第14話 四月末 帰れたら遠足 5
オレたちがいたブタ厩舎の屋内では、奥からラレカさんが駆けこんでくる。
「ここを通りぬけた先、臨時イベントでクマの曲芸をはじめるって!」
オレはつい「牧場でクマ……?」と疑問を口にした。
動物園とかサーカスではクマも飼っているけど、牧畜にはしないというか、牧畜を襲う側の動物だったはず。
いくら観光用の飼育でも、ほかの動物が怖がりそうに思えた。
「乳しぼりが中止になった影響かな? どうしよっか?」
二組副担任のヒコさんは予定外のルートを班のみんなに確認する。
ラレカさんはそのまま通りすぎて屋外へ向かった。
「アタシはトイレ~!」
誰も聞いてない。というか男子に聞かせないで。
「あの、わたしも少し失礼……」
ミラさんもそそくさとラレカさんを追う。
ハルちゃんやガニちゃんはクマに興味がありそうだった。
「それならボクたちは、奥の会場でミラさんを待てばいいかな?」
ヒコさんに確認されたオレは『わざとらしい状況』を感じてひっかかる。
やけに少ない動物、中止が多いイベント、予定外のイベント、急に脱け出したふたり、さっきより増えてそうな微震……
いろいろな不自然さが気になったし、スマホにも細かく記録している。
ヒコさんが心配そうに見ていた。
「シンヤ……無理しないほうがいいから。恥ずかしがらないで行っておいたら?」
「ちがうよヒコさん」
「シンヤにいちゃんもトイレ行きたかったの? ファイト!」
「あの、おにいちゃん、ここで待たれるほうがミラさんも恥ずかしいかも?」
だから、ハルちゃんもチカゲもちがうってば。
ミラさんたちが怪しい……けど、確認しに行ったら誤解されそうだ。
そのころ厩舎から出たミラさんは近くのトイレへ飛びこんでいた。
「今日はチカちゃんの『おやつ』だけで乗りきれると思ったのに! 念のため、三百ミリリットルほどもらえる!?」
個室のひとつではラレカさんがドアを開けっぱなしに待っていて、胸元をさらに大きく広げていた。
「その倍でも余裕だから、テキトーにガブ飲みして。元世界人の血よりは魔力がずっと薄いし……んうっ」
ミラさんは胸元へ牙を立てて血を吸いはじめるけど、ラレカさんはちらと天井付近の大きなヤモリを気にする。
「なんでいつもそこにかぶりつくの? ほかだと吸いにくい?」
「いえあの、咬み心地のよさで。腕からでも……特に中継カメラのある時は……」
ミラさんが恥ずかしい体勢のまま照れた表情を見せ、ラレカさんも顔を赤らめる。
「それはもっと早く言え!?」
「あのでも、この咬み痕が再生しきるまではもったいないから……ね!? ね!?」
ふたりの痴態はヤモリ視点で司令部広間の巨大モニターでも無駄に大きく映されていた。
悪魔王サタンダンは大振りなツッコミの動作を見せる。
「スタッフの下半身をはげましている場合かよコラ!? 痴女ふたりにお色気ボーナス一封つけとけや!」
危機対応とはまったく関係ない賞与が一か月分つけられた。
そんな時にブタ厩舎のオレは迷い続ける。
ミラさんとラレカさんのあわてかたが気になったし、奥からランジさんまでやって来た。
「ほれ急げー。いい席とれやー」
いつもだらしないランジさんまで、なにかあせりを隠しているように見えた。
この時のオレは、背後の地面から出てきたクロガネムカデに気がつけなかった。
「じゃあ、行きますか……」
オレが疑っているとは思われたくなかった。
チカゲもいたから、余計な波風に巻き込みたくない。
「おー! 急げ急げー!」
肩を組んできたランジさんのわざとらしい大声にまぎれて、ドサリと音がしていたかもしれない。
もしオレが意地をはって外へ向かっていたら、鉄鎧をつなげたような巨大怪物が一瞬に両断された姿を目撃できたかもしれない。
