第19話 始業式から第一週 3
始業式から数日の放課後。
まずはハルちゃんがオレたちの家へ遊びに来て家庭機ゲームをしたり、公園でバドミントンをした。
その翌日にはオレとチカがハルちゃんの家に呼ばれた。
ハルちゃんのお母さんとは始業式であいさつしていたけど、やっぱり明るい人だった。
「うちはお父さんもお兄ちゃんもお仕事だし、わたしもあちこち手伝いに出ることが多いから、シンヤくんもいてくれると安心だな~」
「勉強はどこでもできるんで、留守番になれる時は呼んでください」
少し背伸びして答えたけど、チカとハルちゃんだけで遊んでいる時にもオレは勉強なんてほとんどやらない。
ゲームをやりながらたまに様子を気にしたり、ハルちゃんのお兄さんが置いていったマンガを読みふけったり。
それから学校でオレがハルちゃんとゲームの話をしていたら、ラレカさんが勢いよく食いついてきた。
「せっかく日本へ来たのに秋葉原にも行けんし、ネトゲーどころかスマホアプリまでおあずけなわけよー!? アタシらがなんのために来たと思っとんのかねー?」
「今オレがやってない携帯ゲーム機なら貸せますけど……」
「いやたー!」
オレは中学二年にもなって女子に『たかいたかい』されてふりまされるなんて思わなかった。
はしゃぎすぎのラレカさんはなにかやばい脳汁でも出ているのか、天井へ突き刺されそうな腕力だった。
「貸すから下ろして!?」
持っている機種やソフトをガンガン聞かれて、その勢いをハルちゃんがおもしろがって遊びに誘う。
「シンヤにいちゃんだけうますぎるから、ビギナーさん増えると楽しい!」
「今日だとハルちゃんのお母さんは家で仕事なんで、オレの家でいいですか?」
ラレカさんはぶんぶんとうなずいて、ランジさんもあわてて顔を突っこんでくる。
「おいー、ラレカだけずりいだろー?」
「ランジは待っとれー。いきなし大勢で押しかけても迷惑だろがー? まずはアタシなー?」
別にランジさんが増えるくらいなら……と言いそうになったけど、思いなおした。
この兄妹はヒコさんやムクさんとちがって、高校生のくせして話が通じるか怪しい時もあるから、倍に増えないほうがいい。
休み時間が終わってみんな席へもどったところで、ラレカさんとは逆側、右隣の壁際に座るミラさんの異変に気がつく。
ひきつって震えた笑顔でオレを凝視していた。こわい。
「ハルちゃんやチカちゃんと、もう何度も……?」
なにか小声でブツブツ言っているし。
このころのオレはミラさんの病弱令嬢キャラをまだ信じていたから、入院生活で人づきあいとかは苦手なのかと心配になった。
「ミラさん……?」
「あっ、いえ、別にその……ね? わたしは別に。でもあの……シンヤくんとしては、ハルちゃんとチカちゃん、どちらが本命……」
なに言ってんだコイツ? という冷えたツッコミがオレの顔に出てしまう。
「うあえっ!? いえ、そういう意味ではなくて、ね!?」
どういう意味だったのか。
「チカは妹だし、ハルちゃんも小学生だってば」
「そ、そう。そういう意味ではなくて。ただ、どちらもかわいいから、味わいの違いというか……ね?」
なにを言いたいのかわからない。
まだこのころのオレは『ミラさんもハルちゃんたちと遊びたいのかな? それならチカへそれとなく伝えておくか?』なんて油断していたので、ラレカさんが先で良かった。
まだミラさんが人づきあいに手馴れているのかクソ下手なのか、よくわからなかった。
変人ぽい疑惑はすでに持ちはじめていたけど。
放課後はすぐオレの家へ向かうことになった。
妹とその友達もいっしょとはいえ、始業式から間もないころに上級生女子を家へ呼ぶなんて、どんなリア充かと思う。
とはいえランジさんの相手も追加されそうだし、ラレカさんも女子という以前にどうつきあえばいい先輩なのか、とまどいのほうが大きかったけど。
オレは教室から出る前にもミラさんの様子を気にしたけど、すまし顔でなにか文庫小説を読んでいたので声はかけないでおく。
