第8話 答えがでないなら聞けば良い(キース視点)
皆で食事を終え、ミシェルを下宿先であるロンマロリーの屋敷に送り届けた一行はその場で解散した。
それもこれも、キースが食事の間中、ミシェルを気にしていたからに他ならない。
マーヴィンたちも彼女を心配していたのだが、色々と察しの良いアニーは解散だと言ってラルフとマーヴィンの腕を引っ張り、さっさと立ち去ってしまった。
司祭、探索者、剣士と職業が異なれば、出自もばらばら。立場が違うこともあり、仲間としてお互いを大切に思っていても、入り込めない部分がある。
同業者とさえ腹の探り合いをすることがあるのだから、付き合い方の難しい貴族相手ともなれば、なおさらだ。
キースの脳裏に、無邪気なミシェルの姿がよぎる。
依頼を通して知り合ったのが一年ほど前だ。
魔術学院の学生が護衛任務を引き受けた。護衛対象も貴族令嬢だが、学生──ミシェルもまた貴族令嬢。なんなら、学生の方がより重要な名家のお嬢様だと知らされた。つまり、護衛対象のみならず、ミシェルも守らないと報酬はないという、鬼畜なまでに冒険者を濃き使う依頼だった。
依頼内容はさほど難しくはなかった。なんなら、一人でやってもいいと思えたくらいだ。それでもキースが引き受けた理由は、マザー家の娘に会ってみたかったからだった。
なに不自由なく育ってきただろう侯爵令嬢が、家格の低い令嬢の護衛を引き受ける。よくよく考えればおかしな話だ。冒険者稼業をお遊びと思っているのか。
様々な思いを抱きながら出会ったが、キースは自分のひねくれた考えを全てひっくり返された。
お遊びなんて、ミシェルは微塵も思っていなかった。家格なんてのも気にせず、泥にまみれ、自ら動いていた。その姿が、ただ眩しかった。
それからだ。何だかんだと、ミシェルと遭遇することも増えて、いつしか仲間となっていたのは。
だけど、と思いながらキースは静かな屋敷を見上げた。
「……泣いてたな」
ミシェルの泣き顔を見たのは、初めてだった。
怪我を負ったとか肝試しで驚かされた。嫌いな虫に追われて泣いた。欠伸で涙が浮かんだなんて生理的なものも入れたら、涙の一つや二つは見ている。
だが今日、夕方に見かけた涙はそうではなかった。
誰がミシェルを泣かせたんだ。──考えると苛立ちが募った。考えて答えが見つかるわけもなく、もやもやとする気持ちを酒で流し込もうとしたキースだったが、結局それがしこりとなって、今もなお残っている。
ミシェルがいつも通り、いや、いつも以上に笑顔を振りまいていたことも、違和感を感じる理由となっていたのだろう。
暗闇の中にある屋敷の前、立ち去ることができなかった。髪をがしがしとかき乱したキースは横道へと入っていった。
見上げた屋敷の一角で、明かりがぽっと灯る。その窓の向こうを、見覚えのある二つ結びの人影がよぎった。
「……らしくない」
ぼそりと呟き、深い息を吐き捨てる。
考えたって分かる訳がない。答えがでないなら聞けば良い。考えるより先に動くタイプでもあるキースは意を決すると、屋敷を囲む石積の壁を見渡した。
壁の高さは大人一人と半分ほど。その上に突き出た鉄の支柱が等間隔で組まれているが、むしろ手足をひっかけるには丁度よさそうだ。さらに、その向こうには見事な巨木がある。
部屋へと渡るルートを確認したキースは「まあ行けるか」と呟いた。
拾った小石を窓に向けて投げた。
コツン、コツンと続けて当てれば、再び人影が窓に映った。そっと押し開かれた窓から覗いた顔は、つい今しがた別れたミシェルだ。
「おい、ミシェル」
声をかければ、少し驚いた顔をしたミシェルがランタンを掲げ、周囲をきょろきょろと見回した。
「どうしたの。皆は?」
「もう帰ったけど。そんなことより、ちょっと話さないか?」
「いいけど。じゃぁ──」
「そこで待ってろ」
