第28話 魔法の花が彩る空は祈りに輝く
広場に戻る頃には沿道の街路灯も灯り始めた。すれ違う人々が手にするカンテラも煌々と光を灯している。
楽団の演奏の中、讃美歌が広場を包んでいた。
「じゃ、あの男は魔術学院の新しい教師だったの?」
「らしいな。メレディスの分校に赴任してたが、本校に戻ったと言っていたぞ」
私とアニーが部屋に上がっている間、どうやらラルフが事情を聴いていたらしい。
「で、恋人との再会で浮かれてキスしていたと」
「そこは突っ込んでやるな」
「ラルフ、あんた冷静ね。ちょっとはミシェルの初心さを見習いなさい」
「お前もな」
「お互い、ホレタハレタで浮かれるような歳じゃなくなったわね」
そういって笑い飛ばすアニーだけど、やっぱり私はマルヴィナ先生と顔を合わせづらいな。会うたびに、あの熱烈な口付け現場を思い出しちゃいそうだ。
「あの人、先生だったんだね。学院で顔合わせるのか……」
「顔合わせづらいとか思うことないわよ。玄関先でやってんのが悪いんだから。ほら、そんなことよりも」
アニーが指さした方角に視線を向けた。
茜色から藍色に変わる空の中、王城が鮮やかな魔法の灯に照らされて浮かび上がった。
ややあって、光が打ち上げられる。
ヒュッと風を切る音が響いた。また一つ二つと立て続けに上がる。それを追って、黄昏の空を見上げた。刹那──
派手な破裂音と共に大輪の花が開いた。
艶やかな光の花が消える間際に、再び光は打ちあがる。一つ二つと花開き、暮れゆく空は光に彩られていった。
光の花は、まるで故人へ手向けられる花束のように、空を埋め尽くしていく。
人々の歓声が広場を震わせた。
私が感嘆のため息を溢して「綺麗」と呟くと、横に立ったキースが「久々に見たな」といった。その顔を振り返りと、少し寂しそうな瞳が細められていた。でも、口許は笑っている。
ドドンッ、パッ、
繰り返される打ち上げの音と、破裂音。光の花は咲き続けた。
茜色だった空が静かな濃藍色に変わる頃、光の花はきらきらと散ってゆき、深い夜空に星の輝きだけが残された。
光の花の余韻で静まりかえった広場に、鎮魂歌が流れ出す。すると、カンテラの灯がいっそう輝きを増し、一人また一人と空に向けてそれを掲げ始めた。
「ミシェル、ほら」
アニーとラルフに促された。キースに視線を送ると、笑った彼も「ほら」といって私の手を引っ張った。
カンテラが空に掲げられる。
周囲で輝く灯が一つ、二つと、まるで蛍の輝きのような柔らかな輝きを放って離れていく。
私とキースが持つカンテラの灯も、空に向かってゆっくりと浮かび上がった。
鎮魂歌の中、星の光よりも輝かしい暖かな灯を目で追い、私は心の中で祈っていた。
お母様、ワガママを許してください。私、キースが好き。諦めたくないの。だから……勇気をください。
◇
厳かに打ち上げられた星の灯が消えても、沿道に並ぶ店はまだ賑やかで、人々の笑い声が響いていた。
まだ飲み足りないというアニーとラルフは、私とキースを残して人混みに消えていった。
賑やかなアーチー通りは、家路に向かう人が多かった。人混みで、歩みは自然といつもよりゆったりしたものになる。
キースと一緒にいられることが嬉しくて、人混みも悪くないって思えた。
「キースも飲みに行きたかったんじゃないの?」
「別に、今夜じゃなきゃ飲めないってわけでもないし」
「そうだけど……」
「また変な奴に絡まれたら大変だろ?」
「こんな人混みじゃ、魔法も使えないよね」
思わず噴き出して笑った時、すれ違った人にぶつかりそうになってよろめき足を止めた。咄嗟に手を伸ばすと、キースが私の指を掴んだ。
どきんっと鼓動が跳ねた。
「あっぶねぇな。気を付けろよ」
そういったキースの手が離れそうになり、反射的に握り返していた。
キースの瞳が、ちょっとだけ見開かれる。顔をそらすと私の手を引っ張り、ぶっきらぼうに「ほら、行くぞ」といいながら足を踏み出した。
光を失ったカンテラの持ち手をぎゅっと握りしめ、キースの横顔を見上げる。
