第24話 勘違いからの大告白?
夕日の差し込む廊下で、小さな花束を握りしめ立っていた。
どうしてだか分からないけど、今、私はすごく不安でしかたない。横を見上げれば、お兄様の不安な顔がある。そのズボンを摘んで引っ張ると静かに振り返って、私の名を呼んでくれた。
逆光でよく見えないけど、とても悲しそうな顔をしている。
眩しさに目を細めて花束を強く握りしめ出てきた言葉は「どうして」──今日は何度も口にしていた気がした。
ああ、そうだ。この日、お兄様に何度も尋ねたんだった。
「どうして、お母さまといっしょにいてはダメなの?」
震える声に応えるように、お兄様は私の前にしゃがむ。柔らかな蜂蜜色の髪を揺らして、私を安心させるように翡翠色の瞳を細めて笑ってくれた。
「お花を摘んできたの。お母さまの好きな白いお花よ」
「ミシェル……お母様は、今、休んでいるんだ。とっても疲れているから」
「だから、元気が出るようにお花を……」
じわじわと浮かぶ涙に視界が歪み、花を握る小さな手が震える。
遠くで鐘がなり、白い花が足元に散らばった。
大人たちの言うことは何も分からない。それでも、小さかった私は、別れの時を感じていた。
耐えられない悲しみが嗚咽となってこぼれ、次第にそれは大きくなる。母を求める悲しみの声が廊下に響き渡ると、お兄様は私の小さな肩をしっかりと抱きしめた。
──大丈夫、大丈夫だから。お兄ちゃんが傍にいるから。
幾度も繰り返される優しい声。
背中をとんとんと叩く手の温かさの中、瞳を閉ざした私は「お兄様、ありがとう」と呟いた。
ゆっくりと瞼を上げると、そこは薄暗い自分の部屋だった。
それはとても悲しくて大切な夢。この世で一番悲しい思い出なのに、思い出すと不思議と胸の奥が温かくなる。
頬を濡らした涙を拭った私は、薄暗い部屋を見回した。窓の向こうは、うっすら白み始めているけど、夜明けにはまだ少し早いようだ。
いつの間にベッドへ移動したんだろう。キースが運んでくれたのかもしれない。
つまり、あんなに泣いて恥ずかしい姿を見せただけじゃなくて、寝顔まで見せたことになる。そう思ったら、とたんに気恥ずかしくなった。
寝起きにキースがいないのはちょっと寂しい。
何か変な寝言とか言ってなかっただろうか。昔から寝相が悪いって言われるけど、変な寝姿じゃなかったかしら。──考えれば考えるほど恥ずかしさが込み上げ、寂しさよりも安堵感が込み上げてきた。
頬が熱くなって息をつくと、とたんに喉の渇きを覚えた。
いそいそとベッドを抜け出し、枕もとのカンテラ片手に部屋を出る。薄暗い階段を下りていくと、応接室から明かりが漏れているのが目に映った。
ロン師の起床はいつも早いけど、それにしても今朝は随分と早起きだわ。何かあったのかな。不思議に思いながらその場から離れようとした時だった。
「私は許さないからな!」
聴き覚えのある怒声が応接室から響いてきた。
「……今の、声」
聞き間違いかしら。お父様の声に聞こえる。でも、まさかここにいる訳ないし。
足音を忍ばせて扉に手をかけた。気付かれないように、そっと押し開けた扉の向こうには、ブルーアイにいるはずの父ラウエルの姿があった。
布張りの椅子に腰かけるお父様は怒りの形相で、向かいの二人を睨みつけている。一人は魔術師のようだけど、もう一人は……キース?
