますわ。
わたくしに飽きたからと呼び寄せた従姉は砂の下でカチカチと鳴っていたそうですし。
わたくしを害そうとした従弟も自慢の屋敷も財産も肉も削がれて川へ流されました。
そうそう。商業特区だけでは足りませんでした。この国をお代に頂きますわね。
美しいなら、なんでもお好きなようでしたものね。




