第16話 喧嘩は楽しむものじゃない!
蹲りかけた男の胸ぐらを掴み上げたキースは笑うと、その額に遠慮ない頭突きをする。あれ、絶対痛いよ。キースだって痛いだろうに……笑ってる。
呆れちゃう。喧嘩って楽しむものじゃないのに。なんであんな顔出来るのかしら。
キースの一方的な攻撃にも見える状況に、小さく息をついたときだった。
男の仲間が慌てふためき、樽の上の空き瓶を手にとった。そうして、キースの後頭部目がけて振り下ろそうとした。
胸ぐらを掴まれた男は、仲間の不意打ちを察したのか不敵に笑う。
「キース! 危なっ──」
私が声を上げるのと、キースが掴んでいた男を振り回したのは、どちらが早かっただろう。
男の身体が、空瓶を持ち襲い掛かった小男に向かって放り投げられた。
空樽がひっくり返り、その上に広げられていたつまみも皿も、何もかもがガシャンと派手な音を立てて石畳に散らかる。
大柄な男を受け止めた二人の男は、カエルが潰れたように呻いた。
「まったくもー。ダメでしょ」
小男の手から瓶を取り上げたキースはそれを樽の上に置き、にやりと挑発的に笑う。
「これは、店のものでしょ。そんなのなしでさ……腕っぷし勝負といこうじゃねぇかよ!」
ゴキゴキと指を鳴らして楽しそうな様子のキースに反し、小男二人の顔からは血の気が引いていく。大柄な男を抱えたまま後ずさり、異口同音に「すみませんでした」と叫ぶと背を向けた。
足を縺れさせながら走り去る男たちは、路地を折れて姿を消していった。それを確認したキースは、やれやれと肩の力を抜いた。
「店主、いるか? 騒ぎを起こして悪かったな」
「いやいや、良いんだよ、旦那。実はあいつら、最近入り浸っていてね。こっちも迷惑してたんだ」
「そうかい。祭りも近いから迷惑な奴も増えるだろう。ギルドに護衛を依頼したらいいんじゃないの?」
その際は指名をよろしくと言って笑ったキースは、ゆっくりと私を振り返ると、アリシアへと視線を移した。
「バンクロフトの嬢ちゃん、大丈夫か?」
「……助けてくれて、ありがとう」
「ほんと、気を付けるんだな。祭りが近くて頭の悪いゴロツキも増えてるから」
手を差し出し、アリシアを立たせたキースは私に近づくと手を伸ば、額をコンッと指先で弾く。
「街中で、魔法は禁止!」
「だって……アリシアに酷いことしたんだよ!」
「だとしても、あんなもんぶっ放したら、店がどうなるか分かってる?」
「……はい」
頭に血が上っていたことは認めざるを得ない。
じんじんと痺れる額を指先でさすり、キースが来てくれたことを嬉しく思いながら、怒られたことを恥ずかしくも感じていた。
感情がどうしようとなく混乱して、体温はどんどん上がっていく。きっと、耳まで真っ赤になってるに違いない。
顔を見られたくなくて自然と俯くと、突然「そう言うあんたもね!」と甲高い声が降ってきた。
振り返った先にいたのはアニーだった。腰に手を当てて、凄い呆れ顔をしている。
「……アニー」
「ハーイ、ミシェル。災難だったわね。もう、買い物に行くなら私を呼びなさいよ。格安で護衛しちゃうんだから」
冗談半分で笑うアニーは、靴の踵をカツカツと鳴らしてキースに詰め寄る。
「あんたは暴れすぎ。マーヴィンに言いつけちゃおうかしら」
「んなっ! 俺は助けただけだろうが!」
「やりようはあったでしょう」
マーヴィンの顔真似だろうか。目を細めてわざとらしく声音を変えて言ったアニーは、すぐに表情筋を緩めると高い声で「似てた? マーヴィンに似てたよね、今の?」と言ってころころと笑う。
ひっくり返った空樽の周りでいそいそと片づけをしている店員は、何のことか分からず愛想笑いをしながら、箒で辺りを掃き始めた。
「やりすぎたのは認めるけどな。ああいうヤツらは痛い目見ないと懲りないんだよ」
「まぁ、それは同感だわ。でも、それなら縛り上げて騎士団にでも突き出せばいいのよ」
「へいへい、次からはそうしますよ」
「ま、ミシェルが絡まれてるの見て、頭に血が上ったんでしょうけど」
「なっ! そんなんじゃ──」
「そんなんって何よ。仲間なんだもの、怒って当然でしょ~」
キースの慌てふためく様子を見やり、アニーは楽しそうに笑っている。これは当分、笑いのネタにされそうね。キースもそう察したのか、がしがしと髪をかき乱してため息をついている。
「ま、応援してあげるから」
「だから違うって言ってるだろうが」
「アニー、応援って何のこと?」
「ふふっ、それはね……」
「いい加減にしろよな!」
むっとするキースが声を上げて睨むと、アニーはぺろりと舌を出した。
本当に、なんの話なんだろう?
