第29話 甘酸っぱい氷菓がとける前に
夏の長期休暇に入った学院は静かなものだ。
多くの学生が親元に帰っている中、学院に残って勉学に励む学生がいないわけじゃない。中でも、学院の上位機関である『ロックハート・ハントリー研究所』や『キーリー・リーブス開発室』への所属希望を出している最高学年の学生は適性検査を受けるために帰省しないこともある。
私はといえば、筆記試験が進級ギリギリラインだといわれ、ロン師から特別課題をいくつか出されてしまった。
帰省しても堅苦しいお茶会しか待っていないだろうから、残れる理由が出来たのはよかったんだけどね。
そんなある日、私はアリシアに連れられてアーチー通りへと足を運んでいた。
「新しく出来た氷菓子屋が、凄い人気なんですって」
「また敵情視察? 氷菓ならバンクロフトでも出してるじゃない」
「専門店には敵わないわよ。それに、これは敵情視察じゃなくて、純粋な興味よ!」
常に店のことばかり考えてるわけじゃないと苦笑するアリシアは、私の顔を覗き込んで「迷惑だった?」と尋ねてきた。
暑さの残る昼下がり。丁度冷たいものが欲しいと思っていたから、断る理由もなかった。
「午前中は予定なかったし、大丈夫だよ」
「良かった! さぁ、急ぎましょう」
笑っていえば、アリシアは嬉しそうに私の手を引っ張って歩みを早めた。
祭りがない時期でも屋台が並ぶアーチー通りは賑やかだ。冒険者に旅行者、様々な人を満たす店が多く集まっているし、目抜き通りとは異なった賑わいがあり、常に若者が行き来している。
お目当ての氷菓の屋台も、噂通りに賑わっていた。
「さっきから凄い歓声ね。そんなに驚くほどの氷菓なのかしら」
「アリシア、目が商人になってるよ」
前方で再び歓声が上がった。
興味がさらに大きくなったらしいアリシアに苦笑しつつ、私もちょっと背伸びをして前を見た。でも、想像以上の人混みで、噂の氷菓がどういったものかは、よく見えなかった。
しばらくして、可愛らしい屋台の様子が少し見えてきた。
ほんの数人が忙しそうに行き来している。その中から、接客らしい少女がいそいそと出てきた。可愛らしいエプロンドレスを着ていて、髪には果物を模した髪飾りをつけている。
「いらっしゃいませ! こちらのメニューをどうぞ」
渡された小さなメニュー表には、季節の果物に、ミルク、ナッツ等の文字が並んでいた。おススメは、今が食べ頃のアプリコットだった。
「あら、ありがとう。ミシェル、どれにする?」
「んー……アプリコットかな」
「じゃ、私はメロンにするわ」
「アプリコットとメロンですね。かしこまりました!」
元気に注文を繰り返した少女は戻っていくと、中にそれを伝えているようだった。
「接客は普通ね」
「アリシア、お仕事モードになってる」
「あら、失礼」
顔を見あって笑い合っていると、しばらくして順番が回ってきた。
屋台にはガラス張りのショーケースが並んでいた。その中の果物は手ごろな大きさに切りそろえられ、うっすらと霜がついている。どうやら凍っているようだ。
凍結の魔法が組み込まれたショーケースは珍しくもなく、生菓子を扱う店や露店でもよく使われる魔具だ。その中から、私たちが注文したアプリコットとメロンが取り出された。
それを目で追っていくと、顔の綺麗な男がにっこりと笑った。
「一瞬だから、しっかり見ているんだよ、お嬢さん方」
何をと問う間もなく、果物が宙に放り上げられた。
男の手に持たれた奇妙な円形のナイフがくるくると回された。しかし、それは果物に触れていない。
目がその刃物に釘付けになると、風が吹きあがり渦を巻いた。
その渦の中に落ちるようにして踊った果物は、まるで鉋をかけられたように、しゅるしゅるとほどけていく。まるで、貴婦人のベールのような薄さだ。
一瞬で、用意されたカップに、こんもりとした果物の雪山が出来上がった。
私たちの背後で、順番を待っていた女の子が歓声を上げた。
「はい、出来上がり!」
爽やかな笑顔とともに、カップがショーケースの上に置かれた。
会計を終え、カップ片手にその場を去った私たちは、少し離れたところで屋台を振り返った。そうして、アリシアが興味深そうに「なるほどね」と呟く。
「イケメンとパフォーマンスも売りってところかしら」
