第6話 ここは異世界じゃないから二度と来ないで勇者様 3
ミラさんは『吸血鬼みたいな』裏地が赤の黒マントを羽織り、口紅とアイシャドーもわざとらしい濃さにしていた。
夏日なので下は肩を出すデザインのドレスに変えて、日傘だけでなく扇子も使っている。
「えっ、海難事故ですか!? わたしたちより大変ではないですか。それなら通訳しますので、ツアーガイドのかたに相談してみませんか?」
遭難者のうち中学生女子は夏用のセーラー服で、ショートカットや細い手足や顔だち体つきも、全体にあっさりさっぱりしている。
海水に浸かったらしい運動靴が濡れていて、脱いだ靴下を両手にゆらしていた。
きょとんとした表情で首をかしげる。
「映画のツアー……ほれクニエさん、さっきの頭二つ生えていたカエル人間さん、やはり特殊メイクですかね? ここってばもしや撮影現場とか?」
サタンダンが聞いていたら『かかったぜマヌケどもが!』とか笑いだしそうだけど、通信はつながっていない。
もうひとりの遭難者はブレザー制服の高校生女子で、体つきだけ大人びているけど髪は伸ばしほうだいのボサボサ、表情も動作もどんよりと濁っている。
「リンちゃん、そういう現実いらない。ここもう異世界でいいよ。はい決定」
サタンダンが聞いていたら『クソ早まってんじゃねえお嬢ちゃん!?』とか叫びそうだけど、通信はつながっていない。
ミラさんはふたりを手早く分析しながらあせっていた。
『遭難した直後なのに、落ち着きすぎている? まだ現実感がないだけならいいけど、帰国できないことへの恐怖がなさそうな……異世界転移の願望が強い? 違う学校の制服ですでに仲よさそうだけど、気質がなにか似ている? どちらも整形なしでアイドル目指せるかなりの素材だけど、着飾る意欲は無さそうな素朴さもどストライク。でもわたしほどの美少女を前に平然としすぎてない? 自然体のままでいてほしいけど、もっと性的に意識して!?』
「あー。ミラさん見た時にゃ美人さんすぎてあの世かと思ったけど」
リンちゃんが照れ笑いして、ミラさんはひそかにガッツポーズ。
ミラさんに同行していたメイドのサナさんは日本語がわからないふりをして、たまにフランス語でミラさんとやりとりしていた。
『ミラちゃん今「任務完了!」とか思った?』
『まさかそんな? 帰国までご案内するまでが任務です』
『目をそらさなくていいぞ?』
『任務の流れで必然的に仲良くなりすぎる可能性はあるかもしれませんが……』
ミラさんは仕事もやっていた。
後ろ手に扇子を開閉し続け、それを遠くから撮影させている。
現場指揮官が自ら『災害規模の危険』と接する最前線へ出た理由も、いちおう趣味だけではない。
そのころ大魔王サタンダンは浴衣姿で『ここ撮影現場なんですけど?』作戦を展開中の街が見える位置まで到着していながら、身動きできないでいた。
この時の司令部は藁ぶきのような獣毛の屋根しかない吹きさらしで、バレーボールコートくらいある床は毛深い絨毯のようだけどゆっくり動いている。
遠目には苔むした小山だけど、近づくと司令部を背に乗せて寝そべっている巨大アリクイとわかった。眠りかけていた。
玉座の周辺はモニター用の水晶が十数台ほど並んでいたけど、リンちゃんとクニエさんの姿は表情もわかりにくい遠距離からしか映せていない。
サタンダンの両脇にはスーツ姿の悪魔が控え、単眼鏡にヤギのような角とアゴヒゲの男性悪魔は手元の魔道情報端末石板を忙しく動かしてモニターを次々と切りかえている。
「カルタミラさんの飛ばしていたコウモリたちも、すでに半分以上が迷子になっていますね?」
「おめえの推測どおり、探りに出た使い魔たちはぶっ殺されていたわけじゃねえようだな? 制御のつながりをぶちきられてやがるのか?」
「それとあの扇子の動きはモールス信号らしいので、ただいま記録中で……」
「ばあさんの見立てじゃ『クニエちゃんの視線』で魔法を消されちまうらしい」
サタンダンは扇子の開閉が映っているモニターだけをじっと見ていた。
ヤギ角の悪魔は口端だけで苦笑して肩をすくめる。
「やっかいそうですね? 阻害であれ解除であれ、無意識でもあの範囲と速さで発動できるとなると」
