第9話
当然だけどパーティーが終わっても、それからも私は変わらずステファン殿下の婚約者としての日々が続いた。
(お妃教育も始まってしまったわ……憂鬱)
これから忙しくなるけれど、あれもこれもそれも私の迎える(予定の)ハッピーエンドの為!
気を抜かずに頑張るしかない。
残念ながら今は私に対して罵ってくれない殿下も、もしかしたら今後……
そう。アンネと出会えば──……
──ズキッ!
なぜか胸が痛んだ気がした。
(いいえ、違う! これは胸が痛いわけじゃないわ!)
だって私は、婚約破棄されて幸せになる悪役令嬢なのだから!
そう何度も自分に言い聞かせた。
「リュシエンヌ!」
「え? 殿下? お忙しいのでは?」
その日は、突然殿下が我が家に現れた。
たまにだけれど、彼は事前連絡無しで現れる事もしばしば。
こういった時は、たいてい予定外の何かがあった時──……
「うん、今はたまたま視察の帰り。ちょうどルベーグ伯爵家の屋敷の近くを通るからちょっと無理やりだけど寄ってみた」
「そ、うでしたか。わざわざ、ありがとうございます」
(予定外どころか気まぐれだったーー)
殿下は私の顔を見ながら微笑む。
「少しでもリュシエンヌの顔が見たかったから会えて良かったよ」
「!」
私は口ごもる。
だって、そんな嬉しそうな顔で真っ直ぐなことを言われると、なんて答えたらいいのか分からない。
「何も手土産になる物がなくてごめん……何分、急に立ち寄ったから……」
「そんな事は結構ですから……!」
そんな事で怒ったり文句を言ったりなんてしないのに、殿下はいつもそう。
すごく私に気を使ってくれている。
(お菓子の件といい、まさか私を物で釣ろうとしている? まさかね)
そして、あのパーティーから殿下は私を“リュシエンヌ”と呼ぶようになった。
漫画のように“貴様”なんて呼ばないし、なんなら“お前”とすらも呼ばれる事がない。
「でも、今度は何か持って来るよ」
「え? ですが……」
「いいから。だって、リュシエンヌの喜ぶ笑顔が見たいからね」
「殿……」
その言葉に私が照れて顔を赤くすると、殿下は優しく微笑みながら言う。
「だってさ、リュシエンヌのその時の笑顔は、とびっきり可愛いんだ」
「っ!?」
バックンと心臓が変な音を立てる。
あまりの発言に心臓が飛び出すかと思ったわ。
ステファン殿下は、色んな意味で恐ろしい人だ……そう思った。
*****
そんな感じで、殿下に振り回されながら日々は過ぎていき、今日から私は学園に入学する。
支度を済ませて鏡の前で制服に腕を通すと、漫画の中でずっと見てきた“リュシエンヌ”がそこには居た。
(まだ、少し幼いけれどこれは間違いなくリュシエンヌ・ルベーグ)
改めてここが“漫画の世界”だと実感させられた。
「顔が強ばっていますよ? お嬢様でも緊張するんですね」
「シシー……あなたね……」
緊張?
そうね、緊張はしているのかもしれない。
なぜなら、あの漫画の話の中心は主に学園生活……
前半は社交界同様に、殿下にバカにされ続けて学園でもシラーとした目で見られ続けるリュシエンヌの苦悩が描かれる。
そして、後半はとうとうあのヒドインが現れて殿下と急接近していく……
(私のハッピーエンドへ向けた断罪への道が開かれる時!)
だからアンネが現れたなら、ステファン殿下もきっと漫画の通りに……
ズキッ!
(また、胸がおかしい……)
「お嬢様?」
「な、何でもないわ。ちょっと胸がおかしかっただけよ」
「胸が!? それは病気ではありませんか!! 入学式なんてお休みしてお医者様に……」
シシーが顔色を変えて慌て出す。
(しまった……余計な事を言ってしまった?)
「ち、違うの! ただ、殿下の事を考えたら胸が……」
「え? 殿下?」
慌てて今にも部屋を飛び出して医者を呼びに行きそうな様子のシシーを止めると、シシーは振り返って驚いた顔を私に向ける。
「……お嬢様! なるほど、そうですか……そうだったんですね?」
「え? 今度は何……」
「いいんです、いいんです。シシーには分かりますよ。つまり恋する乙女の葛藤ってやつですね?」
「こ、恋する乙女ですって!?」
シシーが嬉しそうにうんうん頷いている。
まさかこれは……変な誤解を与えてしまった……?
(違うのに! そんなんじゃ…………ないわ)
「いいんですよ、お嬢様。そんなに必死に照れ隠しなさらなくても。婚約者なのですから」
「~~っ!」
あぁ、こんな誤解を与えてしまったのも、全部殿下のせいよ!
あなたが───バカ王子にならないから!
(でも……)
私だって漫画とは違って冷遇も攻撃もしてこないで、優しくしてくれる今のステファン殿下が、ざまぁされて欲しいかと言ったら……
(違う……そんな風には思えない)
漫画の中で描かれていた“ステファン殿下”と違って、しっかり公務をこなしていて、私……婚約者の事を大事にしてくれる──
そんな人があんな目にあうのはやっぱり違うと思う。
「……」
それなら、殿下にアンネと出会ってもこのままでいて欲しいなんて思ってしまう私の心はどこに向かっているの?
(ハッピーエンド……私の幸せって───なに?)
「リュシエンヌは制服姿も可愛いね。うん、想像以上だ」
「か!」
入学式に我が家まで迎えに来た殿下は照れもせずにそんな事をあっさり口にする。
『リュシエンヌ。貴様は本当に制服姿も似合っていないな。何で俺はこんな姿のお前と一緒にいなくてはならないんだ!』
こんな暴言を吐かれるはずだったのに。まさかの可愛い。
相変わらず、大きく違ってしまっている。
「あ……ありがとう、ございます……」
私が照れながらお礼を伝えると、殿下もほんのり頬を赤くして笑った。
「……さ、行こうか? リュシエンヌ」
「は、はい……」
殿下が手を差し出したので、私はそっとその手を取って馬車へと乗り込んだ。
───こうして、ついに私はこの世界のメインストーリーの中へと踏み出した。
✣✣✣✣✣✣
一方、その頃のとある場所───
「ふふふ~、今日は入学式よ! 素敵な出会いがあるといいなぁ」
着慣れない制服というものに腕を通して身だしなみを整える。
まさか、平民の“私”が入学出来るなんて思わなかった。
「試しに受けてみた特待生の試験に受かるなんて私って凄いわ~」
もうこれ、やっぱり私ってどこか“特別”なんじゃないかしら??
なぁんてね!
「でもでも、私って結構見た目も可愛い分類に入ると思うんだけどなぁ……」
だから、あまりの可愛さと優秀さで目立ってしまって王子様に見初められちゃったりして!!
なぁんてね!
「けど、聞いたところによると王子様も私と一緒に入学式なのよね~~素敵! 近くで見られるのかしら? 楽しみだわ~」
─────アンネ・クンツァ。
平民からの“特待生”として学園に入学することになった彼女は、とても浮かれた様子で入学式の準備をしていた───……