表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/44

第32話 涙に髪が濡れる夜

 目抜き通りを全速力で駆け抜けた。

 脳裏には、挑戦的なレベッカの笑顔と胸を押し付けるようにしてキースと距離を詰める姿が浮かぶ。何度振り払っても鮮明によみがえった。その度に息苦しくなり表情筋が固くなっていった。


 キースはいつも通りだった。

 少しは迷惑そうな顔をしていたけど、あの人の胸が腕に当たっても動じていなかった。それって、どういうことなんだろう。よくあることなのかな。


 不安が胸を締め付け、熱くなった頬を涙が伝い落ちる。


 息せき切らしてロンマロリー邸に辿り着くと、自室までの階段を駆け上がった。荷物を投げ出し、靴を脱ぎ捨てるとベッドに飛び込む。


「ミシェルちゃん、どうしたの?」


 何度か扉がノックされ、心配そうなマルヴィナ先生の声が聞こえた。それに、疲れてるだけだからと返すのが精いっぱいだった。

 誰にも顔を見られたくなかった。


 不安と悔しさに涙が零れ、枕も髪もしっとりと濡れた。

 忘れ去ろうとしても、親しげな二人の様子と誇張された大きな胸、それに食い込むキースの腕が思い出される。

 

 そうして、もやもやしながらすごしていると、いつの間にか眠ってしまったらしい。夜の帳が下り、部屋は真っ暗だった。


 そんな中、扉を叩く音が響いた。


 返事をする気力もなく膝を抱えていると、二度、三度とノックは繰り返された。マルヴィナ先生かな。

 重たい体を起こしてドアの前に立つ。


 先生に心配をかけたくない。でも、今言葉を発したら泣いてしまう気がした。

 息を整えながらドアに触れると、再び扉が叩かれる。


「先生、ごめんなさい……今、一人になりたいから」


 精いっぱい冷静を装って絞りだした声は、なんて弱々しいのだろう。

 触れた扉はひやりとしていて、孤独感が増すようだった。


 マルヴィナ先生に泣きつくことなんて出来ない。キースと両思いだったと報告したとき、あんなに嬉しそうによかったねって抱き締めてくれたんだもの。心配させたくない。


 扉に背を当ててその場に座り込む。膝を抱えると、返ってきた声は予想しないものだった。


「ミシェル、俺だ。ここ開けろ」


 驚きに涙も引いた。

 どうしてキースがいるの?


 とっさに置時計で時刻を確認したけど、酒場が閉まるにはまだ早い。店の護衛なら閉店時までいるものよね。


「……護衛引き受けてたんじゃないの?」

「店長から承諾もらって早く上がった。それより、なぁ、どうした?」


 どうしたもなにも……なんて言えばいいか分からない。


 まだ、脳裏にはあの人の言動がまざまざと蘇る。

 泣きそうになるのを堪え、言葉を飲み込む。抱えた膝に額を押し付けて、ともすれば再び溢れそうになる涙を堪えた。


「俺に用があったんだろ?」

「それは……でも、今日はもういいの」

「もういいって」


 突き放したような言葉だっただろうか。でも、そうとしか言えない。

 私たちを隔てる扉が、いっそう厚くなったような気がした。

 

 突き放したたような返答に、キースは扉の向こうで困惑しているかな。嫌われちゃうかな。面倒な子だって思われるかもしれない。


 考えは悪い方へと流れていく。でも、それを止めることもできず、膝を抱えたまま鼻を啜った。

 コツンと扉が叩かれる。ゆるく長いため息が聞こえた。


「じゃあ、なんで逃げたんだ」

「……逃げてない」


 自分に言い聞かせるような嘘に手が震えた。スカートをきつく握りしる。

 これはただの嫉妬。醜い嫉妬で泣いてる顔なんて見られたくない。笑顔でいたい。だから、今は放っておいて。


「なら、何で泣いてんだよ」

「……泣いて、なんて」

「泣いてる」


 いくら願っても、キースがそこからいなくなることはない。

 嘘を重ねる度に、彼は見透かしてしまう。それが悔しいような嬉しいような、どう表現していいか分からない感情が胸に広がった。

 止まらな涙だがスカートにシミを広げていく。


「ドア壊してまで開けたくないんだけど……開けないなら、壊すよ」


 まさかそんなこと、するわけないよね。それだったら、もうとっくに壊してそうだけど。

 一度、ドンッと強く叩かれ、その振動が私の背にも伝わる。このまま帰る気は、さらさらない。そう言っているようだった。

 