「そっちのお嬢さんは大丈夫かしら?」
「ええ。皆さん、助けてくださり、ありがとうございました」
「あたしは何もしてないわよ」
クスッと笑ったアニーは、私の頭をぽふっと叩くと「大事に至らなくて良かったわね」といった。
本当にそうだ。ついカッとなってしまったけど、あのまま魔法を放っていたら、今頃お店は大惨事だっただろう。
少し青い顔をしているアリシアを見ると、罪悪感が込み上げてきた。
彼女は平気だっていうだろうけど、怖かったに違いない。学年一の秀才だけど、私と違って依頼で外出することは少ない。きっと、あの手のゴロツキにも慣れてないだろう。
「……アリシア、今日はもう帰ろう」
「でも、ミシェル」
「買い物はまた今度でも大丈夫だよ。送っていくから」
私がそういっても、アリシアはだけどと口籠る。それに、どういうわけかアニーとキースをちらちらと見ていた。
もしかして、さっき怖い目に遭ったから、私一人じゃ心もとないと感じているのかな。二人に帰り道、ついてきて貰えるよう頼みたいのかもしれない。
私も二人を見ると、アニーと目があった。すると、何を考えたのか、彼女はにんまりと笑った。
これ、何か良からぬことを考えてるときの顔だわ。
「ミシェル、買い物があるの?」
「うん。でも今日じゃなくても平気だし」
「そうなの? でも、お嬢さんを私が送っていけば行けるんじゃない?」
「え?」
「あの程度のゴロツキなら、あたしでも撃退できるわよ。護衛がいれば、お嬢さんも安心でしょ?」
「でも、アニー。ギルドを通さないと依頼料でないよ?」
「ちょっとぉ、仲間のお友達なんだから、サービスするわよ!」
けらけらと笑ったアニーは、アリシアを見てウィンクをした。それを見て、彼女も胸を撫で下ろす。
「お願いして良いですか?」
「お任せあれ!」
「……それじゃ、アリシアをよろしくね。今度、ケーキ食べに行こう!」
「あら、楽しみにしてるわ。キース、あんたはミシェルの買い物に付き合ったら、ちゃんと、おじいちゃん先生の家に届けるのよ!」
「へいへい。わーってるよ」
したり顔で指図をするアニーにため息をつきつつ、キースは了解を示すように手を軽く振った。むしろ、それはさっさと行けと合図するような動きだ。
面倒この上ないと言いたそうな顔をしているのを見て、少しだけ胸が痛む。
迷惑なら、私も帰ろうかな。
丁寧に頭を下げたアリシアを見送ると、気まずい空気になった。
やっぱり、迷惑だよね。帰るよって言いかけた時だった。
「お説教は俺の柄じゃないし……反省してるんなら、行くぞ。買い物あるんだろ?」
大きな手が、私の頭をぽふぽふと叩いた。
「何買いに行こうとしてたんだ?」
「……えっと、それは」
質問に答えられず視線を逸らすと、キースが顔を覗き込んできた。
だけど、恋の成就を願うためのカンテラが欲しいなんて、言えるわけないじゃない!
「何、俺が行っちゃまずいとこ? 下着とか?」
ぽろりと出た言葉に、思わず顔がひきつった。もしもここにマーヴィンがいたら「また、デリカシーのないことを!」と怒鳴っていたに違いない。
「違うわよ!」
「そんな怒鳴んなくても良いじゃねぇかよ。じゃ、何なのよ」
「……秘密!」
「どうして?」
悪戯を思い付いたような顔のキースは、私が視線を逸らすと、追うようにして顔を覗き込んでくる。答えないと、いつまでも追いかけてきそうだ。
「……だ、だって……知ったら、きっとバカにするわよ」
「そんなことないって」
「…………夢見がちだって、きっと笑うわよ」
「夢くらい見てもいいんじゃない? こんな世知辛い世の中だ」
食い下がられて、気恥ずかしさに顔が熱くなる。
ちょっと視線をあげると、緑の瞳が少し驚いたように見開かれた。
「……買いに行きたいのは、その……」
「お、おう」
思わず声が上擦ったのを悟られなかったかな。
少しの間を置いて、私は勇気を出した。
「……カンテラなの」
せっかく勇気を出したっていうのに、キースの反応は薄かった。不思議そうに首を傾げて瞬きを繰り返す。
柄にもないことをいってると思われ、笑われるんじゃないかと心配していたのに。こんなに心拍数が跳ね上がっているのに。その反応はなんなのよ!
「カンテラ?」
「うん……小さいので良いの」
「あの、カンテラ? 何、部屋のが壊れたとか?」
きょとんとしたキースは、ややあってしたり顔になる。
「お前寝相悪いから、蹴っ飛ばしたんだろう」
「ち、違うわよ!」
「なんだ、そんなことか。なんかもっと、こう、男の俺には縁のない、乙女的なものを買いに行くかと思ったら……カンテラねぇ」
にやにや笑ったキースは、さっさと歩きだした。
盛大に勘違いされたとすぐさま気づいたけど、今更、懇切丁寧に説明するのも気恥ずかしい。どうしたら良いのか分からず頭を抱える気分で立ち尽くしていると、少し離れたキースが振り返った。
「ほーら、行くぞ」
間延びした呼び声に「うん」と返して足を一歩踏み出す。
嘘は言っていないもんね。
カンテラを買いに行こうとしていたのは事実だから、騙している訳じゃない。そう自身に言い聞かせながら、もう一歩、二歩と足を動かした。
次回、本日19時頃の更新となります
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