あとクロガネムカデは頭を切り離したくらいだと死骸がしばらくは暴れまわる。
だからもしふりかえって足元を見ていれば、床から生えた『呪霊腕』の群れが死骸を押さえつけている光景も目撃できたはずだった。
おかしな気配は感じたけど、その正体をただ暴露するだけで解決しそうな問題ならとっくにやっている。
時と場所、相手は慎重に選ばないと『二度と探れなくなる』事態になりかねない。
それに、この時に背後の床を見ていたヒコさんがどんな顔をしていたか、オレはまだ知らないほうがよかった。
そのころ駐車場に近い喫茶店の前では膨張を続ける肉塊が立ち上がっていた。
たれさがった衣服の切れはしくらいしかバス運転手だった痕跡はない。
ネビロスワームみたいに毒牙の口が体中のあちこちに開いていたけど、立ち上がったゾウのようないびつに太い人型をしていて、体色も青黒ではなく赤黒い。
魔王軍司令部では『地獄公洞鬼』という仮称をつけていた。
カラス獣人のスタッフ女性や犬妖精、羽妖精などが囲んで牽制していたけど、ナイフ程度の傷では見る間にふさがってしまう。
「ほんの数分前まで、ただの人間だったのに!?」
「魔法のない世界で育った者に特有の、極端な暴走症状かよ!? 魔力の影響に歯止めがないから!」
「あんなしなびたオッサンでさえ一瞬で幹部級になれるなら、ピチピチの子供たちが暴走したら……?」
三体のミノタウロスも乳牛の着ぐるみを脱ぎきれないまま駆けつけていた。
工事用のツルハシや休憩用のベンチを武器にかまえていたけど、みんな咬まれた傷から毒がまわって衰弱している。
「この運転手、なぜ生徒たちのほうへ向っているのだ……意外に仕事熱心だったのか!?」
しかし毒牙だらけになった口中から、予想外の本性が漏れ出た。
「ハヤミ……センセイ……メチャコノミ……」
「やつのねらいは美人教師だ! 美人教師がねらわれているぞ!」
「女性教員という呼びかたのほうがよくないか? 公序良俗的に……」
そんな状況へミラさんがどこからともなく降ってくる。
「ルセリ先生だって顔の良さなら……いえ、それよりここは、もうわたしに任せください」
音もなく着地して、しとやかに告げた。
「なんだと!? そんな肉体で昼日中になにをできると……む?」
ミラさんは日傘をたたんで空飛ぶ犬妖精の一匹に預ける。
いつの間にか戦場の周囲だけ霧が濃くなりつつあり、薄暗さにミラさんの眼光が際だった。
「誰に口を聞いておるか? この『カルタミラ』が悪魔王より預かった肩書も忘れたか?」
微笑のまま口調だけ変えると、ミノタウロスも妖精たちも毛を逆立ててひるむ。
「巻きぞえに喰いちぎられたいなら話は別だが」
すでに戦闘は開始されていた。密度を増し続ける濃霧はネビロストロルへ集中的にまとわりつき、牙をかたどるなり実際に咬み裂きはじめる。
闇の深まった物陰からは人魂が浮かびはじめていた。
凝縮された影からはフード姿の悪霊たちが呻きをあげて飛び立ち、冷気を噴出させながら敵意ばかりの眼光を強める。
妖精やミノタウロスたちは離脱を急いだ。
異形の巨鬼よりも、昼日中に死霊地獄を現出させた制服女子へ恐怖していた。
ミラさんは暗い表情で片手の爪を短剣ほどにのばす。
「わたしは力押しがそれほど得意ではない」
次の瞬間には巨鬼の背後までまわっていた。
しかも両足と片腕へ斬りつけている。
常人の胴であれば切断されていた深い傷。
でも太すぎる四肢は半分ほどちぎれただけで、すぐにくっつきはじめてしまう。
回復しきる前に追加される数度の斬撃。
ミラさんはほんの二秒足らずで数度も跳ね、その俊敏さからは予測しがたい破壊力をたたきこむ。
「手数で押さえるとなれば、どうしても荒っぽくなってしまう」
