第11話 華やかな舞踏会に役者は揃う
馬車の外に踏み出し、まるで決戦を前にしたような勇ましい心持ちで学院を見上げる。荘厳な建物が今日ばかりは、まるで立ちはだかる敵の王城のように見えた。
日頃、講演に使われる一番大きな講堂は、華やかな舞踏会の会場へと姿を変えていた。
壁際のテーブルには豪華な食事が並び、この日のために雇われたであろう給仕たちが銀の盆を手にし、賓客へと飲み物を配り歩いている。
葡萄酒と花の添えられた果実水のグラスを受け取ったキースは「ノンアルコールな」と片方を私に渡して笑う。
「ありがとう。ね、アリシアを探したいの」
「バンクロフトのお嬢さんだな」
元より承知だとばかりにキースは頷くと、私の空いている手を掴んで自身の腕に添えさせた。
なんだかこうして歩いてると、本当に社交界でエスコートをするパートナーみたい。
布地の上からも分かる逞しい腕に、どきっと胸が震える。エルフの血も流れてるからか、キースは剣士のわりには細身だけど、こうして触れると、やっぱり男なんだなって思わされた。
それに、悔しいくらい綺麗な顔をしているから、お伽噺の王子様みたいだ。周囲の女の子達もこちらを気にしている。
「全学年なだけあって、凄い人数だな」
「え? うん……どこだろう、アリシア」
息を整えるように深呼吸をし、あたりを見回した。そうして探していると、すぐに見覚えのある横顔を見つけた。
ただしそれはアリシアではなく、今もっとも会いたくない人物──ネヴィンだ。長い灰褐色の髪を後ろで束ねる彼に同伴の姿はなく、誰かを探しているような様子だった。
足がすくみ、キースの腕に力がかかる。立ち止まった私を見た彼は、少し眉をしかめた。そうして私の視線の先を探って、小さく「あいつか」と呟く。
瞳を細めたキースが静かに息を吐く。それは、敵を黙視したときに見せる彼の癖そのものだ。
「キース、ここで騒ぎは──」
やめてよと言いかけたその時だった。
「あら、ミシェル。やっと観念したのかしら?」
穏やかな声が横からかけられた。振り返ると、淡い空色のドレスに身を包んだアリシアがふくよかな胸を揺らして近づいてきた。横にいるのはパークスだ。
「アリシア! よかった。探してたの」
「ふふっ、心細かったって顔ね」
「そ、そんなことないもん!」
図星をつかれ、恥ずかしさに耳まで熱くなったけど、アリシアの笑顔を見ただけで肩の力が抜けていった。
「それにしても……まさか、噂の彼を連れてくるとわね。正直驚いたわ。パークスを貸しても良かったのに」
「貸すって。アリシア、俺は君の所有物なのかい?」
「似たようなものでしょ?」
げんなりとするパークスの横で、アリシアはけろっとした顔で答え、グラスを彼に押し付けた。すると淑女らしくドレスを摘まみ、キースに向かって挨拶を披露する。
「アリシア・バンクロフトと申します。キース様のお話は、かねてよりお伺いしておりますわ」
「お会いできて光栄です、アリシア嬢。バンクロフト商会のティールームは、よく利用させて頂いてます」
「ふふっ、今後もご贔屓に」
本当のところは、初めて会ったわけでもない。キースと出逢ったときの任務は、アリシアとパークスも一緒だったから。
だけど、二人は場の雰囲気に合わせて、当たり障りのない挨拶を交わしたのだろう。
私だったら、そうすらすらと挨拶がでないかもしれない。
「アリシアはこういう場所、慣れてるね」
「人の集まるところに商機あり、よ」
輝かしい笑顔を見せるアリシアの横でパークスがため息をつき、キースも苦笑する。
商魂逞しいアリシアの様子にまた一つ肩の力が抜けた。
グラスの果実水を飲み干し、通りすがりの給仕にそれを渡してから改めて会場を見回した。
日頃、ローブ姿が多い学生たちだが、今日ばかりは誰もが着飾っている。とくに女の子は、誰か分からないほどの変身を遂げている子もいるわ。
私も少しは淑女らしく見えているだろうか。そんなことをちらり考えてキースを見上げると、綺麗な緑の瞳が細められ、惚れ惚れするような笑みが向けられた。
「ほんと、絵になるわ。パークスもあれくらい甘い笑顔をしてみたらどうかしら?」
「自分で言うのもなんだけど、素材が違いすぎるよ。なぁ、それより……」
感嘆のため息をついたアリシアの肩を叩いたパークスは、顎をしゃくると斜め後ろを見るように促した。
「あら、お邪魔虫がこっちに気づいたわね」
アリシアの言葉に釣られ、二人が見る方を確認した私は表情を強張らせた。
こちらを見ていたネヴィンと目があった。