でも机にクマがひっかいたような傷がついている気がした……その瞬間、ラレカさんに肩を組まれて連れ去られる。
「さー行こーなー? アタシはアクション系とかの、よく動くやつなー? 本を読むだけじゃよくわからんやつを見たい。見ーたーいー!」
強引な勢いもだけど、ボリュームのある胸を顔に押しつけられてしまうと抵抗が難しい。
甘い体臭も含めて中学生男子には反則すぎる。
チカに見られている気がしてあわてて逃げようとできたのも、ずいぶんな距離を引きずられた後だった。
机の傷について完全に忘れさせた魔王軍の卑劣な工作に感謝したい。
でもオレが『普通の日常』を疑いはじめたきっかけも、この日だった。
家に来たラレカさんはむしゃぶりつくように夢中で大騒ぎする。
「うーはー、マジかー!? うらーあ!? うはー!」
でもお茶とかお菓子を持ってきた気配には最初に気がついて、あわてて手を止めてお礼していた。
「お母さん、どうもですー。いろいろすみませーん」
服装や口調はともかく、意外に年上らしいところもある。
でもあまり足をバタつかせないでほしい。
チカはオレの困り顔のアイコンタクトに気がついて、ラレカさんの短いスカートをそっとなおしてくれた。
でもラレカさん本人はそれを気にする様子がない。
ハルちゃんが「ラレカさんパンツ見せすぎ」と率直に言ってようやく「あー、そういうことか?」と納得してくれる。
頼んだことは意外と素直に聞いてくれるのだけど。
「……あ、お父さん、おじゃましてまーす。吠崎蘭礼香で、ラレカっすー」
「ごゆっくり。シンヤくん、もうこんなかわいい子たちと仲良くなっていたのか。すごいな~」
含みのある言いかただけど、変な決めつけはしないでくれた。
オレは照れて早く立ち去ってほしいと思いながらも『親子でもないのに、ありえないほど甘やかされているけど』と感謝もする。
それからふと、自分が今まで『実の両親』について忘れていたことに気がついて驚いた。
「シンヤー? ……どしたー? 早くやろーぜー?」
ラレカさんはそわそわと急かすけど、オレの顔をのぞきこんだ目つきはほんの一瞬、意外なほど大人びて見える。
「……うん」
ここでオレのとった『メモ』が転機になった。
自分の茶碗の近くへ、個別包装されているクッキーをひとつ置く。
ハルちゃんとラレカさんが帰る時に、チカがみんなの茶碗をさげてくれた。
「おにいちゃん、これは?」
「え? ……ああ、食べる」
食べなかった。クッキーの位置が『メモ』の代わりになっている。
筆記用具がない時でも、後で『なんでこんなことをしたのか?』と自分に思わせる変化を残しておくと『思い出すべき件がある』というメモになった。
並んでいる本をひとつだけ逆向きにしておいたり、プールとかでも爪を一枚だけかんでギザつかせておいたり。
「オレたち、いつから伯母さんたちの家に住んでたっけ?」
「え…………始業式の前には?」
「だよな……うん」
今の家は伯母夫婦の家のはずだった。
それをなぜか忘れていた。
その不自然さにチカも気がついたのか、目をぱちくりさせる。
「そういえば、なんだか忘れていたかも?」
チカのなにげないつぶやきで、はっきりと異常を確信した。
この時にオレは思い出せたけど……父さんは母さんに殺されていたし、オレたちはそれを目撃している。
でもチカゲはそこまで思い出せていない。
チカゲが思い出していたら、顔や言葉が暗くしぼんでいるはずだった。
オレも忘れていたというより、不自然に『考えようとしない』状態になっていた。
ほんの数日前の出来事なのに、なぜか実感が薄い。
それでもまだ『記憶がおかしくなるくらいショックがひどいのが? 病院へ行っておいたほうがいいか?』みたいに、自分たちの心の問題かと思っていた。
そしてこの時点ではオレも『母さんがどうなったか』までは『考えようとしない』状態だった。
母親が人間ではない姿に変わっていく光景なんて、忘れられるわけがないのに。
両親といっしょに引越したおじいちゃんの家を『解体しないとまずくなった事情』も意識の奥には残っているのに。