ふさがるよりも速く盛りつけられていく裂傷の嵐。
反撃をかすらせもしない身のこなし。
だけど最も異様な事実は、その惨劇が静かすぎることだった。
数体の悪霊が冷気を浴びせて動きを縛りつけ、傷口の再生までも凍結させる。
濃霧の牙も間断なくあちこちへ喰らいついて押さえこんでいく。
ミラさんは巨体がもがいて大きな音や震動を出さないように、まずは手足の動きから集中的につぶしていた。
「チカちゃんたちの安全を第一に考えれば、生け捕りどころではないが」
急いでいた。あせっていた。目立たないように早く終わらせたがっていた。
「それでも研究サンプルとして得られる成果もありうるなら。わずかであれ『魔物化した元世界人』を治療できる可能性にもつながるなら……」
巨体は身動きさえできなくなり、冷凍ミンチの山になりはじめていた。
「普段はタクシーを運転していたな? 家まで送ってもらったこともある」
ミラさんは悲しげにほほえむ。
「わたしもハヤミ先生を誑かしたいと思ったことはある……ハンカチかなにか、においのするものくらいは差し入れてやろう」
でも手は休めなかった。
血しぶきにまみれながら、一瞬も容赦しなかった。
そのころラレカさんは臨時休業中のレストランへ飛びこみ、厨房で治療を受けている地下造園スタッフの熊獣人をゆさぶっていた。
「普通のクマとたいして見分けつかねーし!」
ただしヒグマにしてはかなり小顔で、後ろ足もやや長い。
だからメイク担当の蜥蜴人は顔と足まわりの体毛にカールドライヤーをかけ、整髪料でふんわりボリュームアップに挑んでいた。
「でもボク、曲芸なんてできないよ?」
「いけるいける! 特別手当すげーつくし!」
ブタ厩舎の奥にあるイベント会場ではオレたちが最前列をとっていたけど、なかなか出てこない主役に待ちくたびれていた。
ようやくイベント会場に現れたクマは、司会の人に合わせて吠えるだけ。
「七ひく四は~?」
「ウォウ! ウォウ! ウォウ!」
腕も三回ふり上げ、拍手を集める。
「すごいね~!? じゃあ、十ひく八は~?」
「ウォウ! ウォウ!」
「すごいすごーい! じゃあ、百ひく八十ひく十六は~?」
「ウォウ! ウォウ! ウォウ! ウォ~ウウ!」
すごいと言えばすごいのだけど、地味だし、なぜか悲しげに聞こえた。
そのころ魔王軍の大広間モニターでは臨時曲芸スタッフの心情がだだもれになっていたらしい。
『母さんオレ、生態学が専攻で博士号もとったのに、引き算やって褒められる仕事で稼いでいます……』
ステージのサタンダンは泣き真似を見せながら爆笑していた。
「ブッハハーア!? 泣ける話にボーナス二ヶ月ぶんくれてやらあ! あとやつの母ちゃんに名誉勲章!」
会場にいた獣人の群れも同族の栄誉を吠え声や「かあちゃーん!」コールで讃えるけど、一部では「くじけるなー」と同情の声援も混じる。
駐車場近くのミラさんは瀕死にさせたネビロストロルの運搬を駆けつけてきた暴鬼の増援部隊へ引き継いだ。
飛び散った血肉の始末も妖精の大部隊へ指示して、届けられた着替えを手に休業中のレストランへ急ぐ。でもフラフラしていた。
「運動しんどい……吸わせてもらったぶん、使いきったかも……」
近くのカラスがサタンダンの声で話しかけてくる。
「さすがはオレ様ご自慢の『六魔将』が一角、カルタミラ様じゃねえか!? 立派すぎる長グソと思われねえうちにガキどもと合流しな!」
「ルセリちゃんのほうは?」
ミラさんが目を合わせて返事をする様子はカラスの視点で別会場のモニターへ放映されている。
「口調がぶれてんだろが!? 先生ってつけろや!? それこそ『誰に口を聞いておるか』だぜえ!? オレら『四魔王』が一角『妖精魔王』ルセリ・トゥメリエス・フィンセラーム先生ちゃんに失敬だろうがよお!?」
