第8話
「パヴィア公爵はいい加減にどうにかしないとなぁ」
「え?」
ステファン殿下は私の肩を抱いて移動しながら、小声でそんな物騒なことを呟いた。
「あの、どうにかって?」
「うん? もちろん、そのまんまの意味だよ」
まさか、消すとかそんな意味じゃないわよね? 相手は公爵家だし。
そんなことを思いながら聞き返した。
(なんと言うか……)
今の殿下ならそういうことを平気な顔でやらかしてもおかしくない雰囲気があるのよね。
「……」
うん、やめよう。
これ以上は深入りすべきことではない。
私はそう思った。
「そ、それでさ……リュシエンヌ。さっき公爵が言った事なんだけど!」
「え? 何か言ってましたっけ?」
私は首を傾げる。
殿下の言いかけている事は、きっと私を婚約者に選んだ理由なのだろう。
けれど、私はもう知っているから別に聞かなくても構わない。
「……何かって……」
殿下は非常に言いにくそうな様子を見せている。それもそうよね、と思う。
だから、私は何も聞いていないし気にしていないフリをする事にした。
(それよりも、ゴタゴタに巻き込まれる方が嫌だもの!)
ただでさえ、こんな事になって何が起きているのか分からないのだから、極力、漫画の中に出て来ていないことはしないで欲しい。
これは私の切実な願いでもある。
「リュシエンヌ……」
「……」
私はにっこり笑顔を返した。
ちなみに、この笑顔の意味はこれ以上余計な事は言わないで下さいませ……よ!
(どうか伝わって!)
「はぁ……本当に君は…………」
「?」
「本当に君には敵わないよ」
よく分からないため息をつかれたと思ったら、殿下はそのまま私を引き寄せ、ギュッと抱きしめた。
「!?」
(なーにーすーるーのー!?)
皆がおぉ! って目で私達のことを見ている。
(くっ……ちょっとそこの見知らぬ男性!)
殿下と婚約者殿は仲睦まじい様子で良いですねぇ……ではないわよ!?
どうして、こんなに真逆な展開に向かって突き進んでいるのかさっぱり分からない。
屈辱を味わうどころか、周囲には微笑ましい目で見られてしまっている。
そんな中、私の頭の中に突然、漫画のワンシーンが浮かんだ。
───婚約披露のパーティーでも酷い目に遭ったと聞いている。大変だったな。
「……はっ!」
「リュシエンヌ?」
「あ! いえ、な、何でもありません」
私はステファン殿下の腕の中で首を横に振りながらも思い出す。
──どうしよう。
今、気付いてしまったわ。
これから先、私を助けてくれる隣国の皇子様も、この時のパーティーの様子を耳にしていた。
それなのに私、全然虐げられていない!
それどころか……
何故かこうして抱きしめられて、周りには微笑ましい目で見られてしまっている!
(……ハッピーエンドが!)
このままではダメ。
こんな様子であの皇子様は私を迎えに来てくれる?
……って、来ない気がするわ!
それならば!
私は一縷の望みをかけて殿下に声をかける。
「殿下……!」
「何かな?」
「今からでも構いません! 私を罵って下さい!!」
「は?」
殿下の瞳が大きく揺れた気がした。
「どうぞ、遠慮なく思いっきり罵倒して下さいませ! 私は落ち込む事も泣く事もしませんから!」
私は胸を張ってそう宣言する。
(───むしろ、ご褒美よ!!)
「!?」
殿下の目が見た事ない程大きく見開かれている。
こんなにも間抜けな顔は初めて見たかもしれない。
「……で」
「で?」
「そんなこと出来るかーー!! 君は何を言っているんだーー!?」
「……ちぇっ」
残念ながら殿下は真っ赤な顔で拒否して来た。
───やっぱりダメだった。
私の知っているハッピーエンドがまた一気に遠ざかった気がした。
「はぁ……リュシエンヌ、踊ろうか?」
「はい?」
聞き返した私に殿下はにこっと笑う。
「このまま僕らの関係は良好なのだと周りにもっと知らしめておくのもいいと思うんだ」
「……え!」
(なんで!)
