第40話 黒い巨鳥は翼を広げる
アニーの口からため息がこぼれる。その手の多節棍をホルダーに収めると、ラルフと揃って近づいてきた。
「じゃぁ、あたしは何すればいい?」
「アニー?」
「これはミシェルが持ってきた依頼だろう? 決定権はお前にある」
「ラルフ……ありがとう!」
ラルフの大きな手がキースの肩に置かれ、アニーは私の頭を撫でまわした。すると、お兄様が「ミシェル」と私を呼んだ。
振り返ると、お兄様は小さくため息をついて「危険なことはさせたくないが」と低くいう。
「いっても引かないのだろう?……もしも、ヒクイドリが襲ってきた場合は、私に任せなさい」
「……お兄様?」
「ヒクイドリは闇夜ではその力を失う。私の常闇の乙女の出番だろう」
「お願いします!」
キースの横に立ったお兄様は口元に笑みを浮かべると、ヒクイドリに視線を投げた。それを見て、キースは諦めたようにため息をつく
「ミシェル、手、見せてみろ」
「手?」
「それじゃ、まともに杖を握れやしないだろう」
そういって、自身の袖を引きちぎると、私の血に濡れた手を引っ張った。
「さっさと終わらせて、飯食いに行くぞ」
「……うん!」
巻かれた布地に血が滲んだ。
じくじくとする痛みに耐えながら、杖を握ってヒクイドリに向かう。
「魔法陣を解読する時間が欲しいの! 防御壁の発動は、生体の接触、あるいは意思のある攻撃」
「つまり、あたし達はその見えない壁に攻撃すりゃ良いのね?」
「そう言うこと。衝撃が返ってくるから、気を付けて。散開して、多方からの攻撃をお願いします!」
私の指示に、四人は頷くと一斉に足を踏み出した。
キースはホルダーに下がる剣を二本引き抜き、アニーは多節棍を構え、お兄様の大樹の乙女が数多の蔦をしならせた。
ラルフの大剣が振り下ろされ、火花と炸裂音を上げるのを皮切りに、一斉攻撃が繰り出された。
空気を震わせる炸裂音が響くと同時に、地表に黒光りする文字が浮き上がる。それを目で追った。
基本の隷従魔法に、防御壁、それとこれは消音魔法……それに、拘束の糸に冷却魔法?
ヒクイドリを消耗させようとしてるのかしら。
頭に乗っていたヒタキドリがひと際高い鳴き声を上げた。
ハッとして顔を上げ、飛んできた石の欠片を杖で薙ぎ払った。よけきれない欠片が頬を傷つけたのだろう、痛みと一緒にじわりと熱が広がった。
「ミシェル!」
「大丈夫。続けて!」
その場を動こうとしたキースは、奥歯を噛み鳴らすと双剣を翻した。
頭から飛び立ったヒタキドリは私の肩に舞い降りると、ピィと一鳴きした。
「教えてくれたの? ありがとう。必ず助けるからね」
杖の先を地面につき、大きく息を吸って瞳を閉じた。そうして、意識を魔法陣の中央に佇むヒクイドリに集中する。
暗闇の中、赤い炎が揺らめいた。それはとても小さく、今にも消えそうな灯。
「壁は、このままごり押しでいけるはず。でも、私だけの力じゃ……ヒクイドリ! 全力で行くよ!」
かっと目を見開いた瞬間、魔力の風が吹き上がる。それに呼応するようにヒタキドリが甲高く鳴いた。
「呼び覚ませ乾坤の力、燦然たる光芒よ」
杖の先端に掲げられる緑色の魔晶石が煌々と輝いた。
魔力の陽炎が帯となり、ヒクイドリの上空で渦を巻く。それは次第に文字となり、魔法陣が浮かび上がった。
眩い光が降り注ぎ、ヒクイドリが僅かに身震いをした。
「凍てつく大地を溶かし、闇を照らせ!」
杖の先が地面に叩きつけられた。碧い光の柱がヒクイドリの周囲から突き上げる。その光は奔流となり空を目がける。降り注ぐ光とぶつかった瞬間、熱風が吹き荒れた。