ラレカさんは帰宅する途中で鼻をひくつかせ、つきそっているハルちゃんへ話しかけながら、さりげなく周囲を確認する。
日の暮れかけた道路に、不審なタクシーが停まっていた。
運転手はカーナビを操作するけど、地図表示には通信エラーの表示が重なったまま。
「お客さん、いつもは家の人に送り迎えを頼んでますよね?」
「ええ。今日は別の用事を頼んでいたので」
「ここじゃもう、タクシーの仕事なんか月に何度もないから、ご利用はありがたいですけど。女子中学生を乗せてこんなところで長く待機はちょっと、はた目に……」
「ですから早く出発……いえ、出てすぐだと怪しいので、もう少し歩かせてから……いえ『たまたま』クラスメイトの帰りと重なりそうだったので、待っていただいただけで……ね?」
「お嬢ちゃんの病院とは逆方向だから、不自然じゃないかなー? まあでも、このあたりの交通規制もたいがいだけど。物流や工事の業者だけは出入りできるなんて、やっぱり利権だけ優先なのかねー? 運転が好きであれこれ免許とったのに仕事探しにも出られないとか、いくら政治が腐っていても異常だ……と……?」
後部席に座るミラさんの目が妖しく光っていた。
運転手は目をそらせないまま、表情がぼんやりしてくる。
ミラさんは静かに、相手の思考に合わせた誘導を吹きこむ。
「そう『政治の腐敗はどうしようもない』『政治腐敗であれこれおかしいのはしかたない』『考えてもしかたないし、そのうちなんとかなりそう』そうなりそう……」
やたら長く『町から出られない』状況が続く異常さを意識させないように誘導する。
極端な命令は催眠が解けやすく、それを魔力で強引に維持すると相手の精神に負担をかけるため、元世界人に対してはなるべく『本人の意志に沿って微修正』で処理していた。
ミラさんの眼光が収まってくると、運転手の顔にも正気がもどってくる。
「……そう……あれ? ごめん、お友だちは……路地に入っちゃったかな?」
「はうえ!?」
ミラさんがべちゃりと窓にはりつく。
「あのあたり車だと入れないから、降りて追いたかったら、こっちは気にしなくていいよ?」
「ひうあ……いえ、私の自宅まで、お願いします。だいじょうぶです」
半泣きで言われてしまい、運転手は遠慮気味に発車させる。
「あまりだいじょうぶではなさそうだけど……紫外線に弱い体質だっけ? でもまあ、もっと普通に声をかければいいのに。みんな仲良くなりたいに決まってるから。お嬢ちゃん、すごい美人だし上品だもの」
「そのとおりですけど、子供は変に勘が鋭い時もあるので」
この日はラレカさんの鼻が変質者の気配を嗅ぎ(か)つけていた。
「学校は始まったばかりでしょう? まだチャンスだっていくらでもあるはずだし。いいなあ青春……女教師……オレくらいのオッサンになるともう、学校生活ってだけでうらやましいなあ」
ミラさんは『そう! 少女たちの新鮮な血潮ひしめく学園生活、ガチで宇宙最強! バンザーイ!』とか熱弁しそうになったけどこらえる。
さびしげに首をかしげて「まだよくわかりません」なんて厚かましい名演をかました。
オレは自分の部屋へクッキーを持っていって、食べ物は入れることがない机の引き出しへメモ代わりにしまっておく。
忘れていた『家庭事情』『もうふたりの保護者』について、パソコンのメモソフトへ書いておいた。
うっかり誰かに読まれたら『頭がおかしい』とか思われそうなので『誰かに読まれてもいい書きかた』にする。
『こんな育成だっけ? 育成キャラ4』
ゲーム製作用のメモが多く入っているファイルで、ゲーム製作ぽい記述で。
以後は引き出しを開けるたび、個包装されたクッキーを見つけて『なにかの目印』と思い出す。
うまく思い出せなくても、パソコンにメモを残していた気はして開いた。
『メモリ消えてる。なんで?』
オレの頭から、両親についての重大な記憶がたびたび失われている異常を思い出し、検証と追記を重ねることになる。
その様子はヤモリやカラスに監視されていても、全魔王軍の誰にも『疑っていることに気づかれない手口』になっていた。




