第12話 まだ、真実を知る勇気はない
どれくらい躍っただろうか。
講堂のすぐ横に広がる庭園に出ると、心地よい夜風が吹き抜けた。少し覚束ない足取りでベンチに腰を下ろし、ほうっと息をつく。
私のすぐ前にたったキースは、苦笑しながら大丈夫かと尋ねてきた。
足がじんじんする。きっと、擦りむいている。なのに、そんな痛みや疲れも悪くないって思うくらい、私の心は高揚していた。
今ならなんでも出来るような気がした。
心地よい夜風が熱い頬を撫でて通りすぎていく。
「疲れたろ。何か、飲み物を持ってくるか?」
「……大丈夫。ドレスがきついから、そんなに飲んだり食べたりって気分じゃないし」
「そうか?」
「ねぇ、それより、キース」
「ん?」
「舞踏会に出たことあるわね?」
向かいに立った彼を見上げ、少し語気を強めて尋ねると、ついっと視線がそらされた。
「ダンスも慣れていたし、他の学生に声をかけられた時の交わし方だって、手慣れていて」
「あー……まるで貴族みたい、か?」
苦笑したキースは私の前にしゃがみ、おもむろに足首を掴んだ。
ずくずくと痛みが走る。
「痛っ……」
「やっぱりな」
そっと靴が脱がされると、痛々しく赤くなった足が夜風にさらされた。慣れない踵の高い靴のせいで、靴擦れを起こしていたようだ。
「そっちもか? これでよく踊ったな。痛かっただろう」
「……楽しくて、気にならなかった」
「こんなに擦りむいてるのに?」
問われて、今度は私が視線をそらす番だった。
キースは可笑しそうに笑う。
「だって」と反発しようとしたけど、あれほど嫌がっていた舞踏会が楽しかったからというのは、どうにも憚られた。
しばし、涼しい風と共に沈黙が訪れた。
横に腰を下ろしたキースをちらりと見れば、軽く「なあに?」と声をかけられる。
聞いていいのかな。あなたは何者って。
「ねぇ、キース……クインシーって」
今しか訊くことが出来ない。そんな気持ちに蓋をするように、キースの固い人差し指が唇に押し当てられた。
少し困ったような瞳が、私を見ている。
「それさ、聞かなかったことにしてくれる?」
聞かなかったことって言われても、忘れるなんて出来ないわ。
ジェラルディン連合国の貴族に、クインシーを知らない者はいないだろう。今は存在しない公爵家で、私たちがいるのはクインシー家があったからこそで──ぐるぐる考えていると、キースは消えそうな声で「頼む」とこぼした。
探られたくないことは、誰にでもあるよね。
悲しそうなキースの笑顔に、私は頷いた。そうしないと、彼がいなくなってしまうような気がしたから。
唇から指が離れていく。
不安にかられた私は、その手を掴んでいた。
「ねぇ、キース」
「なに?」
「……また、一緒に冒険いける、よね?」
どうしてそんなことを聞いたのだろうか。
綺麗なキースの瞳が、暗い庭園を照らすカンテラの明かりを受けて、キラキラと輝く。まるで宝石のようだ。
「当たり前だろ。まだまだ一緒に冒険したいって話したの忘れたのか?」
「忘れてない!」
「それじゃ、まずは……その足、さっさと治せよ。はい、靴もって」
「う、うん……」
「それじゃ、帰るか」
そう言うが早いか、行動に出るのが早かったか。キースは私を横抱きにして立ち上がった。
ふわりと浮く感覚に驚き、思わずその首にしがみつく。
「ちょっ、キース!」
「その足じゃ、歩くの辛いでしょ?」
「で、でも……」
周囲の視線を感じ、頬がじわじわと熱くなっていく。そうして口籠っていると、少し離れたところから「ミシェル!」と私を呼ぶ声がした。
ドレスの裾を持ち上げたアリシアと、パークスが近づいてくる。
「具合でも悪くなったの?」
「足、擦りむいちゃって……」
「あら、それは無理しない方がいいわね。馬車を呼びましょう」
そう言ってアリシアがパークスを振り返る。だけど、キースがその必要はないと断りを入れた。
「月も綺麗なことだし、歩いて送りたいと思います。ロンマロリー学院長の邸宅は近いですから」
「そう? 夜のお散歩だなんて素敵ね。パークスにも見習ってほしいものだわ」
「……アリシア、俺の筋肉のなさを分かって言ってるだろう」
げんなりとするパークスは、私を見て「お大事に」と言う。
「楽しかったでしょ?」
「うん。もっと堅苦しいのかと思ってたけど、そんなことなかったね」
「ふふっ、親元離れてる子が多いから、皆、案外考えることは同じで、羽根を伸ばしているのよ」
「アリシアも?」
「私はちゃんと人脈づくりのための舞踏会よ」
私たちが他愛もない会話を続ける傍ら、キースとパークスは黙っていた。
門の手前にたどり着いたとき、アリシアは視線をキースに向ける。
「ところでキースさん」
「キースでいいですよ、アリシア嬢」
「では、キース。次に会うときは、その堅苦しいしゃべり方、やめてもらえるかしら? いつものあなたと別人すぎて、ずっと笑いを堪えるのが大変だったのよ」
一瞬きょとんとしたキースは、一拍置いた後に、にっと口元を吊り上げた。それを見たアリシアはふふっと笑い、満足そうに「バンクロフトをご贔屓に」と言ってドレスの裾をつまみ上げた。
アリシアとパークスに見送られ、私たちは学院をあとにした。