下に降りるからと言いかけたのだろう。ミシェルは驚きに瞬きを繰り返している。
キースは石積みの壁に指をひっかけ、その上へと器用に飛び上がった。止める間もなく、ミシェルの前にある大木の枝へと上がる。
「よっ、少しは元気になったか」
「ちょっ……な、何、危ないことしてんのよ」
思わず声を上げそうになったミシェルは、はっとして部屋のドアを振り返った。しかし、廊下に人の気配はなく、声をかけられることもなかった。
ほっと息をつく姿を見て、キースは鼻で笑った。
「は? 今更かよ。冒険に出たらもっと危険なことしてんだろうが」
「そうだけど……ロン師に見つかったら」
「あー、じいさんね。まぁ、そん時はさっさと退散するって」
「もう……ほんっと無茶ばかりするんだから」
呆れ半分、可笑しさ半分でため息をついたミシェルは、キースの「そっち行っていい?」という質問に、きょろきょろと周りを見回すと、頷いて窓から数歩離れた。
枝を揺らして軽やかに部屋へと飛び込んだキースは、薄明かりに照らされた室内をぐるりと見回した。
年代物らしい文机の上には乱雑に書物が積みあがっている。壁には絵画一つ。だけど花一つ飾られていない素朴な部屋だ。
整然と片付けられていると言えばそうなのだが、トルソーにかけられた外套も、見慣れた赤いローブだけで、巷の女が好みそうな帽子やショールなどは一つもない。これが侯爵令嬢の部屋だと、誰が信じようか。
「恐ろしいくらい、色気のない部屋だな」
「むっ、バカにしに来たなら帰って」
「別にバカにしてないけど?」
寝台の横につけられた小さなナイトテーブルに置かれた素焼きの小物入れを開けたキースは、砂糖菓子を見つけた。それを遠慮せず摘まむと、口に一つ放り込んだ。カリッと噛むと糖衣が砕けて中のアーモンドの香りが広がる。
「勝手に食べないでよ」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「減るでしょ、バカ」
呆れてため息をついたミシェルは、布張りの椅子に腰を下ろした。
噛み砕いた砂糖菓子を飲み込みんだキースはミシェルの向かいに立つと、その頭を軽く叩く。何も言わず、ぽふぽふと叩いていると彼女は俯いた。
「話したくないなら、無理には聞かないけどさ……皆、心配してるよ」
「……うん、分かってる」
柔らかいルビー色の赤毛を撫で、顔を上げる様子のないミシェルにどうしたものかと思ったところで、キースは励ましの言葉一つ考えていなかったことに気づいた。
もし自分ならと考えてみても、泣くほどのことなど早々にい。哀愁なんて感情は遠い昔に捨てたし、痛みで泣く姿なんて女の前で晒せるか。──だからこそ、その涙の理由を知りたく思ったのだと、キースは今さらに気づいた。
ミシェルの髪から手を離し、今度は自身の髪を乱暴にガシガシとかき乱す。ゆっくり腰を屈めて、ミシェルの顔を覗き込んだ。
つぶらな青い瞳に涙が浮かんでいた。必死にこらえているから、可愛い顔は台無しだ。
「意外と、泣き虫なんだな」
知り合って一年はすぎていると言うのに、知らない顔があった。その驚きに、キースは戸惑いながらも不思議な感情を抱く。それはまるで喜びににていて、わずかに鼓動が早まった。
不躾にまじまじと見ていると、ミシェルは涙を溢れさせ、小さな手で何度もそれを拭った。
「そんな擦ったら、明日、真っ赤になっちゃうでしょ」
涙に汚れる顔はお世辞にも綺麗ではないが、必死に泣き止もうとする健気な姿を、どうして放っておくことが出来ようか。
自分よりも遥かに小さな白い手を掴んだキースは、やっと視線を向けてきたミシェルに、ため息をつく。
擦られた目元が赤くなっていた。
「言わんこっちゃない。ただでさえ、ウサギみたいな頭してんのに、目までウサギになるつもりかよ」
「……ウサギ……何よそれ」
