第3話 ここは異世界なんかじゃないから帰って勇者様 3
入江はふたたび襲撃を受け、元世界の港を偽装する舞台セットへ触手怪物の大群が迫っていた。
その中央に座る男はクリームパフェを直食いしていたけど、半分も食べないまま警備隊へ投げつけて笑う。
「やっぱり勇者候補さん、いるんですよね~!? 元世界からの落としものなんだから、元世界人であるオレっちに所有権が優先されるの常識ですよ~!?」
竜亀の艦橋にいた大魔王サタンダンはモニターで襲撃現場の様子を見ていたけど、トラックを搭載したカニの位置も確認してから席を立つ。
「先に転移魔法の準備を進めておけ! オレ様は陽動と私情でお散歩してくる!」
モニターで触手勇者がふたたび口を開くと、サタンダンは二秒で艦上へ、さらに海中から上空へ飛び出る。
直後に真横へ爆音をあげ、数秒で音速を超える飛行速度に達した。
「転移者の『知る権利』まで侵害するのって、覚醒されたら対処できない無能の証明ですよねえ!? だったら世界の覇権はオレっちに預けなきゃ! あっれえ!? これ言ったらまずい正論でしたあ!? ぷひゃふひひ! ……ふひ? ぶひぇべぼげええっ!?」
触手使いの勇者が言葉を終える前には衝撃波を伴う拳をふるう。
「撲殺一択!」
周囲の地面をえぐる爆炎までまとった一撃。
触手勇者の不潔なドヤ顔は破裂……でも人体の骨や内臓ではなく、手足から出していたのと同じ緑まだらの触手が爆散して消し炭となっていた。
「こいつも替玉……だがこれだけ高い性能なら本体は近い! 消耗もしている! 航空部隊は追撃! 相手の増援には出し惜しみなしにぶっぱなせ! 儀式の間だけでいいからもたせろ! 設営班は残り二分で到達するカニちゃんのお出迎え準備! それとスマーイル!」
サタンダンは指示を叫びながら両手から爆炎をばらまき、撤退する勇者部隊を狙撃し、触手勇者の本体が潜んでそうな森も焼き、設営現場へ不法投棄された粗大ゴミ触手残骸もおおまかに爆散させて運搬清掃しやすくする。
「まったく、クソすぎる労働ほど笑顔が頼りだぜえ!?」
深い意味はない景気づけの花火も打ち上げ、軽快なブレイクダンスでも配下を鼓舞した。ほぼ常にふてぶてしい笑顔で。
その目の前へカニちゃんこと巨蟹『カマボコフウミ号』がすべりこんでくる。
すぐさま数匹の火蜥蜴がタイヤへまとわりつき、燃え立つ鱗で固定していた氷を溶かした。
巨人が八人がかりで軍用トラックを神輿のようにかつぎあげ、カーリングのように投げてすべらせる。
中の乗客が「このトラック、挙動が独特すぎない!?」と楽しそうに叫んでいたので見送り側も満足顔になる。
巨大カニは火傷にもだえて泡を噴き、火蜥蜴たちに謝罪されていた。
トラックが停車して幌が上げられると、大きな倉庫と港湾管理の事務所ビルに挟まれていた。
どちらも表面だけのハリボテをギリギリで支えている。
先に降りたミラさんが子供たちに手を貸した。
「道がぬかるんでいたようで大変でしたね? 落雷と崖崩れもいつも以上に多くて」
ヒコくんの父親もふらふらと降りてくる。
「豪快な乗り心地だった……お? でも雨雲は遠ざかったかな?」
ハリボテの裏では巨大カニの横でマーライオンも火傷にもだえて滝を噴き、火蜥蜴たちに謝罪されていた。
ミラさんは遭難者たちの背を押して急かす。
「こちらでの『手続き』を急いでください。それさえ済めば、後はもう『眠っていても』帰国までご案内しますので」
「お、おう……ミラちゃん、細いわりにパワーあるねえ?」
焼けたタイヤの悪臭を気にさせないように引き離していた。
「ええまあ、海難救助もしていますので……それよりも。出国審査ではしっかりと『帰国の意志』を示してくださいね? そうでないと新たな国民として歓迎されてしまいますので」
内部は受付窓口つきの広い玄関ホールになっていた。
それ以外の部屋は存在しない。
ヒコくんたちが建物へ入ると玄関ドアへひそかに鍵がかけられる。
とたんにビルの外観も向かいの倉庫もハリボテがつぶれて、組み立て式の簡易ドームだけが残った。
