第2話 ここは異世界なんかじゃないから帰って勇者様 2
海岸ぞいの森から砂浜へ、ボロボロの古めかしいジープが飛び出てくる。
「あれを救急車両として使っています」
ミラさんはヒコくんの父親へ手でさし示してから、一瞬だけ顔をしかめた。
「味のある年代ものだねえ……あれ? 運転手は?」
停止した車上には誰も見えなかった。
「あの……急な腹痛だったようですね?」
「かなりの速度で飛び降りてそうだけど? そんなやばい下痢?」
「運転はわたしも慣れていますので! そう、このあたりは祖母の私有地で、よく巡回……ドライブしていますので! ええ!」
ミラさんがぎこちない笑顔で目を泳がせて手をもむ。
獣人の子供たちもうなずき、遭難者親子の背を押して乗車を急がせた。
「変わったエンジン音してるね?」
「強引な改造で使い続けているので、乗り心地の悪さはもうしわけないです。でも走破性は安定していますので」
実際のボンネット内部にはエンジン音を演奏するためだけのブリキ楽器を抱えた小鬼と、巨大なトゲつきシッポが入っていた。
乗客からは死角となる車体の真下へ五対の足が飛び出てくる……巨大サソリを内蔵させた『強引な改造』だった。
「おおお? 細かくゆれるけど、道が悪いわりにはすいすい……それにまさか、漂流先でこんな美人のおじょうちゃんたちに会えるなんて……なあヒコくん!? ついてるよなあ!?」
助手席の父親は後部席のヒコくんを気にかけて声をかける。
両隣に座る現地の子たちが笑顔で「ジャパニ、ベリグ!」「グッド、クル……ウェルカム!」みたいに話しかけているのに、ヒコくんの表情は暗い。
ミラさんはこっそり口を開いて、人間には聞こえない周波数で連絡する。
『遭難者の少年に異変が……わたしほどの美少女に反応していません! となりの無邪気かわいい女の子にもあんなベタベタしてもらっているのに!?』
巨大竜亀の内部艦橋で勇者部隊の襲撃対処を指揮していた大魔王サタンダンはいかつい笑顔で中指を立てる。
「知るかよばあさん!? 男子みんながてめえほど『女の子だいちゅき』性癖じゃねえんだからほっといてやれや!?」
ヒコくんの父親は頭をかいて苦笑いしていた。
「すみませんね? 母親を亡くしたばかりで……」
『わたしの魅力のせいではありませんでした!』
『よかったじゃねえか姐さん! 仕事しろやボケエ!?』
『失礼。しかし転移のきっかけになるほどの強い意志が「身内の喪失」がらみだとしたら……』
『そのあたりは古戦場だぜえ!? いけないオモチャの材料ならゴロゴロ埋まってやがる!』
艦橋モニターに映るヒコくんの背から薄く光る霧が背後へ流れだし、それを追うように青白い人魂が現れ、集まりはじめる。
人魂は合わさって大きくなって人面の煙になったり、道端の骸骨へとりついて起き上がらせていた。
「おーい? 父ちゃんだって、母ちゃんのこと忘れているわけじゃねえぞ? この釣り旅行だって、どうしていいかわかんねえヤケクソにつきあわせたようなもんだしよう……」
黙りこくるヒコくんから流れる霧はみるみる増えて広がり、背後の道路にはすすり泣く亡霊やうめき歩くゾンビの行列ができてしまう。
『ばあさん、しんきくせえ話題を早くどうにかしろや!? ボウズが三途の川ごと母ちゃん引きずり出す勢いじゃねえか!?』
『でもあの、今は純朴な家族会議をしんみり味わう感じの……腐乱死体に囲まれたらそれどころでもないか』
「あの、おケガの具合は……よさそうなのですね? それでしたらお食事は和洋中でお好みなどありましたら、わたしはどこの女の子も……いえ、どこの家庭料理も好きなので、自宅にも何人か……そう、料理も得意なメイドを雇っておりまして……」
「へえ? おばあちゃんの土地の広さもだけど、ずいぶん豪勢なお嬢様だねえ?」
悪霊たちが吠えながら滑空してジープへちらほらと追いつきそうになり、ミラさんはとっさに片手を車外へ出す。
その影からコウモリの群れがわきでて、赤く目を光らせながら背後を威嚇してまわった。
常人では感知できない『思念による通話』で『我が獲物へ寄らば魂ごと喰らいつぶしてくれる!』と脅す。
悪霊の中でも特に輪郭の濃い一体は『ロリコンババアがショタまでも……』とつぶやきかけて化けコウモリの群れに喰いつくされた。