近づいてくるネヴィンに足がすくんだ。指が冷えていく。今すぐ逃げ出したい。
葡萄酒を飲み終えたキースはすれ違う給仕へとそれを渡すと、私の指に手を重ねた。
「大丈夫だ」
見上げると、私を安心させるように、キースはその口角を上げた。
彼がいて良かった。素直にそう思え、頷き返す。そんな私たちの横で、パークスがやれやれとため息を吐き出した。
「アリシアの声が大きいんだよ。気づかれる前にこの場を離脱すべきだったと思うね」
「なら、さっさとそう言いなさいな」
眉をつり上げたアリシアは怯む様子もなく、私の前に歩み出る。まるで、近づいてくるネヴィンに立ち向かうようだった。
「ご機嫌よう、ネヴィン」
「お邪魔虫とは、とんだ言われようだな」
「あら、何のことかしら?」
涼しい顔のネヴィンに動じることなく、アリシアは笑う。しかし、彼女には興味がないと言うように、彼はこちらに視線を向けてきた。
「ミシェル嬢は、僕の忠告を全く聞いていなかったようで残念だよ。マザー家のご令嬢ともあろう方が、素性も知れないハーフエルフを連れ歩くとは。それとも、下賤の者を着飾らせて侍らせるご趣味でもあるのでしょうか?」
侮蔑のこもった物言いと笑顔に背筋が震えた。
どうしてそこまで言われないといけないの。キースがハーフエルフだから? 貴族じゃないから?
周囲の学生から、ひそひそと声が上がる。
とんだ晒し者だわ。こんなことして、何が楽しいのよ。
「ちょっと、ネヴィン! いい加減にしなさい」
「アリシア、落ち着くんだ」
私よりも先に声を上げたのはアリシアだった。それを止めようと、パークスが彼女の手を引いたけど、あっさりとはねのけられる。
基本的に冷静なアリシアだけど、ここ数か月、ネヴィンのことに関してはだいぶ怒り心頭だったのよね。
後で聞いたのだけど、パークスもそのことを知っていたから、彼女がカッとなった時に止めようと思って、同伴としてきたらしい。
アリシアって、火がついたら止められないところがあるから──もしかしたら、ネヴィンもそれを分かっていて、酷いことを言い出すんじゃないかしら。
色々な不安が押し寄せた。
ネヴィンの侮蔑の眼差しがアリシアにも向けられ、さらに、周囲から向けられる好奇の目が増えたように感じた。
アリシアを止めないと。そう思ってに手を伸ばした時、私の手を離したキースが、彼女とネヴィンの間に割って入った。
「アリシア嬢、美しいお顔が台無しですよ」
綺麗に微笑み、そしてネヴィンに向き直る。
「挨拶が遅くなり申し訳ない。キース・クインシーです」
「……クインシー、だと?」
ネヴィンは顔をさっと青くして、聞き返した。その声が、信じられないというように震えている。
震えていたのは、ネヴィンだけじゃない。私も困惑に両手を握りしめて息を飲んだ。
よりによって、クインシーだなんて……
私とネヴィンが顔色を変えて黙りこみ、会話が途切れた。
「まさか……そんなはずは……」
ネヴィンの顔が屈辱だと言わんばかりに歪む。そうしてキースを睨みつけるけど、彼は微塵も気に留めていない。
「せっかくの舞踏会です。そう眉間にしわを寄せず、楽しまれてはいかがですか? あまりこの場に水を差すような言動は、アスティン卿もお喜びにならないでしょう」
穏やかに笑いかけるキースに反し、いっそう険しい表情になったネヴィンは唸るように「失礼する」と言い捨て、キースの横を通り過ぎようとした。
すれ違いざまにキースの手がネヴィンの肩を掴む。そして、耳元に顔を近づけ──
「もう一度、ミシェルを泣かせてみろ。ただでは済まさない」
低い声で告げた。
振り返ったネヴィンは、何か言い換えそうとしたのかもしれない。だけど、開きかけた口を一度引き結び、再び「失礼する」と言って去っていった。
何が起きたのか、私も理解できず、キースを見上げた。
その綺麗な緑の瞳は、人混みに消えたネヴィンを睨んだままだった。
「キース?」
彼の名を呼んだとき、まるで場の雰囲気を切り替えるように軽快な音楽が奏でられた。
様子を窺っていた周囲の学生に談笑が戻り、音楽に誘われた学生たちは一組、二組と、次々に中央へと歩みでた。そうして、音楽に合わせてステップを刻み始める。
キースが私に手を差し伸べた。
「せっかくだ。一曲、お相手頂けるかな?」
彼の誘いを断る理由もなく、手を引かれて広間の中央に誘い出される。
困惑していると、アリシアもパークスと一緒に歩みでてきた。
次回、本日19時頃の更新となります
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