第21話 暗い地下室で目を覚ます
気が付けば、暗闇の中にいた。
ここはどこだろう。私、どうして……ぼんやりとしながら、自分のおかれた状況を確認するように指を動かした。そうして、自分が後ろ手に荒縄で縛られているのだと気付く。口に猿轡を噛まされているし、身体は何かに縛られている。柱かしら。
猿轡で声は出せないけど、この程度の紐なら、魔法で焼き切れるはずだわ。
そう思ったのに、いくら集中しても魔力が上手く練れなかった。紐に、魔力を阻害する魔法が織り込まれているのかもしれない。さすがに、これは厄介ね。
どうにか紐を緩められないかと手首を動かしていると、そこがじくじくと痛み始めた。擦れて切れたのかもしれない。
紐を解くのは無理そうだった。
暗い部屋は、どんなに目を堪えても真っ暗でよく分からない。埃とカビの臭いがするし、窓一つないから、どこかの地下室なのだろう。
ズキズキと痛む頭で記憶を辿ってみた。
アリシアと別れた後、誰かの声が聞こえたのよ。か細くて、苦しそうで。具合の悪い人がいるんじゃないかと思って探していたら、誰かに捕まった。あの時、甘い香りがしたわ。それを嗅いだら、とたんに意識が途切れたってことは、睡眠効果のある魔法薬を使われたのかもしれない。
身の上に起きたことを思い出している内に、頭痛は治まり始めた。眠らされたときに使った薬の影響だったのだろう。
どのくらい時間が経過したか分からないけど、頭痛と倦怠感以外に問題はなさそうだ。薬に依存性がないことを祈るばかりだけど──そうか。私は拐われたのね。
結論付けて、ほっと安堵した。
あの場で誰かが具合が悪かったとか、拐われる場面に出くわして助けられなかったとか、そんなんじゃなくて良かった。
幸いなことに足は縛られていない。この手首さえ自由になれば逃げ出せる。
そう考えていると、ガチャガチャと鍵の回される音がした。
身を固くしていると、開けられた扉が音を立てた。錆びているのか、ずいぶん重たそうに軋む音だわ。
部屋に光が差し込んだ。
入り口に立つのは男三人。目を凝らしてみた顔には見覚えがあった。いつぞや、ギルド広場で言いがかりをつけて騒ぎを起こしたゴロツキだ。
咄嗟に「あんた達!」と叫んだけど、猿轡に遮られて言葉にはならない。
「こうも簡単にいくとはな」
「魔法ってのは本当に便利だな」
「おい、やたらなこと言うな」
「どうせ誰も聞いちゃいねぇって」
「おい、ガキが起きてるぞ」
「あ? チッ、薬が足んなかったか?」
男がカンテラを片手に近づいてきた。
大柄な男が一人、私の前にしゃがみこむ。勝ち誇った笑みを浮かべて「よぉ、気分はどうだ?」と問いかけてきた。
言いたいことはあったけど、猿轡をギリギリと噛みしめて男を睨むことしか出来なかった。
「その目だ。気に入らねぇ……女は男に媚びてりゃ良いんだよ!」
そう言った直後、振り上げられた平手が、私の頬を叩いた。
バシンッと大きな音が空気を震わせる。もしも、柱に縛られてなかったら、私の体は数メートル飛んでいたかもしれない。
だけど、こんなことで怯むもんか。
男をもう一度睨めば、その顔に苛立ちが募ったようだった。
「お前、この状況分かってんのか?」
「あのハーフエルフが助けに来るとか思ってんじゃねぇの?」
「おめでたいお嬢様だな!」
男たちはげらげらと笑っている。
何を言っているんだろうか。
どうしたらキースがここに来るなんて考えられるのか。そもそも、私が拐われたなんて誰も気付いていないだろう。
自分で何とか紐を解いて反撃をしないと、逃げ道なんてない。そう思っていたから、誰かに助けを願うなんて微塵も考えていなかった。
物語じゃあるまいし、颯爽とピンチに駆け付けるなんてあり得ないわ。
男たちの夢見がちな発想に呆れて肩を落とすと、彼らは気をよくしたように笑った。私の様子が落胆したように見えたみたい。本当におめでたい男たちだわ。
とは言え、不利な状況に変わりはない。
「助けが来ないと分かったか!」
「そうやってれば可愛げもあるってもんだ」