何を話したらいいんだろう。いつも、二人の時って何を話していたかな。依頼のこと、探索の情報とか噂話、あとスイーツ──思い出しながら話題を探すけど、この場にあった話題は出てこない。
しばらく無言で歩いていたキースが「なぁ」と口を開いたのは、アーチー通りを抜けて少し人通りが少なくなった頃だった。
「俺の話、したことなかったよな」
「キースの話って?」
「俺の生い立ちってやつ」
「……それは」
「知りたい?」
立ち止まったキースが振り返った。
困ったような顔だ。何を考えているのか、さっぱり分からない。
別に過去を知りたいとか考えたことなんて……ふと、脳裏にクインシーを名乗った時の姿が浮かんだ。
きっと、打ち明けるのには勇気のいる過去があるんだろう。それを聞くって、どういうかとなのか。
「……キースが話したくないなら、聞かない」
聞きたくないと言ったら嘘になる。でも、誰だって知られたくないこととか、話すのに勇気のいることの一つや二つ持ってると思う。私だって、幼い頃のことを知られたら恥ずかしいし……。
「俺が話したいっていったら?」
「聞くよ」
「じゃぁ、聞いて」
私の手を引いて歩き出したキースは、街灯に照らされた道を眺めながらぽつりぽつりと語りだした。
「俺さ、幼い頃は森で生活してたんだ。母親はうんと小さい頃に死んでて、父親は知らないんだけどね……八つの頃、住んでた集落が盗賊に襲われたんだわ」
家族がいないって話は、何度か聞いていたことがあった。なにか複雑な過去があるんだなって、薄々は感じてたけど、幼い頃からそんなに辛いことがあったなんて。
思わずキースの手を握りしめると、困ったように笑う彼は話を続けた。
「多くのエルフは逃げたんだけど、逃げ遅れた数人は捕まり奴隷商に売られたんだ。その中に、俺もいた」
驚きで手に力を込めると、彼もまた握り返してきた。
「俺の育ての親とも、そこではぐれてさ。まだ幼かった俺は観賞用として、ある貴族に買われたんだ」
「……観賞用?」
「生きた着せ替え人形みたいなもんだ。性欲も満たすためのね」
性欲──その言葉に背筋が震えた。
私を見るキースは笑っている。笑っているのに悲しそうにも見えた。
この話を最後まで聞いていいのかしら。もしかして、何もかも話したら、どこかに行ってしまう気じゃないのか。そう考えたら不安が込み上げ、握りしめた手を引っ張るようにして、足を止めた。
一瞬、エメラルド色の瞳がぱちくりと瞬かれた。
キースは口元を緩めてか「そんな驚くことじゃないよ」と、さらに話を続ける。
「そこでの暮らしは十年くらいだったかな。不自由はなかったけど、楽しくもない毎日だった。ある日、屋敷に出入りしていた男に、ここにいたら駄目だと言われて逃げ出したんだ」
「助けてくれる人がいたのね」
「いや。その男は俺を奴隷商に売るつもりだったわけよ。笑えるよな」
何も可笑しくない。
どうしてキースが笑っていられるのか分からず、その笑顔が辛くて、私の視界が滲み始めた。
「戻るのも地獄、生きるのも地獄。そんな時に出会ったのもまた貴族だった……気まぐれだったのか、その貴族は俺を養子にまでして、剣の扱い方と生き方を教えてくれた。そこで、歪んだ躾から抜け出して人らしい感覚を取り戻すのにだいぶ時間がかかったんだけどな」
私を見下ろしながら淡々と語られる。よくもまあ、そんなにすらすらと言葉が出てくるもんだ。作り話なんじゃないかって思っちゃうくらいよ。
でもキースの顔は悲しそうで、辛そうに笑っていて。全てが事実なんだって分かる。
武骨な指先が、私の頬に触れた。
「貴族に振り回されて生きてきた俺は、当然だけど貴族が大っ嫌いな訳だ。だけどさ……なんでかな。お前のことは嫌いになれないんだよ。放っておけないし、泣かせたくないし」
剣を握ってきた固い指先が、私の濡れた頬を擦る。今にも離れていきそうな指から感じたのは、戸惑い。