すかさず硬い口調が通信へわりこんでくる。
「誇りある我が氏姓を貴様などの口に出されては不愉快この上ない。それはさておき、まもなく広げる『騒音』の隠蔽を全軍へ通達せよ!」
巨大長虫の群れはまだルセリ先生を追い続けていて、たびたび雷光弓弾にえぐられているのに数が減らない。
「この身は担任たる一組生徒の引率を急がねばならぬ! 不審者どもの寸断から清掃までつきあえるほど千葉県の教職員に暇はない!」
地面から数十本の輝くツタが飛び出て右腕へ巻きつく。
ネビロスワームを一匹も飛ばせなかった竜巻魔法の準備動作だった。
でも今度はさらに数倍のツタが飛び出てくる。
ルセリ先生の右腕で輝くツタの渦は一射目の何倍も大きくなり、数千の一斉開花が数万の花弁激流となって巨塔のような竜巻を突き上げた。
その直撃を受けた巨大長虫の群れは一匹残らず上空へ打ち上げられる。
「残務処理を引き継げ! 消臭作業も怠るな!」
遠くの森へ落とすだけでも木々に隠れて見えなくなったはずだけど、ほとんどが尾根の向こうまで飛ばされていた。
その落下地点には火竜や大型魔獣の戦闘部隊が急行する。
墜落のダメージでもがきまわっているうちに追い打ちをかけ、とどめを刺せれば高額の討伐ボーナスをつくので奪い合いだった。
そのころオレはクマの曲芸ショーにつきあわされていたけど、いつの間にかミラさんもラレカさんも後ろの席に座っていたことに気がつく。
「ではクマさん、ありがとうございました~! 盛大な拍手と、お別れのごあいさつを~!」
司会の人が急に流れをきって退場を宣言して、みんなは拍手を送る。
ランジさんとラレカさんの声もやたらとでかい。
「クマさんありがとな~! マジすげーぜウオオオオオ!」
「クマさん、マジクマ~! すげえクマ~! クマ~!」
「ウォウウウォ~オオオオオオオ!」
はりあうようにクマさんもヤケ気味に吠えて野性味を感じさせた。
でもオレは騒ぎにまぎれて衝突音と微震が連続していることに気がついてしまう。
立ち上がってふり向くと、スタンディングオベーションに励むミラさんと目が合った。
「シンヤくん? え……?」
気まずさを隠しているように見えた。
ミラさんはいつも不健康に青白いけど、さらに急にやつれたような気もする。
この時はまだネビロスワームの群れが山向こうのあちこちへ墜落して暴れていたし、テーマパークの内外にぶちまかれた血肉の清掃や、破壊された建物とか道路の応急修理もまるで終わってなかった。
『喫茶店前、清掃あと四分!』
『駐車場がひどい! 店舗部隊もまわせない!?』
そんな状況報告がスタッフ間では通信魔法で共有されている。
ルセリ先生は駆けもどる途中で陥没しまくった道路の内側へ触れまわっていた。
すると自動車くらいの巨大キノコが次々と生えてひしめく。
「余分は削ってならせ! バスの進路でなければ強度は必要ない! 瓦礫の回収も急げ! この上に敷いて蜜で固めれば、遠目には判別しがたい!」
大勢の妖精や小鬼が隠蔽工作に飛びまわっていた。
生徒に見つかる危険が大きい位置ほど人間に近い外見の種族が担当している。
ブタ厩舎に近いトイレ前までルセリ先生が駆けつけると、一組の生徒は全員集合していた。
「なにか問題は?」
「いえ」
副担任のユメヨさんは静かに首をふる。
イベント会場のランジさんは「なんかゆれてたか? 再開発工事がまだ続いとったのかね~?」などとオレに聞こえるようにつぶやく。
でもオレはふと、ミラさんのスカートがきれいすぎることに気がついてしまった。
転んだチカの手当てをした時についたはずの土汚れが完全に消えている。




