第26話
「「あ……」」
本当にすっかりと存在を忘れていた。
「ふっざけるなぁぁぁーー!!」
「何してるのよぉぉぉぉーー!!」
(いけない! 二人っきりのつもりになっていた!)
二人の目と顔はかなり血走っていて、はっきり言って怖い。
「ス、ステファン様……」
「リュシー?」
二人のその様子が怖くて私は思わず、ステファン様にしがみつく。
「リュシー、大丈夫だよ」
「え?」
その言葉に顔を上げると、ステファン様はにっこり笑って私の頭を撫でる。
そして、すかさず顔を近づけて来ると、チュッと軽く私の唇に触れた。
「!?」
(ま、また!?)
私が驚いたまま、固まっているとステファン様は微笑みながら言う。
「……リュシエンヌの唇は柔らかくて甘いね」
「!!」
「ずっと触れていたい……」
「……!!」
ステファン様がうっとりした顔でそんなとんでもない事を言い出すものだから、私の方はとにかく照れてしまう。
それなのに、そんな甘い雰囲気は彼らが壊してくる。
「一度ならず二度までも!? ふっざけるなぁぁぁーー!!」
「何で二回もしてるのよぉぉぉぉーー!!」
外野の二人の熱はさらに上がって彼らはますます騒ぎ立てる。
「ステファン殿下! 何度言ったら分かるんだ!? リュシエンヌは俺の未来の嫁だ! 俺の嫁を汚すな!」
「殿下、よく見てください! あなたが相手にするべきは私です!」
ここまでの私たちの会話と行動を聞いて見ていたはずの二人は、それでもこの現実を認めようとしない。
「リュシエンヌ、目を覚ませ! 分かってるのか? お前は適当だぞ? 適当に選ばれてるんだぞ? それでも良いなんてお前の頭はいったいどうしたんだ?」
「殿下! 適当な人でいいなら、私でもいいと思いませんか?」
(頭がどうかしてるのはあなたたちでしょう……?)
「……リュシエンヌ」
「はい」
「好きだよ」
(!?)
ステファン様はそう言って私の腰を強く抱くと、そのまま再びのキス攻撃が始まる。
「ステファン……様?」
「リュシー。僕はね、さっきも言ったけど、ずっとずっと君が好きだった」
「ん……」
「そんな大好きな君に“私も好きです”と返されて、大人しくなんてしていられないよ」
「ス……」
私の発しようとする言葉は全てステファン様からの甘い甘いキスでかき消されてしまう。
(そういえば……ずっと好きだったってどういうことかしら?)
話を遮ってしまったけれど、あの様子から言って婚約は釣書ホイホイで選ばれたのは間違いなさそうなのに。
婚約者に選ばれた日から考えても、ずっとという表現を使うほど出会ってから日にちは経っていない。
「おい! 俺を無視するなーーー!! 」
「嫌ぁぁ、何なのよぉ、見せつけないでぇーー」
「……」
再び二人の世界を作り出した私達に二人は叫ぶ。
ようやくキスを一旦止めたステファン様は二人の方へ顔を向けると盛大なため息を吐いた。
「……さっきから、揃って煩い。可愛い可愛いリュシエンヌとの時間を邪魔しないでくれ。これだけ見せつけられてるのに騒げる君達にはいっそ感心する」
「黙れ! 人の嫁に手を出しといてよくも……」
「……ウォーレン殿下。いい加減に、リュシエンヌを自分の嫁扱いするのは止めてもらおうか?」
「……ぐっ」
ステファン様は、ギロッとウォーレン殿下を睨む。
睨まれたウォーレン殿下は少しだけ怯んだ。
「理由は知らないけど、確かにウォーレン殿下、あなたとリュシエンヌは結ばれる運命にある……いや、あった、のかもしれない」
「そうだ! 俺はリュシエンヌと結ばれる! 貴殿はアンネに骨抜きにされる! それが、正しいみら……」
「だからね、僕はそんな誰が決めたのかも分からない運命とか未来を迎えるのが嫌でね。変えてみようと思ったんだ」
「……は?」
ウォーレン殿下が、ポカンとした間抜けな顔になった。
一方のアンネは「何、なに、何なの? 運命? 未来って何の話よ」と話についていけず憤慨している。
(どういうこと?)