「女の子の服も可愛かったね。髪飾り、果物だったよ」
「イケメンの帽子にも果物の飾りがついていたわ」
よくよく観察すると、どうやら店員にはファンもついているようで、プレゼントと思われるものを差し出す少女の姿もちらほら見られた。
「だけど、これは屋台ならではの売り方ね」
「ティールームでパフォーマンスは難しい?」
「そうね。でも、あの魔具には興味があるわ」
「果物を削ってたあれ?」
「そう。凍らせた果物そのものを削るって発想はなかったわ。あの魔具は風の魔法を組んでいるんでしょうけど、まるで鉋のように薄く削るなんて……商品開発部に相談する価値はあるわね」
「ね、アリシア……今日は敵情視察じゃないんでしょ?」
ぶつぶつ言い出したアリシアはすっかり商人モードになっていた。彼女らしいといえば、そうなんだけど。呆れるやら可笑しいやらで、私は思わず笑ってしまった。
空いているベンチに座って、しゃくしゃくと音を立てて氷菓をスプーンですくう。口に入れたそれはすっと融けていった。だけど氷とは違い、最後まで爽やかな甘さが口の中に残っている。
「味もいいね。氷も凄いふわふわ!」
最後にトッピングされてるミルクシロップも、ほんのり甘くて美味しい。
ご機嫌で食べ進めていると、聞きなれた声が私を呼んだ。
「ミシェル? 美味そうなもん食ってんな」
声の主を仰ぎ見ると、大きな麻袋を担いだキースだった。
「美味しいよ。食べる?」
「んじゃ、遠慮なく」
スプーンでひとすくいして差し出すと、キースは躊躇することなく、顔を近づけてそれを咥えた。
「うまっ。何これ」
「でしょ! 凍らせた果物を削ったんだよ」
「果物? そういや最近、新しい氷菓の店が出来たって話し聞いたな」
「そうそれ。アリシアに連れてきてもらったの。──ところで、なに担いでるの?」
「ん? あー、今、酒場の護衛やってんだけどさ。その合間に荷物運びも頼まれてな。これは小麦なんだけど。……なあ、もう一口頂戴」
あーんと口を開けるキースの頬を汗が伝い落ちた。
こんな暑い日差しの下、重そうな荷物を運んでいたら、汗の一つや二つかくのも仕方ないだろう。
氷菓をすくったスプーンを、開いた口に入れて「大変だね」といえば、キースは嬉しそうに「生き返る」といって笑った。
「まぁ、暇よりマシだけどな。そろそろ行くな。あー、護衛してるのは竜のしっぽ亭な。何か用があったら来いよ」
「うん!」
「んじゃ、またな」
麻袋を担ぎなおしたキースを見送り、少し溶けた氷菓にスプーンを差し込む。すると、横に座っていたアリシアが含み笑いをした。
「恥ずかしいくらい仲がいいわね」
「普通だと思うけど。アリシアだって、パークスと仲いいじゃない」
「私、パークスにあーんなんてしないわよ」
「……あーん?」
意味が分からず首を傾げると、アリシアは自分の氷菓をすくったスプーンを私に差し出して「あーん」と言った。
すぐには理解できなかった。だけど数秒後、それは私がキースにしていたことと同じだと気付き、羞恥心に火がついた。
顔が一瞬にして熱くなる。きっと、今の私の顔は熟れたイチゴより赤いと思う。
「ごちそうさまでした」
カップを空にしたアリシアはそう言って笑った。
返す言葉が浮かばず、氷菓を口に運んでスプーンをくわえると、アリシアと目があった。
意味深な笑みを向けられると、今しがたのキースとのやり取りがまざまざと脳裏によみがえる。
耳までもが熱くなってきた。
「そういえば、ミシェル」
「……何?」
「ポーティア女史の研究室に行くっていってたわよね。何かあったの?」
「んー、ロン師から出された特別課題でね」
「学院長?」
「詳しいことはポーティア女史に聞くようにっていわれてて」
ふと、アーチー通りからも見える時計塔に視線を向けた。
今は十一時を回ったばかり。
ポーティア女史との約束まで二時間はあるけど、先生を待たせて印象を悪くもたれたら後々厄介だ。
氷菓を食べ終えると、少し早めに学院へと向かうことにした。
更新遅れました。申し訳ありません!
次回、本日12時頃、2話連続の更新となります
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