「トイレ!」
現地の男の子がいきなり叫んでそわそわしてみせる。
「えっ!? でも飛び降りたらだめだよ!? ミラちゃん、どこか停められるとこありそう?」
父親だけでなくヒコくんも驚いた様子で、光る霧の噴出がみるみる薄まっていく。
艦橋のサタンダンはその様子をモニターで見てひざをたたいた。
『うまく気をそらしやがったじゃねえか!? 利口な獣人少年には季節はずれのお年玉をくれてやるぜえ!? ブランド牛を丸一頭、喰いつくせやあ!?』
現地の男の子はつい、笑顔でよだれをたらしそうになる。
「おい!? いよいよか!? ……え、ちがう? ごはんのほうが先? それまでがまんできそう? そ、そう……でもミラちゃん、どこか停めてあげられない?」
でも停めたら亡者の群れに追いつかれそうだった。
「このあたりはヒルが多くて危険ですから」
ウソではないけど、そのヒルは牛くらいに大きい。
ジープを先行している地獄犬の群れが炎を吐きつけて追い払っていた。
スライムや歩行樹も大量に焼かれている。
ヒコくんはぽつりと「誰か呼んでた?」とつぶやいた。
ふたたび霧が流れはじめている。
「なんか『おいで』とか『さみしい』みたいに聞こえたような……?」
ミラさんはそっと夜闇をにらむ。
その声はただ悲しみ苦しみを食いものに肥え太ろうとする悪意のだまし文句だった。
この戦場で使われた呪詛にこめられた、魔力補給のための罠でしかない。
『亡くなった人には一方的に語りかけること、聞きとることしかできない。決して二度と「会話」はできない。そうでなければ命のありかたにこだわる必要などない……なんてヒコくんにはどう伝えよう?』
「ヒコくんは、お母さんはどんな人だと思っていましたか?」
「ふつう。あとめんどくさいとか、うるさいとか思っていた……いないほうが気にしないでゲームできたし」
答がすんなり返ってきたけど、内容がまとまりすぎている。
ヒコくんは同じことばかり、くりかえし考えすぎていた。
「でも死んじゃってから思ったのは……おもしろくて、やさしくて、いい人で……それなのにボクは『嫌い』を何度も、『好き』の何倍も言ってた」
だからもう一度だけでも話したくて、二度と話せなくなった場所がつらすぎて、心のどこかで『別の世界』を求めてしまった。
「ヒコくんの中に残っている『好き』の気持ちも、お母さんの渡してくれた、お母さんの優しさの一部じゃないかな?」
ミラさんはおだやかに、でもさびしそうに笑う。
「だから、その気持ちを守って育てることも『お母さんを大事にしている』ということにしていいと思う」
父親がつい「お嬢ちゃん何歳?」と真顔でつぶやき、ミラさんがビクリとハンドルを乱す。
「見てのとおりっ、あのまだ十代の……」
中学生という設定なら普通に『十三歳ですが?』とか言えばいいはずだった。
「……ただわたしも、身近な人を……たくさん、亡くしたので」
思い出した顔や声の多さだけ『たくさん』と言うまでの間が空く。
「わたしは心の中でみんなを生かしているというより、わたしのほうが心の中のみんなに生かされ続けています」
ヒコくんはまだ考えこむようにうつむいていたけど、霧は消え去っていた。
そして急にうとうとしはじめて、深い眠りに落ちる。
『ボウズはようやく魔力ぎれか? 年齢も考えりゃ、勇者クラスになってもおかしくねえ素質だ……だが元世界の庶民くせえ幸せだけかみしめておけやあ!?』
ジープが停まるとヒコくんはほっぺたをむにむにともまれた。
現地の女の子にひざまくらされていたことに気がつくと、顔を真っ赤にして飛び起きる。
あやまってから、ついでに父親の手当てされた傷も指して、言い忘れていた『サンキュー』を現地の兄妹へ伝えて握手した。
ヒコくんと父親はジープを降りると、見上げてぼうぜんとする。
森を大きくまわった先では、急に明かりが広がっていた。
「こんな森の中に、いきなりこんな……?」
照明看板をかかげた大型店舗が数十も連なり、その向こうには二十階以上もありそうなビル群の影も見えている。
「車と同じように、内部はいろいろと旧式な店ばかりなので。ここしかオススメできませんが……医師もこちらへ来てもらえたようです」
ミラさんが案内したレストラン以外は、ほとんどが外観だけのハリボテだった。
