第10話 四月末 帰れたら遠足 1
オレが大人になりはじめたきっかけの会話がある。
「大人になればわかる……なんて言葉は『うるさいだまれ』くらいの意味で使われがちだよね? だまらなくていい。自分で考えていい。そうできないほうがまずい。自分の大事にしている人たちを見捨てたくないなら……」
この時に聞かされた言葉を自分へ言い聞かせているうちに、子供ではいられなくなっていた。
「子供を守ろうとしないやつらなんか、大人と思わなくていい」
教えてくれたことには感謝している。
でも子供のままでいられたほうが気楽だった。
そんな会話よりも少し前。
オレは中学二年になる直前の春休みに、両親や妹と千葉の田舎へ引っ越すことになった。
その一ヶ月ほど後の全校遠足から、少しは大人に近づけているつもりだった。
遠足の集合場所は駅前にあるバス亭。
バスはすでに廃線になっていて、駅前通りもシャッターを閉じたきりの商店だらけで、畑も放置が多い。
学ランやセーラー服の高校生が八人、中学生が七人、私服の小学生が十一人。
合わせて二十六人の全校生徒が集まる。
オレはみんなと顔を合わせにくくて少し離れていた。
いっしょに来ていた妹のチカゲを不安がらせてしまう。
オレしかチカを守れないのに。
いろいろ変わった学校だった。
二十六人しかいないのに小中学生だけでなく高校生までいたり、学年ごちゃまぜでクラス分けしていたり。
生徒のほうはさらに異様だった。
半分くらいは普通だけど、もう半分がひどい。
巨体マッチョに濃すぎる顔で中空をにらむ男子たちとか。
地面を見つめてヒソヒソと含み笑う女子たちとか。
バカ笑いを続ける鼻の大きなオッサン顔の下級生たちとか。
みんな気にならないのか? 気にしないふりをしているのか?
そんな全員へ元気よくあいさつしてまわる波浜晴音ちゃんはチカの友だちだけど、一番おかしいかもしれない。
「チカちゃんおはよ! シンヤにいちゃん、めっちゃひさしぶり! ひきこもりやめた!?」
まるで悪気がないので、オレもゆるんだ苦笑いが出てしまう。
「おはよ、ハルちゃん。あいかわらずの正面突破力だな?」
「えっへへー!」
写真だと女の子らしい格好も似合う見た目なのに、動いていると男子みたいだ。ショートカットが似合いすぎる。
逆にチカはうつむきがちで、いつもまわりを気にしていた。
「ハルちゃん、おはよ……あ、ヒコさん、おはようございます」
出席簿を手に『二組副担任』の腕章をつけた上級生男子がまわってきた。
ひょろりとした体に柔らかい顔だちでのんびり笑っている。
「おはようございます。風山千影さんと……風山真夜くん。おはよシンヤ」
チカとハルちゃんは小学五年生。
気まずく目をそらすオレは中学二年生。
鈴林彦之さんは高校二年生。
「おはようございます。ヒコさん」
三学年ずつの差は大きい。
これが十年後には二十歳、二十三歳、二十六歳で似たような年代になるなんて、まるで実感がわかない。
それにこの時のオレはまだ、同級生のひとりは十年後でさえ『何倍も年上』だなんて知らないでいた。
ひとりだけ自家用車の中での待機を許可されていた同学年の女子がいる。
ほっそりとした体に青白い肌で、長い黒髪はていねいに手入れされていた。
「おはよう。チカちゃん。シンヤくんも。……元気になった?」
しっとりと静かな声。大きな切れ長の瞳はやたらと鋭い。
骨董車両の暗がりが似合う神秘的な顔だちで、文庫本をそっと閉じる手つきは名画のように耽美だった。
本のタイトル『禁断シスター百合無双』さえ気にしなければ。
「ミラさん、おはよ……あとそれ、隠さなくていいやつ?」
「え。……うあほしゃあっ!?」
この時はじめて歌留多美羅さんの愛読書がGLラノベだと知った。
あとうろたえた時の奇声がひどい。
「これはちがっ……内容はそんなに……ね? ね!?」
汗だくでキョロキョロしながら言われても困る。