何で、キースが怒鳴られているのか見当もつかない。
耳をそばだてていると「落ち着かんか、ラウエル」とロン師の疲れた声が響いた。私からは見えない位置に座っているのね。息を潜めて様子を伺っていると、お父様が声を震わせた。
「しかし……私の可愛い娘を傷物にしようとしたのですよ! どうして黙っていられましょう!」
怒りに震える拳がテーブルに叩きつけられ、カップがひっくり返った。
えっ? 傷物って、何を言っているのかしら、お父様は。
ほんの数秒、お父様が口にした言葉の意味を考えて眉間にしわを寄せた。傷ものって……確かに、私は怪我したけど。
ロン師が「しかしな」と言葉を濁すのが聞こえてきた。同席するキースは何も言わずに困った顔のままだわ。
ふと手首に残る擦り傷を見た私は、ハッとした。もしかしてお父様、キースが私の部屋から出てきたのを見たりして、何か、良からぬ勘違いをしたのではないだろうか。
脳裏をある小説がよぎった。
以前、学友から見せてもらった巷で流行っているらしいそれは、とてもバイオレンスなものだった。女性を監禁したり痛めつけるような愛の形が描かれていて、私は全く理解できなかったんだけど、そういった世界もあるみたい。物語だから楽しめるんだって聞いたけど、現実ではあり得ない。
もう一度、自分の手首を見る。そうして、もう一度キースを見て──
「お父様! 違うの、キースは悪くない!」
私はドアを勢いよく開けて部屋に飛び込んだ。
その場にいた全員の視線が私に注がれる。
「彼は私を助けてくれたの! 傷物にしたとか、そういうことじゃ」
「お、おい、ミシェル……落ち着け」
「キースは黙ってて!」
ぴしゃりと言い放つと、彼は額を手で押さえるようにして頭を抱えた。
前のめりになって座っていたお父様は、驚愕した表情のまま、私の名を呼ぶ。
「ミシェル、これはだな」
「お父様が思っているような、ふしだらな関係じゃないわ。キースはいつだって私を仲間として、一人の魔術師として認めてくれているの。誰にも恥じることのない、大切な人です!」
捲し立てるように言い放つと、お父様は気圧されたように「ああそうか」と頷いた。
微妙な空気が流れた。
あれ? 私、何か変なこと言ったかしら。
ちらりとキースの方を見ると、彼は困り顔で耳まで赤くしている。その横にいる魔術師と思われる男性は、必死に笑いを堪えているようで、肩を震わせていた。
ごほんっとわざとらしいロン師の咳払いが響いた。
「ミシェル、傷はもういいのか?」
「だから、ロン師、この傷は!」
「ネヴィンであろう? 報告は受けている。その話をラウエルにしていたところだ」
「……え?」
この時、私はすっかり、その名前を忘れていた。
もう一度キースを振り返ると、いたたまれない様子で視線をそらされた。次にお父様を見れば、こちらも何をどう言ったらよいのか困っているのが明白だ。
「騎士団からの報告を受け、現場で使われた魔術の痕跡、使用された魔具、魔法薬等の回収、検分も終わっておる。残念だが、ネヴィンは除名処分が決まった。それらを、丁度きていたキースも交えて話をしていたところだ」
淡々と説明をしたロン師は、空いている椅子を示した。
「ひとまず、座りなさい」
「……はい」
言われたまま椅子に腰を下ろし、自分の告白をまざまざと思い出す。
つまり、私は盛大に誤解をしてキースのことを大切な人だと恥ずかしげもなく告白したことになる。
羞恥心で全身が火照り、今すぐでもここから走って逃げたくなった。だけど、そうすることも出来ず、手を握りしめて俯くしかなかった。
「さて、ラウエル。おぬしの気持ちも分からんではない。だが、グレンウェルド国外の伯爵家の子を手荒に扱うことは出来ない。今回のことはドラゴンウィングに仔細を伝え、しかるべき処分を頼むことが妥当だと考えておる」
「し、しかし……」
「除名とはすなわち封印だ。火をつけることはおろか、魔力を感知することすら出来なくなる」
言い淀むお父様に告げられた言葉に、私はハッとして顔を上げた。
「魔力が感知できない……」
魔術師は万物に宿る魔力に干渉し、術を完成させる。その為、自身の魔力、対象の魔力などをいかに感知するかが重要だ。基本の魔法を覚えればいいって訳じゃない。
つまり、感知することすら出来なるということは、魔術師としての未来がないのも同然。
「ロン師! それじゃ、ネヴィンはもう……」
「あぁ、そうだ。魔術師としての道は永劫に閉ざされる」
静かに告げたロン師の言葉に、手が震えた。
ネヴィンのことは許せない。私に酷いことをしたのもそうだけど、魔法を悪いことに使おうとしたことも許せない。それでも、魔術師の高みを目指す自分がもしも、封印なんてされたらと思うと、その処罰の重さに緊張が走った。
ロン師の視線を受け、お父様は膝の上で拳をきつく握りしめ、奥歯を噛み締めている。
「ラウエル、時間をかけて習得したものが失われることの過酷さは想像がつくであろう。竜騎士が竜を失うようなものだ」
「それは……」
「若者から未来を奪う。それで、十分ではないか?」
重苦しい空気の中、お父様は低く「分かりました」と頷いた。
次回、本日13時頃の更新となります
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