「クソむかつくガキだが、女に変わりはないよな」
不意に、男の手が胸元に近づいた。
薄い布地が裂かれ、ビリリッと音を立てた。
反射的に出た悲鳴は猿轡に遮られてくぐもる。
「ちっせぇけど、ちゃんとあんじゃねぇか」
「ふぐっ、んんーっ!」
「揉んでデカくしてやったら良いんじゃねぇか?」
「お、優しいな」
ゲラゲラと笑う男たちの手から逃れようとして体を捻ろうとしても、剥き出しの腕に荒縄が擦れて痛みが走るだけだ。
小さな胸のふくらみを鷲掴みにされ、痛みと同時に恐怖が襲ってきた。
「少しくらい痛めつけて良いって話だったしな」
「あのハーフエルフが悔しがる顔、見てぇし、食っちまおうぜ」
「あぁ、俺たちをバカにした報いを受けてもらおう」
この男たちは何を言っているんだろうか。
体が震え出し、それを堪えるように猿轡をきつく噛んだ。
恐怖だけじゃない。この震えは、怒りだ。
八つ当たりも良いところだわ。そんなんだから、キースに負けるのよ。何なの、このクズどもは。黙っていいようにされると思ってるなんて……魔術師を、甘くみないで!
目の前の男を睨みつけると、その口元がにちゃりと歪んだ。その直後、私は唯一自由になる足で、目の前の男の股間を遠慮なしに蹴り上げた。
「んぐぅっ……!」
情けない声を上げ、男は体を丸める。それを見た小柄な男は「このガキ!」と声を荒げた。
容赦のない平手が振り下ろされる。だけど、それにめげている場合じゃない。
魔術師の底力、見せてあげる!
男達を片足で払い、利き足のつま先で素早く床に印を刻む。──これでも、食らえ!
刻んだ印に踵を振り下ろそうとしたその時、蹲っていた男が、私の足首を掴んだ。そうして薄暗い中、男は脂汗を垂らす顔を上げた。
「おいたがすぎるなぁ……おい、お前ら! 両足押さえてろ。二度と、悪さが出来ないようにしてやろうじゃないか」
大柄な男の指図を受け、男達が手を伸ばしてくる。足が抑えつけられ、スカートが捲れた。ごつごつとした指が、柔らかな太股を無遠慮に掴んだ。両足は開かれ、あられもない格好を晒される。
暗闇に下卑た笑みが浮かんだ。
恐怖に全身が強張る。どんなに暴れて足を閉じようとしても、男二人の力には敵わなかった。
声にすらならない悲鳴を上げるしか出来ないなんて。
ざらざらとした指が肌に触れる。嫌悪感で胃の奥が震える。
誰か、助けて!──言葉にならない悲鳴を発した時だった。彼らの背後の扉が開き、風が吹き込んできた。
男は手を止め、これからというところに割り込んだ邪魔者を恨めしそうに振り返った。直後、ばつの悪い顔をした男は私から手を離した。
「何をしているんだ、お前たち。僕は少しくらい怪我をさせても良いとは言ったが……彼女を汚して良いとは言っていない!」
男が何か言いつくろうように口を開いた直後だ。熱風が吹き上がり、彼らの体が壁へと叩きつけられた。
あまりの風圧に、思わず瞳を閉ざした。ややあって目蓋を上げれば、蛇が床を這う姿が飛び込んできた。いや、それは蛇ではなく墨色の紐のようで、帯状に伸びた影だった。
呻く男たちを、影が捉えて締め上げる。
男たちは「何をしやがる」と異口同音に喚き散らしていたけど、きつく締めあげられたのか、カエルが潰れるような声を発して黙り込んだ。気を失ったのかもしれない。
静けさの中、私の心拍数が上がっていく。きっと、これは恐怖だ。
どうして彼がここにいるのか。なぜ、男たちを知っているようなことをいっていたのか。
背筋を汗が濡らしていく。
怒りの形相の彼は男たちを一瞥し、私に歩み寄るとしゃがみ込みんだ。
冷たいダークブルーの瞳が私を見つめる。
「これが汚い冒険者というやつだよ」
冷たく言い放ち、彼は私の猿轡をほどいた。
「……どうして、貴方がいるの? ネヴィン」
私を見つめるダークブルーの瞳から伝わるのは、侮蔑と怒り。その冷たさに、ぞわぞわと背筋が震えた。
「まさか……あなたが、仕組んだの?」
「あぁ。奴らは金さえ積めば何だってやるし、約束など守らないってことがよく分かっただろ? あのハーフエルフも同じだ」