大型バスへ乗りこんで国道を進むと、景色には廃屋がどんどん増えてくる。
葉ばかり目立つようになった桜が水田に花びらを散らしていた。
「遠出、めっちゃひさしぶり!」
ハルちゃんだけでなく、小学生はウキウキそわそわしている子が多い。
ため息をついて苦笑いする高校生女子もいた。
「わたしも東京どころか、近場の地元さえ遊びにいけてないなあ? がっつり買い物したいのに~」
町はずれを囲む山へ近づくと、尾根の先にある岬と海岸も見えてくる。
過疎集落のわびしい風景と、ぐだぐだな学校生活……その裏になにが潜んでいるのか、この時のオレはまだなにも知らなかった。
まさかバスの出発からトンネルに入るまですべて、別会場の大広間ではスクリーンモニター用の巨大水晶に映されていたなんて、想像できるわけがない。
大広間のステージ中央では大柄で筋肉質な中年男が宝飾されたマントをひるがえし、モニター画面をひっぱたいた。
「さあっ、おいでなさるぜ厄介者どもがよう!? 待ち受けているのは『こっちの世界』でも屈指の大魔境とも知らねえで!」
カッチリ整えたオールバックからは二本角と尖った耳が伸びている。
いかつい悪人顔はふてぶてしい笑み以外をめったに見せない。
ヒゲも羽根も尾も手入れが念入りで、豪奢なステージ衣装に身を包んだ二メートルの巨体がスタンドマイクをつまんで吠える。
「じゅっぷり手厚く歓迎してやろうじゃねえか!? この『悪魔王』サタンダン様と、ゆかいな仲間たち……」
ひとさし指の鉤爪を高く掲げ、スポットライトを集中させる。
「栄えある魔王軍を総動員してやったからよ~う!?」
絨毯敷きの大広間に居並ぶ盛装の悪魔たちが諸手をあげて「魔王軍、万歳!」を叫び、その背後にひしめく竜と巨人の大部隊、続く獣人や暴鬼の騎士団、そして小鬼や妖精の大群も喝采の豪雨に加わる。
「やつら『元世界』の一般人どもを一匹残らず手取り足取り、ご案内といこうじゃねえか~!?」
サタンダンの煽りに合わせて宙を駆ける火炎魔神、火炎精霊、火狐、火蜥蜴がそれぞれ好き勝手に照明演出を盛り上げ、防災スタッフの魚人魔術士たちは噴水を乱射しながら駆けまわった。
「魔法世界を制覇したオレらだ! 魔法のねえ元世界もキッチリめんどうみてやらねえとなあ!?」
サタンダンがゆっくりと手の平を見せて握りしめると、会場は三秒で騒ぎを収束させる。
「……この計画には魔王軍どころか、魔法世界すべての命運がかかっているからよう?」
サタンダンがマントを投げ飛ばしてハンチング帽をかぶると、和風ドレスの蜘蛛女が背後からセーターを羽織わせ、革ドレスの蛇髪女は魔法銀の拡声器を捧げる。
「現地スタッフどもの準備はどうよ!?」
巨大モニターが緑豊かな峡谷のあちこちを映し出す。
大型トラックなみの岩石巨獣は二体の単眼巨人に引きずられて山向こうまで強制連行されていた。
上空では六頭の獅子鷲とそれに倍する鳥人弓兵で編制された飛行中隊がジェット機サイズの巨怪鳥を彼方まで追いやっている。
暗い森を映していたモニターでは洞鬼十体でなる一個小隊が家サイズの粘妖をけしかけ、象サイズのカメレオン魔獣を捕縛しつつあった。
蠍獅子の毒針に刺された犬鬼は転げまわって苦悶している。
「好きなだけくたばりな! もろもろの手当と賞与は惜しまねえ! この計画が失敗りゃ、魔王軍の予算どころじゃねえもんなあ!?」
サタンダンは今なお奮戦を続ける整備スタッフへ親指を立て、牙まで剥きだしたくどい笑顔で激励を押しつける。
そして玉座よりも窮屈な折りたたみイスへわざわざ座りなおし、サングラスまでかけた映画監督コスプレでメガホンをふるった。
「元世界の巻きぞえで魔法世界まで絶滅するかどうかの崖っぷちだぜえ!? 遠慮容赦はいらねえ! オレ様もその気はねえ! 元世界のお客様がたをだましきってさしあげようやあ!? スリー、トゥー、ワン、開幕!」




