第4話 ここは異世界じゃないから二度と来ないで勇者様 1
おだやかな海面からイルカのように波が飛び上がり、それらはリズミカルに着水して三・三・七拍子をくりかえす。
その後で頭の四つある巨大サメが海面へ浮上すると、背には白衣を羽織った人魚が寝そべっていた。
濃く盛った化粧で鼻歌まじりにひじでサメの背びれを操作して、近くの海岸へ向かわせる。
「不法投棄……じゃねえなこりゃ? 船の一部か?」
崖下の岩礁に貨物コンテナをななめに切り裂いたような金属板が打ち上げられ、ひしゃげた階段や手すりも重なっている。
数百人が乗れるフェリー船のごく一部だった。
「簡単に焼けそうな電気用ぽいケーブル、たぶん『漢字』ぽい文字……やっぱ、元世界のやべえブツくせえですね?」
人魚は「ピイイイイー!」と甲高く鳴いてから崖へ続く岩棚も見てまわる。
「さて。警備隊が来るまで現場の保全……のふりした研究ネタあさり~♪」
最も広い岩棚には『アシカのような大きさと形で、イカに似た生物』がはいずっていた。
ほかにはすでに息絶えた『ブタのような大きさと形で、クリオネに似た生物』『人間に似た形のクラゲ』も転がっている。
倒れている船員服を来た男性には外傷が見当たらないけど、両手が貝の中身のような異形になっていた。
人魚さんは白衣を自分の腰へ巻いてから声をかける。
「ヘイにーちゃん、息ある? ピヒュッ!」
舌先から水鉄砲を放って船員の横っつらをはりとばすと、意識がもどりはじめた様子でうめいた。
「う……船……? なんだ……手……え? ええっ!?」
「あー落ち着いて。ちょい気合い入った整形出術みたいなもんだから。ほら?」
白衣で隠れきっていない魚の下半身の尾びれを振って見せた。
「整形……?」
ぼうぜんと、でも納得はしていない顔。
「夢遊病みたいにね、無意識に変身しちゃうことあるの。落ち着くの大事」
えらそうにうなずくと、説明と無関係に髪をかきあげて豊かな胸もふるい『ここにかわいい子がいるけど、なんか言うことない?』みたいにポーズで強要する。
見られてなかった。
精悍な外見の青年は自身の異変に驚愕している。
「まさかオレは……魔法少女になったのか?」
「そういうものかはともかく、治せるからね? 安心しろ? ……ん? あっちは厳しいかな……」
船員は岩棚へ這いずりあがってくる制服姿の女の子を見て、顔中に絶望をあふれさせた。
黒髪ポニーテールでブレザー制服の女の子に見えたけど、脚は吸盤触手になっていて顔もタコのようにぶよぶよとした異形だった。
その質感は人間らしかった首筋や胸元、両手にもみるみる広がっていく。
「治るなんて、本当は気休めなんだろ?」
船員のゆがんでいく表情へ合わせ、顔のりんかくや目鼻までくずれてきた。
貝の中身に似た色合いと質感に変化しはじめてしまう。
「いやいや!? 科学的な事実だってばよ!? アンタの文化圏でも通じる統計調査を元にした感じの! だから意志をしっかり持て!? 治りたいなら!」
「オレはもう、竜宮城の乙姫様をめざすしかないのか……」
「オトヒメなんてマイナー種族、名前しか聞いたことねえよ!? それよか目の前のキュートな人魚姫を意識しとけ!? な!?」
船員の胴部がふくらんでセイウチにも似たいびつな巨体になり、皮膚から分泌される液体は衣服を溶かしはじめた。
「あーあ。こっちも魔力を抑えそこねたか……せっかく元から陸上用の足が生えてるなら、大事にしろっての」
人魚は四頭鮫の尾びれをはたいて距離をとらせる。
船員はさらに大きくなり、理性も失ったように暴れ、消化液を周囲へばらまきはじめた。
「これじゃ資料とりどころじゃないねえ? 警備ちゃん、早く来~い」
人魚は十メートルほどの距離を保ち、口から放水車の勢いで海水を射出して『船員だった怪物』を水圧で殴りつけて牽制する。
そのころ、四頭鮫のいる海岸から最も近い街にはミラさんがメイドをひとりだけ連れて買物に寄っていた。
半袖で過ごせるような暑い昼間だったけど、ミラさんは黒ずくめの長袖に長スカート、つば広の帽子に大きな日傘も差している。
「日本の地方都市も少し前はこんな感じだったな……」
魔法世界の道幅は広く、高層建築は規模を抑えられ、家屋は間隔を空けて建てられている。
元世界の高級別荘地みたいな余裕にも見えるけど、巨獣や広域破壊魔法とかを想定した防災の都合だった。
馬や馬人や象だけでなく巨人やドラゴンなどの往来へ対する配慮でもある。
うっかり踏んだり倒れたり暴走した時、家屋や住民が密集しているほど被害も復旧も大変だった。