ちらほらと帰り始める学生と行きかう馬車を横目に、キースが息を吐く。少し眉間にシワを寄せている。私を抱えてなかったら、髪をくしゃりとかき回していたかもしれない。
不満なとき、困ったとき、考えるとき。キースがよく見せる癖だ。
「どうしたの」と訊ねれば、彼は少し唸った。
「なあ……今日の俺、そんな変だったか?」
「いつもと違いすぎだよ。煙草とお酒と甘いものが大好きな、不良ハーフエルフには見えないし」
「うっわ、酷い言い方。こんな色男捕まえて、それってどうなの?」
目を丸くしたキースから、困惑の色は消えた。傷つくなと心にないことを言いながら笑う顔は、いつもの彼だった。
その顔を見つめながら「だって」と言えば、彼は歩みを緩め、視線を下げて私を見つめる。
「ん?」
「私の知ってるキースは、イケメンでも御伽噺の王子様でもないもん」
私の言葉に、キースは一瞬きょとんとする。そうして、ふっと笑うと「違いねぇ」と同意した。
いつもの笑顔にほっとして、彼の胸に顔を埋めると、ふわりと煙草と香水の入り混じった香りが鼻腔を掠めた。
煙草は嫌いなのに、どうして、この香りは平気なんだろう。不思議だな。
月も星も、街中の街灯の輝きにも目を向けず、ただその香りを忘れないように呼吸を繰り返す。
「ミシェル、寝ちまったか?」
聞こえる声に、起きてるよって小さく答えながらも、目蓋を上げるのが億劫に感じ始めていた。
ぼんやりと、この穏やかな夜が続けばいいと思いながらキースに全てを委ね、コツコツと響く靴音に耳を傾けた。
◇
舞踏会から十日以上がすぎ、私は注目の的になっていた。
キースのことを尋ねられ、どんなに仲間だと言っても、なぜか話はねじ曲がり、いつしか私の専属護衛騎士だなんて噂まで広がり始めた。
正直な話、否定するのもほとほと疲れていた。
そんな時、アリシアがお茶に誘ってくれた。
ものすごく興味津々に目を輝かせる姿を見て、憂鬱になった。アリシアまで誤解しているみたいだ。
誤解を解くため、彼女の部屋を訪ねると、パークスもそろって出迎えてくれた。
「パークスまで……」
「俺も呼び出されたんだよ」
「呼び出したって言い方はないでしょ? パークス、試験結果が酷いって、おじ様が嘆いていたわよ」
おじ様というのはパークスの父親のことだろう。確か、バンクロフト傘下で化粧品を扱っている商人で、その次男に当たるのがパークスだ。将来はバンクロフト傘下で働くことが決まっているって、以前、アリシアから聞いたこともある。
「あなたはすぐ、サボるんだもの」
「進級できればいいだろ?」
「もう! 真面目にやればもっと出来るはずよ」
「買い被りすぎだよ」
少し憂鬱そうな視線を向けてくるパークスに同情しながら、私は空いているソファーに腰を下ろした。
「たまには勉強抜きで呼ばれたいもんだよ。そう思うだろ、ミシェル?」
「あはは……まぁ、私も机に向かうのは苦手かな」
「もう、ミシェルまで! パークスを甘やかさないで。本当はやれば出来るんだから」
お茶の用意をしながら、アリシアは実に楽しそうに笑っている。それに対してパークスはため息をつきながら広げていた教本に視線を戻した。
二人はいつも喧嘩腰だけど、仲が悪い訳じゃない。
パークスは文句を言いながらも逃げたりしないし、憎からず想い合っているってような気がする。一緒にいるのが当たり前の姿は、少し羨ましくも思える。
二人を見ていると、自然と口許が緩んだ。
そんな私と目があったバークスが居心地悪そうに視線をそらした。少し頬も赤くて、照れてるようにも見える。
「おい、笑うなよ」
「ごめんね。でも、ううん、なんでもない」
「笑われたくなかったら、しっかり学びなさい」
ティーカップにお茶を注ぐアリシアは、とても生き生きとしている。
目の前に置かれたティーカップから、ミントと柑橘の香りをまとった紅茶が、甘い湯気を燻らせた。
もしかして、私ってお邪魔虫かも。そんな気持ちになっていると、向かいに座ったアリシアが、ところでと尋ねてきた。
「色々と聞かせてもらえるかしら?」
「……キースのことなら、私、何も答えられないよ」
「あら、どうして?」
「前も言ったけど、私とキースは冒険の仲間。それ以下でも以上でもないし……」
そこまで言い、少しだけ寂しさが込み上げる。
そう、キースのことを何も知らないのよ。どこで生まれたのかすら聞いたことがない。知ってるのは家族がいないことと、私の倍を生きているハーフエルフってことくらい。
カップの中へと視線をそらし、その優しい香りを胸に吸い込む。
どうしてこんなに寂しさを感じるのだろう。
今まで、キースの素性なんて気にもしなかったのに。どうして、気になるようになったのか。私が一番知りたいのよ、て声に出して言いたいくらいだ。
カップに口をつけた時だった。
「ねぇ、クインシー家って特別なの?」
突然の質問に、ドキリとした。だって、まさかそこをピンポイントで聞いてくるなんて。
息を飲んだ私は、無意識に体を強ばらせていた。
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