「さらに『リンちゃん』のほうはここまで届きそうな広範囲の通信魔法だ。ひとつまちがえりゃ何が起きやがるか……」
「今のところ実害はなさそうですが、あいさつのような平坦な意識しかこめられていないのもひっかかります」
「訓練もしてねえ無意識で、こんな広範囲へ飛ばせる発信内容なんて普通は『助けて~え!』とか『ぶっ殺~す!』だろうが? 普通じゃねえぞあのお嬢ちゃん? 嫌な予感しかしねえ。急げるだけ急げとオレの股間もぶるってるぜ~え!?」
反対側に控えていた黒縁眼鏡の女悪魔は黙々と『サタンダン様の股間がぶるっておられるほど急を要します』と指示文章を作成して現場へ送付した。
ミラさんはリンちゃんの手を握って恥じらうような会釈を見せる。
「大変なことになってしまいましたが、日本のかたに会えて感激です。わたしの祖母は日本の出身で、何十年もガチオタクを嗜んでいたので」
「ほえー。それでその『撮影現場コスプレ見学ツアー』にも?」
「祖母が日系人の監督さんと知り合いだったのですが、体調を悪くしてチケットを余らせてしまって。わたしは代役ですが、あまり原作は知りませんし……その……」
ミラさんは『自分もあまり知らない』という設定にして、リンちゃんたちになにを見られていても話を合わせられるようにした。
「……どうも予算ぐりが危ないとかで、撮影現場はトラブルが相次いでいるようです」
なにか突発事故が起きてもごまかしやすい設定にした。
「ありゃま。もしや『コスプレすればエキストラ参加できる見学ツアー』も、実は製作費と無料エキストラを調達できる一石二鳥とか?」
「そうなのですかね? ガイドさんやスタッフのかたはみんな親切でしたが、とても急がしそうで……」
「んー、それで置きざりとはミラさんたちも大変ねー? なんて言えるほどボクものんきな状況ではないけども~♪」
リンちゃんは気の抜けた笑顔で靴下をふりふり踊る。
ミラさんは『かわいいけど遭難直後でそんなのんきさは尋常ではないけどかわいいけど!?』とか困惑していた。
「いっしょに撮影現場へもどってみませんか? まだ引き上げ作業をしているスタッフが残っているはずです」
まず『舞台セット』とは言いくるめにくい街から引き離す。
「着替えやシャワーなどもそちらのほうが借りやすそうですから」
そして町の住民と警備隊が大急ぎで準備している『元世界風の撮影現場』へ向かわせた。
そのころ山中の巨大洞窟には人に化けられる魔物と、特殊メイクと言い張りやすい魔物が集められていた。
「この角と尻尾、いざとなったら切ってもいい? 高く買うよ? じゃあここにサインを……」
司令部から派遣された精鋭部隊の持ってきた荷物には『高度模造魔道具・おまえらの生涯収入より高価』とラベルに書かれた金属箱もあった。
中からは外観も機能も元世界と同じ撮影用カメラなどの機材が出てくる。
さらにミラさんは『まちがった先入観を植えつけるための支援兵器』も緊急輸送させていた。
「移動販売のカフェも来ているころなので、なにかごちそうさせてください」
自動車と調理機材、やたらと貼られた元世界企業の広告……それら以上に『元世界のありきたりな食べ物』は味覚や嗅覚からも『ここが異世界のわけないか』という感覚を塗りたくる。
安っぽいホットドッグとポテトフライ、そしてソフトクリームは数多くの転移者に現実逃避を断念させた有能な補助役だった。
そのキッチンカーはちょうどミラさんが見上げた目的地の山を越え、巨大な鳥にわしづかみにされたまま降下してくる。
「『全力で飛ばせ!』とは指示したが『巨怪鳥で上空に吊り下げて!』とは言ってねー!?」
司令部のサタンダンがミラさんの代わりに叫んであげる。
ミラさんはなりふりかまわず濃霧を噴き出し、リンちゃんとクニエさんがふりむく寸前で抱きついていた。
「日本のかたに会えて感激です!」
「おおう? それさっきも聞いたような?」
「あの……ずっと制服のにおいを嗅ぎたいと思っていたので!」
あせってつい本性が出てしまう。
司令部ではサタンダンたちもあわてて床をくすぐっていた。
「うおおおーい!? 起きろや『キリギリス号』くん!? すぐダイブ! おめえのひざがやられない程度で全力チャレンジ! ラブ!」