魔力と相性の悪かった蒸気機関や電子機器はほとんどない。
それに代わるような魔法道具はだいたいあるけど、普及の規模は格段に低かった。
画像や音声の通信機もあるけど、使える設備環境や扱える術者が限られている。
「サナさんは想像できる? 町内にテレビが一台だけとか、数えるほどしかなくて。みんなで視ていたの。それから数十年ですぐ……」
「ミラちゃん、それは『少し前』ではない。懐かしめる人はもうほとんど墓の中の『遠い昔』な?」
メイドのサナさんはパンクな短パンと長袖シャツにストッキングまで黒づくめだけど、日差し対策はミラさんほど厳重ではない。
休みの私服のようでいてミニスカートサイズのエプロンと、銀髪をまとめるメイドキャップはつけていた。
ふたりで雑貨店の魔法蝋燭や情報端末石版、工具店の魔道鋸や竜包丁を見てまわる。
住民は多様性の幅がすさまじいので、店はどこも対応するスタッフや品ぞろえも多くなりやすく、おおまかには倍くらいの規模が標準になっていた。
「たまには贅沢して、アイスココアでもいただきますか」
遠隔地の生産物は流通量や価格が元世界での数十年前から百年前くらいのバランスに近い。
魔物発生と魔法事故発生の不安定さから、大量生産と大量輸送の発展が抑えられていた。
ミラさんたちが屋根の広いカフェテラスへ入ろうとしたら、上空から降ってきたトビウオが日傘へ命中し、その端へ胸ビレでしがみつく。
「緊急連絡? 非番なのに……サナさん、少し失礼します」
トビウオは口をパクパクさせて、人間には聞こえない周波数で暗号文を伝達する。
「どうしたミラちゃん? 新手の元世界人?」
「勇者クラスの予兆は報告されてないみたいだけど、数が多いみたい。ほとんどが魔力を暴走させて壊滅しているけど、念のため付近は警戒しろだって」
聴き終えたミラさんは日傘をふるってトビウオを投げ飛ばし、近くに停めてあった荷車の走竜へ食わせてあげた。
「手遅れか」
「わたしたちで増援に向かう必要もなくなったけど」
ミラさんは悲しそうに苦笑しながら海岸の方角へ十字をきって手を合わせ、短く黙祷する。
今度こそ入店しようとしたら、昼間の青空から子供くらいに大きなコウモリが日傘へ高速でぶちあたり、カフェテラスの床へ転がった。
「この使い魔は……サタンダン様からの直送!?」
羽根に『オレ様』と書かれている。
ミラさんたちが駆けよると、コウモリはピクピクともだえながら威勢のいい中年ボイスを伝えた。
「すまねえな姐さん!? そこがベッドの上でごきげんタイムだろうがお耳を拝借させてくれやあ!?」
「商店街の喫茶店です! 今日こそこれからという時になんですか!?」
コウモリは急に音量を上げる。
「それならまわりの連中にも聞かせろ! こちら、テメエらの愛しき支配者、大魔王サタンダン様だぜえ!? 今から営業勤務も家事食事もぶっとばすめんどうごとを押しつけてやるからご拝聴しやがれ!」
「近くの転移事故で『人間のまま』だった生存者もいたのですか?」
「勇者候補クラスが二匹! 異常な広範囲に通信魔法を飛ばしているやべえやつと! 探りに出した使い魔を次々と落とすやべえやつのごきげんセットだ! しかもこの街と住民はすでに目撃されて、ご接近中だぜえ!?」
「すると対処プランはひとつだけ……しかしそんな大仕事、わたしなどでは……」
ミラさんは謙虚なふりで休日勤務から逃げようとした。
「標的は女子中学生と女子高生! おしとやかで仲良くなりかけの美少女アンド美少女!」
「この身にできうる最大全力をつくします!」
「姐さん以外に指揮できそうなやつがいねえ! 召集をかけた現地部隊はぜんぶ好きに使え! 報奨金は全員にガッポリたたきつける! これを聞いてやがる庶民連中も! 休暇をつぶされたこの哀れな小役人に媚びへつらいやがれ! まずは集合して『おつかれさまですミラ様なんなりとご命令を』だ! すぐやれ! アディオス! 再見!」
叫びすぎた使い魔コウモリは苦しげな息になって泡をふきはじめ、サナさんは近くのテーブルからお冷を運んであげる。
地響きをあげて店の客と従業員と付近の住民と通行人と早馬車から飛び出してきた地元警備隊が押し寄せてきて一斉に「おつかれさまですミラ様! なんなりとご命令を!」と合唱しはじめた。
ミラさんは近くの街灯へ飛び乗って日傘をふるう。
「今からこの街の住民は全員『人間の化けた魔物』になってもらいます!『コスプレ』『整形』『特殊メイク』という言葉を使えるように伝達してください! 緊急対処プラン『ここ撮影現場なんですけど?』作戦を開始します!」