玄関ホールは中央にぽつりとソファーがひとつだけ置かれている。
そこで現地の子たちともお別れのあいさつをして、ミラさんは『担当者がくるまでの世間話』のふりをして儀式の準備をはじめる。
「日本はいい国ですよね……ね? ヒコくんはお母さんと暮らして、どんなことをしましたか?」
「え……ふつうに、食事の手伝いとか……料理を教えてもらったり?」
ミラさんはそっとうなずきながら『もうひと声、なにか帰る意志を補強できる思い出を引きずり出して?』とか思っていた。
「あと……母さんはカラオケとかゲームセンターも好きで、ときどき行く時はだいたいボクもいっしょ」
父親がぼそりと「わりと父ちゃん抜きでも行ってたよな?」といじける。
「それだいたい父さんが悪いだけ。約束していたのに仕事を入れたりとか」
「帰ったらそのへんも行っておくか?」
ミラさんは目を細めてほほえむ。
「うらやましい。わたしの祖父はアイルランドにいたのだけど、暮らしていたダブリンの郊外はすっかり様変わりして……もう思い出の風景も探れないので」
「埼玉は……普通? なにも不便はないから、いいところかも?」
まだ小学生のヒコくんだと、遠く離れてみないと気づかないことだった。
「埼玉県ですか。日本でも最も住みよい地域……と観光に来た人から聞いたことありますよ?」
「たまにみんなで都心へ出る時も、秋葉原まで一時間くらい……」
ミラさんが不意に目を見開いて本性を現す。
「秋葉原っ! モニター画面ごしではわかりにくい実物の質感、存在感を拝みほうだいのパラダイス! チクショウ住みよいっ! うらやましいいいっ!」
「え。日本にも来たことあるんですか?」
「あああの、ね? 少しだけ……ええ。祖母の住んでいた国の文化ということで興味が……かわいい女の子のアニメとかマンガとかラノベとかフィギュアとか抱き枕とかを少しだけ……ね? 日本、いいですよね?」
受付側のドアがツッコミを入れる勢いで蹴り開けられ、事務員の行列を引き連れたスーツ姿の大柄な中年男が入室してくる。
「よく来てくれたじゃねえか遭難者ども!? オレ様がこの縄張を支配するごきげんな国王様ってわけよう!? 手下のはしくれになりてえなら歓迎してやるぜえ!?」
ヒコくんは父親が報道関係者だったので『社長とか政治家は頭の中ぶっとんでいるやつも多いからな?』とは聞いていたけど、その父親も笑顔がひきつっていた。
「いえ、日本も好きなので……というか海外へ来て、故郷の良さがみるみる身にしみてきたといいますか……一刻も早く帰りたい気持ちでいっぱいです!」
「そうかよつれねえなあ!? だが遠慮してねえか心配になっちまうぜえ!?」
自称国王様はふたりの肩をがっしりつかんでふてぶてしい笑顔で迫る。
「そこでひとつ試させてくれやあ!? オレ様がここで一発、ポエムを朗読してやる間もそのホームシックを続けられたら見逃してやらあ!? うっとり聞き惚れちまったら一生この国でかわいがってやるからよう!? ガハハハハハーアッ! ご清聴しやがれ~! 目をつぶれ~! 目を開けたら屈服とみなすぜえ~!? 三分間一本勝負! 開始~!」
ヒコくんたちの『帰りたさ』が最高潮になったところで高らかな転移魔法の詠唱がはじまった。
ソファーを中心に床へ魔方陣の光が浮かび上がり、事務員たちも一斉に石板の端末を操作して外部からも魔力の流れを集約させる。
その中でヒコくんは、ミラさんが背にそっと触れてから離れる気配を感じた。
「大切な人と居られた幸せはもどらなくても『大切な人と居られた世界』を愛せることも幸せなはずなんです」
ミラさんは有能だけどうっかりミスも多い。
自分自身が『大切な人』と思われはじめたことに気づかないこともある。
ヒコくんはミラさんから『仕事だから』という以上の優しい気づかいを感じていた。
ふと『十年の兵役に耐えられたらここに住めるのかな?』なんてことまで考えてしまう。
そのころ竜亀の艦橋には大魔王サタンダンの思念通話がつながっていた。