「ほら、ウサギの耳ってこう上についてんじゃん? お前の髪形にそっくりだろ」
「犬だってそうじゃない」
「ん、そう? でも、サイズ的にミシェルはウサギっぽくない?」
小首を傾げたキースを見て、ミシェル可笑しそうに笑った。ずびっと鼻をすすり、天井を見上げて息を整える。それからややあって、意を決したように「ねぇ、キース」と呼んだ。
「ん、なに?」
「私が侯爵家の娘だって話したことあるよね」
「あー、あのマザー家のおっかねぇ竜騎士が親父なんだろ? それがどうしたんだよ」
顔を上げたミシェルは濡れた頬を袖でこすりながら、文机へと歩いていく。その上にあった鞄から一通の封書を取り出すと、キースに渡した。
「……私、学院を卒業したら、皆ともっと自由に旅をしたいって思ってた。でも、卒業したら縁談の話を受けるよう、家から知らせが届いたの」
渡された封書の印は、間違いなく、マザー家のものだった。
「魔術師として認められれば、グレンウェルドに残れる。だから、必死に頑張ってきた。もう少し、もう少しなの……でも、今日ね……マザー家の令嬢として自覚がないって、バカにされて……私がバカにされたならまだいいの! そうじゃなくて、家の皆や国までもバカにされたようで、悔しくて」
ミシェルはスカートを力いっぱい握りしめながら俯いていた。ともすれば再びこぼれそうな涙をこらえている。
唇を噛んで堪える姿を見て、キースは内心、そういうことねと呟いた。そうして、封書の中に目を通すと「なんだ」と呟いた。
「仕事が決まらないようならって書いてあるよね? おっさん、別にミシェルのやりたいこと否定はしてないんじゃないの?」
「……うん。でも、たぶん……マザー家の令嬢としては、諸侯との繋がりを持つことが正しくて」
「そうしたいの?」
「違う!」
勢いよく顔を上げた拍子に、ミシェルは青い瞳から大粒の涙をこぼした。
キースはため息をつくように笑うと、大きな手を伸ばし、乱れた赤毛を撫でる。
「なら、今までと一緒で良いんじゃないの?」
「でも……お父様が許してくれるか……」
「お貴族様は大変だよな」
「……ごめん。キースには関係ないことだよね」
「まぁ、そうだけどさ。お前が泣いてると調子狂うしさ」
髪を撫でる手を止めたキースは、俯いていたミシェルが見上げてくると、にっと笑った。
「良いこと思い付いたんだけど」
「……何よ」
「お前の兄ちゃん、失踪してんだよな? 見つけようぜ。そしたら、お前のこと無理に国に戻す理由も減るだろ?」
「……でも、いなくなって、もう五年だよ」
「諦めんの?」
静かな言葉に、ミシェルの肩が強張った。
「俺だって、まだまだミシェルと冒険したいし、皆もそう思ってる」
「……キース」
「俺には家族っていないけどさ、仲間と家族は同じようなもんだと思うわけよ。だから、おっさんや家を思うお前の気持ちも、少しは分かってるつもりだ」
だけど、と言ってミシェルの腕を掴んだキースは、その小さな身体をすっぽりと腕の中に引き寄せた。
「もうちっと自分のことも、思ってやれよな。お前、今、傷ついてんだろ? 遠い家のことより、お前の心、大切にしてやってもいいんじゃないの?」
よしよしと頭を撫でたキースは、震える小さな肩を抱きしめる。しばらくして嗚咽と共に「ありがとう」と消えそうな声が聞こえてきた。
なかなか泣き止まないミシェルを抱き締めながら、泣かせたいんじゃないんだけどな、と心の中でため息をついて少し腕に力を込めた。
俺が、貴族のしがらみから攫ってやろうか。──そういえたら、どんなに良かったか。
ミシェルが眠りに落ちるまで、キースはただ側にいることを選んだ。
次回、本日12時頃の更新となります
続きが気になる方はブックマークや、ページ下の☆☆☆☆☆で応援いただけますと嬉しいです。応援よろしくお願いします!↓↓