「ふざけないで……キースはこんなことしない!」
「どこまでもおめでたいお嬢様だ。あの男がクインシーなどと言うのを信じているのかい? あの男は、ただの冒険者だ」
「クインシーなんて関係ない……あなたは、キースのことを何も知らないじゃない。私の大切な人を侮辱しないで!」
「知っている! ヤツは冒険者だ。それも世間のつまはじきもののハーフエルフだ。それがどういうことか知らないのは、貴女だ!」
怒声を上げるネヴィンの目に宿るのは憎しみのようだった。ハーフエルフに恨みでもあるというのだろたいか。
彼の勢いに気圧されそうになった。でも、そんな言い分おかしいわ。
「勝手なこといわないで! 唆されたあの男達よりも、あなたの方が何倍も汚いわ!」
「唆した? 変なことをいう。俺は正式に依頼をしただけだ。『探し人を連れてきてほしい』と」
「物は言いようね。そのやり口が汚いっていってるのよ! 私に用があるなら、直接言いに来ればいいじゃない」
「……どうして分からないんだ?」
「分かりたくもないわ!」
「どうしたら……どうしたら、僕が誰よりも君を心配し、誰よりも大切に思っていると、分かるんだっ!」
突然の告白を理解なんて出来ようか。
私を見つめるその目は、狂気としか言いようがなかった。
熱を持った指が頬に触れ、ぞわりと背筋が粟立つ。
「嫌っ! 離して!」
「分かろうとしない貴女が悪いんだ。だから、分からせるしかない。だから!」
顎を掴まれ、逸らした顔を無理やり向き直された。近づく顔の悍ましさに全身から血の気が引いていくようだった。
「嫌って言ってるでしょ! やめ……ヤダっ!」
泣き出しそうになるのを堪え、顔を必死に背けて逃れようとして瞳を閉ざす。恐怖と混乱で、助けてと小さく言うことしか出来なくなった。その時だった。
私の頬を掴んでいた手が離れ、ネヴィンの体が傾いだ。
足元に倒れ込む体から視線をそらし、おもむろに顔を上げると、怒りの形相をしたキースと目が合った。その手は固く拳を握って震えている。
緑の目が、悲し気に細められた。
どうしてここに。──尋ねようとしたら、彼の後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。
「ミシェル!」
「……アリシア?」
「酷い……こんなに打たれて」
キースの後ろから飛び出してきたアリシアは、泣きながら私に飛びつく。
どうして、キースとアリシア、それにアニーまでいるの。
全く状況が理解できずにいると、むき出しになった私の胸元に、ひらりひらりと赤い蝶が停まった。
赤い蝶は翅を閉じると、水に溶けた絵の具のように滲み、体の中へ沁み込むように消えた。
「ごめんね。私がもっと早く、ここを見つけられれば」
泣きながら手首を縛り上げている紐を解いてくれたアリシアは、次いで、腰に巻きつく縄の結び目に指をかけた。
自由になった白い手首には、擦り傷が出来ていた。
さっきまで起きていたことが、まざまざと蘇る。その恐怖に体が強張った。
俯くと、ぱさりと頭から何かがかぶせられた。鼻をすんっと鳴らすと、仄かな煙草の香りがして、それがキースのマントだと気付いた。
そっと彼を見上げると、やっぱり凄く怒った顔をしている。今まで、一度も見たことのない顔だ。
「……キース」
精いっぱいの声で彼の名を呼ぶと、振り返ったキースはしゃがみ込み、マントの上から私の頭を撫でるように触れてきた。
「被ってろ。それでもないよりましだろ。……おい、アニー! こいつら騎士団に突き出すから手伝え!」
「あら、優しいのね。てっきり、ボコボコにしちゃうかと思ったのに」
私を縛り上げていた縄を拾い上げ、アニーは苦笑する。
すっかり伸びている男たちを縛り上げながら、キースは「殺してやりてぇぐらいだよ」と低く吐き捨てた。
更新遅れました。申し訳ありません!
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