第22話 「酒を飲む気分じゃねぇよ」(キース視点)
赤い蝶に導かれたキースたちが見つけたのは、職人通りの中ほどにある小さな空き店舗だった。
数か月前から空いていて、人の出入りもなかったと近隣の店で聞き「友達が浚われて監禁されているかもしれない」とアリシアが訴えたことで、近隣の職人たちも総出で行動してくれたのだ。
騎士団の詰め所に走る者、店舗の所有者に事情を報告に行く者、怪我人が出る恐れを危惧して神殿に助けを求めに行く者と、次々に名乗りを上げて動きだした。
アリシアはこのときのことを、自身がバンクロフト商会の一人娘として知られていたことに感謝したことはないと、後々まで語っている。
店内はうっすらと埃が積もっていた。
その中に見つけた真新しい足跡の上を、赤い蝶が飛び越えた。ひらりひらりと舞う姿を追って地下へ向かったところでネヴィンを見つけたのだ。薄暗い倉庫の奥で、必死に抵抗するミシェルと共に。
昔の自分だったら、問答無用でその背中を切り捨てていただろう。──騎士団に連行されていくネヴィンを見ながら、キースは奥歯を噛んだ。
「よく耐えたわね」
「……何のことだよ」
「あんた、人殺しそうな目してたわよ」
図星をつかれ、キースは思わず片目を左手で覆った。
「まぁ、ミシェルの傷も大したことなかったみたいだし、良かった──」
「良いわけないだろう」
「──まぁ、でも、操は守れたみたいだし」
「そういうことじゃないだろう!」
「……そうだけどさ」
キースが感情的に怒るところを始めた見たアニーは、少し目を見開いた。
「ちょっと、ムキになりすぎじゃないの?」
いつもの飄々としているキースはどこに行ったのか。返事のない彼の横顔を見て、アニーは肩をすかしてため息をついた。
応急処置を受けたミシェルに加え、キース達も事の次第を聴かれることになった。それから全員が解放されたのはだいぶ遅い時間だった。
駆け付けたロンマロリーとマルヴィナに支えられて帰るミシェルの背を見送ったキースは、煙草に火をつけるとその紫煙を深く吸い込んだ。
「体に毒ですよ」
細く息を吐き出しながら、キースは声の主に視線を投げた。そこにいたのは騎士たちと共に駆け付けた司祭の一人、マーヴィンだ。駆け付けた時は随分と悪人面になっていた彼も、いつもの落ち着きを払った顔に戻っている。
「何の心配してんだよ」
心配する相手が違うだろうと暗に言い、キースは煙草をくわえ直す。その様子に、マーヴィンはあからさまに不快を示した。
「キース、話があります」
「俺はない。つか、お前仕事はどうしたんだよ。戻らなくて良いの?」
「直接戻る旨伝えました。問題ありません」
「あっ、そ」
だが自分には話すことなどないと言うように、キースは背を向け、ぽつりぽつりと街灯がともる夜道を歩き出した。
「どこに行くんですか?」
「帰るだけだ」
「では、今から一杯、付き合いませんか?」
「酒を飲む気分じゃねぇよ」
「それでも、付き合ってもらいます」
「アニーでも付き合わせとけ」
「いいえ。今夜は貴方に付き合ってもらいますよ。そんな今にも人を殺しそうな眼をした貴方を、野放しにするわけがないでしょう」
立ち止まったキースは、がしがしと髪をかき乱して「殺るわけないだろう」と呟くと、すぐ横に立つマーヴィンを恨みがましい目で見た。
ため息とともに、胸に吸い込んだ煙を吐きだす。そうして、わずかに視線の高いマーヴィンを睨むようにして見たキースは「奢りだろうな」と尋ねた。それにマーヴィンは笑って頷いた。
紫煙をくゆらせたキースは、彼の肩を叩くと目抜き通りに向けて歩きだす。その背を見ながら、マーヴィンは極力穏やかな声で尋ねた。
「あなたに一度聞こうと思っていたのですが、彼女のことをどう思っているのですか?」
「……またその話か。どいつもこいつも」
「私は真剣に聞いているんですよ」
「真剣にって言われても、んなこと考えたこともねぇよ」
「なら、きちんと考えてください。二人とも、私にとって大切な仲間です。その仲間には幸せになってもらいたいと思っ──」
「分かんねぇよ」
真剣なマーヴィンの言葉を、気の抜けた声が遮った。
立ち止まったキースは暗い夜空に向かって息を吐き、昇る紫煙を見上げる。
あぁ、そういやあいつは煙草の匂いが嫌いだって言ってたな。──ミシェルの笑顔を思い出ながら、再び深く息を吸う。
