第14話 キースと壮年の魔術師(キース視点)
ミシェルがアリシアと顔を突き合わせていたころから少し時を進めた町の酒場で、キースが「だーかーら!」と、苛立った声を上げていた。
照り付けていた陽が僅かに傾き、心地よい風が抜けるようになった夕暮れ前。
酒場は、少し早い晩酌を求める冒険者たちで賑わい始めていた。夏の暑さの中でのむ酒は格別とばかりに、昼間から泥酔して出来上がっている輩もちらほらいる。
その喧騒の中、キースは不機嫌そうな顔をして、向かいに座る男から視線をそらした。
「あの場合、仕方なかったんだって」
エール片手に髪をかき乱したキースは、目の前に座る亜麻色の髪をした男から、痛いほどの厳しいし視線を向けられている。
ローブ姿の男は見たところ四十路半ばの魔術師だ。彼は冷ややかな目でキースを見ていたが、しばらくして、諦めたように深いため息をついた。
「他に騙れる家名もあったでしょうに」
「やたらなこと言った方が危険だろ? アスティン卿は最近いい噂がねぇしな」
「そうですが……旦那様には今回のことをご報告させて頂きますよ。マザー家にも」
「……あー……出来れば、俺のことは伏せてもらえたら──」
再びぎろりと睨まれてキースは身をすくめて「無理ですよねぇ」と言葉を濁した。
「久々に様子を見に来てみれば……後始末をするこちらの身にもなってほしいものです」
「いや、俺、普段は大人しくしてるよ? 今回は、あのガキがミシェルを泣かせたから」
ちょっとした牽制のつもりだったと、尻すぼみになりながら言いつくろうキースの様子に、男は小さく噴き出して笑いだした。
突然、肩を震わせる様子が理解できず、キースは「何だよ、気持ち悪ぃな」と悪態をつく。
「だいぶお気に召されているご様子ですね」
「は?」
「マザー家のご息女のことですよ」
したり顔になった男は目を細めた。しかし、何を言われたのかさっぱり分からないキースは、眉を顰めるばかりだ。
お気に召すという意味は何なのか。言葉通りに捉えれば、相手に興味関心を持っているということになるのだろう。
「あなたが人並みに恋愛感情を持ったのですから、喜ばしいと言えば喜ばしい話です」
「はぁ? 何言ってんの?」
「きっと、旦那様も喜ばれますよ」
そう言った男は、ジョッキに残っていたエールを飲み干した。その様子から視線をそらしたキースはふとミシェルの笑顔を思い出す。
屈託ない、天真爛漫でうさぎのような少女。つぶらな青い瞳はどこか挑戦的で、いつだって真っすぐこちらを見る。曲がったことが嫌いな彼女が全力で走っていく姿は、小動物っぽさもあり、愛らしいといえばそうだろう。
確かに、あの笑顔は好きだ。笑っていてほしいと思う。だが、これが恋愛感情というものなのか。そう言った、どろどろしたものじゃない。と考えたところで、キースは小さく舌打ちをした。
「……ミシェルは、そんなんじゃねぇよ」
「おや、そうなんですか? 私には、そのようにしか聞こえませんが」
「あいつは色々とお子様すぎるだろう」
「お子様ですか? 年齢的には、ご結婚の話があっても不思議ではありませんよ」
「そうじゃなくて。そもそも、俺の女の好みは、もっとこう胸がでかい──」
両手を、女性の肉感ある曲線を表すように動かしたキースは、男の真後ろに立った人影を見て言葉を失う。そうして、口の端を引きつらせて「アニー」とその名を口にした。
アニーの赤い唇がニヤリとつり上がった。
「やらしー。ミシェルに言っちゃおうかしら?」
「お前、いつから……」
顔を引きつらせるキースとアニーの様子を面白そうに見ていた男は、肩越しにどうもと挨拶をする。
ジョッキ片手に立つアニーはにこっと笑い、さらにキースを問い詰め始めた。
「ミシェルはそんなんじゃねぇ、てとこよ。何々、あんたミシェルが好きなの? 身分違いもいいとこじゃない!」
「私にはそのように聞こえるのですけどね。全く、認めないんですよ」
「……お前らなぁ」
ちょっと詳しく聞かせなさいと言いながら、アニーは空いている椅子を引き寄せて二人の間に腰を下ろした。興味津々な顔は、まるで宝の山を前にしているようだ。
「でもさ、ミシェルとあんたじゃ身分差もそうだけど、年の差はどうなのよ?」
ジョッキのエールを飲み干し、どんっとそれを台に下ろしたアニーは、二人のものも空だと気づき、店内を忙しく歩く給仕に「すみませーん!」と声をかけた。
「エール追加、三つね!」
大きく手を振ったアニーは、少し離れた給仕が「少々お待ちを!」と声を張り上げると、横の男に向き直り、にこりと笑った。
「はじめまして、魔術師さん。キースの知り合いかしら?」
「おや、どうして私が魔術師だと?」
「違ったら謝るわ。名前が分からないから、とりあえずそう呼んだだけよ。私はアニー、よろしくね」
「これは失礼しました。レイと申します。お察しの通り、魔術師をさせて頂いてます」
「やっぱりねー。なんか、そういう雰囲気ってあるじゃない!」
皿の上に残るチーズへと手を伸ばしたアニーは、ころころと笑った。
「おやおや、なんとも快活なお嬢さんですね」
「やだ、お嬢さんとか言われたの初めてよ。ちょっと、キース! どこでこんな素敵なおじさまと知り合ったのよ!」
「うるせぇな……昔からの知り合いだよ!」
追加のエールがテーブルに置かれ、それを手に取ったキースは一気に煽った。
「なに、怒ってんのよ。遅い反抗期ってやつ?」
「なんと。それはめでたいですね。では、鳥の丸焼きでも頼みましょうか」
面白そうにアニーの揶揄いに乗ったレイが提案すると、彼女は目を輝かせた。
「ノリがいい人って好きよ」
「それは光栄です」
「お前ら、いい加減にしろ」
本気で鳥の丸焼きを頼もうとしているのか、レイは壁にかかるメニュー表を探して「ありますね」と笑った。
深々とため息をついたキースは「勝手にしろ」と呟いて窓の外に視線を投げた。直後だ。
キースの手がぴくりと震え、止まった。
窓の外を向いた彼の綺麗な緑色の瞳が見開かれた。直後、その手が空のジョッキにぶつかり、食器に当たってカタカタと音を立てた。
「どうしたの、キース? あら、ミシェルじゃない」
キースの視線の先に気づき、アニーはにやにやと笑う。
窓の外の通りをミシェルが楽しそうに喋りながら歩いていた。その横にいるのは、アニーでも見覚えがあるアリシア・バンクロフトだ。
「お友達と一緒みたいね」
「おや、一緒にいらっしゃるのはバンクロフトのお嬢さんですね」
「なぁに、レイってば詳しいのね」
「マザー家のご令嬢と、大商会バンクロフトのお嬢様ですからね。知らないのは、よほどのゴロツキでしょう」
「ゴロツキねぇ……あら、なんか様子がおかしくない?」
三年前、マザー家など知りもしなかったアニーは苦笑を見せると、窓の外を見て顔を歪ませた。
通りの向こうで、人相の悪い男達が数人、ミシェルとアリシアの行く手を阻んでいた。
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