これだとまるで、ステファン様も記憶持ちで、この世界の漫画の結末を知っていて、自分の破滅する未来を変えようとした……そう、聞こえなくもないけれど。
なのに、どこか違和感を覚える。
「つ、つまり、ステファン殿下! 貴殿も俺と同じ──」
「違う」
「何?」
「多分、ウォーレン殿下と僕は違う。僕は聞いただけだから」
その言葉に私が顔を上げると、目が合ったステファン様はにっこり微笑む。
「聞いた、だと?」
「ああ……」
ステファン様が頷く。
「どこの誰の入れ知恵か知らんが、貴殿にはリュシエンヌという婚約者がいるにも関わらず、頭の中身が空っぽそうな女、アンネに誑かされ浮気をしたせいで、最終的に落ちぶれて破滅していくという未来を聞いたのか!?」
(……コンパクトにまとめた漫画のステファン様の末路はその通り……)
ウォーレン殿下は顔を青くして震えながらそう訊ねた。
一方のアンネはウォーレン殿下が口にした女が誰の事なのか察したようで、真っ赤な顔してウォーレン殿下に詰め寄った。
「はあ? ちょっと!? 何の話をしてるのかは知らないけど、頭の中身が空っぽそうな女って何よ!!」
「うるさい! 実際もお前の頭の中は空っぽだろう!? 男一人、誘惑も出来なかったくせに!」
「そっちこそ、あの目障りな女に逃げられているじゃないの! 何を偉そうに言っているのよ!」
「その頭は空っぽだろう! さすが、破滅の未来を迎えるだけある」
「破滅!? 破滅ですって? だから何の話よ……!! はっ! まさか、私を騙したの!?」
「人聞きの悪い事を言うな! 俺は正しい未来を迎える為に行動しているだけだ!」
ウォーレン殿下とアンネは私たちをそっちのけで言い合いを始めた。
(すごい白熱しているわ。すぐには終わらなそう……)
あの二人は何だか勝手に自滅しそうなので、とりあえず放っておくことにする。
「ステファン様……」
「うん?」
「あなたはー……」
私やウォーレン殿下と同じ?
そう聞こうかと思ったけれど先程、ウォーレン殿下に“違う”と言っていたのを思い出した。
違う……とは?
「未来を変えようとしたっていう話のことかな?」
「そ、そうです」
「リュシエンヌ……」
ステファン様はそっと顔を近付けると、私の額にそっとキスを落とす。
そして少し悲しそうに笑った。
「……ステファンという名前の王子が、婚約者のリュシエンヌという伯爵令嬢を捨ててアンネという名前の平民女と浮気をする……」
「え?」
「そのことを咎められた王子はアンネと共に破滅する未来を迎え、一方では王子に捨てられたリュシエンヌは隣の国の皇子、ウォーレンに助けられて幸せになる」
「!!」
もはや、全てのシナリオが崩れてしまったけど、この世界のことであるはず……の漫画の内容をざっくり語られて私は驚いた。
ステファン様は私のそんな顔を見てクスッと笑う。
「……昔、僕にそんな話をしてくれた子がいてね?」
「え?」
「偶然、王宮の庭で迷子になっていた“その子”を助けた時に出会ったんだけど」
(───!)
───おまえ、迷子か?
───ちがうもん
あの夢!
黒髪の男の子に助けられて、リュシエンヌは色んな話をしていた。
その話の中にはこの世界の話もー……
「あぁ、その顔は思い出した? リュシー?」
「……」
「君はあの頃から今も変わらず可愛いね」
「!!」
「君が俺に教えてくれたんだよ? まぁ、リュシーはただ誰かに話したかっただけみたいだけどね」
「あ……」
ステファン様のその言葉で、私はあのぼんやりしていた夢をはっきり思い出した。