司令部を乗せていた巨大アリクイはノソノソと近くの崖をのぼりはじめ、下を見て少しだけもどり、そこから飛び降りる。
ズシンと重い音が遠くまで響き、一瞬の微震も伝わった。
ミラさんはここぞとゴリラみたいな腕力でふたりの頭を抱きしめて伏せさせる。
「地震が!? 今朝も大きく続いたので……それで撮影予定も乱れたので!」
即興のウソで時間稼ぎをして、濃霧の向こうで撮影現場スタッフが巨大怪鳥ルフ、別名ロック鳥を急いで追い返す様子を見守った。
ミラさんは配下の雑すぎる手配ミスに困惑していたけど、ほかにも空飛ぶ巨大エイや巨大トンボが飛来してきた姿に気がつく。
「火山活動でまた水蒸気が大量に……撮影現場もこのせいで予定が……あとなにか『看板のようなもの』が飛ばされていましたか? 噴火は怖いですね……」
なにが起きているのかはわからないまま、霧とウソをさらに濃くしておいた。
司令部は機動要塞にダイブさせた影響で半壊していたけど、サタンダンは横倒しになった玉座で足を組んだまま航空部隊へ指示をだす。
「とりあえず目につく飛行物体は追っぱらえ! それとこんなカラッとすごしやすい夏日にあんな霧を出し続けたらばあさんが干物になっちまう! 霧か水をばらまけるやつも乗せていってやれ!」
黒縁眼鏡の女悪魔は倒れて寝そべったまま端末石板の操作を続け、単眼鏡の男悪魔はモニター水晶の配置をもどしながら首をかしげた。
「大型の飛行生物が不自然に密集していますね? 巨怪鳥もそれであわてて制御を失ったようですが……?」
「ほれ見ろ『リンちゃん』の隠れたチャームポイントだぜえ!? イエエエ~イ! あっさり『ごあいさつ』程度の呼びかけでも、ただの『異常な広範囲』じゃねえぞ!? ありゃ『距離』だけでなく『対象種族』までクソ異常に広くていらっしゃる!」
「それで、ごく自然な動きで少しずつ密集を……すると地上も?」
地中からもだった。
ミラさんは人間ばなれした聴力で前方の霧の中、地上へ向かって掘り進んでいるゾウくらいに大きな魔物の動きに気がつく。
「霧で危ないので、車にひかれないように……わたしが様子を見てきますのでサナさん、リンちゃんたちをお願いします!」
リンちゃんたちを道の端へ寄せ、サナさんにふたりを確保させると霧の中へ消えた。
前方の道路へ大きな穴を開けながら、巨大なセミの幼虫が這い出ようとしている。
その背には子供みたいな大きさのモグラ獣人が乗っていた。
「なんやこの不自然な霧? 変な発信もずっと出とるし……あれお嬢ちゃん? これアンタのイタズラ? だめだよ~? こういうこと勝手にやびぷげれっ……?」
ミラさんは笑顔で数歩の距離を一気につめて不運な通行人の頭をつかみ、両眼を赤く光らせていた。
「貴様らは地面だ。三十分ほど、その身で空けた穴をふさいでおけ」
「は……ひゃい……」
モグラ獣人は寝ぼけたような表情でフラフラと乗用虫を操作して、地面の穴を埋めるように潜りなおさせた。
「血……ギブミー鮮血……あれこれやりすぎて魔力が……」
ミラさんもフラフラと引き返そうとして、別方向から重たく這いずってくる音に気がついてしまう。
「飛行生物もだけど、魔物が誘引されている? それもゆるやかに……でもリンちゃんの魔法だとしたら、とんでもない広範囲から『すでに集め続けていた』とか?」
しかたなく駆けつけると、頭の四つあるサメが様々な魔物の死骸と白衣の人魚を乗せて陸上を這っていた。
「ったくよー。回収班てどこよー? あ。そこの吸血鬼くせえ美少女、もしかして警備隊のロリコンばあさんミラ様? 管轄外のアタシにこんな雑用の運搬までやらせて、案内も無しってどういうことよー? もうこれ、ここに置いていくから……えっ? ちょまべぺぷりぇっ……?」
「回れ右して三十分ほど進んで。ごめんなさい」
ミラさんはフラフラとサメの背から降り、サナさんたちの元へ帰ろうとする。
なんの気配もなく、濃霧の中から不意に声をかけられた。
「貴様はなにをやっているのだ?」
現れたのは『姫騎士エルフ勇者の扮装をやらされている運送業者獣人』に変装していた勇者部隊の副隊長エルフさんだった。