路地のあちこちから怪しいコウモリが霧を広げ、細部を見えにくくしている。
遠くのビルなんかは虫人間の住居だった穴だらけの丘に板を貼って、シルエットと照明魔法でそれらしく見せているだけ。
まともな取り付け工事をできる時間もなかったので、場所によっては竜や巨人が支えている。
遭難者たちが入店すると休憩できた。
「いやあ、漂流した上に高波でボートまでぶっ壊れてどうなるかと思ったら……これ本当に、ぜんぶ無料でいいんですか?」
すでに医師が待機していて、すぐに診察と手当てをしてもらえる。
店内は元世界で国際的に有名なファッションブランドやチェーン店や缶飲料のポスター広告がわざとらしく多い。
運ばれてくる料理もスシ、ラーメン、ハンバーガーなど『伝統的ファンタジー世界に出てきたらイメージぶちこわし』のフルコース。
「ええっ!? 出国管理の担当さんまでこちらへ来てくださるんですか? このままビール片手に手続きできちゃうの? すごいな~?」
「もう勤務時間外ですが、ツテをあたれそうなので……少し失礼」
ミラさんが厨房へ入ると、火炎魔神が角の生えた巨体全身から炎を噴き出して高笑いしていた。
「ファハハハハッ! なにも知らぬ人間どもめ! よもやこれで魔法の実在する世界とは思うまい!? 貴様らは魔法を使いたくなるような不便や不安すら感じられなくなるのだ! 我が秘技の真髄を食らわせてくれる!」
中華鍋をふるってチャーハンの作成中だった。
「料理長。目的はそのとおりですが『聞きおぼえもない小さな島国』という設定のわりには本場の味に近すぎます。安心して食べられる品質でも『輸入できている食材の少なさから再現には限界もあってやや残念』という加減にしてください」
「なんと難解な注文を入れる客人だ!?」
「国防任務ですってば」
ミラさんが勝手口から外へ出ると、地獄犬の群れを率いた数人のメイドが幽霊を焼いたりゾンビを粉砕していた。
「大姐、だいたい掃除できたよ。でも脚の遅いやつと方向音痴がばらばらに来て、なかなか終わらない」
「ミラ様に時間稼ぎの要請が入っております。祭壇のほうは増援の暴鬼師団が勇者触手にとりつかれ、工事の再開が遠のいているようです」
メイドたちは口調や外見の国籍特徴がばらばらで、年齢もかなりばらけて見える。
高校生くらいに見える北欧系らしき銀髪の女の子は親指をこすらせるような動作で小指を切り、鮮血のあふれる傷口を突き出した。
「ミラちゃん、メシ食う? 指ごともぐ?」
「あの……それは、ね? じかに吸うという行為のロマンも栄養価で……ね?」
ミラさんはおだやかに諭しながら、いそいそと小指へしゃぶりつく。
五十歳くらいに見えるベージュ髪の女性もいて、地獄犬の首などへ付着した腐肉をブラシで落としてあげていた。
「契約書の作成では、ミラお姉様の上官のかたが来られるデスヨー? 入店前の服装チェックはお願いしてありマース」
心配そうな苦笑を見せ、ミラさんもうなずいて顔をしかめる。
「たしかにヒコくんの素質を考えたら、わたしと同等以上に熟練した精神操作や幻影の魔法習得者も同席してほしいところですが……まさか最高幹部のひとりが、それもよりによって……」
会話の間にも森の木々をなぎ倒し、大海蛇なみに大きな毒蛇が迫っていた。
大きく開いたアゴの中から、ハイヒールとガーダーストッキングの脚、ロンググローブの腕、首にはネクタイをきっちりしめた黒縁メガネの女性が出てくる。
「かまいませんよミラさん? この装いになにか問題がありましたら遠慮なく」
「全裸はやめてください」
「不便を感じさせないためにてっとり早いのでは?」
「それより先に不安が爆発します。日本人は特に恥ずかしがりですから。それに角と羽根と尻尾も隠そうとするふりくらいしてください」
上司は顔をしかめて疑念の視線を向ける。
「父親の前で子供の性癖を破壊することだけが楽しみで来たのですが?」
「それをやめろと……あの触手野郎よりひどい勇者に覚醒させる気ですか!?」
ミラさんはメイドたちに上司を包囲させ、職場の風紀を改善しながら厨房まで押しこむ。
入店してきた出国管理の担当者は長身の女性で、スーツ姿でも体型のよさがわかりやすい美人だった。