 黙っていると、再び扉を叩く音が響いた。


「窓から入った方が良かった?」

「……明日じゃ、だめ?」

「ダメ」

「……今、顔見られたくない」

「俺は見たいんだけど」

「……可愛い顔、出来ない」

「そのままでいいよ」

「きっと……笑えない」

「いいよ。俺が笑わせる」

 

 のろのろと立ち上がり、ドアに向かう。

 本当は、今すぐにでも扉を開けてキースの腕に飛び込みたかった。でも、怖い。逃げ出した私を子どもっぽいって思ったんじゃないかな。


 再び、扉が小突かれた。


「明かりを消したままで良い。今すぐ抱きしめたい。それも、ダメ?」


 私を気遣うように語りかけられ、会いたい気持ちと会いたくない気持ちが入り交じる。鼓動が早くなり、ドアノブに伸ばした指先が震えた。


 ゆっくりと、扉が開く。

 明かりが差し込み、私はとっさに手を離して後ずさった。

 キースは静かに部屋へと身を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉ざした。

 再び部屋の中は真っ暗になった。直後、熱をもった指が、私の腕を掴んで引っぱった。


 仄かな煙草の残り香と汗のにおいが、私を包んだ。

 背中に回された手が、優しくとんとんっとゆっくり叩く。それから髪を撫でられ、肩を抱き締められ。おずおずとキースの背中に両手を回せば、さらに締め付けが強くなった。


 彼のシャツをくしゃりと握り、しがみつく。この腕も手も、背中もすべて私のもの。そう主張するように、すがり付いていた。


「……なぁ、俺、なんかした?」

「してない」

「じゃぁ、また学院で何かあったとか?」

「何も……」


 頭をキースの胸に押し付けるように、ふるふると振って否定する。すると、彼の口から困ったと言わんばかりのため息がこぼれた。

 それに申し訳なさが込み上げ、少し体を離してキースを仰ぎ見る。そこには眉間にしわを寄せて辛そうにする顔があった。


「なんで、キースが辛そうなの?」

「笑顔を守らせてくれとか言っといて、さっそく泣かせてるんじゃ、格好つかないでしょ?」


 そうやって優しくされたら、よけい笑えないじゃない。

 頬を撫でた指の温かさが私の凍りついた心を溶かし、涙がまた溢れそうになった。それをどうにか誤魔化したくて笑おうとすると、キースまで困った顔で笑った。


泣き顔(それ)、反則でしょ」

「それ?」

「泣きながら笑うなよ」


 再び引き寄せられ、少し強く抱きすくめられた。耳元に今度は安堵の吐息がかけられる。


「泣き顔が可愛いとか、反則だから」


 強く抱きしめられただけで、胸に安堵感が広がっていく。

 不安や嫉妬なんて、バカみたい。そう笑い飛ばせばいい。キースを近くに感じられるのは私だけだなんだから、それを信じれば言い。抱きしめてくれる腕と髪を撫でる手、耳に届く吐息や鼓動も全部ここにある。


 私を包み込む熱に包まれ、次第にあの人の影が薄れていった。


 どのくらいそうして抱き合っていただろうか。

 私から話しかけるのが気恥ずかしくなったとき、キースが「で?」と尋ねた。


「……なんで逃げたの。理由が見当つかないんだけど」

「それは……その……」


 思い返すと恥ずかしくて、耳まで熱くなった。

 どう話したら良いのか、話さない方がいいのか。言葉を探して唸っていると、キースは首をかしげる。


「言いにくいこと?」

「……あの女の人、誰、かなって……」


 おずおずと言い出すと、キースはきょとんとした。


「レベッカのこと?」

「……レベッカさんって言うんだ」

「昔の仲間だ」

「なんか、距離が近かったし……」

 

 もごもごと口ごもりながら、勘違いだってするし不安にもなるってなるって伝えると、キースは小さく笑った。


「何、妬いたの?」

「……だって、仲良さそうだったし」

「ミシェルに会う前にちょっとつるんでた奴らの一人だ。アニーの天敵みたいなヤツだよ」

「……それに」


 言いかけた言葉を飲み込み、視線を泳がせた。

 脳裏にちらついたのは豊満な胸をこれ見よがしに押し付ける様子。それは恋の経験が皆無の私でも、明らかなセックスアピールだと分かった。それが不快だった。

 でも、そのことをどう言葉にしたらいいのか分からず、ごにょごにょと言葉を濁す。


「それに?」

「……胸」

「胸?」

「……レベッカさんの胸、おっきかった」


 思いきっていってみた。でも、言いながら恥ずかしさで消えてしまいそうになった。

更新遅れました。申し訳ありません!

次回、本日19時頃の更新となります


続きが気になる方はブックマークや、ページ下の☆☆☆☆☆で応援いただけますと嬉しいです。

↓↓応援よろしくお願いします!↓↓

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