「我、ここに地殻の力を開放する! おいで、ヒタキドリーっ!」
喉が枯れるほど叫ぶと、肩に留まるヒタキドリも空に向かって鳴き声を上げた。
ギリギリと奥歯を噛み締めたミシェルは杖をさらに地面にめり込ませる。
黒い魔法陣が色を濃くして浮き上がった。
吹き荒れる熱風の中、武器を振り下ろしたキース達は微かにピシッと亀裂の入る音を耳にした。
「お願い、飛んでーっ!」
その声が届いたのか。
空が黒く陰り、けたたましい鳴き声が響き渡った。
上空を見上げれば、ヒタキドリの群れが旋回していた。
「力を貸して!」
私の叫びと、小さなヒタキドリの鳴き声が重なったその時、ヒタキドリの群れがヒクイドリに向かって急降下した。
耳をつんざく破裂音の中、爆風に煽られて体が浮き上がるのを感じた。咄嗟に、肩にとまっていたヒタキドリを懐に押し込めた直後だった。
足が地面から離れ、体が上空に打ち上げられた。
「ミシェル!」
キースの叫ぶ声を耳にしながら、私はその視界に、真っ黒な翼が大きく広げられるのを見た。
浮遊感は一瞬だった。
地面に投げ出された私は、全身に衝撃を感じてすぐに体を起こした。地面に爪を立てて顔を上げる。
大きな翼が二度三度と羽ばたかれたが、ヒクイドリは飛び立たない。上空ではヒタキドリ達が旋回していた。
「まだ、足りないの?」
唇を噛み締めて杖を掴む。
痛む体を押して地面を蹴った。キース達が私を呼ぶ声が聞こえる中、杖の先を黒い魔法陣に叩きつける。
杖を伝わり衝撃が走り、血が滴り落ちた。
「我が血潮の雫をもって、地殻に眠りし灼熱の力を呼び起こせ!」
黒い魔法陣から真っ赤な光が突き上げる。それは黒い文字を塗りつぶすように、輝きを増していった。
「飛んで……ヒクイドリ……飛んでー!」
願いが通じたのか。
大きなその巨鳥はけたたましい鳴き声を上げ、上空へと舞い上がった。数回羽ばたき、そして──
「ヒクイドリ!」
その体は墜落した。
地面を蹴った。落下するヒクイドリに向けて杖を向け、風を起こす。少しでも、その衝撃を和らげようと。だけど、間に合わない!
目を見開き、その巨大な体躯が落ちていくのを追った。直後、大きな水柱が上がり、光り輝く水しぶきが降り注いだ。
温かなしぶきが頬を濡らす。
「……温泉?」
ヒクイドリの体は、揺蕩う湯の中に横たわっていた。
空を旋回していたヒタキドリ達が一羽、また一羽と舞い降りてくる。
岩に囲まれたその場所で横たわるヒクイドリの傍らに膝をつくと、赤い瞳が開かれた。
「……生きてる」
安堵に胸が熱くなり、そっと黒い翼に触れた。
『人ノ子ヨ、ナゼ助ケル』
「え……ヒクイドリ?」
直接頭に響く声に驚いて振り向くと、どうやら、皆にも聞こえているようだった。
ヒクイドリに向き直ると、その真っ赤な瞳に私が映っていた。
『コノ地デ生マレタ我ハ、コノ地二命ヲ返スガ定メ。ソレハ、今デハナイノカ?』
「あなた、生きようとしてたじゃない」
『ダガ我ラハ神ノ僕、人ニ使ワレル謂レハナイ』
「神の僕?……よく分からないけど。別にあなたをどうこうしようとは思ってないよ。それにね」
服の胸元を少しずらせば、そこからヒタキドリがひょこっと顔を出して小さく鳴いた。
「この子が、一生懸命、あなたを助けようとしていたの」
ヒタキドリは繰り返しピィピィと鳴く。
「だから生きて、ヒクイドリ」
『人ノ子ヨ、我ノ命ハ永クハナイ』