ミシェルが「紅茶の湯気の方がうんといい香りよ」と笑ったのはいつだっただろうか。「食べるなら煙じゃなくて甘いチョコの方が良いじゃない」と言って、オレンジピールにチョコレートをかけたものを口に突っ込んできたこともあった。口の中に広がる煙草の味を噛みしめ、ほんのり苦くて甘い味を思い出したキースは手元に視線を動かした。
煙草の火が赤々と暗闇に浮かぶ。
この火を見たのも、いつ以来だろうか。煙草を吸う暇すらないくらい賑やかで、話が絶えなくて。──煙草を忘れるくらいには、ミシェルとの時間が増えていたことに、キースは気付いた。ただ、居心地がいいと思うことに意味など考えてはいなかった。
「……誰かを好きになるとかは、よく分からねぇ。ただ、ミシェルを泣かせたくはない」
キースはため息混じりに「それだけなんだ」と繰り返し、再び歩き出すとすぐさま路地を折れた。すると丁度、ロンマロリー邸が並ぶ通りに出た。
無意識に足の運びが遅くなる。自然と、その方角へと視線が向かう。それに気付いたマーヴィンは足を止め、安堵の息をついて笑った。
「ロンマロリー邸はすぐそこですよ」
「……そうだな」
「今頃、一人で泣いているかもしれませんね」
ミシェルの顔を思い浮かべたキースは足を止める。
くるくると変わる愛らしい表情が曇るのは見たくなかった。
「ミシェルちゃんは、ご令嬢でありながらずいぶんと気丈な子だと思います」
「……俺らと一年も一緒だったからな。ずいぶん無茶もさせてきたし、強くもなるだろう」
「でもそれは、彼女が望んでのこと。泣き言なんていわずに、いつも楽しんでいましたよ」
「そうだな……あいつは、本当に強いと思うよ」
「でも、それは仲間がいたから乗り越えられた苦労だったのではありませんか?」
「それは……」
恋だの愛だの騒ぐよりも先に冒険へ出てしまったミシェルは、危険な目にも何度とあってきた。それ故、一般的な少女や令嬢とは違う形で強くなったのだろう。
辛い時は、いつだって仲間がいて、共に乗り越えてきた。しかし、今回はどうだ。──キースは、自分が彼女を守れなかったことを重く受け止め、唇を噛んだ。
「祭りの夜に、彼女は何を願うのでしょうか」
「……何が言いてぇんだ、司祭さんよ?」
「貴方が今するべきことは、憎い相手を痛めつけることではなく、大切な人の涙を拭うことではありませんか?」
煙草の火種が砕けて地面に落ちる。それを踏みつけたキースは自嘲気味に笑った。
そんなことは分かっている。ただ、その役目が男である自分でいいのか。今、男の手はミシェルを追い詰めるものではないか。考えれば考えるほど、足は重くなるばかりだ。
掌を見つめるキースに、マーヴィンは静かに「他でもない貴方を待っていますよ」と告げた。
「彼女が貴方を見る瞳の変化くらい、お気付きでしょう? 知らぬ存ぜぬで通すほど、私たちは子どもじゃないのです。もう、逃げるのは止め──」
「司祭の説教とか、ほんと嫌いだわ。神とやらがいつ俺らを助ける? どうやってミシェルを守るって言うんだ」
「あなたが守ればいい。その為の力を、神は授けてくれるでしょう」
「都合のいい話だな。俺は、神なんて信じねぇぞ」
悪態をついたキースは吸いかけの煙草を落として踏み消し、そのまま歩きだす。目抜き通りではなく、ロンマロリー邸に向けて。
マーヴィンはその背中に微笑んだ。
「酒はまた今度だ」
「えぇ、そうしましょう」
マーヴィンが「早く行っておやりなさい」と言う間もなく、キースは地面を蹴った。もう彼に言葉は届かないだろう。だがそれで良い。
走り去る後ろ姿を見送り、捨てられた煙草を摘まみ上げたマーヴィンはやれやれと呟いた。
「私の前でゴミを捨てるとは」
「後でお説教?」
「おや、アニー。いつからそこに」
「ずっといたわよ。ほら、飲みに行くわよ! 当然、マーヴィンの奢りでしょ?」
「貴女に奢る理由はありませんよ」
「またまた~。失恋を癒すには良い女って相場が決まってるじゃない?」
「私は失恋したつもりもありませんし、良い女がこんな夜更けに一人夜道を歩いているとも思えませんね」
「もう、減らず口ばっかり! いいから、行くわよ!」
マーヴィンの腕をグイッと引いたアニーは、目抜き通りに向けて歩きだした。
マーヴィンたちの会話は、前を向いたキースには届いていなかった。
静かな通りを走り抜け、ロンマロリー邸へと真っすぐに向かう。そうして横道に入ると、ミシェルの部屋がある辺りを見上げた。窓は開いているようで、下げられた小さなカンテラの灯が風に揺れていた。
次回、本日21時頃の更新となります
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