「第2のパヴィア公爵みたいなのが現れないとも限らないし。それに……」
「それに?」
おそるおそる聞き返すと殿下の笑みがさらに深くなった。
「それに、君の言動もおかしかったしね?」
「ひっ!?」
先程のことを蒸し返されて小さな悲鳴を上げた私に向かって殿下はニッと笑う。
すると抱きしめていた身体を離して、今度は私の手を取る。
「さあ、リュシエンヌ!」
「え? ちょっと、ス、ステファン殿下!? 待っ……」
そして、そのまま強引に連れ出されダンスが開始されてしまった。
バカ王子ならぬスパルタ王子にみっちり練習させられたおかげで、私と殿下のダンスは、周囲が驚く程とても息がピッタリだった。
(くっ! 悔しい)
けれど、やっぱり踊りやすい……
スパルタ特訓のせいで身体もすっかりこの人と踊る事に慣れてしまっている。
「──ねぇ、リュシエンヌ」
「な、何ですか?」
踊りながら殿下は少し真面目な顔つきになった。
「君はまだ色々と戸惑っているかもしれないけど」
「……」
(戸惑いどころの騒ぎではございません)
「ゆっくりでいいから、僕を見て?」
「え?」
「僕を見て欲しいんだ」
そう口する殿下には、私をからかっている様子もふざけている様子も見受けられない。
とにかく真剣そのもの。
「えっと……殿下?」
「……」
殿下のそんな真剣な瞳から目が逸らせず、私達は踊りながらも、しばし無言で見つめ合う。
殿下の瞳に魅入られていたこの時の私は、この様子が周りにどう見えてしまっているかなど全く考えもつかないでいた。
そんな風に見つめ合いながら踊っていたら、殿下がようやく口を開いた。
「あのさ、リュシエンヌ。僕は君───……」
ドキンッ!
大きく私の胸が跳ねた。
そのせいで私はステップが乱れて自分の足を踏みそうになり、バランスを崩してしまう。
「きゃっ!」
「リュシエンヌ!」
そんな私を殿下は優しく抱きとめてくれた。
「す、すみません……」
「大丈夫?」
「は、はい……」
私が抱きとめられた腕の中から謝りながら殿下の顔を見ると、何故か殿下は笑っている。
でも、その笑顔はどこか懐かしいものを見ているかのようで……
(な、なにその表情……直視出来ない……!)
その表情と視線にとにかく胸がドキドキしてしまう。
高鳴った胸のドキドキはしばらくの間、全然収まってくれそうになかった。
*****
「リュシエンヌ、殿下とは上手くやっているみたいだな」
「ふふ、パーティーでは抱き合ったり見つめ合ったり……仲睦まじい様子で安心したわ」
「~~!」
パーティーからの帰りの馬車の中。
お父様とお母様が微笑ましい目で私を見ながらそう口にする。
(こんなはずではなかったのに……)
「贈られたそのドレスもばっちりステファン殿下の瞳の色だったものね」
「まさか、婚約者にリュシエンヌが選ばれるとは……なんて思っていたが、ちゃんと見初められて選ばれていたんだな」
うんうんと頷き合うお父様とお母様に、そんなロマンチックな理由ではないのだと全力で言いたい。
(そう言えば……)
私が殿下の婚約者に選ばれた理由を知っている人ってどれくらいいるのかしら?
パヴィア公爵は知っていそうだった。
そうなると、両陛下と殿下に近しい有力貴族は知っているのかもしれない。
でも、今日のパーティーで殿下と挨拶周りもしたけれど、おかしな視線を向けて来たのはパヴィア公爵だけだった。
(私はどうすればいい?)
って、このままで行くしかないのだけど。
とりあえず、殿下の様子はおかしいものの、今はまだ私がこのまま殿下の婚約者として過ごしていくことはどのみち変わらない。
(後はアンネが現れてから……どうなるか、よね)
アンネが現れたら、あの優しい笑顔は見れなくなるのかな?
そう思うと私の胸が少し痛んだ気がした。