会話できないふりで説明はすべてミラさんに丸投げしていて、すっかり勤労意欲を失ったけだるげな仕草でも色香を漂わせている。
父親は目のやり場に困って書類作成に集中し、でれでれと顔をゆるめがちだった。
「いやもう、いたれりつくせりにご親切な上、女性はみんなとびきりの美人ばかりときて……なあ? ヒコくん? もういっそ、ここに住んじまうかあ? いいお友達もできたようだし」
母親を失くしたばかりのヒコくんが冷たくにらんでいるのに気づかない。
ミラさんも微笑のまま眼光だけ冷たく光らせる。
「大歓迎ですよ? 軍隊はいつでも人手不足ですから。国民は十年の兵役が義務づけられています」
「え……? こんなおじさん移住者も対象?」
「はい。それとこのような食事は祝賀行事でなければ出されない高級品なので『地元料理』にも親しんでいただけると節約になるかもしれません」
わざとらしいタイミングで地元風の住民役がぞくぞくと入店し、カエルの姿煮や毒グモの串揚げを注文してむさぼりはじめる。
ふつうにおいしいらしいけど、元世界人から見てわざとひどく見えるメニューをなるべく悲惨そうに料理していた。
ヒコくんの父親がそっとメニューを確認すると、ハンバーガーなどの値段は日本の十倍以上になっている。
「とてもいい国だなあ……とは思ったのですが、ボクもまだ仕事づきあいを残していますし。女房の墓も向こうなんで」
「それは残念です。とても残念です。それと、ちょうど今夜の船を逃がすとあと数年は出航が難しくなるかもしれません」
「えっ!? どういうこと!?」
「近くの国で内戦が起きていて、わたしたちが便乗させてもらっていた先進国の輸送船が次からは航行ルートを変えてしまいそうなので」
「それはまずい……早めに港へ移動しといたほうがよくない?」
「それはご心配なく。決して乗船には遅れないように……あら? 少し失礼」
ミラさんは『帰国したい意志』を盛り上げる誘導をしつつ、魔法は発動させないように安心感も保とうとしていた。
出国管理の担当者は中身に電子部品を使っていない模造品スマホで会話していたけど、ミラさんへ会話を代わる。
『姐さん、予定変更だ! 勇者どもはいったん退却したが、ありゃ増援を連れて「ごまかしきれない騒ぎ」をぶちかます気でいやがる!』
「内戦中の部隊が接近? 出航が早まるのですか? 待ってください。遭難者のかたたちも必ず間に合わせますので、どうかそれまでは……」
『そういうこった! 増援の到着前に送りだしちまう電撃作戦だぜえ!? 外装はろくに用意できねえ! マヌケどもを祭壇まで直送できそうか!?』
ミラさんはサタンダンの意図を先まわりしつつ、自分の返事はヒコくんたちにも聞かせて『帰還の意志』をさらに煽っていた。
「ええ。すぐに向かいます。さいわいケガの手当ても終わり、手続き書類もそろったところなので」
『伊達に骨董になるまでイイ女やってねえな!? 職人芸の誑かしをぶちかましてくれやあ!?』
「聞いてのとおりです。急なことで申しわけありませんが……」
「うん。ありがとうミラちゃん。急ごう……ごちそうさまでした!」
父親に続いてヒコくんも「ごちそうさま」と言って、現地の子たちにも別れを言おうとしたけど、そのふたりもフライドチキンやタイ焼きをくわえたまま出口へ駆けていた。
用意されていた幌つきトラックの荷台へみんなで乗りこむ。
「こちらのほうが速いので。荷物搬送に使っている払い下げの軍用車ですが……雨がふってきましたね?」
などとウソをついてミラさんは後部の幌も閉じ、外を見えなくする。
あとはやりたい放題だった。
周囲の地面ごとトラックが持ち上がり、巨大なカニが這い出てくる。
雪男が四匹がかりで息を吐きかけ、トラックのタイヤを氷結させてカニの背へ固定した。
舞台セット裏からは魚の胴体にライオン頭の半魚獅子が半魚人たちにかつぎあげられて車体の下へ突っ込まれ、引き続き噴水を吐きあげて雨天の偽装をやらされる。
「これはっ!? かなりっ、独特のエンジン音と乗り心地だね!?」
「だいぶ『魔改造』を重ねていますが、走破性はもうしぶんないのでご心配なく」
魔法強化したハサミで樹木を刈り払い、クマを蹴り飛ばし、数メートルくらいの崖なら速度を落とさないで渡れてしまう走破性能をいかんなく発揮してほぼ直線に入江へ向かった。