「ごめんな。泣かせる気はなかったんだけど……お前に好かれる資格、俺にはないんだと思ってる。俺にお前はもったいないんだよ。だから」
笑っているのに、泣いているようにしか見えないキースの顔に胸は痛くなる一方だ。
続きの言葉を聞きたくなかった。
だって、ソノサキに続く言葉は別れのような気がしてならないんだもの。そんなの嫌だ。
「資格って何よ! 勝手に完結しないでよ。私はキースが好き。この気持ちはどうしたら良いの!?」
自分でも驚くほど、するりと言葉が出た。
キースは目を丸くすると、開きかけた口を閉じるのも忘れてしまったようだ。
「それに、キースは何も悪くないじゃない! そんな酷いことした人を嫌いになるのは当然だし、私だって許せない!」
尊厳を踏みにじられたんだから怒って当然だ。それでもキースは、貴族の娘である私に他と変わらず優しくしてくれた。ううん、ずっと優しすぎるくらいだった。
キースはいつだって私を助けてくれるのに、私じゃ、彼の助けにはなれないのかな。
もしも、私がもっとすごい魔術師で過去に行けたら、そうしたら助けられるのかな。キースの森を襲った盗賊をやっつけられるのかな。奴隷商から救い出せるのかな。
タラレバなんて無駄なことだって、分かってる。それでも、どうしたら助けられるのか考えてしまう。
だって、側にいたいから。
「ごめんね」
「……ミシェル?」
「過去に行ける魔法があったら、今すぐにでも助けに行くのに。キースが、私を助けに来てくれたように……ごめんね」
「なんでお前が謝るんだよ」
「だって、過去にいく方法なんて知らないもん」
「そんなん、誰も知らな……!」
いいかけたキースが目を見開く。何かに気付いたような顔で、私を見ている。
「……ああ、そうか」
ぼそりと呟いたキースは、肩を震わせて小さく笑った。
「キース?」
「ははっ……お前、やっぱ凄いよ」
「え? なんの、こと?」
キースの両手が私の頬を包み込む。
「過去を変えたいとか、考えたことなかった。そのくせ、いつまでもこだわって……」
「それは、だって、尊厳を踏みにじられたら」
「ああ、そうだな。喜ばしくない過去だし、忘れることも出来ない。今でも俺を売った奴らも買った奴らも憎い。だけど、あの時があったから、俺はここにいる」
辛い日々を、どれだけすごしたのだろう。もしかしたら、私の生きてきた時間より長いのかもしれない。
深い息をついたキースは私の手を引っ張ると引き寄せる。あっという間もなく抱きすくめられ、すっぽりと腕の中に収まっていた。
少し痛いくらいに抱き締められ、キースが私を求めてくれているんだって伝わってきた。
「……お前は本当に、変わってるよ」
「それ、褒めてないよね?」
「そんなことない。褒めてるさ。俺は過去を理由にお前からも逃げようとしてたんだ。俺なんかに関わったら、幸せになれないっていうつもりで」
「勝手に決めないでよ! キースがいなくなるのは嫌だからね!」
「……俺、結構重いよ。一度手に入れたもの、手放す気なんてないよ?」
「望むところよ。勝手にいなくなったら、許さないんだから!」
「冒険者稼業なんて、いつ死ぬか分かんない人生だよ?」
「キースの背中は私が守りぬくわよ。存分に暴れればいいわ!」
キースの腕から力が抜け、わずかに距離ができる。彼を見上げると、真摯な眼差しがあった。
「敵わねぇな」
「魔術師、舐めないでよね」
ただのお飾り令嬢だなんて思われたくない。私は、キースと生きたい。一緒に、もっと世界をみたい。
キースは深い息を吸い込むと、私の手を握った。
カンテラがゆらゆらと揺れる。
「好きだ。お前の笑顔、俺に守らせてくれ」
真っ直ぐな言葉が、私の胸に響く。
嬉しさに目の前が霞んで「はい」と返すのが精いっぱいだったけど、自分でも分かるくらい、私は今までで一番の笑顔になっていた。
次回、明日8時頃の更新となります
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