『なにを今さらフンづまり起こしてやがるこのクソガキがあああ!? さっさと流れちまええええ~!?』
いかついポエム朗読は予告どおりに一分以上も続いてしまった。
ヒコくんは目を閉じたままでも周囲へ光がやたらと飛びかい、空調の風がやけに荒々しいとも感じる。
ただ『国王様のオッサンくさい香水がくどい……早く終わらないかな?』とも思った。
艦橋の蜘蛛女が『魔法抵抗の急減を観測しました!』と叫ぶ。
サタンダンも『見りゃわかるが、やっとかよ!? 転移、発動おおおおお!』と心の声を最大にして艦内スピーカーを何台かノリで破裂させる。
ヒコくんたちはかくりと意識を失い、ソファーがはじき飛ばされた跡には何も残っていなかった。
『対象の魔力反応消失! 水際作戦は成功です! ざまあみやがれ! サタンダン様バンザイ!』
国王様はスーツをやぶいて食い散らかし、角と羽根をのばして肌も紫色になって大魔王サタンダンの姿にもどる。
「いい故郷なんだから大事にしろよ……そしてもう二度と来るなあああ!」
しっぽものばし、腰を突き出し、指を高くかかげ、光弾一発で儀式場ドームの壁をはじき散らす。
「よくやってくれたぜ野郎ども!? ド派手に騒ぎ放題といこうやあ!?」
小山のような触手怪物の大群が森を踏みつぶしながら迫っていた。
でも魔王軍も海から巨竜や巨獣の群れを立ち上がらせ、地響きも爆音も気兼ねなしの反撃を開始する。
ヒコくんたちは東京港のコンテナ埠頭で目覚めることになる。
地面に寝転がっていたので驚き、スマホが握りつぶされたように壊れていてさらに驚く。
漂着した国がどう調べても出てこなくて驚くのはさらに後になる。
大魔王サタンダンは花火でごまかせないような爆音も出せるようになると、何倍も強くなった。
勇者たちは捕獲目標が消えたことも察して退却をはじめる。
「あの野グソじみた勇者を殴れたやつ! 一発につき有給一ヶ月とオレ様からのキッス! だが深追いするこたねえ! どうせ逃げの準備だけは残してやがる……飽きたやつから撤収作業!」
サタンダンは巨大竜亀の背へ飛び、サンゴの小山にある艦橋へもどる。
玉座の側にいた蜘蛛女はさっそくモニターへ地図を数十ほど表示させた。
「ほかの元世界人はほとんどが常人なみのまま、大きな変化はない様子です。今月は特に多いので詳細調査は遅れていますが」
「念のためだ。素質評価の順で上から一割は予算を倍にして処理を急がせとけ……それとメロンソーダをジョッキで頼まあ! チェリーとアイスクリーム抜きのストレートで! おめえらもひと息入れとけ! 元世界人どもは旅行マナーがなってねえから、予約もしねえでいきなり……」
「警報です!? 監視対象四十番に勇者候補クラスの兆候あり!?」
「言ったそばからかよ!? 勇者素質の持ち込みくらい申告してから入国しやがれ!? というかそいつ、そろそろ監視からはずすつもりだったザコじゃねえか!?」
「常人なみのまま一ヶ月、魔力以外も凡庸未満の独身中年だったのに……友人を偽装していた監視員が離別する際に覚醒したようです。恋人関係と思い込んでいて錯乱したようですね?」
「もう少しステキな理由で魔王軍の天敵に変身してくれねえかな?」
サタンダンはジョッキを一気に飲み干し、金貨をチップに投げ込んで返す。
「……まあ色恋の値段つけは個人の自由ってやつだがなあ!? 失恋祝いに故郷へぶちこんでやろうぜえ!?」
立ち上がって目を閉じて天を仰ぐと、足元から魔法製のスタンドマイクが伸びてきた。
「喜べ我が魔王軍の精鋭ども! 今日はまさかの連戦だぜえ!? イエエエエ~イ! どれだけ元世界が嫌いなんだよアイツら!? そんな迷惑すぎる迷子ちゃんどものために! 現時刻より本日二発目の『ここは異世界なんかじゃないから帰って勇者様』作戦を始動する! オレ様の愛する手下ども! 総員お出迎えにかかれ~!」
疲弊していた現場スタッフは大魔王サタンダンの強引な盛り上げにヤケ気味の吠え声で応え、仕事内容のわりに魔王軍らしい雰囲気をかもしだす。
(『ここは異世界なんかじゃないから帰って勇者様』 おわり)