「それでも……人に捕らわれて命を、落とすのは……違……」
視界が歪みはじめた。どうやら、魔力枯渇を起こしたみたいだ。
ずるずると岩に体を横たえ、その視界の中で黒い体が次第に光を放ち始めるのを見た。
『娘ヨ、我ガ必要ナ時ハ呼ブガイイ。必ズ駆ケ付ケヨウ』
響き渡る声が優しい風を感じさせる。
私は「こんな時に、魔力枯渇」と呟きながら意識を手放した。
どのくらい時が経ったのか。
目を覚ましたのはキースの背中だった。僅かに体を動かすと「起きたか?」と声がした。
「……ヒクイドリ、は?」
「覚えてないのかよ」
やれやれと零して笑ったキースは、光を取り戻したヒクイドリが山頂へと飛んでいってしまったことや、気を失った私を大樹の乙女が抱えて岩肌を降りてきたことなどのあらましを教えてくれた。
前方に視線を向けると、アニーとラウルが並んで歩いている。振り返るとお兄様がいた。その後ろには鬱蒼とした森があり、木々の間から差し込む夕暮れの光で赤く染まっている。
「そっか……飛べたんだね」
安堵の息をついて、はたと気づいた。
「あ! 温泉!」
「わっ、バカ! 急に動くな!」
キースが足元のでこぼことした木々の根に足を引っ掻け、危うく転びそうになった。持ち前の体幹でそれに耐えて地面を踏みしめ、顔を引きつらせる。
「ご、ごめん」
「ったく、お前はなぁ。落ち着け」
「もー、なに騒いでるの? 温泉なら、ちゃんと採取しといたわよー!」
振り返ったアニーは笑うと、ラルフの持つ私の鞄を叩いた。
「そう言うこと。お前さ、無茶しすぎな。満身創痍も良いとこだ」
「……ごめんなさい」
「体張るのは俺たちの仕事!……て言いたいとこだけど、今回ばかりは何もしてやれなかったな。悪かった」
「そ、そんなことない! 皆がいなかったら、防御壁は破れなかったもの」
キースの肩に顔をうずめるように寄り掛かると、胸元でピィと鳴き声がした。
そっと覗き込むと、懐から顔を出したヒタキドリが赤い円らな瞳を向けてきた。
「ついてきちゃったの?」
小さな頭を傾げたヒタキドリは、再びピィッと鳴く。そして、懐に戻るとごそごそと動き、何かを引っ張り出した。
それは、赤く輝く一枚の羽根。
「これ……ヒクイドリの羽根?」
「あぁ、その大きさでも羽毛らしいぞ」
「尾や風切り羽より価値は落ちるけど、すごい高値で売れるのよ!」
キラキラと目を輝かせるアニーが近づいてくると、ヒタキドリが何かを訴えるようにピィピィと鳴き出した。これって、警戒してるのかしら。
手を伸ばしかけたアニーが顔をひきつらせ「分かってるわよ!」とヒタキドリにいう。
「そのちっこいのが、アニーの手をつつきまくってさ。その羽根はお前のもんだって言ってるようだったな」
「……私、の?」
ふっくらした胸を突き出すようにしてヒタキドリは自慢げにピィっと鳴く。
「町が見えてきたぞ!」
大きく手を振るラルフに、アニーは「お腹すいたー!」と声を上げて走っていく。
キースはにっと口の端を上げると、地面を蹴った。
「振り落とされるなよ!」
「ひゃっ!」
キースにしがみついた私は輝く羽根をしっかりと握りしめ、目を閉じると赤い森を抜ける暖かな風を感じた。
遠くから、ヒタキドリの鳴き声と羽ばたきの音が聞こえてきた。
「お前、帰らなくていいの?」
懐に声をかけると、小さな顔がこちらを見た。
ヒタキドリはピィと鳴くと、不思議そうに小首を傾げた。
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